一般に宗教と言えば、迷信や呪術など不合理な信念の一種として軽んじられることも多いですが、多くの国では宗教の影響力は依然として強く、欧米諸国でもキリスト教の教理を軽率に批判するようなことを書けば、あらゆる方面から非難が殺到することは避けられません。例えば、ハーバーマス『公共性の構造転換』は、宗教的公共性をほとんど無視している点がその出版当初から批判され、ハーバーマスは最終的に近著で宗教的公共性を再評価し、宗教的視点を自分の著作に取り込んでいます。
私の西洋経済史の講義でも、前近代社会の支配機構について説明する時には、キリスト教の話は避けて通れません。私的な支配従属関係をもとに成立した不安定な封建制を補完するものとして、キリスト教の公的性格は必要不可欠なものでありましたし、キリスト教会の組織が整備されてくると、封建的支配機構と教会とがいずれがより公的な支配権力と呼ぶに相応しいかを争うようになります。
マックス・ヴェーバーの『支配の社会学』では、支配というものはそもそも支配階級と被支配階級の両方が納得できるような支配の正当性についての了解が基礎になっているとされ、支配の3類型が分類されました。カリスマ的支配、伝統的支配、依法的支配です。そして、カリスマ的支配の典型例は宗教的支配関係であり、伝統的支配の典型例が封建的支配関係であるとされました。
近代市民革命は、国王の恣意的権力を奪い、宗教と世俗国家の分離を目指すもので、これによってカリスマ的支配と伝統的支配とが力を失い、依法的支配が有力な時代が到来したはずでした。現代の民主国家の統治機構の正当性は、依法的支配によって説明され、その根本にある法の支配の正当性は、さらに自由意思によって担保されているとされます。すなわち、主権者が、自由意思に基づいて、公正な選挙によって選ばれた代表を通じて制定された法律によって縛られているということが、法の正当性の根拠とされるわけです。この意味で、依法的支配は、デカルトからヘーゲルにいたる、近代的自己意識の勝利と言えます。
しかし、マルクスは国家と市民社会の分離の観点から近代国家を批判し、前近代から引き継がれた社会的・経済的不平等の要素の上に国家は成立し、それと相関関係にあり、またこの構造は宗教が社会的統合の一翼を担っていた前近代と共通するものだといいます。
完成した政治的国家は、その本質上、人間の類的生活であって、人間の物質的生活に対立している。この利己的な生活の一切の前提は、国家の領域の外に、市民社会の中に、しかも市民社会の特性として存続している。政治的国家が真に発達を遂げたところでは、人間は、ただ思考や意識においてばかりでなく、現実において、生活において、天上と地上との二重の生活を営む。すなわち、一つは政治的共同体における生活であり、その中で人間は自分で自分を共同体的存在だと思っている。もう一つは市民社会における生活であって、その中では人間は私人として活動し、他人を手段とみなし、自分自身をも手段にまで下落させて、ほかの勢力の玩弄物となっている。(「ユダヤ人問題について」)
実際のところ、近代国家と宗教との関係はそう簡単ではありません。ドイツでは、第一次世界大戦後、近世の国教会制度が廃止され、国家の宗教的中立性と信教の自由が保障されることになりました。ワイマール憲法は国教会を禁止し、国家の教会監督権を否定する一方で、公法上の団体と認められた宗教団体には教会税の徴収を認めるなど、キリスト教会に配慮しました。そして、1949年制定のドイツ連邦基本法にもワイマール憲法の国家と宗教との関係に関する規定の多くが編入されました。
ドイツ連邦基本法は信教の自由、政教分離、そして宗教団体の自己決定権を保証し、これが国家と宗教団体との関係の基礎となっています。しかし、公法上の団体という地位が与えられたキリスト教会には、非営利団体として免税資格が与えられ、教会税の徴税もみとめられています。国家は、教会が運営する幼稚園や学校の財政に関与し、教会は国家が代理徴収した教会税を受け取って社会活動の財源としています。それは国家の社会保障制度を補完する社会事業であり、教会は、特に保守派によって、社会保障制度の担い手としても重視されています。また基本法は、宗教教育を正規の学科として保証しています。
このような制度ができるにあたっては、ワイマール憲法制定時には中央党が、またドイツ連邦基本法制定時にはキリスト教民主同盟・キリスト教社会同盟など、いずれもキリスト教を党綱領の基礎に据える政党の影響力が大きく作用し、これらの政党の協力がなければ憲法・基本法の成立は困難であったと考えられています。
もっとも、基本法秩序における公法上の宗教団体の規定の意味は、このような政治的・歴史的背景だけで説明されているわけではありません。国家と宗教との関係は、急進的な世俗主義ではなく、教会を公的なるものと理解し、社会における重要な存在と考えるものであるとの見解は、従来からドイツ公法学において大勢を占めてきました。
ドイツにおいて国家と教会とは現在もなおパートナーとしてその権利義務を政教協約(カトリック)・政教条約(プロテスタント)によって規定しており、ドイツ連邦政府、および各州と教会との間の多数の政教協約・政教条約が今もなお有効です。
つまり近代以降にも、公共性の担い手という点で、宗教と政治的世俗国家とは依然として競合関係にあるということになります。イスラム系の宗教原理主義者たちの中には、西欧的価値体系の全体を不敬的でキリスト教的であると非難する者が存在し、反対に欧米諸国はイスラム系移民にも自分たちの価値観・生活様式を受入れさせるべきだと考えています。「自立的な個人」という思想の起源は、「神の似姿としての人間」というキリスト教思想にあると考えられ、このような対立は、結局のところ、近代国家の基礎にある自由意思や自立的主体としての個人などの原理を批判することによってしか克服できそうにありません。実際、現代思想のテーマはそこに集中しています。
例えば、現代思想の始祖と言われるニーチェは次のように述べ、哲学を「自我」や「自由意思」などの究極原理を無批判に認めるところから始めることの危険性を指摘しています。
歴史的感覚の欠如は、すべての哲学者の遺伝的な欠陥である。多くの哲学者は、特定の宗教や、それどころか特定の政治的事件の刻印のもとに成立した人間の最新の形態を、ともすると自分たちの出発点である堅固な形態だと思い違いしてしまう。彼らは、人間が生成してきたものであること、認識能力もまた生成してきたものであることを学ぼうとしない。……一切は生成したのであって、永遠なる事実というものは存在しない。絶対的な真理が存在しないのと同様に。――したがって、今後は歴史的に哲学することが必要であり、それとともに謙遜の徳が必要である。(「人間的な、あまりに人間的な」)
また、フロイトは、「心」の構造を、生物的個体性と社会的共同性との相互作用の中で説明しようとしました。フロイトの精神発達論においては、例えば人間の生物的個体性に起源のある「小児性欲」が重要な役割を果たします。これは、生殖的目的性と無関係な、その意味で「倒錯」した性欲であり、乳幼児の生命維持の観点からは必ずしも必要ない、強い愛撫的なかかわり合いを養育者と乳幼児の間に引き起すもので、双方にとって関係的・交流的に働く力でもあります。これによって、人間の子供はすでに社会的な共同性を獲得している大人との早期からの密接な交流を形成し、それを通してしかるべき精神機能の獲得が可能となります。また、この性愛的な二人関係にまどろんでいた子供が、もう少し複雑な社会関係(三者関係)に目を開かれていくときの心的経験が「エディプス・コンプレクス」として説明されます。
産まれたばかりの幼児は、動物的・生命的力〈イド〉の支配下にありますが、生きていくための外界との交流を通して徐々に〈自我〉が形成されていきます。しかし、子供たちにとっての外界という環境は、生物的自然環境ではなく、〈自我〉を十分に形成したおとなからなる社会的・共同的世界であり、その社会が共有する共同規範を養育過程の子供たちに差し向けてきます。それが心に取り入れられて内在的な力となったものをフロイトは〈超自我〉と呼びました。
フロイトのこのような議論は、近代社会の「自由で主体的で合理的な個人」という人間像の幻想性を暴くものであり、各方面に影響を与え、また反発も引き起こしてきました。
新しく大学生になられたみなさんの中には、専攻分野に関係なく宗教や哲学思想など精神的なものに関心を持っている方が少なからずおられることでしょうし、社会人となる直前のみなさんの心の成長過程を考えた時にも、そのような関心が高まるのは避けられないことだと思います。ところで、大学にはそういった多様な関心に応える学科目や研究者が存在します。一人であれこれ考えるのではなく、内外の研究者の専門的な研究成果に触れつつ、自らも深く探求し、また単位を修得しつつ、みなさんのそういった探求心を充たしていかれるのもいいことではないでしょうか。
福井県出身。
1964年生まれ。
1988年東京大学経済学部卒業。
1994年東京大学大学院経済学研究科博士課程単位取得退学。
経済学博士(東京大学)
中央大学経済学部助手・助教授を経て2003年より現職、
現在の研究課題は、マルクスの弁証法的唯物論の真意の解明、ドイツにおける外国人労働者問題など。
最近の著作として
Shibata、 Hideki。 2017。 “The Dialectical Materialism and Subject: Monism and Dialectic,” in Journal of Economics (Chuo-University)。 Vol。 57, Nos。 3 & 4。 (中央大学『経済学論纂』)
Shibata、 Hideki。 2017。 “The Dialectical Materialism and Science,” in Journal of Economics (Chuo-University)。 Vol。 57, Nos。 5 & 6。 (中央大学『経済学論纂』)
2019年冬号
学生記者が、中央大学を学生の切り口で紹介します。
外務省主催「国際問題プレゼンテーション・コンテスト」最優秀の外務大臣賞に 及川奏さん(法学部2年)/赤羽健さん(法学部1年)
Chuo-DNA
本学の歴史・建学の精神が卒業生や学生に受け継がれ、未来の中央大学になる様を映像化
Core Energy
世界に羽ばたく中央大学の「行動する知性」を大宙に散る無数の星の輝きの如く表現
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