研究

皇位継承の歴史を考える

大川 真(おおかわ まこと)/中央大学文学部教授
専門分野 日本思想史

1. 国民的関心事である皇位継承

 皇位継承は、国民の大きな関心事となってきました。特に悠仁親王がご生誕になる前は、男系男性の皇族による皇位継承が将来的には危機的状況にありました。2004年12月、当時の小泉純一郎総理大臣が設置した私的諮問機関「皇室典範に関する有識者会議」は、翌年11月に「皇位の安定的な継承を継続するためには、女性天皇・女系継承への途を開くことが不可欠」という結論を答申しました。悠仁親王がご誕生されて以降は、有識者会議や政府答弁からはそうしたトーンは後退しましたが、現在でも女性天皇・女系天皇に対してはおびただしい意見がSNSなどで飛び交っています。しかしなかには、自身の強い思い込みや不正確な事実認識に基づく主張も少なくありません。そうしたなかで皇族、元皇族の方々に対して、見るに堪えない誹謗中傷が毎日のように繰り広げられるのは、言論の自由を超えて基層的な人権への侵害と言わざるを得ません。発信は一部の人々からとはいえ、国民的分断を招きかねない由々しき事態です。このような事態を回避して、冷静で成熟した議論が行われるように、私はあくまで学術研究の立場から、現在の皇位継承制度の成立した背景や、また日本の思想史、精神史において皇位継承がどのように考えられたのかを考究しております。

2. 古代の女性天皇

 皇室の歴史が日本人のアイデンティティと深く結びついていますが、その歴史が十分に正確に理解されているとは言えません。たとえば日本では、1889年に明治で皇室典範が制定される以前は、女性天皇が、8人10代が即位しています。直近の女性天皇は第117代の後桜町天皇(在位:1762年~1771年)ですが、古代日本では実に6名8代の女性天皇が即位しています。すなわち、第33代推古天皇、第35代皇極天皇(重祚して第37代斉明天皇)、第41代持統天皇、第43代元明天皇、第44代元正天皇、第46代孝謙天皇(重祚して第48代称徳天皇)です。このうち第43、44代の元明、元正の両天皇間の継承が母娘間継承であることは特筆に値します。6世紀後半から8世紀後半にかけて新たに律令制国家が誕生し確立に向かう歴史的転換期に、これほど多くの女性天皇が集中して即位したことは、国民の間にあまり知られていない事実の一つでしょう。女性天皇たちは、国内での法整備や開墾の推進、また中国や朝鮮半島との交流において、大きな足跡を残しました。なお同時期に、中国では武則天、朝鮮半島の新羅で善徳王、真徳王、真聖王らの女性皇帝、女王が即位していますが、日本における女性君主の多さは東アジアでも抜きん出ています。

3. 皇位継承における正統(しょうとう)

 現在の男系男子による皇位継承を定めているのは1947年に公布された皇室典範ですが、その原型は1889年に成立した旧皇室典範です。前近代では皇位継承に明確な成文法があったわけではなく、皇室、公家、武家のアクターによって皇位継承が決まりました。しかし私たちの先人たちは、連綿と続いてきた皇位継承について、何かしらの決まりや道理が働いていると考えてきました。代表的な考え方が、正統(しょうとう)論です。正統論では、立派な徳を備えて理想的な政治を行った天皇こそが即位するに相応しいと考えるとともに、三種の神器を保有している天皇こそが正統の天皇であると考えます。宝器の保有を継承の重要な条件にした王位継承は世界でもあまり類を見なく、日本の皇位継承の歴史を考える上で大きなポイントとなります。また武家がその天皇に忠義を尽くしていたかどうかという点も、天皇の正統を決める上でもう一つの重要なポイントです[i]

 明治以降で盛んになる南北朝正閏論もこうした前近代の正統論をふまえて展開されていきます。現在のように女性、女系天皇の是非をめぐる論争ではないことに注意していただきたいと思います。

4. 旧皇室典範の思想史的研究

 となると現在の皇位継承を考える際には、やはり現在の皇室典範に密接に繋がる、旧皇室典範の成立前夜に遡って考えてみる必要がありそうです。旧皇室典範に関する従来の研究では、伊藤博文や柳原前光、井上毅など有力な政治家や高級官僚などの言動や著作・論説が分析の中心になってきました。しかし実際に法案作成の実務にあたる法制官僚たちについては、その動静などが部分的に言及されてきたに過ぎません。まして彼らがヨーロッパ諸国憲法をどのように翻訳していったのか、その訳出そのものを正面から取り上げて、旧皇室典範に至る思想的な道筋を解明しようと考えるのは、私以外に試みられて来ませんでした。

 日本で初めてヨーロッパ憲法の逐条邦訳が行われたのが1848年改正オランダ王国憲法です。その逐条訳をつぶさに検討した結果、合法的な(憲法上認められた)嫡出の子孫を意味するオランダ語「wettige nakomelingen」に、明治初期の逐条訳では「正統」という言葉をあてたことに私は注目しました。当時でも合法的な継承を意味する「嫡出」(嫡流)という語は人口に膾炙しており、正妻からの出生を意味することを訳者たちも知っていたのですが、皇位継承者が三種の神器を保有していたり、武家が忠義を尽くす対象となっていたり等、多義的な内容を含む前近代日本の「正統」(しょうとう)という語をあえて用いていたのです。幕末から明治の初めでは、前近代日本からの皇位継承論からの流れと、近代西洋の王位継承法からの流れとの汽水域が存在していました[ii]

5. 「男系」「女系」という概念

 管見の範囲ですが、そもそも「男系」という語は前近代では出てきません。元老院が起草した憲法案(国憲按)は、第1~3次按(1867年~1880年)の第1条ではいずれも「正統」なる天皇が皇位を継承すると書かれています。その後の1884年3月に伊藤博文の主導で宮中に設置された制度取調局が作成した皇室制規(第1条)において、「男系」「女系」という語が初めて出てきます。

 明治の旧皇室典範が作られる際には、男子の継承のみ認めるサリカ法だけではなく、1848年改正のオランダ王国憲法のように、男系男子が途絶えた場合に女子、女系の継承も認める準サリカ法が紹介され、法制官僚もよく理解していました。したがって皇室制規では、男系男子継承主義を基調としながらも、第一条で女系天皇を認め、さらに第六条では女性天皇の即位も盛り込んでいました。その後に井上毅らが強く反撥して、男系男子継承を主張し、旧皇室典範が成立することになります[iii]

6. 今後の皇位継承をめぐって

 昨年(2024年)10月には、国連の女性差別撤廃委員会(CEDAW)が、「男系男子」が皇位を継承することを定める皇室典範の改正を勧告しました。日本政府は、皇位継承は日本国家の基本事項であり、取り上げることは適当ではないと反論しましたが、こうした眼差しに対して、世界に開かれた合理的な主張を行うことは必要でしょう。現況のように、皇族、元皇族の方に対して見るに堪えないバッシングが横行するなかで、正確な事実認識に基づく、理性的で成熟した議論が国民に起こるよう、一人の研究者の立場から少しでも貢献したいと思っております。


[i] 齋藤公太『「神国」の正統論―『神皇正統記』受容の近世・近代』ぺりかん社、2019年。
[ii] 大川真「一八四八年改正オランダ王国憲法と日本の皇統論」『日本思想史学』54、2022年。
[iii] 大川真「18・19世紀における女性天皇・女系天皇論」『SGRAレポート』90、 2020年。

大川 真(おおかわ まこと)/中央大学文学部教授
専門分野 日本思想史

1974年群馬県生まれ。東北大学大学院文学研究科博士課程後期満期取得退学。博士(文学)。東北大学大学院文学研究科助教、吉野作造記念館館長、中央大学文学部人文社会学科哲学専攻准教授を経て、2020年から教授。

専門は日本思想史、日本精神史。

著書『近世王権論と「正名」の転回史』、論文「18・19世紀における女性天皇・女系天皇論」、「一八四八年改正オランダ王国憲法と日本の皇統論」など