トップ>教育>「TSUKURU×TSUTAERU: 学びの回廊」プロジェクトについて
岡田 大士 【略歴】
岡田 大士/中央大学法学部助教
専門分野 科学教育 教育工学 高等教育論
中央大学法学部では2011年10月より、Apple社のコンテンツ配信サービス「iTunes U」にて映像コンテンツ「学びの回廊」の提供を始めた。私立大学のしかも法学部としては珍しい講義映像の提供であり、本学学生・地域住民が作成した映像コンテンツという特徴を持っている。なぜ本学部が映像配信に取り組むことになったのか、また学生や地域住民が作成にかかわることによってどのような効果を期待しているか紹介していきたい。
1990年代以降爆発的に広まったインターネット、とりわけWorld Wide Web(WWW)と閲覧ソフト(ブラウザ)が一般のパソコンで使えるようになって、我々は世界中の情報、しかも色数の多い画像や、音声・動画をリアルタイムで入手できるようになった。こうしたインターネットを通じたコンテンツ配信に可能性を見出したのが高等教育機関、すなわち大学である。
大学によるインターネット配信で近年注目されているのが、インターネットを通じた授業公開である。有名なMITのオープンコースウェア(OCW)は、2002年に50コースのシラバスや講義ノートの公開から始まり、現在では2000コース以上の資料が公開されている。さらにインターネットの高速・大容量化により、インターネットによる映像配信を始める大学もあらわれるようになった。国内においても、2005年に6大学(東大、京大、東工大、早稲田、慶應)が「日本版OCW」を立ち上げ、慶應大学湘南藤沢キャンパス(SFC)では2002年に「GLOBAL CAMPUS」というプロジェクトを通じて、授業映像の公開を始めた。
こうしたなかで2007年にAppleが立ち上げたのが「iTunes U」である。「iTunes」というのはAppleの音楽プレーヤ「iPod」を使うのに必要な音楽管理ソフトで、iTunesを通じて楽曲・ニュース等のダウンロードができるようになっていた。AppleはこのiTunesの新しい機能として、大学(University)が発信する映像・音声コンテンツを取りまとめ、大学・ジャンル別に検索・ダウンロードできるようにしたのである。現在800大学がiTunesUに参加しており、そのうち半数が大学案内・講義録映像を一般に公開している。NHKの放送で有名になったマイケル・サンデルの「ハーバード白熱教室」もiTunesUを通じて無料で視聴できる。
そのiTunesUに今年から本学も参加することになった。開始自体は国内の先行4大学(東京・早稲田・慶應・明治)に遅れたものの、本学には他大学に負けない映像の蓄積があった。ご存じのように本学には八王子ケーブルテレビと共同で2001年から制作を行っている教養番組「知の回廊」(2011年11月現在で81本)があり、またFLPジャーナリズムプログラム・松野良一ゼミによって2004年から制作が始まった「多摩探検隊」(2011年11月現在で91本)という番組がある。当然、どれもテレビ放送を前提に制作された質の高い映像作品である。そこで、これらの作品から選りすぐりの165タイトルを6月に公開したのである。単なる教員の自己紹介やありきたりの大学案内には終わらない本学のコンテンツは、iTunesUのダウンロード件数の国内上位を記録することもあったと聞いている。では、出遅れはしたものの比較的好調なスタートを切ったともいえるiTunesUになぜ法学部が参加することになったのであろうか。
1885年の英吉利法律学校創設以来、中央大学法学部は我が国を代表する法律系学部として、法曹界・官界・実業界に多数の人材を輩出してきたことに異論をはさむ人はいないだろう。我が国の司法制度改革とそれに伴うロースクール開設に伴い、法学部教育が大きく変わろうとしているいま、我々はこの125年の伝統を継承する一方、社会の変化と大学教育に対するニーズに応えるため、教育の内容・方法等の改革に絶えず取り組まなければならない。映像配信、しかも今まさに普及しようとしているiTunesUでの映像配信を通じ、法学部教育の現在とその魅力を広く伝えるという課題は、中央大学法学部に所属する我々にとって実行すべきであり、かつチャレンジングなテーマであるともいえる。そして今年度は本学部専任教員による6本の講義(オープンキャンパスにて開催)と、法学部長による講演を映像化し、iTunesUでの公開を行うことにした。
映像制作にあたっては、本学内及び周辺のリソースを最大限に活用した。すなわち、本学学生及び地域住民による映像制作である。何より多摩キャンパスは課外活動施設と教育施設が一体となって整備されており、他大学と比べても学生の課外活動が活発に行われているといわれている。彼らの才能を使わない手はない。また、郊外型キャンパスという特性を活かすなら、当然地域住民の力を借りたい。そこで、映像制作自体をイベント化して、コンテストとしたのである。今回は学生5チーム(うち3チームまでが学友会サークル出身)、地域住民1チームが映像制作にあたった。映像効果に優れた作品、受講者の学ぶ姿を効果的にとらえた作品、次年度以降も使えるようにと、オープニング映像にこだわった作品、導入部分に教員へのインタビューを加えた作品など、どれもが魅力的であった。そして最後にプロ(本学OB)による映像コンサルティングを受けたのち、10月末から順次作品が公開されていったのである。
今回のコンテストにあたり、コンサルタントを行ったプロの方から次のような話を伺った。いま、インターネット配信のおかげでCDのパッケージ販売は減少しているものの、その一方でアーティストのライブへの動員が増えているのだという。身近にネットで視聴している回数が増えていくうちに、「本物」を見たくなるというのである。これは大学の授業にも当てはまるのではないだろうか。たとえば「ハーバード白熱教室」を日本で放送する前と後では、サンデル教授の来日時の学生や我々教育関係者の反応は違っただろう。今回のiTunesUでの映像配信を見て、法学部の教育に関心を持ち、「あの先生の講義を聞きたい」と思って受験する若者が増えてくれればと願うばかりである。
他方、映像配信における法学部教育の課題も見えてきた。一般に法律系科目の授業においては、条文や判例の資料を手元に置きながら注や解釈を行っていく場合が多い。しかしiPodやiPhone、iPadではどうしても映像中心になり、資料を別途入手しておかないと、その内容がつかみにくくなってしまうことがわかった。いわゆるFD(ファカルティ・ディベロップメント)の範疇になるが、映像化にあたってはスライドを別途作成したり、適宜ノート、解説のようなものが映像に入ったりするのが好ましいと感じた。もちろん、映像配信だけがコンテンツ公開ではないので、別途資料を組み合わせたパッケージ化(コンテナ化)するという方法もあるだろう。とにかく短い期間で6作品出来上がり、次年度へ向けた収穫と課題を非常に多く得ることができる取り組みであった。
労働問題の研究者で、カリフォルニア大学の総長でもあったクラーク・カーは、『大学の効用』において現代の大学を、教師と学生の関係を超え、国や地域社会を含めた多くの利害関係者との関係で成り立つ「マルチバーシティ」と定義している。我が国においても、高等教育機関とりわけ私立大学は授業料などの納付金や関係者による寄付、国からの補助金等によって運営されている。ゆえに大学の教育・研究活動は学生への教育として還元されるとともに、広くその内容が社会へ伝えられなければならない。そのような社会的還元として、iTunesUは有効な手段であると考える。今回図らずも6人の同僚教員の映像化された講義を拝見し、やはり「大学の授業は面白い」と感じた。大学というものは研究とともに教育とくに講義が最大で最良のコンテンツであるとの思いを強くし、筆者自身も自分にとってのベストの講義を目指していきたいと感じた次第である。