研究

人文学とデジタル

橋本 健広(はしもと たけひろ)/中央大学国際情報学部教授
専門分野 イギリス文学

1. 人文学とデジタルの関わり

 人文学とデジタルと聞くと、一見相いれないものの話をするようで違和感を感じるかもしれません。しかしながら研究の世界では、コンピュータを使った人文学研究の歴史は長く、例えばデジタル・ヒューマニティーズと呼ばれる分野は、1949年にロベルト・ブーサ神父がトマス・アクイナスのコンコーダンスをコンピュータを使って作成しようと考えたことに始まるといわれています[1]。それ以来、コンピュータによるコンコーダンスの作成、紙に印刷・筆記されていたテクストのデジタル化、語句の頻度や可視化を通した文学テクストの解釈への応用など、テクストを主体とする人文学研究は、デジタルの世界でもテクストと真っ向から取り組んできたといえます。

2. テクストのデジタル化

 コンピュータを使用した人文学研究は、大きくデジタル・アーカイブの構築と、テクストの分析の二つに分けられるといえます。現在では様々な言語の様々なテクストが電子化されていますが、例えばイギリス文学にかかわるものだけでも、米国デジタル公共図書館、ユーロピアナ、ハティトラスト・デジタルライブラリー、インターネット・アーカイブ、プロジェクト・グーテンベルグといった大規模なものから、フォルジャー・シェイクスピア・ライブラリー、ウィリアム・ブレイク・アーカイブ、シェリー・ゴドウィン・アーカイブといった専門資料を扱うものまで様々です[2]。日本でも、国立歴史民俗博物館、国文学研究資料館、国立国語研究所、国際日本文化研究センター、人間文化研究機構など、様々な研究機関が古文書や地図や映像などの人文学資料をデジタル化して公開しています[3]。デジタル・アーカイブの構築はそれ自体で重要な研究ですが、そこから派生して、これまでに構築された豊富なデジタル・テクストを利用して、既に存在するデジタル・テクストを一次資料とする研究もできるようになってきました。

3. デジタルな文学研究

 イギリス文学の分野でデジタル・テクストを利用した分析研究の例をみてみましょう。伝統的な文学研究では、精読と呼ばれる研究手法が、文学のより細分化された研究領域においても共通の基本的な手法とされてきました。精読とはテクストを精緻に読み、テクストの語句や意味内容、イメージ、他のテクストとの関連などから生じる様々な疑問点や気づきを細かく調べていき、これまでとはちがう新しいテクストの読みや深い読みをすすめていくものです[4]。これに対し、近年フランコ・モレッティによってコンピュータを使用した新しい文学研究の手法が提唱されました。これは遠読と呼ばれ、マイナーな作品や翻訳も含めた大量のテクストを俯瞰し、テクスト全体に共通する傾向を見出す手法です[5]

 例えば、イギリス文学の過去の東洋趣味(サイード以降のオリエンタリズム的な意味ではなく)として絶大な人気を誇ったといわれる、エドワード・フィッツジェラルド作、オマル・ハイヤーム原作とされる『ルバイヤート』の人気の度合いを、出版された書籍に登場するルバイヤートという語句の出現頻度から探ってみます。この『ルバイヤート』受容の過程は次のように言われています。1856年にフィッツジェラルドがペルシア語の草稿を発見し、1859年にそれを翻訳し出版しましたが当初は一部も売れませんでした。次第に人気がでて流行の作品となり、1883年のフィッツジェラルドの死後には大流行となって、20世紀初頭に至ると英語圏で最もよく知られている詩の一つといわれるようにまでなりました。1953年の『オックスフォード引用大辞典』では188か所で詩行が引用され、人気のほどを示しましたが、2009年では数か所引用されるだけとのことです[6]。このように文章で聞く限りでは、今一つ流行の度合いが不明ですので、ルバイヤートの語句の出現頻度を人気の指標としてみてみます。1700万冊の蔵書を有するハティトラスト・デジタルライブラリーのデータを使用しています[7]

chuo_20250313_img1.jpg データを可視化すると、出版直後の1859年の語句の出現の少なさから書籍が売れなかったこと、その後の増加から次第に流行したこと、1883年のフィッツジェラルドの死後以降1908年頃にかけての急激な増加から一大流行が生じた様子がみてとれます。またその後減少しはじめるものの、1953年時点ではいまだ人気であったことが推察できます。ただし現在の凋落はこのグラフからは読み取れません。

 ハティトラストのデータは世界各国の大学図書館に所蔵された書籍であるため、大学図書館が収集するような類の書籍からなるコレクションであって一般に流通している学術的でない書籍は含んでいないと考えられ、正確には人気の度合いではありません。また後から集められた過去の書籍も含みますし、ルバイヤートとはそもそも四行詩という意味の言葉でオマル・ハイヤーム以外にも様々な詩人が四行詩を書いていますので、それらの書籍に出現する語句も含まれていることでしょう。

 このように遠読を行うと、『ルバイヤート』作品の新たな一面が見えてきます。と同時に、さらに続く疑問も生まれてくることでしょう。この事例は作者(フィッツジェラルド)の死後名声が高まった例ですが、その要因は何でしょうか。また1908年を境に減少しますが、こちらの要因も何でしょうか。マニュスクリプトが発見される1856年以前に使われたルバイヤートの語句は何を指していたのでしょうか。1919年の一時的な増加は何を意味しているのでしょうか、といったことなどです。遠読はデジタルな文学研究を行う上での一つの典型的な手法であり、デジタルな研究が得意とする手法であるともいえます。

4. 今後の人文学とデジタル

 コンピュータを使用する人文学研究であるデジタル・ヒューマニティーズは、方法論の共有地と呼ばれるように[8]、様々な学問分野の手法を提供する場でもあります。近年はAIが中心的に取り上げられつつあり、海外のデジタル・ヒューマニティーズの学会では古典的な手法を使うとなぜ大規模言語モデルを使わないのかと問われ、海外のイギリス文学の学会ではAIの特集が組まれつつもバイアスや倫理、著作権、間違いを出力する可能性からその慎重な対応について話し合われています。アメリカの大学では大学全体あるいは学部全体でデジタル・ヒューマニティーズが必須科目として採用されている大学もあり、大学やコミュニティ・カレッジ全体で共通に使える教科書について議論されていたりもします[9]。今後ますますデジタル・テクストは増え、デジタル・テクストを用いた研究教育は増えていくことでしょう。研究教育の諸分野で共通するデータや手法、思考方法のモデルが問われていくことになるかもしれません。


[1] Rockwell, Geoffrey and Stéfan Sinclair. Hermeneutica: Computer-Assisted Interpretation in the Humanities. The MIT Press, 2016. p.49.
[2] Digital Public Library of America. dp.la. Accessed 6 Mar. 2025. Europeana. The European Union. www.europeana.eu/en. Accessed 6 Mar. 2025. HathiTrust Digital Library. www.hathitrust.org. Accessed 6 Mar. 2025. Internet Archive. archive.org 1996. Accessed 6 Mar. 2025. Project Gutenberg. www.gutenberg.org. Accessed 6 Mar. 2025. Folger Shakespeare Library. www.folger.edu. 1996. Accessed 6 Mar. 2025. The William Blake Archive. www.blakearchive.org. Accessed 6 Mar. 2025. Shelley-Godwin Archive. shelleygodwinarchive.org/. Accessed 6 Mar. 2025.
[3] 『国立歴史民俗博物館』. www.rekihaku.ac.jp. 2025年3月6日アクセス. 『国文学研究資料館』. www.nijl.ac.jp. 2025年3月6日アクセス. 『国立国語研究所』. www.ninjal.ac.jp. 2025年3月6日アクセス. 『国際日本文化研究センター』. 2025年3月6日アクセス. www.nichibun.ac.jp/ja/. 『人間文化研究機構』. www.nihu.jp/ja. 2025年3月6日アクセス.
[4] The Princeton Encyclopedia of Poetry and Poetics. Edited by Roland Greene, et al, Fourth Edition, Princeton UP, 2012, p.268. イーグルトン, テリー. 『文学とは何か』上巻, 大橋洋一訳, 岩波書店, 2014年, pp. 115-119.
[5] モレッティ, フランコ.『遠読: 世界文学システムへの挑戦』秋草俊一郎他訳.みすず書房, 2016. 秋草俊一郎. 訳者あとがき. 『遠読: 世界文学システムへの挑戦』フランコ・モレッティ著.秋草俊一郎,他訳.みすず書房, 2016. pp. 324-339.
[6] Edward FitzGerald. Rubáiyát of Omar Khayyám: The Astronomer-Poet of Persia. Edited by Daniel Karlin. Oxford World Classics. Oxford UP, 2009, p.1. 黒柳恒男. 『ペルシア文芸思潮』. 近藤出版社, 1977年. Pp. 117-122.
[7] HathiTrust Research Center. "HTRC Analytics." Bookworm β. Accessed 6 Mar. 2025. analytics.hathitrust.org/algorithms.
[8] 永崎研宣. 「Methodological Commons: デジタル人文学で昔から定番の話」. 『digitalnagasakiのブログ』. 2020年12月20日. 2025年3月6日アクセス. digitalnagasaki.hatenablog.com/entry/2020/12/20/182659
[9] Fitzpatrick, Kathleen, et al, panelists. The (Im)Possibility of a DH Textbook. The 140th MLA Annual Convention, 12 Jan. 2025, Churchill A2, Hilton New Orleans Riverside Hotel, New Orleans, LA.

橋本 健広(はしもと たけひろ)/中央大学国際情報学部教授
専門分野 イギリス文学

愛知県出身。1997年東京外国語大学外国語学部中東語学科卒業。2001年青山学院大学大学院文学研究科博士前期課程修了。2007年メルボルン大学大学院応用言語学研究科修士課程修了。2009年青山学院大学大学院文学研究科博士後期課程満期退学。2012年コロンビア大学ティーチャーズカレッジ日本校教育学英語教授法修士課程修了。関東学院大学経済学部専任講師、准教授、教授を経て2019年より現職。

現在の研究課題は、19世紀イギリスロマン派詩のDH的影響研究(コールリッジやワーズワス等の詩とその影響について、デジタルヒューマニティーズの手法を用いて研究している。またモデルや事例、プラットフォームの作成を行っている)