法の支配の担い手として思うこと
本間 佳子さん/弁護士
1 はじめに
私は、昭和58年3月に中央大学法学部を卒業し、平成3年に弁護士になりました。
ここでは、弁護士としてのこれまでの活動を振り返り、法の支配と法曹の役割について考えてきたことを記します。
2 カンボジア法制度整備支援―法の支配と法曹養成の重要性を認識
平成14年から2年間、国際協力機構(JICA)の「重要政策中枢支援『法制度整備』」プロジェクトの長期専門家として、カンボジア司法省に派遣され、同国の民法典及び民事訴訟法典の起草作業に携わりました。
中大関係者では、大村雅彦先生(現在中央大学理事長)が民事訴訟法起草の作業部会委員、佐藤恵太先生が知的財産権分野の担当で民法起草の作業部会委員として、法案の起草を担当されました。私は、カンボジア司法省にデスクをもらい、現地常駐の専門家として、日本の作業部会とカンボジアの起草グループをつなぐ、コーディネーターのような役割を担いました。
カンボジアは、1970年代にポルポト政権下でそれまでの法律が全て無効化され、私的財産制を含む社会制度が破壊され、知識人が虐殺されたり亡命したりしました。1979年にポルポト政権が崩壊した後も、内戦が続き、他国の支援なしでは復興が難しい状態となりました。国家の基本法さえない状態だったため、刑法と刑事訴訟法はフランスが支援し、民法と民事訴訟法は日本が支援して、新しい国造りのお手伝いをしました。当時のカンボジアには、法律がないだけでなく、裁判官や弁護士の養成制度もなく、裁判には賄賂、社会の中では暴力と自力救済が横行していました。
私は、初めて「民法のない社会」に暮らしてみて、社会から暴力を排除し、皆が安心して暮らすために、法が重要な役割を担っていることを実感しました。また、法律家は、国民の権利を守り、法の支配を社会に行き渡らせるために不可欠な存在だということを実感し、同国の法曹養成制度構築にも努力しました。
日本とカンボジア両国の起草者の努力が実を結び、2006年に民事訴訟法典が、2007年に民法典が公布されました。後に、日本の起草支援メンバー全員(大村雅彦先生、佐藤恵太先生、そして私を含む)がカンボジア政府から友好勲章を受章しました。
同プロジェクトは、その後も形を変えて継続し、現在も民法典及び民事訴訟法典の普及を支援する活動が継続しています。うれしいことに、中央大学卒業生で検事になった福岡文恵さんが、今年(平成31年)3月から同プロジェクトの長期専門家としてカンボジアに派遣されて活動しています。(2018年2月15日「法整備支援活動にかかわってみませんか?」をご参照ください。)
3 日本の法曹養成―中大ロースクール黎明期に
私は、平成16年2月にカンボジアでの任期を終えて帰国しました。折しも、日本では、同年4月から法科大学院が始まりました。私は、中央大学から法文書作成と民事模擬裁判担当の実務家教員にならないかと声をかけていただき、日本の将来を決する重要な仕事に携われると思い、喜んで引き受けました。まさに黎明期にあり、教材も、実務講師(若手弁護士)の皆様の力を借りながらゼロから手作りしました。1期生2期生として中大ローに集ってくれた学生とは、一緒に泣いたり笑ったりしながら戦友のように親しくなりました。法曹になったメンバーも他の道に進んだメンバーも、私にとっては、その一人一人が誇りです。
4 博士号取得への挑戦
私は、中大ロースクールで3年間教鞭をとった後、非常勤講師を経て、平成21年から創価大学ロースクールで実務家枠の教授になりました。創価大学では、法文書作成や民事模擬裁判に加えて、民法や民事訴訟法の判例演習や事例演習も担当し、私法学会や民事訴訟法学会にも入って研究するようになりました。
そして、平成27年3月から中央大学大学院法学研究科博士後期課程に入り、博士論文に取り組みました。法科大学院教授、弁護士に加えて博士課程の学生という三足の草鞋を履いての挑戦でした。長年心の中で温めていた、米国民事訴訟における当事者対抗主義(the Adversary System)と日本の当事者主義・弁論主義はどう違うのかという研究テーマに取り組みました。大村雅彦先生に指導教授になっていただき、再びお世話になりました。50代半ばを過ぎての無謀な挑戦でしたが、アメリカの研究者に会いに行って泊まり込みで教えを受け、数十年ぶりに中央大学図書館に通いつめて古書の独特の香りの中で本を読み思索する学生生活は、とても楽しいものでした。また、中央大学の図書館には、英米法の書籍が宝の山のように豊富に保管されていることを確認し、改めて母校を誇りに思いました。
何度もくじけそうになりましたが、大村先生から多大な激励をいただき、さらに、猪股孝史先生が大村先生(平成29年理事長就任)から指導教授を引き継ぎ、懇切丁寧に指導をしてくださいました。そのおかげで、平成30年年初に博士論文(「米国民事訴訟手続との比較による弁論主義の再考」)を完成させることができました。そして、同年3月に念願の博士(法学)の学位を頂くことができました。
この研究を通して、法の適用の前提となる事実の認定の担い手について日米の考え方が異なることが分かりました。日本では、裁判において法適用の前提たる事実の認定も裁判官が最終的な判断をします。しかし、米国では、事実の認定は本来裁判官の職責ではないと考えられています。裁判官は法の専門家ではあっても事実を知るものではないというのです。事実は当事者が一番良く知っているので、当事者が主体的に事実の確定につとめ、どうしても当事者間で解決できない争点は、一般人の代表(陪審)がその良識に従って判断する仕組みになっています。紛争解決に対する哲学的文化的違いを感じました。
5 山形移住―弁護士の原点に戻って
昨年(平成30年)3月には、創価大学法科大学院教授の任期が満了し、退職して、再びフルタイムの弁護士に復帰しました。夫が、山形にいる夫の母(現在88歳)の近くに行って面倒を見たいと言い出し、自分たちの将来も考えて、山形への移住を決めました。
平成30年末、東京から山形市に転居し、東京弁護士会から山形県弁護士会に移籍し、新たに「本間法律事務所」を山形市内に開設しました。
この半年は、雪深い東北の冬の厳しさもあって、外国に移住したような大変な思いもしましたが、春を迎え山形に来てよかったと感じています。特に、私は、山形県弁護士会で、弁護士の原点に戻れたことをとてもうれしく思っています。
山形では、法テラスが大変良く機能しており、山形県弁護士会の弁護士が皆で協力して、法テラス案件を積極的に受任し、市民のための法律相談に丁寧に取り組んでいます。また、山形市では、消費生活センターや社会福祉協議会など、市民を支える公的機関が熱心に活動しており、そういった機関と弁護士会が連携して、高齢者や障害のある方々を含む市民の相談に協力して取り組み、問題解決の支援をしています。この地道な取り組みは、まさに、法の支配を社会の隅々まで行き渡らせる活動に他ならないと感じています。
来年には還暦を迎える私ですが、眼前に広がった新たな活動の沃野に希望を感じています。ロースクール卒業生を中心とした東北の若手弁護士と一緒に汗を流し、法の支配の担い手として、よい仕事をしてゆきたいと願っています。
本間 佳子(ほんま・よしこ)さん
1960年大阪生まれ
学歴
1983年 中央大学法学部法律学科卒業
1997年 Georgetown University Law Center 卒業(LL.M.)
2018年 中央大学大学院法学研究科民事法専攻博士後期課程修了
学位
2018年3月 博士(法学)
学位論文:米国民事訴訟手続との比較による弁論主義の再考
経歴
1991年4月 弁護士登録
1996年8月~1997年12月 留学
1998年1月~2001年12月 神田橋法律事務所(現ホワイト&ケース法律事務所)弁護士
2002年2月~2004年2月 国際協力機構(JICA)カンボジア法制度整備支援 長期専門家
2004年4月 個人事務所開設(東京弁護士会)
2004年4月~2007年3月 中央大学大学院法務研究科特任講師・特任教授
2009年4月~2018年3月 創価大学大学院法務研究科教授
2018年12月~現在 本間法律事務所(山形県弁護士会)
資格
弁護士(43期)、アメリカ合衆国ニューヨーク州弁護士