ミュージアムという場所を考える
森川 智成(もりかわ ともあき)/中央大学法学部助教
専門分野 アメリカ研究・ミュージアム研究・社会言語学
ミュージアムとは?
2024年4月に中央大学法学部に着任する以前、私は石川県金沢市に暮らしていましたが、この北陸の都市には、金沢21世紀美術館という日本でも指折りの人気ミュージアムがあります。ミュージアムと聞くと、週末に着飾って教養を深めに行くところといったイメージがあるかも知れませんが、このイメージは、ミュージアム研究の観点から見ても歴史的に根拠のあるもので、価値があるとされる文物を一般の人々に向けて展示し、それを衆人環視の中で鑑賞するミュージアムは、行儀の良い臣/市民を産み出す場所としての役割を果たしてきました[1]。金沢21世紀美術館も、こうした役割と無縁ではなく、日本という国家の芸術政策の一端を担う施設として、特に現代アートを愛でる観客と、現代アートを消費するマーケットの育成という観点から期待がかけられています[2]。
その一方で、ミュージアムの権威はいつも従順な主体の産出に利用されてきた訳ではありません。ミュージアムはまた、既存の抑圧的な規範や権力に挑戦する側面も持っています。こうしたミュージアムの両義性が―恐らく不十分ながらも―発露された事例として、ここでは2022年10月1日〜2023年3月5日、2022年11月3日〜2023年3月19日の重複する期間に、金沢21世紀美術館でそれぞれ開催されていた「時を超えるイヴ・クラインの想像力―不確かさと非物質的なるもの」展と、「Sea Lane―Connecting to the Islands 航路―島々への接続」展とに注目して、議論を展開していきたいと思います。
非政治性
「クライン」展は、インターナショナル・クライン・ブルー(IKB)という特殊な青の顔料で特許を取得し、これを使用した作品で知られるイヴ・クラインの作品展でした。IKBを使用したクラインの作品は日本でも人気がありますが、あまりに抽象的なクラインの作品は、政治性を欠いた現実からの逃避として、批判されてもいます。例えば、オーストラリアのアーティストで、植民地主義とアボリジニの虐殺の告発にクラインの作品をある種盗用して利用するゴードン・ベネットは、その作品《How to Cross the Void》を通して、抑圧された人々には、過酷な歴史や現実から、クラインのように抽象的な青へと逃避する余裕などないのだと、痛烈に指摘しています[3]。こうしたクラインの作品に見られる問題性は、しかしながら、金沢21世紀美術館での展示で明確に主題化されていたとは言えません。そこでは、クラインが現代アートの人気作家として特集され、来館者には専ら、その作品を、まさしく美術館で展示されるにふさわしいほどに美しく、価値あるものとして堪能することが求められていたと言えます。
批判としての展示
その一方で、このとき金沢21世紀美術館のもう一つのギャラリー・スペースでは、「Sea Lane」展が開催されていました。これら二つの展示は、出入口が別々で、片方だけを独立して鑑賞できるようになっていたように、直接には応答関係にありませんでした。しかし、却ってそのためにか、「クライン」展には見られなかった批評性が、「Sea Lane」展にはあったように思われます。具体的には、後者では、
アジア・オセアニア地域の島々の多くは、その豊かな自然や文化とは対照的に、強大な権力や国家によって植民地化を余儀なくされてきた歴史があります。それぞれの土地や生活圏を奪われ、あるいは占領されて、そこに暮らしていた人々の慣習や歴史はどうなってしまうのでしょうか。観る者は、自らの生まれ育った場所と向き合うことが、その場所の未来へとつながることを考えさせられます[4]。
というキャプションでの説明とともに、先住民からの土地の簒奪を隠喩的な表現を通じて問題化するアボリジニのアーティストであるジュディ・ワトソンの作品などが、「クライン」展の抽象性を補完するかのように展示されていました。
曖昧な両義性
ただし、ここで注意しなければならないのは、こうした補完もまた、未だ不完全なものに留まっていたという事実です。実際、上記のキャプションでは、「どうなってしまうのでしょうか」、「考えさせられます」という示唆は行われているものの、植民地主義のためにどのような残酷な状況が出来したのか、そして、それをどう乗り越えるのかについての検討は、なされていません。この点に関しては、各アーティストの作品の批評性と来館者の想像力に依存するばかりで、金沢21世紀美術館としては、具体的な検討へとは、進んではいなかったと言えます。ミュージアムの主体産出の機能の観点から言えば、金沢21世紀美術館は、現代アートを愛でるだけのアート愛好家を育む施設であることに満足している訳ではないにしても、植民地主義に対して積極的に抵抗する主体の出現を後押ししている訳でもないようです。
ミュージアムとの関係
近年、ミュージアムに文物の収蔵・管理・展示の機能だけでなく、影響力のある公的な機 関の一つとして、社会問題の是正に積極的に関わることを求める「ミュージアム・アクティヴィズム」という視点が、世界的に盛んに議論されています[5]。2019 年に京都で開かれたミュージアムの国際組織 International Council of Museums の会議でも、社会正義に向けたミュージアムの活動の必要性が確認されました[6]。 というのも、ミュージアムは美しいものを飾っておくだけの空間ではなく、そもそも何が美しいのか、何に価値を見出すべきなのかについて、人々の認識を形作る権威を持った施設であるからです。
こうした潮流の中で、金沢21世紀美術館のような影響力の大きい日本のミュージアムも、その責務を果たそうとしているかのように見えます。しかし、その歩みはまだ遅々としたものかも知れず、ミュージアムが前面に出て主導するものとはなっていないのかも知れません。それゆえ、ミュージアムの研究者や、週末にミュージアムへと出かけていく来館者としての我々が、展示物だけでなく、ミュージアムの来し方や行く末、ミュージアム・アクティヴィズムのあり方を、きちんと鑑賞していくことが必要なのかも知れません。
[1] Tony Bennett, The Birth of the Museum: History, Theory, Politics (Abingdon: Routledge, 1995) などを参照。
[2] 文化庁文化審議会文化財分科会企画調査会第1回会議(令和2年10月26日開催)配布資料6「意見書:日本における現代アートの現状について」参照。
[3] Jude Jones, "Klein, Jarman, and Bennett's Angelic Conversation: Thinking About the Place of Art in Crisis." The Cambridge Language Collective (n.d.)などを参照。
[4] 金沢21世紀美術館「Sea Lane―Connecting to the Islands 航路―島々への接続」(n.d.).
[5] Robert R, Janes & Richard Sandell (eds). Museum Activism (Abingdon: Routledge, 2019)などを参照。
[6] ICOM京都大会2019報告書(n.d.)参照。
森川 智成(もりかわ ともあき)/中央大学法学部助教
専門分野 アメリカ研究・ミュージアム研究・社会言語学国際基督教大学教養学部卒業。東京大学大学院総合文化研究科表象文化論分野修士課程修了。ブラウン大学アメリカ研究科修士課程修了。ハワイ大学マノア校アメリカ研究科博士課程修了。博士(アメリカ研究)。金沢大学外国語教育系助教を経て2024年より現職。
現在の研究テーマは、記憶の軍事化、ミュージアムの脱植民地化、Critical Language Pedagogyなど。
主な論文に、“(Il)Legitimating Filipino Teachers' English on Webpages for Japanese Learners of English”(TESOL Quarterly、2022年)、“Heroes’ Missions: Journey of Heroes and Japanese American Settler Colonialism in Hawai‘i”(Journal of Graphic Novels and Comics、2022年)などがある。