研究

日本企業の人事部門の企業内地位

島貫 智行(しまぬき ともゆき)/中央大学大学院戦略経営研究科教授
専門分野 人的資源管理論

1. 企業の人材戦略を担う人事部門

 私の専門分野である人的資源管理(Human Resource Management、略してHRM)論は、企業の人材活用を研究対象とする、経営学の一分野です。企業の経営目標の達成や持続的な企業価値の向上のために、人的資源を労働市場から確保し効果的に活用するという観点から研究が行われています。研究の蓄積をみると、人事制度や人事施策の設計内容や運用方法に関する研究が多くを占めており、従業員の採用や教育訓練、異動・配置転換、評価制度や賃金・昇進制度、労働時間管理、さらにはダイバーシティマネジメントやグローバル人事、ワークライフバランスなど、どのような人事制度・施策が従業員の生産性向上や定着促進につながるかを主要な研究課題としてきました。

 他方で、それらの人事制度・施策の設計・運用を担う人事部門や現場の管理者(ラインマネジャー)に関する研究もあります。HRMの専門部署である人事部門と、HRMを日常的に実践するラインマネジャーにはどのような役割があり、どのように両者の連携を図るのが効果的かといった課題です。また、人事部門が経営層においてどのような立ち位置にあるのかは、私の研究課題の一つでもあります。日本の研究の蓄積は少ないですが、経営環境の不確実性や複雑性が高まるなかで企業の経営戦略と人材戦略を連動させHRMを実践するためには、人事部門の企業内地位は重要な視点であり、注目する意義があると考えています。日本企業の人事部門の企業内地位はどのように変化しているのか、人事部門の地位の変化はHRMや雇用慣行にどのような変化をもたらしているのか、企業の業績や組織成果とどのように関連しているのかが、私の基本的な問題関心になります。

2. 人事部門の企業内地位の捉え方

 企業内地位とは、企業内で付与される権限や発揮する影響力を指し、海外の研究によれば、人事部門の企業内地位には大きく二つの捉え方があります。一つは、HRMの意思決定への関与です。人材戦略の策定や人事制度・施策の設計・運用における権限や影響力を、事業部門やラインマネジャーと比較し、どの程度人事部門の意向を反映できるかに注目します。日本企業を対象とした優れた研究が蓄積されており、概していえば、欧米や外資系企業では事業部門やラインマネジャーの権限や影響力が大きい「ライン分権」であるのに対して、日本企業では人事部門の権限や影響力が大きい「人事部集権」であることが示されています。

 もう一つは、経営の意思決定への関与であり、経営戦略の策定やM&A、事業の新設・撤退などの経営全般における権限や影響力を、他のコーポレート部門や事業部門と比較します。日本企業の研究は限定的ですが、貴重な研究としてJacoby(2005)の日米企業の比較研究があり、日本企業の人事部門が1980~1990年代には他部門よりも経営の意思決定に強い権限を持っていたことや、2000年頃には経営企画部門とマーケティング部門に次ぐ社内影響力があったことが示されています。しかしそれ以降は、研究がほとんど蓄積されていません。こうした研究動向をふまえて、私は経営の意思決定への関与から日本企業の人事部門の企業内地位を捉える研究を進めています。

3. 人事部門の企業内地位の変化

 経営の意思決定への関与から人事部門の企業内地位を捉える研究の代表的な指標は、人事部門長が取締役会の一員であるか否かという点です。取締役会は、株式会社における意思決定機関であり、経営や業務執行に関わる重要事項が決定されます。したがって、人事部門長が取締役会の一員である企業では、そうでない企業よりも人事部門が経営の意思決定に関与できるとみて、人事部門の企業内地位が高いと考えるのです。

 私の研究の一部を紹介すると、1990~2015年に継続して上場している企業884社の取締役のデータを用いて、人事部門長が取締役である企業の割合を集計しました(島貫, 2016)。比較対象として、経営企画部門長と財務部門長も取り上げています。すると、人事部門長が取締役である企業の割合は、1990年には5割でしたが、2015年には3割弱に大きく減少していました。その一方で、経営企画部門長が取締役の企業の割合は、1990年には人事部門長と同等の5割程度であり、2015年もその水準を維持し微増していました。また、財務部門長が取締役の企業の割合は、1990年の2割超から、2015年には2割5分程度に増加していました。これらの結果からは日本企業の過去25年間の全般的な傾向として、企業内地位を経営企画部門は高く維持し、財務部門は向上させている一方で、人事部門は大幅に低下させていることが示唆されます。今後は、人事部門の企業内地位の変化が企業の人事制度・施策や人事部門の機能・活動の変化とどのように関連しているかの研究が求められています(島貫, 2018)。

4. 「人的資本経営」は人事部門にとって好機となるか

 昨今の人事界隈のトレンドに「人的資本経営」があります。経済産業省が2020年に発表した「人材版伊藤レポート」によれば、日本企業が持続的に企業価値を向上させるためには、経営戦略と人材戦略を連動させる必要があり、人事部門長(Chief of Human Resource Officer:CHRO)が重要な役割を果たす存在であるとされています。同レポートの登場によって人事部門が脚光を浴びていますが、これが人事部門の企業内地位を高めるかは注視する必要があります。人事部門が自らの役割や社内外のステークホルダーへの貢献可能性を再定義し、人材戦略の変革やイノベーションの創出を主導して実現できれば、人事部門の企業内地位は再び向上するでしょう。しかし、変革やイノベーションが進まず企業価値への貢献が不十分とみなされれば、CHROや人事部門の一時的な脚光だけで地位はさらに低下し、経営企画部門や財務部門との社内影響力に大きな差ができることも考えられます。

 もっとも、経営企画部門や財務部門は人事部門にとって競争する関係ではなく、企業価値の向上のために協働するパートナーです。また、人事部門が戦略的役割を果たすには、経営企画部門や財務部門以外にも、デジタル部門や研究開発部門などの協力や、事業部門との連携が不可欠です。日本企業の人事部門が他部門と対等なパートナーとして企業経営に参画するために、「人的資本経営」というトレンドを好機として自己変革を進め、自らの企業内地位向上と企業の価値創造に結びつけていけるかに注目しています(島貫, 2023a, 2023b)。


参考文献

  • 島貫智行(2023a)「戦略人事の考え方」『一橋ビジネスレビュー』71(2), 98-105, 連載中.
  • 島貫智行(2023b)「「人的資本経営」と人的資源管理:「人材版伊藤レポート」からの示唆」『一橋ビジネスレビュー』71(1), 42-55.
  • 島貫智行(2018)「日本企業における人事部門の企業内地位」『日本労働研究雑誌』698, 15-27.
  • 島貫智行(2016)「日本企業の人事部門は強いのか─人事担当役員データの分析」2016年度組織学会研究発表大会報告論文.
  • Jacoby, S.M.(2005)The embedded corporation: Corporate governance and employment relations in Japan and the United States. Princeton, NJ: Princeton University Press.

島貫 智行(しまぬき ともゆき)/中央大学大学院戦略経営研究科教授
専門分野 人的資源管理論

慶應義塾大学法学部卒業。総合商社人事部門勤務を経て、一橋大学大学院商学研究科博士後期課程単位取得退学。一橋大学博士(商学)。一橋大学大学院商学研究科専任講師・准教授、同経営管理研究科教授などを経て現職。

専門は人的資源管理論。主な研究テーマは、経営戦略と連動した人材マネジメント、組織再編・グループ経営における人材マネジメント、人事部門の戦略的役割などである。

主な著書に『グラフィック ヒューマン・リソース・マネジメント』(新世社, 共編著, 2023年)、『1からの人的資源管理』(碩学舎, 共編著, 2022年)、『派遣労働という働き方-市場と組織の間隙』(有斐閣, 2017年, 組織学会高宮賞・日本労務学会学術賞)などがある。