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実積 寿也

実積 寿也 【略歴

無料というビジネス

実積 寿也/中央大学総合政策学部教授
専門分野 通信政策、通信経済学、インターネット経済学、産業政策

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無料という武器

 無料という価格は消費者にとって大きな価値を持つ。無料で提供されるサービスと1円で提供されるサービスの間では需要量に格段の差が存在することが知られており、ペニーギャップと呼ばれる。そのため、世の中には無料で利用できるサービスも多く、特に、グローバル市場を支配するGAFAなどの巨大ネット事業者は「無料」を武器にシェアを拡大してきた。これは、ムーアの法則と呼ばれる情報通信技術の急速な進歩により限界費用が限りなくゼロに近づいたことが理由だと説明される場合がある。しかしながら、そうしたサービスを提供するためには巨大なサーバーファームなどが必要であり、膨大な初期投資が求められる。そのため、無料サービスをサスティナブルに運営するためにはビジネス面で一定の工夫が必要である。本稿では、無料ビジネスに関する論点を三つ取り上げる。

無料ビジネスと個人情報

 2009年に『Free』という衝撃的なタイトルの本を出版したクリス・アンダーソンによれば、無料ビジネスを支えるメカニズムには、①内部相互補助、②フリーミアム、③二面市場の三種類が存在する。携帯電話会社による無料コンテンツの提供、スマホゲームのアイテム課金、検索エンジンや動画サイトを支える広告モデルは、それぞれの典型である。基本料を支払う携帯電話加入者や、全体の約2%しか存在しない課金ユーザー[1]、広告主企業からの収入が事業全体を支える。無料ビジネスにおける競争はこれら課金先の争奪戦であり、サービスの無償提供はそのための道具に過ぎない。近年ではAIを活用したビッグデータ解析により広告配信サービスの精度を上げることができるため、無料サービスの提供は、配信内容・配信先を広告主に合わせてパーソナライズする材料となる個人情報と引き換えとされてきている。集積された個人情報は経済資源であり[2]、ケンブリッジ・アナリティカ社のケースでも示されているとおり、取引の対象となる。

 ネット事業者が利用可能な個人情報を容易かつ大量に入手するためには、スマホなどの情報通信機器が普及し、ブロードバンドインフラが整っている必要があるが、それらの条件を満たす地域は、通常、平均的な所得水準が高い。所得水準が高い地域は良好な売上げが見込める「豊かな市場」とされてきたが、ネット事業者にとってはビジネスに不可欠な生産要素が得られる「豊かな資源地域」でもある。2018年5月25日より施行されるEUの一般データ保護規則は、資源地域側が利用事業者をコントロールする試みであり、昭和を知る者にとっては産油国が石油メジャーに対抗しようとした時代を想起させる。

無料ビジネスへの政策的介入

 無料で提供されるビジネスであっても一定の規律が要請される。経済学は、効率的な資源配分を実現するためには、市場参加者が取引される財・サービスの情報を十分に認識・理解していることが必要であると教えている。いわゆる無料サービスが個人情報というコストと引き換えに提供されているのであれば、事業者はその事実を明確に開示している必要がある。これが、サービス利用に先立って同意が求められるプライバシーポリシーの経済的な意味である。プライバシーポリシーでは、人権面への配慮から、プライバシー保護についての目配りも要請される。一方、高崎・高口・実積(2014)が定量的に明らかにしたように、プライバシーポリシーの提示は消費者側に懸念を生じさせ、サービス利用意向を削ぐ効果もある。無料サービスの情報開示を十分に確保するためには、罰則規定など、ビジネスに対するマイナス効果を抑え込むのに十分な外的インセンティブを政府が設定することが肝要である。

 また、無料サービスを武器にした少数の事業者が市場を支配し、エコシステムにおけるボトルネックを掌握している場合には、市場支配力のレバレッジにより非効率性が発生する可能性にも対処する必要がある。例えば、検索エンジンやSNSはネット利用のポータルであり、独占的な事業者により提供されるサービスが差別的なものであれば全体の資源配分効率性が損なわれる。その場合、特定レイヤを支配する事業者が隣接レイヤを公平に取り扱うという「中立性原則」が要請されることになる。わが国の電気通信事業法第六条(利用の公平)や欧米を中心に議論されているネットワーク中立性はその一例である。そのほかにも、ネット企業のビジネスモデルに応じて複数の中立性原則が提案されており、Easley et al.(2018)は、検索中立性、OS中立性、アップストア中立性、アドブロック中立性を挙げる。これは、巨大ネット事業者が隆盛を極める今日、政府が喫緊の対応を迫られている課題である。

無料ビジネスによるエコシステム再構築

 近年、無料ビジネスに関しては「漫画村」などの著作権違反サイトが話題になっている。著作権を無視し既存ビジネスに大きな経済的損害を与えていることが問題として指摘される一方で、対策として導入されたブロッキング措置が通信の秘密を侵すのではないかという点が注目を集めている。

 マンガ産業としての観点に立てば、今回の件は、出版社を中心に、「購読+広告」モデルを軸として構築されてきた伝統的なエコシステムが、広告モデルに依存する「無料閲覧サイト」という新たなプレイヤーを中心に再構成される可能性、すなわちre-intermediationの道筋を示したことに他ならない。サイトを訪れた読者の個人情報を活用することで、広告配信の精度を上げることはもちろん、マンガの品質改善にも寄与でき、さらなるビジネスの成長が期待できる。配信システム費用はほぼ固定費であり、かつマンガ自体のデジタル複製にはコストがほぼかからない(=限界費用がほぼゼロ)。そのため、ビジネスが拡大し、広告収入が増えれば、正当な著作権料を負担したうえで、全システムをサスティナブルに運営していくことも期待できる。

 単行本や雑誌を購入する読者をフリーミアムの課金ユーザーとして考えた場合、無料配信により、現状の50倍の市場にリーチできる可能性がある。日本雑誌協会が公表しているデータをもとに片対数線形で逆需要関数を推計し、コミック誌(男性向け16誌、女性向け12誌)の無料配信による消費者余剰の増分を計算すると、2017年では5,400億円程度となる。これはコンテンツ海外流通促進機構(CODA)が行った被害額試算(合計約4,130億円)[3]を大きく上回る水準である。

 このことは、無料化が社会厚生を改善するビジネスモデルであり、著作権制度と整合的ではない現状を合法的な形態に進化させることで、より望ましい成果を得られることを示唆する。このチャンスを国内で活かせず、海外事業者にさらわれるとしたら、わが国経済にとっては大打撃である。社会厚生最大化の観点からは、レガシーなビジネスモデルを転換する勇気が求められる局面といえよう。

  1. ^ Swrve社のレポート(”Monetization Report 2016:Lifting the lid on player spend patterns in mobile”)による推計値。
  2. ^ 例えば、わが国の携帯電話事業者が有する個人情報は、Koguchi and Jitsuzumi(2015)の推計によれば、2015年時点で売上の2.7%から10.8%の価値を有している。
  3. ^ CODAの推計は、知的財産戦略本部会合・犯罪対策閣僚会議「インターネット上の海賊版サイトに対する緊急対策」(案)(首相官邸ホームページ )より引用。
参考文献
  • Easley, R.F., Guo, H., and Krämer, J. (2018, Articles in Advance) “Research Commentary—From net neutrality to data neutrality: A techno-economic framework and research agenda,” Information Systems Research.
  • Koguchi, T. and Jitsuzumi, T. (2015) “Economic value of location-based big data: Estimating the size of Japan's B2B market,” Communications & Strategies, 97 [1st Quarter], 59-74.
  • 高崎晴夫・高口鉄平・実積寿也(2014)「パーソナライゼーション・サービスにおける利用者のプライバシー懸念の要因に関する研究」『公益事業研究』 66(2), 25-34.
実積 寿也(じつづみ・としや)/中央大学総合政策学部教授
専門分野 通信政策、通信経済学、インターネット経済学、産業政策
大阪府出身。1963年生まれ。1986年東京大学法学部卒業。
1991年ニューヨーク大学経営大学院修了、MBA。
2003年早稲田大学大学院国際情報通信研究科博士後期課程修了、博士(国際情報通信学)。
郵政省・長崎大学・日本郵政公社・九州大学を経て2017年より現職。
現在の研究テーマは、ネットワーク中立性、AI、OTTビジネス。
主要著書に、『ネットワーク中立性の経済学: 通信品質をめぐる分析』(勁草書房、2013年)などがある。

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