革命政権の悩み――中国共産党による議会制度の制度化の試み
杜崎 群傑(もりさき ぐんけつ)/中央大学経済学部准教授
専門分野 中国近現代政治史
1. はじめに
突然だがみなさんに質問である。「中国にも議会はあると思いますか?」。答えは「YES」でも「NO」でもある。「NO」である理由は、我々が一般的に想像するような三権分立に基づく議会が中国には存在しないという意味では正解である。他方で「YES」とも言える理由は、日本でもある時期(一般的には3月)になるとよく報道される全国人民代表大会というものが中国にも存在し、この全国人民代表大会は一応は選挙によって選ばれる民意機関と言えるからである。では次の質問である。「中国共産党はその議会に相当すると考えらえる全国人民代表大会を重要視していると思いますか?」。答えは「YES」である。最後にもう1点の質問である。「その全国人民代表大会は民主的だと思いますか?」。これについては、恐らくほとんどの方は「NO」と答えるかもしれない。もちろん現在の中国において我々が考えるような民主制度はとられていないため、その解釈はある意味では正しい。しかし、少なくとも中国共産党の解釈では答えは「YES」、つまり「民主」的であると解釈されていると言われれば、不思議に思われるかもしれない。なぜであろうか。私のこれまでの研究を踏まえて、これらの点を紐解いてみよう。以下ではあえて三権分立に基づいて中国の全国人民代表大会を代議機関としてみなし、比較の俎上にのせて議論していく。
2. 「議会」の歴史
そもそも近代の議会制度および三権分立の制度は周知のとおり、様々な思想的変化や革命を経ながら欧州や米国で成立していった。ただし、アテネのような直接民主主義は国家規模ではなかなかとることができない。しかも市民は生産活動に従事せざるを得ず、政治活動に専念できない。そこで市民の政治的主張を実現するために考え出されたのがまさしく代議制民主主義であった。つまり、代表者を選出し、代表者による決定してもらうことで、自らの決定とみなすというフィクション(擬制)によって市民の参加を担保することになった。
ただし、この代議制民主主義についてはある疑念が付きまとう。ここで選ばれた代表者は本当に我々市民を代表していると言えるのか。かつてアリストテレスは選挙で誰かに任せてしまうのは貴族制社会であると言っていた[1]。まさしくこうした批判の急先鋒となっていったのが社会主義勢力である。彼ら社会主義勢力は、上記のような代議制民主主義はあくまで「ブルジョア民主主義」であると、すなわち議会は結局ブルジョアジー=資産家階級によって占められているため、特に末端市民の意見など吸収されていないと批判してきた[2]。ではどうするのか。社会主義側が考え出した解決策が「直接民主」という方法である。つまり、民意を反映する議会を三権分立の頂点に立たせたうえで、この議会における議席を資産家階級から労働者などの末端市民に奪還する。その上で、大衆が「直接」議会を通して政治を行う。これにより市民の民意を「直接」反映させるという考え方である。その際、共産党は前衛党として大衆を導くために権力の座につく。これにより「独裁」であるのに「民主」であるという構造が確定する。
3. 中国共産党の議会の歴史
では中国共産党の議会はどのように構築されたのか。中国共産党もまた社会主義政党である以上は、ソ連の影響を色濃く受けていた。ゆえに西洋的な「議会制民主主義」に対して、早くから一線を引いていた[3]。
さて、そのような中国共産党は第2次世界大戦終結後、中国国民党と協調して憲政を行うという方向性もあったが、最終的には中国国民党と決裂し内戦へと突入していく。この内戦に勝利していく中で、中国共産党は「中国人民政治協商会議」という、諮問機関ではあるが、議会に相当すると考えられたものを開催していく(なお地方の議会は当時主に「人民代表会議」という呼称で呼ばれていた。このためこの時期の議会制度を総称して「人民代表会議制度」と呼ばれる)。
今でこそ安定した統治をしているように見える中国共産党だが、少し想像してわかるように、革命達成時はまだ革命を達成したばかりの言わば「ぽっと出」の政権であった。もちろん全国を統治した経験などない。中国共産党指導部の心情を知ることはできないが、革命達成の高揚感と同時に、中国全土を統治することへの不安もあったのではないだろうか。
ゆえに中華人民共和国が出来上がった当初は、比較的穏健な政策を採用していた。革命直後の政権としては国家建設・政権運営・経済のために党外の人材が必要だったからだと考えられる。そこで、党外の人材との協調を重視し、実際に政権入りもさせた。ただし、中国人民政治協商会議という議会に相当する機関を三権分立の頂点に立たせ、統治を行う組織の占有率は中国共産党が優位になるように設定されていたことも事実である[4]。
ところで、こうした革命直後の時期というのは「重大な岐路」と呼ばれる時期に位置付けられる。つまり、従来あった制度をスクラップした上で、ゼロからビルドすることが可能であり、しかもここで決定されたものは、その後を規定する(ともすれば現代をも規定している)という意味で、まさしく「重大な岐路」の時期なのである。中国共産党もまた、革命に勝利していく中で、試行錯誤しながらも政治制度を構想していき、まさしく1949年10月1日に制度設計自体は完成させた。ただし、こうしてできあがった議会制度を、全国的に運用した経験を中国共産党は持っていない。なんといっても地方政権時代とは規模が違うのである。そこで、次の中国共産党の課題としては、こうして完成した政治制度をいかに制度化するのか、すなわちいかに運用するかという点にシフトする。
中央人民政府副主席で中国共産党指導部にいた劉少奇も以下のように言っていた。
例えば土地改革の進行、職員と労働者の給与の基準、農業税と租税の徴収、各種政治的経済的社会的制度の規定など、いずれも人民政府によって法令・決議・指示などで宣布するもので、党の名義で公布するものではない。なぜならば党の名義で公布すると、党員のみが服従の義務があり、人民には服従の義務がないからである。人民政府が公布するならば、全ての党派、全ての人民が服従の義務を有する。このため、党は政府に代替することができず、党の代表大会もしくは代表会議は党内の問題に対しては直接決議を通過する以外には、上述の各項の問題については討論を進めることはできるが、人民政府への提案として決議を通すべきであり、直接決議を通すべきではない。党のこれらの決議は、人民政府の法定機関の宣布を経て初めて法律上の効力を有する。各級党の代表大会あるいは代表会議の招集は、(中略)人民代表会議に代替すべきではなく、また完全に重複させてはならない[5]。(下線部筆者)
かつてのように地方政権の時代においては、党が決定したことはそのまま執行すればよかった。しかし、全国政権になった以上はそうした命令は政府を通さなければならない。そして政府から発するためには、人民代表大会・人民代表会議という議会を経て初めて「効力」を有する。このため党の代表大会ではなく地方の議会たる人民代表大会・人民代表会議を重視せよということである。ここからいかに中国共産党が人民代表会議という議決機関を重要視し、議会制度の運用に心を砕いていたか理解できよう。
結論にかえて
いかがだろうか。中国共産党が歴史的にも議会を重視してきたことがわかるであろう。なお、この点については現代においても変わっていない[6]。考えてもみてほしい。なぜわざわざ中国共産党政権が全国人民代表大会を開催して、そこで議決を経ようとしているか。そして、そのような統治形態を「民主的」と解釈している理由についても本論を通して理解できたであろう。
では歴史的に振り返った時に、こうした議会制度の運用を中国共産党は当初から首尾よく制度化を達成したのか。その際、どのような試行錯誤を経て現在の制度にしあがっていったのか。これが私が今まさに取り組んでいるテーマである。今後の研究に乞うご期待である。
[1] 「民主主義とは何か~2022年の視点 宇野重規東大教授の講演全文」https://www.tokyo-np.co.jp/article/184971/4(2024年11月21日アクセス)
[2] この批判自体はアメリカの選挙においても、主にトランプ支持側が民主党を批判するときに用いられるレトリックであるという点を踏まえれば今にも通じるものがある。
[3] ただし、1940年代前半は中国共産党はあくまで地方政権に過ぎず、また国民政府の動きを意識して、地方政権時代に議会に相当するものを開催する中で、我々が普段想像するところの「民主選挙」と権力分有を模索したこともあった。詳しくは拙稿「第1期陝甘寧辺区参議会の研究――民主主義と自由主義をめぐって」土田哲夫・子安加余子編『近現代中国と世界』中央大学出版部、2020年。
[4] 拙著『中国共産党による「人民代表会議」制度の創成と政治過程――権力と正統性をめぐって』御茶の水書房、2015年。
[5] 中共中央文献研究室編『建国以来劉少奇文稿』(第1冊)、北京:中央文献出版社、2005年、131-133頁。
[6] 加茂具樹『現代中国政治と人民代表大会――人代の機能改革と「領導・被領導」関係の変化』慶應義塾大学出版会、2006年など。
杜崎 群傑(もりさき ぐんけつ)/中央大学経済学部准教授
専門分野 中国近現代政治史福岡出身。1981年生まれ。2003年中央大学経済学部卒業。2005年中央大学経済学研究科修士課程修了。2012年中央大学法学研究科博士課程修了。政治学博士(中央大学)。九州大学大学院法学研究院助教、中央大学経済学部助教を経て現職。
主に中国近現代史における議会制度を中心とする政治制度・政治体制を研究している。
主要著書に『中国共産党による「人民代表会議」制度の創成と政治過程――権力と正統性をめぐって』御茶の水書房、2015年などがある。中央大学経済学部では主に中国語を担当しているが、国際政治史や中国近現代政治史について講義する「アジア史」や、「専門演習」なども担当している。