交通・公益事業は我々が日常生活を営むうえで必要不可欠なものであり、身近なサービスである。そのため、交通・公益事業にかかわる話題はメディアでも目にすることが多い。たとえば、連休中の道路混雑、電気・ガス・水道料金の値上げ・値下げ、また自動運転の進展も交通・公益事業にかかわる話題であり、一方でLCC(低費用航空会社)を利用した訪日観光客の増加あるいは物流事業での労働力不足の問題なども交通・公益事業に関連した話題である。
このような交通・公益事業にかかわる話題をみかけるときに、たとえばコメンテータの方々がよく「国の責任が…」あるいは「都道府県や市町村にも自己責任が…」など、いわゆる「政府の責任」について発言されているところを目にしたことがあるだろう。
ただ、メーカーや小売店などのような、いわゆる「民間企業」が商品やサービスを提供している場合では、もしその企業の経営が悪化したり倒産すれば、「自己責任」であるとして、政府は特段直接追及されないだろう(責任追及されるのは経営が悪化した、あるいは倒産した企業の経営陣である)。
それではなぜ、コメンテータの方々は交通・公益事業における話題を解説する際に、企業自体の責任とともに「政府の責任」までも問うことがあるのだろうか。その1つの原因として、「公共性」という名のもとに,現在まで政府が交通・公益事業に市場介入してきた歴史がある。そこでつぎに、交通・公益事業分野を語る上で、あるいは分析の切り口として重要である「公共性」について考えていこう。
そもそも「公共性」とは一体どういう意味で使用されている用語なのだろうか。山内・竹内(2002)によれば、ある大学の学部生に「交通サービスの公共性とは何か」と尋ねると、次のような6つの答えが返ってきた。
上記6つの答えに対応する詳細な解説は山内・竹内(2002)に譲るが、ここで指摘しておきたいことは、「公共性という用語の定義は意外と難しい」ということである。いいかえれば、「公共性」という言葉は、「使用する人々の都合のよい意味として解釈されてしまう」可能性を秘めており、安易に使用することに慎重にならざるを得ない。
ただ、このようにあいまいな意味を持つ「公共性」という言葉が、交通・公益事業について考える際には時として非常に巨大な力を持つことがある。たとえば、「交通・公益事業には公共性がある」ということで、たとえ不採算(赤字)路線でも路線の撤退や廃止を企業が行う際には、近年まで政府に許可を求めなければならなかった。また、「交通・公益事業には公共性がある」ということで、たとえば企業が運賃・料金の値上げを検討していると、政府に対して利用者から不満の声があがることがしばしばある。
繰り返しになるが、「公共性」という言葉は、多くの人々が何となく漠然と、感覚的に理解して、その都度使用されてきた。そして、このあいまいな「公共性」を根拠として、交通・公益事業では、伝統的に政府が企業などを規制したり、補助金を交付したり、あるいは課税をするといった手段を用いて、市場介入を行ってきた。
それでは、「公共性」といったあいまいな言葉や概念を使用せずに、交通・公益事業の特性を分析し、その時々に生じる実際上の問題点や学問的な課題について対応策を講じることはできるのだろうか。このような対応策を講じる際に有用な学問が経済学である。そこでつぎに、交通・公益事業と経済学、とりわけミクロ経済学とのかかわりについて簡潔に整理していこう。
主にミクロ経済学の理論に基づいて交通・公益事業を分析し、その政策を提案する応用経済学の分野に交通経済学・公益事業論がある。したがって、交通経済学・公益事業論では、たとえば前述したような「交通サービスにおける政府の責任」について、「公共性」というあいまいな言葉を使用せず、伝統的なミクロ経済学のフレームワークを使用して分析を行う。
伝統的なミクロ経済学では、商品やサービス(経済学ではまとめて「財」とよぶ。)は、できる限り「市場メカニズム」という、「価格」という共通の、しかし、極めて簡潔な情報に基づいて自由な取引を行う仕組みに沿って経済取引を行うべきと提案されている。なぜなら、前提条件に基づいて市場メカニズムが機能すれば、限りある資源を無駄なく使用できることができる(これを「効率的な資源配分」とよぶ)ことが理論的に明らかとなっているためである。
ただし、世の中に万能なものはないもので、市場メカニズムも万能な仕組みではないこともすでに先行研究が指摘している。市場メカニズムを機能させなくしてしまう要因を「市場の失敗」要因とよび、現在まで数多くの研究が蓄積されてきた。
交通・公益事業はこの「市場の失敗」要因を色濃く持っている分野であるといわれている。つまり、他の財と同様に、交通・公益事業を自由に取引させてしまうと、当初想定していた良い結果をもたらさないことがあることがわかってきた。
それでは、「市場の失敗」要因への対応策はどのようなものなのだろうか。伝統的なミクロ経済学では、ここで初めて「政府」という組織を登場させる。そして、市場メカニズムがうまく機能するように、政府は市場メカニズムを補正する手段を講じるよう期待される。その手段が、規制であり、補助金であり、課税という3つの手段である。
ただし、市場メカニズムが万能な仕組みではないように、政府という組織もまた万能ではないことが研究で明らかになってきた。これを「政府の失敗」とよび、公共選択論を中心に現在も研究が行われている。
「交通・公益事業で市場の失敗が発生している際に、適切な手段を政府が講じなかった場合」ももちろん「政府の失敗」の範疇であるが、「時代や環境の変化によって、そもそももう市場の失敗がおこっていない(つまり、自由に取引させたほうがよい)場合でも、過去の経緯から政府が市場介入してしまう場合」も立派な「政府の失敗」といえる。先ほど述べた「公共性」の幻想は、このような「政府の失敗」の影響をあいまいにするようである。
以上のように、伝統的なミクロ経済学の考え方を使って交通・公益事業分野をみてみると、できる限りあいまいさを排除しつつ、現在の諸問題を批判的に分析し、その対処法を考えることができる。
ただし、交通・公益事業では日進月歩で技術革新がおこり、事業間の境目もなくなってきているなか、新たな課題や問題もおこってきている。そのため、私たち研究者もこれまでみてきたような既存の枠組みを踏まえつつ、交通・公益事業の新たな研究を継続的に進めていかなければならない。
2019年冬号
学生記者が、中央大学を学生の切り口で紹介します。
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