東日本大震災からちょうど100日目となる6月18日(土)の午後、まだ梅雨も明けない湿度の高い多摩キャンパス桜広場の片隅にひっそり苔むし佇む茶室「虚白庵」にて、今回の震災で被災した日本人学生と、震災後も中央大学で学び続ける近隣アジアの留学生が集まり、学長を囲んで「大震災後の復興とアジアの協力関係を考える」というテーマで座談会を行いました。
2011年6月18日 於:虚白庵
「距離だけではなく、心も近くなってきた――」
桜広場の奥にある茶室「虚白庵」で行われた。
- 学長
- 今回は震災に遭った地域出身の日本人学生と、今回のことで支援いただいている東アジア地域出身の留学生が、お互いにこの震災を機にどんなことを感じ、今後どうしていきたいのかについて語ってもらいたい。とりわけ今回の震災で韓国、台湾、中国の、本当に多くの人々から義援金が寄せられ、韓国からは救援隊が真っ先に派遣されました。こういったことは――君らは若いからあまり感じていないかもしれないが、戦後65年の歴史の中で初めてのこと。日本人全員が感謝しているに違いない。そういうことを私たちが共通認識した上で、君らにはこの震災を機に、今後のアジアについて考え、話し合ってもらいたい。留学生については、自分たちの母国の人たちがどういう気持ちで義援金を日本に拠出したのか、その気持ちをご紹介いただきたい。
- ユ
- 中国は、2年前に四川省で大きな地震を体験しました。その時も日本からの救援隊や現金の援助がたくさんありました。今回日本でも大きな地震が発生したということで、中国の人々も震災に対して非常に悔しい、残念という気持ちを強く持っていると思います。皆積極的に日本の支援をしたい。しかもいろいろな形で支援したいと話していました。
コウ・テンイさん(経済学部経済学科3年、台湾・高雄市出身)
- コウ
- 台湾も去年災害があって、真っ先に日本が救援隊を出してくれました。日本と台湾は正式な国交はないけれど、台湾人は日本に親近感を持っています。友達が大変な時期だからこそ応援したいという気持ちが、社会に広がっていると思います。
- ファン
- 最近になって日韓で文化交流があり、距離だけでなく心も近くなったと感じています。韓国の若者は日本を好きだと思っている人が多いのですが、お年寄りは戦争や領土問題があり、嫌っている人もいます。でも国全体で考えるとそういう人たちも、今回の大震災に対して、とりあえずその問題は置いておき人間を助けるべきだと――国をあげて日本を助けようとしています。
- 学長
- そんな話を聞いて、安原君はどう思う?
- 安原
- 日本人の良さは団結力だとか他人を思いやる心と聞いていましたが、自分では生活の中で実感できていませんでした。私は日本の良さは何か、日本って、何だろう、と懐疑的に思っていました。まず海外に目を向け、そこから日本を見つめ直してみようと思い、この大学に来ました。このタイミングで大震災が起こり、避難所のラジオで東アジアをはじめ全世界から日本が支援されていることを知りました。日本は世界から愛されているんだ、こんなにも世界の注目をひきつける日本の魅力って何だろうと、もう一度考えてみたくなりました。
- 阿部
- 私は震災が起きた時に語学研修でカナダにいました。その時は震災がここまで大きいと思っていませんでしたが、帰国後、自分が 8年間暮らしていた場所を見て、とても信じられませんでした。正直あまりの変貌に、涙も出ませんでした。でもその中で、感謝の気持ちだけは忘れてはならないと思いました。支援物資にしても、食料にしても――本当にそれがなかったら、私の家族や周りの人たちは、駄目だったに違いない。そう思うと、今は大変な時期で自分のことで精一杯ですが、落ち着いた時に何かが起こったら、今度は私たちがその人たちに恩返しをしたいと思いました。
「人と人との交流――これが一つの転機になると思います」
司会・進行役を務めた、永井和之総長・学長
- 学長
- 私が中国に最初に行ったのは文化大革命が終わってすぐの頃。韓国に行ったのも随分昔になる。戦後の日本との関係をいろいろ見てきたからこそ、今回の支援に対してさっきファン君も言っていたように、こういう国民感情の中で、これだけの義援金をいただけるとは思っていなかった。歴史から見ると、日本に対してそれぞれの国から義援金が集められ、これだけ巨額になり、多くの人が協力しているということは信じられない感がある。国民感情がここに来てかなり変ったのか、またそうでなくても、こういう被災にあった隣人に対する思いやりとして表れたのか。今後の東アジアの協力関係を考える上で大きなポイントと思う。そういうところで、君らが今後、この東アジア――隣人関係の一員として、今後どういう風にしていきたいと思っているか、世界の中の一員として、どういう風に将来を考えているか、そこのところを聞かせて欲しい。
ファン・サンウォンさん(商学部商業・貿易学科2年、韓国・釜山出身)
- ファン
- 確かにこれからは東アジアの国々のつながりはもっと強くなると思います。いずれはEUのように、東アジア地域にも連合ができて、もっと文化的・経済的な交流が活発になると思います。私はその中で、日本と韓国の間で活躍できる人になりたいと思っています。日本に来て、いろいろな外国人の友達もできました。その中で考えの合う人と東アジアでできることを模索していきたいと思っています。
- 阿部
- 年配の人だと歴史のことで受け入れられない部分があると思いますが、私たちはそういう体験もしていないので、正直わかりません。その分、そういうのをとっぱらって仲良くできる関係もあると思います。もっと東アジアで、歴史的背景を抜きにして仲良くしてお互い発展できたらと思います。
- ユ
- 歴史的な問題で日本と中国の間の仲が悪いというイメージはありましたが、今回の地震で――中国のテレビでは全然情報が流されていませんが、ネットでは日本を支援するコメントが多くあります。そこから見ると、日本と中国の関係は――特に若者の間では「仲良くしたい」という傾向があります。それから、中国と日本は最も大きな貿易相手国です。最近、温家宝首相も日本に来て、韓国も含めアジアの中で貿易をもっと促進しよう、という提案をしていました。
- 安原
- 私は、今まで日本が他の国々に対してひどいことをやってしまったという、そこを抜きにして付き合ってもいいものなのかと考えます。確かに抜きにした方が付き合いやすいのかも知れませんが、忘れてもいけないのかな、と思っています。でも今回の震災では本当に自分でも予想しなかった大きな支援をいただきました。韓国や中国や台湾の方から一歩、日本に歩みよって来てくれたと思っています。それに日本も応えていければいいと思っています。
- コウ
- さっきファンさんが言っていたように、2000年以降、アジアもEUのように一つになるという動きがありました。これまではアジアの国は経済中心であり、歴史は置いておいて――という感じでした。この震災を機に、人と人との交流――これが一つの転機になると思います。
「一緒に、住みやすい東アジアを作りたい――」
- 学長
- 歴史は事実としても、これからの将来を考える時にこの震災の不幸の中で示された隣国の善意というのは、新しい未来を暗示しているのかなと思う。またそれに期待したいと思います。自分はどう生きて行きたいと思っているか、自分はこういう風に将来やりたい、学生生活の経験をふまえ、自分の将来、またアジアがどういう位置づけになっていくのか、その点で考えるところがあれば、教えて欲しい。学年が一番上のユ君から。
ユ・イチイさん(商学部経営学科4年、中国・上海出身)
- ユ
- 私は、自分のできることをしたいと思っています。可能な範囲で日本と中国の交流――文化でも経済でもいいから貢献したいと思います。今、中国留学生会の会長をやっていますが、社会に出ても中大のOB会のようなグループに参加し続けたいと思います。それによって両国の交流を活発にしたいです。私は今4年で、日本で就職活動をしています。将来は日本と中国の架け橋になれればと思っています。できれば、医療に関わる分野の企業に就職したいと思っています。日本でも世界でも、今回の地震でたくさんの方々が亡くなり、命の大切さを感じています。もっと人を救えるように貢献したいと思っています。
- 学長
- 就職活動がうまくいくといいね。キャリアセンターからアドバイスを受けるといい。今回の就職活動は、震災の影響でメガバンクや消費者金融の採用が遅れています。今までにない形で、例年は一気にやって来た求人が、分かれて来ている。うまくキャリアセンターを使うことをお勧めする。
- コウ
- 私は今3年生です。今後のことを考えると就職先は商社――国と国の架け橋になるような会社に就職したいと思いました。
- 学長
- 秋から就職活動、頑張って。
阿部志穂美さん(経済学部経済情報システム学科2年、宮城県・石巻市出身)
- 阿部
- 将来は決まっていませんが、今回の震災で実家が心配なので、地元に帰りたいという気持ちもあります。でも状況が状況なので、まずは東京での就職を考えています。私は今、中国に興味を持っていて中国語も勉強しています。そのうち中国に留学したいと思っていますが、お金のこととか家族のことがあるのでなかなか叶いません。機会があれば、お金をためて行きたいと思っています。
- 学長
- 経済学部には、阿部さんのような方に適用される鈴木敏文元理事長の奨学金制度があります。ぜひ、チャレンジしてほしい。中国には今、世界中から学生が来ている。しかも多国語で授業が行われており、いろいろなコースが用意されています。頑張って。
- ファン
- 私は中央大学を卒業後、日本の企業に就職して、行く行くは自分で会社経営をしたいと考えています。まずは自分がその国の、地域の人たちの生活を良くして、経済力を上げたいと思います。どこの地域でも産業があってこそ国が発展するので、その国の特徴――発展できるところを発見して、伸ばせるところを伸ばしたい。それが、自分ができることだと思っています。将来自分の思い通りになっていれば、私も結構儲かっているはずですので(笑)。そのお金で自分だけが楽しまないで、周りの人にも目を向けて一緒に住みやすい東アジアを作りたいと思います。最初は、どうすれば儲かるかと、そういうことばかり考えていましたが、今回震災のボランティアに行って、いろいろな人に出会い、助け合う人を見て、人間の生き方は商売ばかりではないと、考え方が変わりました。もしも会社を持つことになったら、自分の利益ばかりでなく、社会のことを考えようと思うようになったんです。今は、いろいろな人と出会って助け合う――そんな生き方をしたいと思っています。
安原元樹さん(総合政策学部政策科学科1年、宮城県・仙台市宮城野区出身)
- 安原
- まずはこの夏休みにバンコクとチェンマイに行こうと思っています。子供の施設に行ったり、山岳民族の方たちと生活したりする予定です。私は小学生や中学生の頃から何気なくボランティア活動とかに参加していたのですが、自分が誰かに必要とされている時に自分は生きがいを感じると思いました。世界には貧困や紛争や自然災害で苦しんでいる人がいます。アジアも含めて世界のどこかで――国でなくても、誰か一人でもいいので、必要とされる人間になりたいと思っています。
「20年後、中央大学の卒業生としての誇りを持って夢を実現してほしい――」
- 学長
- 皆の夢を実現するためにはかなり力をつけなくてはならないと思う。君らが20年後、まさに社会の担い手になっている40代。それぞれがこの記事を見て、当たっている、当たっていないと思い出しながら振り返る。それが今日の座談会に参加した一番の記念になると思う。事務局長から一言、ありますか?