多国籍企業と中小企業における国境を越えたブランド・マネジメント
井上 真里(いのうえ まさと)/中央大学商学部教授
専門分野 グローバル・マーケティング、ブランド・マネジメント
1. グローバル・マーケティングとグローバルなブランド・マネジメント
グローバル・マーケティングとは、主に多国籍企業 (Multinational Corporation/Enterprise: MNC/MNE) が国境を越えて行うマーケティングを指します。企業の国籍や業種を問わず、部品・原材料や半製品、完成品を国外で調達・生産・販売することはもはや一般的です。製造企業(メーカー)をはじめとする個別の主体が商品の販売実現のために行う対市場活動を一般にマーケティングと呼びますが、当該企業が国外で調達や生産、販売、研究開発 (Research & Development: R&D) などを行うようになると国内中心のマーケティング理論では十分に説明できない課題が生じます。それを説明するための独自領域がグローバル・マーケティングです。
近年の多国籍企業は、保有する膨大な数の製品ブランド (product brand) のうちごく少数の「グローバル・ブランド (global brand、世界中で展開している製品ブランド)」をとくに重要視しています。多国籍企業では、「ローカル・ブランド(local brand、ある1ヵ国のみで市場導入される製品ブランド)」や「リージョナル・ブランド(regional brand、地理的に隣接する複数の国・地域で市場導入される製品ブランド)」の方がグローバル・ブランドよりも圧倒的に数が多いにもかかわらず、世界連結売上高への貢献ではグローバル・ブランドの方がはるかに高いのが実態です。その割合は企業によって異なりますが、一般には多国籍企業における世界連結売上高の約7割がグローバル・ブランドによってもたらされているといわれています。そのため、グローバル・ブランドへの注目は実務においても研究においても非常に高まっています。
現在、私が行っている「グローバルなブランド・マネジメント」研究のテーマとしては大きく2つの方向性があります。1つは、多国籍企業がその保有するグローバル・ブランドをいかにマネジメントしているのかということです。もう1つは、多国籍企業よりもはるかに規模が小さい中小企業 (Small and Medium Enterprises: SMEs) がそのローカル・ブランドをいかにマネジメントして国外市場開拓へチャレンジしているのかということです。
2. 多国籍企業におけるグローバル・ブランドのマネジメント
グローバル・ブランドのマネジメントに関して、たとえば世界の食品・飲料産業は図表1のように多国籍企業10社によって支配されていると社会的に認識されており、当該企業はそれぞれが保有する複数のグローバル・ブランドを駆使して、その市場支配力をさらに高めています。
図表1 食品・飲料産業をグローバルに支配する多国籍企業10社
(出典)オックスファムのホームページ、(2024年3月20日アクセス)
https://www.oxfamamerica.org/explore/stories/these-10-companies-make-a-lot-of-the-food-we-buy-heres-how-we-made-them-better/
また、食品や飲料、洗剤といった最寄品において、開発途上国 (developing countries) では現地企業が販売する類似製品ブランドの方が安価だとしても習慣的に多国籍企業のグローバル・ブランドを購買する消費者が存在します。図表2はフィリピン・マニラ中心部のスーパーマーケットにおける洗剤の棚割りを示していますが、わずかにユニリーバ (Unilever) のグローバル・ブランド「ブリーズ (Breeze)」が陳列されているものの、ほとんどがP&G (Proctor and Gamble) のグローバル・ブランドである「アリエール (Ariel)」と「タイド (Tide)」です。現地企業や日本企業の製品ブランドは1つもありません。P&Gは100年以上前からフィリピン市場に定着しているため、このスーパーマーケットでは父母や祖父母などを含めた、現地消費者のより長期的な購買習慣に合わせた品揃えになっていると考えられます。
図表2 フィリピン・マニラのスーパーマーケットにおける洗剤の棚割り
(出典)筆者撮影
3. 中小企業におけるローカル・ブランドのマネジメント
上記のように、グローバル・ブランドは多国籍企業が各国・地域市場での競争優位性をさらに高める重要な武器として用いられていますが、その一方でグローバル・ブランドが競合他社のローカル/リージョナル・ブランドに対して競争優位性を発揮することができない事例も蓄積されつつあります。また、当該分野における近年の研究潮流は「その対象がグローバル・ブランドに偏っている」と批判されています。これらは、すなわち多国籍企業ではローカル/リージョナル・ブランドの方がグローバル・ブランドよりも圧倒的に数が多く、またローカル/リージョナル・ブランドにも一定の役割があると考えられるにもかかわらず、世界連結売上高への貢献度だけをみてグローバル・ブランドのマネジメントに研究を集中させるのが問題だということです。将来的にグローバル・ブランドへと成長する可能性があるローカル/リージョナル・ブランドに目を向けることもまた重要であると考えられることから、私はグローバル・ブランドとローカル/リージョナル・ブランドの双方から、そのマネジメントにおける諸課題を研究しています。
ローカル・ブランドのマネジメント(とくにローカル・ブランドのリージョナル化)を研究する上で、多国籍企業を対象とするのはもちろん重要ですが、中小企業を対象とすることもまた重要であるといえるでしょう。中小企業は、多国籍企業と方向性が異なるユニークな戦略を展開することがありますし、また経営資源が相対的に乏しいにもかかわらず多国籍企業とほとんど変わらない行動を採るようにもなっています。そのため、中小企業のブランド・マネジメントからわれわれが学べることは多々あると考えられます。
たとえば、新潟県阿賀野市で地域密着の日本酒「がんばれ父ちゃん」を生産・販売している白龍酒造が韓国市場で大きく売上高を伸ばしていることは、ローカル・ブランドがリージョナル化する例として分かりやすいと思われます。
韓国では、国外から輸入する酒類に対して非常に高い税金がかかり、たとえば900mlパックの普通酒は日本で600円ほどですが、韓国では3000円以上に跳ね上がります。それは、商品自体の原価に各流通段階でのマークアップや輸送費、保管料が付加されるだけではなく、関税(15%)や酒税(30%)、教育税(教育の質的向上を図るための目的税、10%)、付加価値税(10%)がさらに上乗せされることによります。
韓国市場は、日本や他国・地域市場と比べて日本酒の販売においてかなり困難な環境であるといわざるを得ませんが、それでも「がんばれ父ちゃん」は現地の小規模輸入業者「テサン酒類」によって2006年に韓国へ輸入されたことを契機に、販売数が当初の8700本から2016年には46万本へと約53倍に急増しました。また、ここ数年は白龍酒造が主導して韓国ドラマや韓国アイドルのSNSなどで「がんばれ父ちゃん」を盛んに露出させており、現在では新世界グループの大規模ディスカウントストア「TRADERS WHOLESALE CLUB (前E-MART TRADERS)」で取り扱われるほどに成長しています(図表3参照)。
図表3 TRADERS WHOLESALE CLUBにおける白龍酒造「がんばれ父ちゃん」の大量陳列
(出典)筆者撮影
4. 「グローバルなブランド・マネジメント」における今後の研究課題
米国の調査会社であるニールセン (Nielsen) は、2017年に63ヵ国の3万1716人へオンライン調査を行い、図表4のように消費者が製品カテゴリーによってローカル・ブランドとグローバル・ブランドのどちらを好むかを明らかにしました。パーセンテージが高い製品カテゴリーほどローカル・ブランドの方を好む可能性があり、また低いほどグローバル・ブランドの方を好む可能性があります。
ただし、消費者がなぜこのように知覚するのかはいまだ明らかになっていません。もしかすると、一部の多国籍企業ではこれまでグローバル・ブランドを用いて市場導入していたけれども実はローカル・ブランドで導入した方がよかったり、逆の場合があったりするかもしれません。「グローバルなブランド・マネジメント」研究についてのフロンティアは他にも多くあるはずなので、私の研究がそれらの解明に少しでも役立つことを願っています。
図表4 製品カテゴリーによる消費者のグローバル/ローカル・ブランドの選好度合い
(原出典)The Nielsen Company (2017), "Made in" Matters...or Does It?: How Consumer Perceptions about Country of Origin are Translating to Purchasing Behaviors around the World, p.3.
(出典)井上真里(2020)「グローバル・ブランド ―マネジメント―」梶浦雅己編著『はじめて学ぶ人のためのグローバルビジネス(三訂版)』第23章、344ページ。
井上 真里(いのうえ まさと)/中央大学商学部教授
専門分野 グローバル・マーケティング、ブランド・マネジメント福岡県出身。1976年生まれ。1999年明治大学経営学部卒業。2006年明治大学大学院経営学研究科博士後期課程修了。博士(経営学)。 滋賀大学経済学部助教授、日本大学商学部准教授、中央大学商学部准教授を経て2023年より現職。
現在の研究課題は、主に「多国籍企業におけるグローバル・ブランドのマネジメント」と「中小企業におけるローカル・ブランドのリージョナル化」である。
また、主要著書は井上真里編著『グラフィック グローバル・ピジネス』(新世社、2020年)などがある。