露木 恵美子 【略歴】
露木 恵美子/中央大学大学院戦略経営研究科教授
専門分野 組織論、戦略論、起業論
富士川の河川敷に一面に広がるピンクの絨毯。駿河湾の春の風物詩である桜えびの素干しづくりの風景である。桜えびは、日本では駿河湾でしか水揚げされない天然の海老で、その美しさから「海のルビー」ともよばれる。漁業としての桜えび漁の始まりは比較的新しく、明治27年に偶然に漁法が発見されたと言われている。
桜えび漁は、現在、由比・蒲原(静岡県静岡市清水区)・大井川地区(同焼津市)の3地区でのみ行われている。漁の中心となるのは由比港漁業協同組合(以下、由比港漁協)である。
写真1:由比港漁協の写真(出所:由比港漁協青年部作成資料より引用)
由比港漁協青年部の6次産業化の取り組みとは、漁業者が自ら獲ってきた魚を自らの手で加工・製造し、付加価値をつけて市場に流通させようという試みである。特に、深海に生息しており水揚げされるとすぐに死んでしまう桜えびを生かしておくことに成功した「活き(いき)桜えび」や、漁師ならではの食べ方の提案である「桜えびの沖漬け」、今までサイズが小さかったり買い手が少なかったりして、市場に流通しなかった魚(未利用魚)を練り製品に加工する「漁師魂(りょうしだま)」など、数々の商品化に成功してきた。本事例は、6次産業化に対する漁業者の挑戦であり、産学連携による研究開発の成果でもある。
桜えびは、水深200~300メートルの深海に生息しており、夜になるとエサとなるプランクトンを食べに水深50メートルくらいまで浮いてくる。その浮いてきたところを2艘の船で網をかけるのが桜えび漁で、夜曳き(よびき)ともよばれる。
写真2:桜えび漁の様子(出所:由比港漁協作成資料より引用)
桜えびの生態は、長年にわたり研究されてはいるもののよくわかっておらず、養殖もされていない。漁期は年2回で、春漁は3月中旬から6月初旬、秋漁は10月下旬から12月下旬の約5ヶ月間であり、それ以外の時期は、資源保護のため休漁している。
また、桜えび漁は、資源管理型漁業の一形態である『プール制』という制度を船主たちの自主的な取り決めとして実施している。これは全水揚げ高を、県から操業が許可されている120艘の船で、一定のルールに基づいて均等に配分することで、過当競争による獲りすぎや事故の防止および資源保護を目的として、約40年前に導入され、試行錯誤の上にできあがった制度である。由比港漁協(青年部)の活動も、このプール制を背景に展開されてきたものであり、プール制の下での協働作業を通して、漁業者の間で形成され共有されてきた価値観や行動様式を抜きに理解することはできない。
図1:桜えび漁の二艘曳き
近年のように一次産業者による6次産業化が注目されるようになる前から、由比港漁協では、漁業者自らによる6次産業化の取り組みが実践されてきた。その代表例は、直売所と浜のかきあげやの経営である。その他にも昭和50年代から水揚げされてすぐの桜えびをトラックに積んで築地市場に運んだり、行商に行くこともあったという。
今では観光客に人気の浜のかきあげやは、漁協直営の食堂である。開業のきっかけは、直売所に立ち寄ったお客様から「桜えびの料理の方法がわからない」という声やその料理方法の問い合わせが多かったからである。なるべくコストをかけずに、近隣からプレハブをもらいうけたり、椅子やテーブルも職員が廃材を利用して手作りした。国道1号線から少し入った漁港の船泊で、船をみながらのんびりと桜えびやシラスを味わってもらう。その素朴さと手軽さがうけて評判となり、多くの観光客が立ち寄るようになった。今では、直売所と食堂で年間約2億円を売り上げる。人気メニューの一つである桜えびの沖漬け丼は、青年部が開発した「桜えびの沖漬け」を使った商品である。
写真3:浜のかきあげや
写真4:桜えびの沖漬丼とかきあげ
由比港漁協青年部は、2008年7月に、桜えびの船主会の若手の集まりを統合し、シラス組合や定置網組合などの由比港漁協に所属する各種漁業の50才以下の後継者を集めて発足した。この青年部が発足することになったきっかけは、2006年にはじまった「活き桜えび」の研究開発にある。
先に述べたように桜えびの生態はよくわかっておらず、水揚げしてもすぐに死んでしまうため、大量に生かしておくのは不可能だと言われてきた。それを可能にしたのは、一人の漁師と大学教授との出会いであった。「桜えびを生のままで1週間、薬品などを使わずに鮮度を保持できないか」という漁師の思いに応えるかたちで、水質環境工学が専門の石巻専修大学の高崎みつる教授と、長野県にある農機具メーカーの(株)麻場エンジニアたちが、三つ巴になって取り組んだ結果、5年の歳月をかけて出来上がったのが桜えびを生かしておく装置であった。若手漁師の間でも、桜えびを生かすという目的のための活動を一緒にやることで、漁期中でなくても顔を合わせる機会が増え会話も広がっていった。そのことが、後の青年部の発足につながったのである。
写真5:活き桜えび
活き桜えびは、静岡市や地元の飲食店で供されるようになり、その目新しさが脚光をあびて、何度も新聞各紙やテレビの全国放送などにも取り上げられ、国産桜えびのPRにつながった。桜えびのブランド価値の向上に寄与したのである。
青年部の活動は、活き桜えびの研究や販売、活き桜えびを通した広報活動だけでなく、桜えびの産卵調査や漁船を使用した観光ツアーの開催、桜えびをつかった料理教室の開催、さらには、定置網であがった魚の加工・販売などがある。
先に挙げた「桜えびの沖漬け」は、都内の飲食店チェーンと青年部が共同開発した商品である。沖漬けとは、水揚げされてすぐのイカなどの魚をタレ漬け込んだものである。水揚げされた直後のまだ生きている桜えびをタレにつけたら美味しいのではないか。漁師の強みは、水揚げされた直後に鮮度よく加工できることである。青年部にはその強みを生かした商品を開発したいという思いがあり、それにうってつけだったのが沖漬けという発想であった。2012年の春漁から、かねてからつながりのあった飲食店チェーンからタレを提供してもらい試作をはじめて、9月から販売を開始、約2年間で2万パック(1,000円/1パック)以上を売り上げるヒット商品になった。
写真6:桜えびの沖漬け
沖漬け以外にも、時を同じくして青年部が開発に取り組んだのは、地元の定置網の魚をつかった練り製品の開発である。地元の定置網では、他の地域と同様に大量に水揚げされると魚価が急落するという問題があった。また、水揚げされても一般の消費者になじみがなかったり、サイズが小さすぎて取引されない魚もある。そういう魚は未利用魚と呼ばれ、漁師の食卓にはのぼっても一般の食卓にはのぼらない。製造においては、地元の大学の専門家にすり身の加工指導を受け、衛生管理の資格も漁師みずから取得した。
少しざらっとした食感の漁師のはんぺんは、「漁師魂(りょうしだま)」と名づけられ、2013年の1月から販売が開始された。現在では、静岡県内のおでん専門店や居酒屋チェーン、地元の飲食店でも提供されている。かます100%のおいしさと手づくりゆえの安心感が消費者に受け入れられた。青年部では、かますに続いて、太刀魚などでも同様の練り製品の開発を行い、その時々に大量に水揚げされ安く売買される定置網の魚の付加価値を上げる努力を続けている。
活き桜えびの活動が発端となって発足した漁協青年部の活動は、現役の中堅若手の漁師たちの手で進められてきた。そこには、自分たちがとってきた魚を鮮度よくおいしく食べてもらいたい、そのためには、人任せにするのではなく、自分たちの手で原材料の管理から加工、販売までを一貫して行うことが必要という思いがある。
獲ってきた魚を漁師の手で加工しているということは、産地偽装などが社会問題となるなかで、消費者にとっての安心感につながるであろう。さらには、一連の活動を通して、地元の飲食店や加工業者、首都圏や静岡県内の飲食店などとの新しい連携も出来てきて、更に可能性は広がっている。
活き桜えびをきっかけとした青年部の取り組みは始まったばかりである。しかし、台湾えびなどの競合品の出現や漁獲量の減少などにより漁業収入が不安定になるなかで、桜えびの水揚げから恩恵を得るだけでなく、限られた資源を最大限に活用するために、漁業者自らの力で付加価値商品を開発し販売するための大きな一歩であるといえよう。