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万博に向け"推し"のパビリオンを
~三菱UFJ銀行が「推しパビプロジェクト」開催~
2025年大阪・関西万博で三菱グループが出展するパビリオン「三菱未来館」を応援してもらおうと、三菱UFJ銀行が「MUFG推しパビプロジェクト for EXPO2025」を同行大阪ビル本館(大阪市中央区)1階で開いている。1970年大阪万博で人気を博した同グループとゆかりのある「三菱未来館」や「みどり館」を中心に、当時の貴重なグッズを約340点展示。映像を交え、最新情報も提供することで、過去から未来にわたる万博の魅力を発信している。同行などが設立した一般社団法人関西イノベーションセンターとの共催で、入場無料。11月15日まで。
万博に向けワクワク感を醸成
10月25日に開かれたオープニングセレモニーのあいさつで、三菱UFJ銀行副頭取(西日本駐在)の早乙女実さんは、1970年大阪万博で三菱UFJフィナンシャル・グループ(MUFG)の源流である三菱銀行と三和銀行がそれぞれ深く関わった三菱未来館とみどり館の歴史を紹介した。三菱未来館は当時、パビリオン全体の中で8位の来場者数を記録する人気ぶりで、「未来への夢と希望を象徴するパビリオンとの記憶が半世紀たった今でも深く刻まれている」と話した。
今回のイベントでは、70年万博で使用された貴重なグッズやユニホーム、体験映像などを通じて、当時の感動を伝える一方、来年出展する「三菱未来館」の最新情報なども紹介する。早乙女さんは「特に次世代を担う若い世代の皆さんに70年万博を知ってもらい、来年の万博に向けてワクワク感を醸成したい」と語り、「三菱未来館」を「推しパビ」にしてくれる来場者が増えることを期待した。
70年万博の振り返りと2025への期待
トークセッションでは、早乙女さんと万博グッズコレクターの白井達郎さん、三菱総合研究所万博推進室長の今村治世さんの3人が参加。司会は、よみうり万博チャンネルでおなじみのフリーアナウンサーの薄田ジュリアさんが務めた。
70年万博について、当時、5歳だった早乙女さんは初めて新幹線に乗って家族で会場を訪れ、「夢のある明るい未来そのもので、ワクワクやウキウキが止まらなかった」という。家に帰り、撮影した写真やパンフレット、土産物などを眺めながら「大人になったら何をするんだろうと考えていた」と振り返った。
当時、高校1年生で、万博会場でアルバイトしていた白井さんが印象に残ったのは「大阪市内の街の変わりよう」だ。市電が廃止され、地下鉄の運行が始まり、御堂筋が今のように一方通行になった当時の様子を紹介した。
一方、まだ生まれていなかった今村さんは、70年万博が「大阪の人にとっては最大級の成功体験だった」と推測した。「これまで70年万博について悪く言う人は誰1人おらず、みんな『よかったよ』と言う」と話した。
話題は、白井さんがこの頃から収集を始めた万博グッズに及んだ。
現在、コレクションの数は1万点を超え、今回のイベントで展示されているグッズのほとんどを白井さんが提供した。このうち、70年万博で使用されたスタッフコスチュームについて、「三菱未来館は館内で通訳されていた方、みどり館は高島屋のエレベーターガールをしていた方が着ていたもの」と説明。さらに、70年万博の開会式のテープカットで使われたはさみを披露し、会場を沸かせた。
来年の万博について、白井さんは「70年万博の時、みんなが考える未来は一緒の方向を向いていた。今は多様性の時代。子供たちには会場に来て自分の未来を見つけてほしい」と呼び掛けた。
万博の力を借りて、大阪の街が面白くなるような「実験」をもっと手がけたいと意気込むのは今村さん。「70年万博のように、今回の万博も30~40代のプロデューサーやアーティストがどんどん新しいことを仕掛けて、目立っていくことが大事だ」と強調した。
万博の過去と未来を知る展示
今回のイベントでは、1970年大阪万博のポスターや写真、「太陽の塔」のフィギュアなど、当時の万博に関連するグッズ約340点を展示している。三菱グループが出展した「三菱未来館」と「みどり館」のコーナーでは、ガイドブックやスタッフが着用したユニホームなどをそろえた。今も残る映像や音声で両館を体感できるブースも用意した。
また、2025年大阪・関西をPRするブースでは、「いのちの始まり、いのちの未来。」をテーマに三菱グループが出展する「三菱未来館」の最新情報などを提供する。
「推しパビ」はここから生まれた!?
トークセッションで司会を務めた薄田ジュリアさんが、万博に関わるゲストと対談するYouTube「よみうり万博チャンネル」。実は「推しパビ」という言葉は、この番組に早乙女さんが出演した際のひらめきがきっかけになっている。