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大学時代のさまざまな人との出会いがイノベーションを生む

遠藤 健治さん遠藤 健治さん

ジャーナリストを目指して法学部政治学科へ

廣瀬 本日は、法政大学の出身であり、大学在学中にIT企業「ガイアックス」の設立に参加された、遠藤健治さんをお招きしています。遠藤さんはどういう理由で法政大学の法学部政治学科を選んだのか。また学生時代にどのような経験をされ、起業の道を歩まれたのでしょうか。

遠藤 私はもともとジャーナリスト志望でした。高校時代に交換留学で1年間イギリスに滞在し、海外で英語に触れる経験をしたこと、また当時は写真にも興味があって、世界を飛び回るジャーナリストになりたいと考えていました。政治を学ぶことはジャーナリストになるうえで一つの基礎になるだろうと思い、政治学科を選びました。当時は「起業」という言葉すら知らず、ビジネスよりは情報発信に興味を持っていました。

廣瀬 大学に入学されてからは、どのような学生生活を送られていたのでしょうか。

遠藤 1年生の頃は、学校に通いながらアルバイトにも励むという、ごく普通の学生生活を送っていました。ただ、次第に単調な毎日に物足りなさを感じるようになり、変化をしたい、チャレンジをしてみたいと思うようになりました。昔のことなのでどうしてそう思ったのか記憶は曖昧ですが、ジャーナリスト志望だったはずがなぜか医学部に行こうと思い立ち、一度大学を退学して予備校に通い始めました。家族が医療関係の仕事をしていたことも影響し、自然と興味が湧いてきたのかもしれません。

廣瀬 まさに紆余曲折で興味深いですね。さらにそこから起業へと向かう契機となる出会いがあったわけですね。

遠藤 予備校で受験勉強をする日々を送っていた中で、そのタイミングでインターネットと出会うことになるのですが、それがもう衝撃的で。HTMLを使えば自分自身で情報発信ができると知り、「これだ!」と夢中になりました。インターネットとの出会いをきっかけに、本当にやりたいことは何かを考え直すようになり、法政大学に戻れば色々な挑戦が出来ると思い、大学に復学して、その後に廣瀬先生のゼミに入りました。ゼミのテーマと当時の私の興味が重なっていて、ここで学びたいと思いました。ちょうどWindows95が登場し、インターネットが本格的に普及始めた時期でした。ただ今のような常時接続ではなく、電話回線を使ってダイアルアップでインターネットに接続していたので、電話代がかなりかかったのを覚えています。

オフィスもない状態で創業 約6年で株式公開を果たす

廣瀬 復学後、どのような経緯でガイアックスの創業に関わることになったのですか。

遠藤 復学した頃にインターネット関連サービスの会社でアルバイトをしてみたいと思い、ちょうど大学生向けのコミュニティサイト『キャンパスネット』が運営メンバーを募集していて、そこに応募してアルバイトを始めました。そこで初めてHTMLやデザイン、プログラミングに触れ、基礎的なスキルを一通り身につけることができました。その『キャンパスネット』の利用者同士の繋がりのなかで出会ったのが、ガイアックスの創業メンバーです。彼らはインターネットのコミュニティサービスを提供する会社を立ち上げようとしていて、私がネットコミュニティ開発の知識を持っていたことから声が掛かり、自然な流れで彼らの活動に加わることになりました。その時に初めて起業であるとか株式上場などを知ることになりました。事業を興してたくさんの利用者にサービスを提供するという価値観に初めて触れて、ワクワクしたのを覚えています。

廣瀬 お話を聞いているだけで夢中で取り組んでいる熱気や楽しさが伝わってきます。ちょうど「シブヤ・ビットバレー」という言葉も生まれ、若い世代を中心としたITベンチャー企業が次々と立ち上がり、世の中全体がスタートアップの可能性に注目していた時期でもありました。

遠藤 毎日が刺激的でした。インターネットの登場によって、これまで不可能だったことが次々と実現し、コミュニケーションの在り方までもが変わっていく。そんな時代の変革の瞬間に立ち会えたのは、本当にラッキーでした。そのための手段や技術はまだ手探りの状態ではありましたが、それでも「なんとか実現させたい」という強いエネルギーだけは人一倍持っていました。

廣瀬 ガイアックスではどのような役割を担われていたのですか。

遠藤 創業時は主にサービスの開発担当として関わりました。創業メンバーは5人でしたが、1人が社長で、2人が営業、私とあともう1人が開発という役割分担で進めていました。当時はまだ資金調達の環境が整っておらず、オフィスすらなく、誰かの家に集まって仕事をしていました。ある日私の家に集まる機会があって、その頃少し広い部屋に住んでいたので居心地が良かったのか、気が付いたらメンバー全員が私の家に住み込んで、昼夜問わず仕事をしている状態でした(笑)。

ガイアックス取締役3人で初めてのオフィス前にて(2000年頃)

廣瀬 アップルの「ガレージ起業」のようですね。その後、ビジネスはどのように展開していったのでしょうか。

遠藤 当初は企業向けに無償でコミュニティサービスを提供し、広告収入で成り立たせるビジネスモデルを考えていました。しかし、当時のインターネット広告市場はまだ成熟しておらず、収益化が困難でした。そこでビジネスモデルを転換し、企業が自社の顧客向けにコミュニティを運営できるよう、システムを提供する形にシフトしました。この新たなモデルが市場に受け入れられ、売上が伸びるようになりました。

廣瀬 そして2005年にIPO(株式公開)を果たしたわけですね。起業家としては大きな節目になると思いますが、その決め手となった要因は何ですか。

遠藤 一言で言うと「運が良かった」。ただ、その運をつかむための準備はしっかりしていたように思います。結局のところ、運が巡ってきたときにそれを活かせるだけの準備ができているかどうかが重要だと思っています。これは今でも大切にしている考え方です。

ピクスタに加わり、新たなチャレンジで同社の成長を牽引する

廣瀬 起業から株式公開に至ると、その後には、その事業を継続して大きくしていく道と、そこで役割を変えることを選択する人もいると思います。遠藤さんは後者で、会社から退いてエンジェル投資家になられたと記憶しています。

遠藤 退任後はすぐにエンジェル投資をしていた訳ではないのですが、社会起業家やソーシャル・アントレプレナーの認知度が上がっていった時期で、そこに興味を持って、そこにチャレンジしたくて自分の会社を設立しました。

廣瀬 2007年からはデジタル素材のオンラインマーケットプレイス「PIXTA」等を運営するピクスタ株式会社に参加されていますが、どのような経緯だったのでしょうか。

遠藤 ピクスタ創業者の古俣は、かつてガイアックスでインターンをしていたことがあり、その繋がりもあって定期的にコミュニケーションを取る仲間の一人でした。会社の立ち上げを間近で見ていて、社会貢献につながる魅力的な事業だと感じたことから、エンジェル投資家として参画したのが最初のきっかけです。

廣瀬 現在もピクスタの取締役CSOとしてご活躍されていますが、どのようなビジョンを描いていますか。

遠藤 ピクスタはもともと写真素材の販売を主軸とする会社としてスタートしましたが、次のステップとして、単に素材を提供するだけでなく、より幅広いビジュアルニーズを解決できるサービスへと進化していきたいと考えています。具体的には、撮影サービスの提供やモデルの派遣など、新たな領域にも取り組んでいます。

廣瀬 AI技術の進化が目覚ましいので、そことどう共存していくかもテーマとしてありそうですね。

遠藤 当社としてもAIを活用したビジネスモデルへのシフトを進める必要があると感じています。ただ、現状のAIには知的財産権の処理に関する課題があり、そのまま商用利用するにはリスクが伴います。そこで、たとえば「PIXTAのプラットフォーム上でAIを活用すれば、知的財産権の処理が適切に保証され、安心してデザインや画像を活用できる」といった仕組みを提供できれば、大きなニーズがあるのではないかと考えています。自分もワクワクするようなことに取り組んでいきたいと思っています。

起業家に必要なのは「挑戦を楽しむ力」

廣瀬 法政大学はアントレプレナーシップ教育に力を入れていますが、実際に起業やIPOを経験された遠藤さんは、若い世代の起業についてどのようにお考えですか。

遠藤 アントレプレナーシップにおいて最も重要なのは、挑戦を楽しめる力だと思います。そのため、自分が本気で挑戦したいものに出会えるかどうかが大きなターニングポイントになります。私自身、もしインターネットに出会っていなかったら、今の自分はなかったでしょう。大学は多様な経験を積める貴重な環境がありますから、そうした挑戦のきっかけを提供できるという意味では、非常に価値が高いのではないでしょうか。

廣瀬 大学時代だからこそ出会える人や、築ける人間関係もありますね。

年2回開催する全社meetupでの集合写真(2024年6月)

遠藤 その通りですね。やはり、さまざまな人と出会わなければ、新たな発見や気づきは生まれにくいと思います。大学の4年間はあっという間に過ぎてしまうので、決まった仲間だけで過ごすのではなく、意識的に交友関係を広げていくと、ビジネスの種は見つかりやすくなるはずです。あとは仲間づくり。もちろん世の中には一人で起業し、成功させる人もいますが、それは特殊な事例です。人間の能力には凸凹があるので、それを補い合える仲間を作りやすいのも大学のいいところだと思います。

廣瀬 大学時代であれば失敗しても大きなリスクにはなりにくいというのも、個人的にはメリットだと考えています。

遠藤 家庭を支える責任があるわけでもなく、失敗しても大抵は何とかなる環境にいることが多い。だからこそ、思い切って挑戦できるチャンスがあると思います。 また、「若いから常識がない」と言われがちですが、実はそれが強みになることもあります。常識にとらわれない発想こそが、新しい価値を生み出す原動力になりますから。むしろ既存の枠組みに縛られていないからこそ、大胆なイノベーションを起こせます。そこがまさに学生の持つ大きな可能性だと思います。

廣瀬 そのイノベーションはどこで生まれやすいのでしょうね。遠藤さんの時代はインターネットでしたが、今はAIあたりでしょうか。

遠藤 インターネットがそうだったように、AIもこれから当たり前の存在になっていくと思います。時代が大きく変化しているタイミングなので、チャンスもたくさん転がっているはずです。おそらく今も、誰かがChatGPTや他のAIツールに向き合いながら、まるで私がインターネットに出会ったときのように、夢中になっていることでしょう。新しいサービスを思いついた人もいるかもしれません。そうした未来が今どこかで生まれているのかもしれないと思うと、ワクワクしますね。

廣瀬 やはり「夢中になる」という経験が、起業家には必要だということですね。本日は貴重なお話をありがとうございました。


ピクスタ株式会社 取締役CSO 遠藤 健治(えんどう けんじ)

1976年千葉県生まれ。法政大学法学部政治学科出身。大学在学中に株式会社ガイアックス設立に参加し、取締役兼CTOを務める。2007年に株式会社ワナドゥを設立、代表取締役としてEC支援事業を行う。2010年ピクスタ株式会社に入社。2011年3月から取締役。現在はCSO(Chief Strategy Officer、最高戦略責任者)としてピクスタグループ全体の戦略・統括を担当する。またエンジェル投資家としてスタートアップ支援を行っている。

法政大学総長 廣瀬 克哉(ひろせ かつや)

1958年奈良県生まれ。1981年東京大学法学部卒業。同大大学院法学政治学研究科修士課程修了後、1987年同大大学院法学政治学研究科博士課程単位取得退学、同年法学博士学位取得。1987年法政大学法学部助教授、1995年同教授、2014年より法政大学常務理事(2017年より副学長兼務)、2021年4月より総長。専門は行政学・公共政策学・地方自治。複数の自治体で情報公開条例・自治基本条例・議会基本条例などの制定を支援の他、情報公開審査会委員などを歴任。