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● 三菱商事 ハノイ事務所・ホーチミン事務所
● フーミー1号発電所/ベトナム・シンガポール工業団地
● ユニマート1号店/ヴィナコフコーヒー精選所
● そのほかの見学先/生活文化体験
ベトナムの人々のために 三菱商事の熱き思い
ツアー初日、飛行機に乗ること6時間弱、僕たちは小雨の降るハノイの地に降り立った。
蒸し暑い気候と、市街地の道路を覆い尽くすバイクの数に驚きつつも、僕たちはハノイの三菱商事の事務所に到着した。
そこで、ベトナム総代表の唐沢さんや久米さんらと対面した。彼らはベトナムの歴史や現在の状況について詳しく説明してくださった。
ハノイ事務所受付
ベトナム戦争終結の後、北緯17度線によって分断された南北は統一され、ドイモイ(刷新)政策によって市場経済に転換してから、ベトナムは著しい発展を遂げてきている。2007年にはWTO(世界貿易機関)に正式加盟をし、2008年では1人当たりGDP900ドル(前年比6.23%増)と順調に国は発展しているものの、基礎インフラや産業基盤の遅れなどが深刻な問題となっており、豊富な資源や労働力、環境を十分に生かしきれないという側面がある。そこで三菱商事は、ベトナムが必要としているインフラ整備などを補助するために、中継役となって様々な技術や知識を提供したり、企業を誘致したりしている。そういった活動により、「ベトナムの着実な成長を支える」という総代表の発言に、海外で様々なプロジェクトを手掛ける総合商社としての責任の重さとベトナムの人々のために働くという強い思いを感じ取ることができた。
ホーチミン事務所にて、質疑応答
ツアー3日目、僕たちはハノイからホーチミンへと移った。ハノイよりもさらに暑く、美しい町並みはフランスの影響を強く受けており、同じベトナムでもハノイとは全く違う国にあるように感じられた。
ホーチミン事務所長の柏木さんらに迎えられた。ハノイとホーチミンの違いや、ベトナムの人々について教えてくださった。
ベトナムは、気候やたどってきた歴史で南北の地域性の違いこそあるものの、諸外国からの侵略の脅威にさらされながらも耐えてきた経験と、温暖な気候による豊富な農作物が、人々を温和で積極的で、前向きな気質にしたのではないか――柏木さんは「そんなベトナムに大きな魅力を感じた」そうだ。僕たちが見学したフーミー1号発電所やヴィナコフコーヒー精選所のほか、多くのプロジェクトを手掛けて、ベトナムの人々が豊かになるサポートをすることで、日越関係はより親密なものになる。将来の日本のパートナーとして、ベトナムと共に歩んでいくことは、とても意義のあることだとも教えて下さった。
ホーチミン事務所。部門ごとにまとまって活動
僕はこれまで、三菱商事は商品の買い付けが主な仕事と考えていた。でも、三菱商事は人々の生活に密着した仕事も行っている。このことはベトナムの確かな成長の一助になっている。三菱商事の取り組みは、今世界で必要とされている仕事のあり方のお手本のようなものだと僕は思った。三菱商事がこれからも世界で活躍し続け、また三菱商事の活動理念がより多くの人々に理解されることを願おう。
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スーパーから発電所まで何でもお任せ
バイクが道を埋め尽くす。
ベトナムといえば大量のバイクが走っているというイメージは前々からあったが、実際に私の目の前にあるバイクの台数は予想をはるかに上回っていた。そんな日本とは全く異なるベトナムに三菱商事は2つの事務所を構えている。
親子の二人乗りや四人乗りもある
北部にある首都ハノイと南部の商業都市ホーチミン。
私達は両都市の事務所を訪問した。どちらの事務所も高層ビルの中の一角にあり、近代的な雰囲気が醸し出されていた。中のオフィスも、日本の丸の内オフィスとほぼ同じように感じた。違うことといえば、外に大量のバイクが走っていることぐらいだ。そんな近代的なオフィスで「ベトナムはインフラ整備が遅れている」と言われても、私にはいまひとつ実感がわかなかった。もうひとつ理由がある。そもそも「インフラ」という言葉に非常に馴染みが薄くて、本来の意味を把握出来ていなかったからである。
「インフラ」とは「インフラストラクチャー」の略で、社会基盤となる施設やサービスのことである。学校などの「生活基盤」と発電所などの「産業基盤」とに分類される。私がインフラと馴染みが薄かったのは、日本ではこれらのインフラは意識せずとも、自然と身の周りにきちんと整備されて存在しているからだ。しかし、ベトナムでは地域によって、このインフラ整備が大変遅れているのだ。
ベトナム人スタッフと日本人が一緒に働いている
私達は三菱商事が行っている、インフラプロジェクトを中心としたビジネスについて、ハノイ事務所の唐沢さん、ホーチミン事務所長の柏木さんをはじめとする三菱商事の職員の皆さんから説明していただいた。
三菱商事のベトナムでの取り組みは、非常に様々である。機械(プラント関連機器、自動車部品、エレベーター等)、エネルギー、繊維、食品(エビ、コーヒー等)、化学品(プラスチック原料等)、鉄鋼品などの多岐にわたる原材料や商品の輸出を手掛けている。また、スーパーマーケットを展開して、ベトナムの人々の食生活を支えたり、発電所建設に当たっては日本の技術を紹介したり、さらに工業団地事業への参画をしたりと、多種多様である。印象的だったのは、発電所の建設に関わっているということだ。ベトナムでは深刻な電力不足が問題となっているのだ。そこで発電所の建設や送電計画の充実が急がれている。そんな中、三菱グループの技術は必要不可欠! 火力発電のタービンなど様々な設備で、ベトナムの電力供給に大きく貢献している。
このようにスーパーマーケットから発電所まで、三菱商事の活動はベトナムの人々の暮らしを変えていくくらい、極めて人々の生活と密着していた。と同時に、それはベトナムだけに留まらず、日本でも言えることだと思った。
普段何気なく生活しているが、身の周りには輸入された食品や機械、衣類などが散らばっている。その一つ一つが私達の手元に届くまでに、様々な人々が携わっている。商社とは、その人達と私達を結びつけてくれる近くて大きな存在だと思う。
最後に、唐沢さん、柏木さんをはじめとする三菱商事の皆さんから貴重なお話をたくさんいただいた。皆さんの表情が私には、輝いて見えた。きっと商社という仕事に誇りをお持ちなのだと思う。私も皆さんのような大人になりたいと感じた。
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日本の食の安全に貢献 in ハノイ、ホーチミン
空を旅すること6時間、ベトナムの首都ハノイに着いた。日本と気温の差約15℃という蒸し暑く、ほのかにほこりが立ち込める東南アジアの香りが私たちを迎えてくれた。
老朽化した建物の隣に新しいビルが建ち、道という道は全て、バイクで埋め尽くされていた。
ハノイ事務所の受付。清潔感あるオフィス
ベトナム社会主義共和国は、人口約8600万人、世界第13位の国だ。また米、コーヒーの輸出世界第2位の農業大国であり、ドイモイ政策以降、高い経済成長を遂げている。
諸外国の侵略を受けた歴史も持つため、街中でフランスパンが売られていたり、儒教が広まっていたりと、現在でもその影響が根強く残っている。
そんなベトナムで三菱商事はどんな事業を展開しているのだろうか。バスの窓から見えたバイクが横転しているその光景にひやひやしながらも、事務所へ到着すると、ベトナム総代表の唐沢さんほか、久米さん、河内さんにお会いすることが出来た。みなさん笑顔の素敵な方で、緊張していた私たちを和ませてくれるような優しさも兼ね備えていらっしゃいました。
老朽化したビルと新しいビルの不思議な光景
三菱商事がベトナムにおいて行っている事業は大まかに分けて4つあり、(1)国が発展していくのに必要不可欠な基盤を作ること=インフラ整備、(2)新しい事業への投資と運営、(3)日本企業の誘致、(4)輸出入の手伝いなどが主だ。
例えば(1)では、発電所や道路、港湾整備などベトナム政府のみでは賄いきれない部分の援助を、(2)ではスーパーマーケットなどの建設から管理・運営までも行う。
いかに三菱商事が幅広い部門で活躍しているか分かるだろう。
唐沢さんのお話の後で、私は長年持ち続けていた疑問を尋ねることの出来る機会を得、"今後、日本は東南アジアの国々とどのように付き合うべきか"という質問をしてみた。
すると、"日本の企業は海外で通用する素晴らしい技術を持っており、まだまだ伸びてゆける。アイデア次第で諸外国ともうまくやっていけるだろう"と答えてくださった。もう何年も前から心の片隅にあったモヤモヤに光が差した気分になった。
道を渡るのも命がけ……
ツアー3日目、涼しかったハノイと対照的で、突き刺すように照りつける太陽が印象深く、繁華街がにぎわうホーチミンへ移動した。
ホーチミン事務所でお会いしたのは、事務所長の柏木さんと高橋さん。お二人とも少し日焼けしていて、大変気さくな方々だった。
柏木さんにお話をうかがう中で最も印象的だったのが、"儲けよりも大義を尊ぶ会社"だといったことだ。例えば食品を扱う場合には、生産者に加工のノウハウを教え、安定した品質の維持の大切さについて理解してもらう。『いかにコストを抑えながら品質を保つか?』――三菱商事ならではの"絶対安全なものを売る姿勢"こそ、食の安全が叫ばれる今の日本が必要としているものではないかと思った。
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ベトナムの未来を支える、三菱商事のインフラ事業
新東京国際空港を発ってから約6時間。ようやくハノイ空港に到着した。しかし、長いフライトでの疲れよりも、そこから始まる新世界との出会いに膨らむ期待と、好奇心でワクワクする気持ちの方が遥かに勝っていた。
三菱商事ハノイ事務所の玄関
事務所に到着してすぐ、ベトナム総代表である唐沢さんをはじめとする三菱商事の方々が、私たち高校生8人を温かく迎えてくれた。
ベトナムは現在、国土面積33万平方キロメートル、人口8600万人、そのうちの60%が30才以下という、非常に若くてエネルギッシュな、親日国家である。近年の経済発展も目覚しい。しかし、戦争中に壊れてしまった橋や道などをはじめとする、いわゆるインフラの整備に遅れがあるのが、この国の現状だ。
三菱商事では、ここベトナムにおいては、主に、そのインフラ整備に注力している。例を挙げると、ベトナムの港の建設とその運営、火力・水力発電所、自動車組立工場など、どれも国の経済発展に大きく寄与する事業ばかりだ。とりわけ、産油国であるにもかかわらず、一度海外へ輸出した後、精製されたものを改めて輸入する形が多かったベトナムにとって、石油精製所の建設は急務となっているそうだ。
そしてツアー3日目。今度は飛行機でホーチミンへ移り、三菱商事ホーチミン事務所にお邪魔した。こちらでは、ベトナムの北と南の違いについて、事務所長の柏木さんから、興味深いお話を聞かせていただいた。
まず、当然のことながら、北と南では気候に差がある。
ホーチミン事務所の窓からの景色。日差しが強い!!
南部では、一年を通して30℃前後の気温が続き、気候の変動が小さい。そのため4期作が可能で、農資源にかなり恵まれている。これが影響して、南部の人は楽天的と言われ、"明日のことは考えず、お金を使い果たす勢いでお酒を飲む"という例えがあるほどだ。
それに対し、北部では冬は10℃を下回る寒さにみまわれ、また、ベトナム戦争時代に大勢の死者を出した歴史をもつ。それゆえ、人々は"明日の生活費くらいは残して、お酒を飲む"といわれている。
このように、気候や歴史の違いが影響して、現代の人々のメンタル面にも差が出ていることが、非常に面白く感じられた。南部・ホーチミンでは、人々の消費傾向がより強く、貿易上の交通面での好条件が加勢して、経済発展は北部よりいっそう進んでいるとのことだ。
商社は企業として、より多くの利益を出そうと努力する一方で、現地の人々に受け入れられる事業にするために、多くの障害を乗り越えなければならない。相手と交渉をする時には、国民性や文化の違いでぶつかってしまうことがあるだろう。その国の政府の方針転換に一喜一憂し、歯がゆく感じることもきっとある。海外でビジネスを行うということは、私たちが想像する以上に、苦労が耐えないのではないかと思う。
しかしながら、それでも、三菱商事の活動には"単にもうければいい"という発想はなく、必ず、"相手との調和を図りながら、その国のルールに則ったものである"と、ハノイ・ホーチミン両事務所の方々がはっきりおしゃっていた。
"人々に望まれた仕事をしている"という自信と誇り、相手に対する敬意と思いやりをもって、その場凌ぎの支援ではなく、長い目で見て、その国の未来を真に支えていこうとする三菱商事の事業には、言葉では尽くせない、強い、強い、感銘を受けた。それは、私が正に、理想としていたビジネスの姿だった。
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ベトナムの産業発展をあらゆる面から支える三菱商事
成田空港を飛びたってからおよそ6時間。ハノイ・ノイバイ空港に降り立ち、そのまま乗り込んだバスの車窓から見える大量のバイクが行き交う様子に圧倒されながら、私達は最初の訪問先である三菱商事ハノイ事務所へと向かった。
ホーチミン事務所は、市中心部の高層ビルの中にある
ハノイ事務所は市街地に位置するオフィスビルの中にあり、そこでベトナム総代表の唐沢さんほか、久米さん、河内さんから、主にベトナムにおける三菱商事の取り組みに関するお話をうかがった。
三菱商事は、1991年のハノイ事務所開設以来、発電所の機器・設備の供給・建設、港湾の造成・運営といったインフラプロジェクトを中心にビジネスを展開し、また、その他にも自動車の組み立て事業やスーパーマーケットの設立・運営事業、工業団地への投資や企業誘致を行う運営事業などを通じて、あらゆる面からベトナムの産業発展を支えている。そうすることで、本来ならば利潤の追求を目的とする民間企業の三菱商事は、同時にベトナムの人々の生活をより充実させ、ベトナムの人々の生活に実際に役に立っているのである。私はそのことに深く感銘を受けた。そして、そんな三菱商事の現地での活躍を、私は日本人の一人として誇りに思った。
ホーチミン事務所の玄関にて
さて、三菱商事は、ベトナム南部にも事務所を開設している。それが、今回私達がツアー3日目に訪問した三菱商事ホーチミン事務所だ。
ここでは事務所長の柏木さんから、三菱商事が特にベトナム南部で手がけるビジネスについて説明を受けたほか、ハノイとホーチミンの様々な違いや、ご自身がベトナムで暮らしていて感じることなど、とても興味深いお話もうかがうことができた。
ホーチミン事務所はハノイ事務所同様1991年に設立され、以来、石油製品・原油、化学品、水産資源、農業資源、繊維などの5つの分野に特に注力してきた。ビジネスモデルとしては、事業投資型を中心とするハノイ事務所に対して、いわゆる貿易取引などの「取引」を基本とするが、三菱商事ならではの仕組み作りで他社との差別化を図る工夫をしている。例えば、コーヒー、水産物、縫製品などの輸出事業では、品質管理を徹底することで食の安全性や品質の向上に寄与し、顧客の信頼に応えるサービスを提供することを目指している。その際、ただお金や労力をかけて安全性や品質を高めるだけでなく、いかにしてコストを下げられるかを追求していくことが「ひねりどころ」なのだとか。柏木さんは、「そのビジネスが本当に世の中の人々の役に立つのかという大義を常に重んじる三菱商事にとって、いかにその商品に付加価値を付けていくか。それが一番大事」とおっしゃった。
今回の三菱商事の2つの事務所訪問を通じて、今まで漠然としていた商社へのイメージをより具体化することができた。そのことは、私にとって実際の社会を体験することのできた大変貴重な機会となった。
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ベトナムから必要とされる企業、三菱商事
フランス統治時代の面影を残す建物が残る、ベトナムの首都ハノイ。ベトナム最大の商業都市として活気づくホーチミン。私たちは、両都市それぞれの三菱商事のオフィスを訪問し、経済状況や三菱商事の事業内容、ベトナム人の国民性、歴史、日越の関係など、ありとあらゆる話をうかがった。
三菱商事ホーチミン事務所の入っているビル
1986年から始まったドイモイ政策により、社会主義的体制を残しながら市場経済が導入され、ベトナムは急速な経済発展を迎えた。市場経済はかなり国民生活に浸透していて、証券取引所もある。現在の1人当たりのGDPは900ドル。タイの4分の1以下、インドネシアの2分の1以下の水準だが、耐久消費財が売れ始めるのは1000ドルを超えてからと言われているので、これから自動車や家電製品などが売れ始め、さらなる経済発展が見込めると言われている。
ベトナムは、2020年までに世界で一流レベルの先進工業国入りを宣言しており、ベースとなる基礎インフラも少しずつ整備されてきている。ベトナムは東南アジアで3位の産油国でいながら、製油所がないために原油を自国で製油して使うことができなかったが、2009年2月に中部クアンガイ省にズンクアット製油所が完成し、その問題は解消の方向に向っている。また、従来は鉄道で30時間かかっていたハノイ~ホーチミン間を、約8時間で結ぶ高速鉄道の建設について、ODAの供与が期待されている。三菱商事もこれらのインフラプロジェクトに協力している。
ベトナムの人々は親日的だ。その背景には、インフラプロジェクトによってベトナムの経済発展に貢献していることや、日本からのODAによって建てられた学校や病院がたくさんあるからだそうだ。
三菱商事ホーチミン事務所の仕事風景
ベトナムの人口は、500万人以上の死者を出したベトナム戦争により、戦後世代が多く、30歳以下の若者が人口の3分の2を占めている。労働力に高い潜在力を持っている反面、40代~50代の中間管理層となる人材が少ないのが課題になっている。
また、日本では世界的な景気悪化により、将来を悲観する人も多くなっているが、ベトナムの人は前向きだという。「明日は今日より良くなる」という考え方により、未来に希望を持っているからだ。ベトナムは、アジアで最も自分たちが一番幸福であると思っている人が多い国だそうだ。対照的に日本人は下から2番目で、どちらがよいとは言えないが、参考にするべきことだと思った。
このツアーで一番心に残ったことは、三菱商事ベトナム総代表の唐沢さんの「私たちはベトナムのニーズに応えるための事業をしている」という言葉だった。三菱商事がベトナム政府から信頼されベトナムでこれだけ幅広いビジネスを展開しているのは、三菱商事が自分たちだけのことを考えるのではなく、本当にベトナムのニーズに合った事業を進めている証拠だと感じた。
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三菱商事、パワー溢れるベトナムの人々と共に
ツアー最初の見学先、三菱商事ハノイ事務所。ここではベトナムに6年間勤めていらっしゃるというベトナム総代表の唐沢さん、久米さん、河内さんをはじめとする三菱商事の方々にお会いし、ベトナムの社会や歴史について、また三菱商事のベトナムでの活動についてお話をうかがった。
ハノイ事務所の受付。日本の三菱商事とそっくり
街の様子からも感じられたが、ベトナムは30年ほど前まで戦争をしていた国であったためにインフラ整備が遅れている。ベトナム政府だけでは、その現状を変えるための莫大な投資をすることが難しい場合もある。そこで活躍するのが三菱商事などの民間企業だ。例えば、インフラ事業にも初期投資を行い、運営が軌道に乗れば事業を拡大し、さらに雇用を生み出せば、現地の人々と利益を共有することもできるという。
ベトナムの主な輸出品は原油、繊維、米や水産加工品などの1次産品である。工業製品を輸出できるようにすることが今後の課題の一つで、三菱商事は工業団地に企業誘致することや、発電所プロジェクトなど、資金や技術提供などの事業を展開している。
ベトナムは若い人が多く、パワー溢れる国である。多くの海外企業が事業展開しているのも、それが理由の一つだ。人々はみな交渉上手で我慢強く、決して負けない姿勢があるという。「ベトナム人に日本人が見習うべきことは何か」という私の質問に対して唐沢さんは、「年上を敬う心と楽観的な考え方。そして、どんな苦難にも立ち向かう我慢強さだ」と答えて下さった。ベトナムの人々についてお話をうかがって、私はこの国の人々が持つパワーに惹かれるものを感じた。
会議室の窓からホーチミンの街を一望!
3日目にホーチミンに移動し、三菱商事ホーチミン事務所を訪問した。ホーチミンに着いてまず感じたことは、ハノイと同じ国の街だとは思えないほど、街並みや気候が異なった雰囲気を持っていることだ。雨がしとしと降っていて、街が薄暗かったハノイに比べ、ホーチミンは太陽がさんさんとし、ハノイの街よりも活発な雰囲気だった。
二つの都市の発展の度合いが異なるのは、気候の差から来る、とホーチミン事務所長の柏木さんが教えて下さった。ハノイに比べて南に位置するホーチミンは、温暖で、食べ物も豊富だ。その差が人々の性格にも表れていて、南のベトナム人は北に比べてさらに前向きなのだという。そのため南の人々の消費活動は盛んで、自然に経済が発展していく。ベトナム政府はホーチミンだけでなくハノイやダナンなどの都市を発展させることも必要と考え、対策を練っているそうだ。
柏木さんによると、三菱商事は他社との差別化を図るために数々の工夫をしているという。ただ原産地から商品を仕入れて輸出するのではなく、安全なものかどうかを確認し、品質を上げることにも力を入れる。つまり、商品に付加価値を与えるノウハウを提供することで、売り上げが上がり、人々の収入が上がることにもつながる。柏木さんが、何度も「世のため人のため」とおっしゃっていたのが印象的だった。
二つの事務所を訪問して三菱商事の方々と出会ったが、ベトナムという日本から離れた地で、そこに暮らす人々とともに活動されている一人ひとりの言葉が強く心に残った。
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インフラプロジェクトを支える南北の拠点
日本を出発して、飛行機で約6時間。空港からバスに乗り込み三菱商事ハノイ事務所へ。天気は、あいにくの雨。
バスの車窓から見る道路は、オートバイだらけだった。ガイドさんによると、この時間帯にしては、オートバイの交通量は少ない方だったらしい。そうは言っても、道はひどく込んでいた。
ハノイ事務所の受付にて
ベトナムという国に圧倒されつつ三菱商事ハノイ事務所に到着した。大きく立派なビルに入り、エレベーターで上の階へ。会議室では、ベトナム総代表の唐沢さんをはじめとするスタッフの皆さんが歓迎してくださった。
まず、ベトナムにおける三菱商事の活動とベトナムの歴史や日本との関わりなどについての説明を聞いた。ベトナムは日本と同じくらいの人口密度だが戦争の影響により若者が多く、労働力が豊富な国だ。戦争の影響は人口だけではなく生活基盤、すなわちインフラにもあらわれており、それを整備することも三菱商事の仕事のひとつだそうだ。ベトナムは国に十分な資金や技術が無いため、三菱商事のような民間の企業が設備を建設・運営のサポートを行っている。
また、ベトナムは親日社会でもある。ベトナムへの援助額は、日本が最大だ。歴史的には、ベトナムがフランスから独立するときに、同じアジアの小国で大国ロシアと互角に戦った日本を目標としたそうだ。遣唐使の阿倍仲麻呂の有名な「天の原 ふりさけみれば 春日なる 三笠の山にいでし月かも」の和歌は、実はベトナムで詠まれたとする説もあるそうだ。
ホーチミン事務所で働いている様子
ところ変わって、ホーチミン。こちらの気候は、ハノイとは対照的に暑い夏だった。ベトナムも日本と同じように、国が南北に長いため、こんなにも気候の違いがあるのだろう。
三菱商事ホーチミン事務所は、高層ビルの12階にあった。こちらでは、事務所長の柏木さんがハノイとホーチミンの違いについてと、さらにホーチミンでの三菱商事の仕事について説明してくださった。
南部は気候がとても安定していて土地も肥えており、米の4期作ができるなど、農業が発達している。そのため、食料が豊富で戦時中においても飢死する人がいなかったそうだ。三菱商事も農業には注目しており、エビの養殖やコーヒーの輸出を行っている。また、繊維産業も盛んで、日本にも数多くの衣類が輸出されている。
ホーチミン事務所では、実際に働いている最中のオフィスの様子も見学させていただいた。やはり、現地出身の社員の方が多く、会話は英語で行われていた。また、ハノイから度々出張してホーチミンで働いていらっしゃる方もいて、南北の事務所で連携し、ベトナムをより良くするために努力なさっているのだと思った。
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