研究

ドーパミン神経系に関与する遺伝子多型とアスリートの競技力

阿部 太輔(あべ だいすけ)/中央大学理工学部助教
専門分野 ライフサイエンス、スポーツ科学、Sports science

1. アスリートスポーツへの科学的アプローチ

 パリオリンピックに向けて、各スポーツ競技ではより多くのメダル獲得が目標に掲げられ、その現場では代表権の獲得、本大会での活躍をモチベーションに日々のトレーニングがおこなわれています。

 スポーツの研究分野では運動生理・バイオメカニクス・スポーツ心理など、様々な角度からの競技力向上やトレーニング効果に対する科学的知見があり、それらの知見はアスリートや指導者に取り入れられ、競技力向上の一旦を担っています。

 そのなかで、新たな角度からのアプローチとして、遺伝子に関わる研究もおこなわれるようになってきています。競技者を対象とした遺伝子多型と身体特性・競技力に対する知見は、個々の競技者の特性をより明確にし、より効率的なトレーニングの指標となっているのです。

 本研究で着目したのは、脳内においてモチベーションや競争心の中枢である報酬系の活動に関与する、カテコールアミン類の神経伝達物質「ドーパミン」です。

 カテコールアミンは、脳、副腎髄質と交感神経に存在する生体アミンで、ドーパミン、ノルアドレナリン、アドレナリンの3種が知られています。ドーパミンによる神経経路がいくつか存在し、脳内の各部位に投射され、欲や認知能力に影響を与えています。

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図1 Arisia-Carrion et al,2010 International Archives of Medicine

 例を挙げると(図1)、中脳皮質投射では、腹側被蓋野から前頭前野の背外側前頭前野などを結んでおり、自己制御能力に影響を与えています。また、中脳辺縁系投射では、腹側被蓋野より大脳基底核や側坐核などを結んでおり、成功の喜びや達成感といった報酬系に関係しています。

 このようなドーパミン神経系を構成する要素のうち、運動野を結ぶ中脳皮質投射に関連するものとして、カテコール-O-メチルトランスフェラーゼ(COMT)というドーパミンの不活性化に関わる酵素が存在します。

 COMTは、ドーパミンを分解することでドーパミン神経系の活動を調整する役割を担っています。遺伝子座位の158番目の配列がコードするアミノ酸が、バリンからメチオニンへ置換される一塩基多型が存在しますが、メチオニン型のCOMTでは、ドーパミンを分解する酵素活性がバリン型に比べて3〜4分の1に抑えられることが明らかになっています。

 ドーパミン神経活動は、動機づけ、自己制御能力と深く関係していることから、この一塩基多型が、それらの個人差に関連する可能性が示唆されており、報酬のあるタスクに対しては、メチオニンホモ多型群(Met/Met)が高い応答性を示すことが分かっています。

2. ドーパミン不活性化能力の違いと競技力の関係を検証

 本研究では、COMT遺伝子多型によるドーパミンを分解する能力と、アスリートの競技力との関係について分析をおこないました。

 被験者は大学生競泳選手57名(世界ランキング30位以内の選手7名を含む)とし、競技力の指標としてFINA Point(世界記録が最高点の1000点となる公式に個々のタイムを当てはめてポイント化)を用いて各被験者の競技力を数値化しました。

 被験者の遺伝子多型は表1に示す通りとなりました。

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表1 COMTの遺伝子多型分布

 遺伝子多型別の群分については、先行研究の分類方法に倣い、ドーパミン酵素活性の高いバリン型のみを保有する群(Val/Val)と、その活性が3〜4分の1となるメチオニン型を保有する群(Val/Met , Met/Met)に分類しました。

 各群におけるFINA Point平均値を比較し、競技力の差を分析したところ、メチオニン型保有群が有意に高い値を示し、メチオニン型保有群の方が競技力は高いことを示す結果(図2)となりました。

図2 COMT遺伝子多型 群別における競技力の比較

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* P < 0.05 for the group difference.

3. ドーパミン量増大が競技力を向上させた

 COMT遺伝子多型は、ドーパミン神経系の活動を修飾する特徴(COMT遺伝子多型においてはドーパミンを抑制する力の強弱)があり、その遺伝子多型によるドーパミン抑制力の差異が競泳の競技成績に影響を及ぼすことが示唆されました。これは、認知能力に関連するCOMT遺伝子多型が競泳において競技力を規定することが、ある程度可能であるということを示しています。

 先行研究では、メチオニン型を有する場合の脳内ではドーパミンの抑制力が弱いことからドーパミン量が増大するとされ、その結果としてドーパミン作動性神経が豊富に分布する背外側前頭前野の機能が高まるとの報告(1)があります。

 背外側前頭前野へのドーパミン投射は、脳幹の背側にある腹側被蓋野よりおこなわれており、この腹側被蓋野のドーパミン神経は報酬・目標志向型の行動の際に中心的な役割を担っています。

 これをアスリートが試合をする際の状況にあてはめてみると、ライバルとの勝負に対する期待と不安、自己記録への挑戦といった感情に大きく関与しているものと考えられます。

 また、背外側前頭前野は感情抑制や自己制御を司る部位であり、ドーパミン量が増大する場合、自己制御能力の亢進が起こります。

 本研究において、メチオニン型保有群では競技力が高いという結果が示されたのは、前述した競技をする状況下で受ける諸々の期待と不安に対して、自身をしっかりとコントロールできた影響があると考えられます。

 さらに補足として、本研究の被験者には世界ランキング30位以内に入るエリートアスリートが7名いました。この7名のうち、6名がメチオニン型保有群であり、エリートアスリートの被験者にはメチオニン型保有者が多い傾向にありました。

 このことからも、総じて競技レベルが高くなるほどにメチオニン型保有群の割合は高くなるのではないかということが推察されます。

4. 現場に生きる知見に

 本研究における被験者は男子競泳選手のみでした。先行研究では、ドーパミン代謝やCOMT遺伝子多型の神経機能や行動には性差も影響があるとの報告(2) (3)があります。

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図3 腹側線条体のドーパミン放出

 図3は、先行研究による男女別の腹側線条体からのドーパミン放出量について示しています。女性は男性に比べると放出量が少ないことから、性差によって結果が異なる可能性が考えられるため、女子アスリートを被験者とした検討もおこなう必要があるでしょう。

 また、このCOMT遺伝子多型と競技成績における知見が他の競技スポーツにおいても影響を及ぼしていることを明らかにするため、柔道やレスリング、サッカー、アーティスティックスイミングといった日本人選手が世界でも活躍をする競技スポーツについて、個人競技・団体競技という視点も含めて、同様な知見が得られるのかを研究していくことが重要であると考えます。

 本研究では、認知能力に影響を及ぼすCOMT遺伝子多型と、男子競泳選手の競技力の関係について検討し、COMT遺伝子多型は、競技成績に影響を与える心理的因子の遺伝的基盤となることが示唆されました(4)

 遺伝子による決定的な診断はありえませんが、アスリートへのアプローチとしてどのようなことが発展的に考えられるのか、個々の特性・傾向としてその知見を活用することは、今後のスポーツ界全体の競技力向上に対する重要な要素になることを期待して、さらに知見を深めていきたいと思います。


【参考文献】

(1) Jaspar, M., Genon, S., Muto, V., Meyer, C., Manard, M., Dideberg, V., ... Collette, F. (2014). Modulating effect of COMT genotype on the brain regions underlying proactive control process during inhibition. Cortex; A Jounal Devoted to the Study of the Nervous System and Behavior, 50, 148-161. doi:1016/j.cortex.2013.06.003
(2) Laakso, A., Vilkman, H., Bergman, J., Haaparanta, M., Solin, O., Syvälahti, E., . . . Hietala, J. (2002). Sex differences in striatal presynaptic dopamine synthesis capacity in healthy subjects. Biological Psychiatry, 52(7), 759- 763. doi:1016/S0006-3223(02)01369-0
(3) Munro, C. A., McCaul, M. E., Wong, D. F., Oswald, L. M., Zhou, Y., Brasic, J., . . . Wand, G. S.. (2006). Sex differences in striatal dopamine release in healthy adults. Biological Psychiatry, 59(10), 966-974. doi:1016/j. biopsych.2006.01.008
(4) Daisuke Abe, Hirokazu Doi, Taishi Asai, Mayuko Kimura, Tadashi Wada, Takaaki Matumoto, Kazuyuki Shinohara. (2018). Association between COMT Val158Met polymorphism and competition results of competitive swimmers. Journal of Sports Sciences, 36(4), 393-397. doi:10.1080/02640414.2017.1309058

阿部 太輔(あべ だいすけ)/中央大学理工学部助教
専門分野 ライフサイエンス、スポーツ科学、Sports science

埼玉県出身。1982年生まれ。2004年度中央大学経済学部卒業。2006年度国士舘大学大学院スポーツ・システム研究科修士課程(体育学)修了。2017年度長崎大学大学院医歯薬学総合研究科博士課程(医学)修了。中央大学理工学部助教(2019年〜)。中央大学保健体育研究所 研究員(2019年〜)。国士舘大学ウエルネス・リサーチセンター客員研究員(2023年〜)。中央大学水泳部コーチ(2007年〜)。

専門分野 スポーツ科学・スポーツ医学。

現在の研究課題は、アスリートにおける深部体温とパフォーマンスの関係について・高齢者のフレイル予防に関する調査・アスリートにおける遺伝子多型と競技力の関係など。