研究

わたし達の(もう一つの)法の世界

堤 和通(つつみ かずみち)/中央大学総合政策学部教授
専攻分野 刑事法、法政策学

映画『アイ・イン・ザ・スカイ』

 数年前の映画『アイ・イン・ザ・スカイ』[1]は、テロリストによる自爆テロを目前にしたドローン攻撃を描く。統合司令部とドローン操縦士、現地工作員を交えた作戦実行に、交戦規定の解釈、閣僚の政治責任、国際関係といった複雑な要素が絡み合う様が主テーマであるが、これは現地ケニアと英米との合同作戦であり、ドローンはネバダ州の米軍基地で操縦されている。

 映画では合同作戦の経緯は描かれないが、ケニアでのアメリカ合衆国の対テロ作戦は2001年に始まる対テロ戦争に淵源がある。同年の9.11テロの後に、米国議会が行った決議(AUMF)は武力行使を承認するものであるが、それは、9.11のテロ攻撃を「計画し、承認し、実行し、若しくは援助したことを大統領が認定した国、組織、若しくは人、又は、そのような組織若しくは人を匿っていると大統領が認定した国、組織、若しくは人に対し、そのような国、組織、若しくは人による将来の国際テロ行為からアメリカ合衆国を守るために必要かつ妥当なすべての実力を行使すること」を大統領の権限として承認するものであった。この決議は国に対するものにとどまらず、テロ攻撃に責任がある組織や人に対する武力行使を承認する。決議の文言には、9.11のテロ攻撃に責任があるという限定があるのに対し、現実の武力行使がこの限定を無視しているという批判は従来から加えられている。この決議が武力行使の承認に付した、テロ攻撃に責任あるという(前半部分の)限定付けは、将来に見込まれる望ましいことが(後半部分で)目的として設定されているために、目的遂行をより優先して運用されることでその限定が蔑ろにされる虞を孕んだものであった。武力行使への批判は決議のこのような運用に向けられているものといえる[2]

 かくして、対テロ戦争の武力行使は特定の国に対するものに止まらず、組織や人に及ぶだけでなく、その対象はテロ攻撃を行ったことに責任がなくても、将来のテロ攻撃を止めるのに武力行使を要する組織、人にまで及ぶこととなった。もっとも、映画の舞台であるケニアについては、軍事訓練と支援、並びに軍事演習が報告されている一方で、航空機やドローンでの攻撃は報告されていない[3]

わたし達の世界

 法学には多様なスタイルがあるが、そのうちの一つに主導的な視点を提示した法学者として、ロバート・カヴァーを挙げることができる。カヴァーによれば、質量、エネルギー、運動量といった物理界がわたし達の世界であるのと同様に、法はわたし達の世界である。法はわたし達が遵守を求められるルールの体系であると同時に、わたし達が生きる世界でもある[4]。このうち、法がわたし達に遵守が求められるルールの体系であるというのは、いろいろなかたちで論じられてきた。H.L.A.ハートは、「金を出せ」という銃口を突き付けた強盗の要求が法とはいえないことを、この要求には永続性という法の在り方が認められないことから論じ、社会学者のギデンズは、法廷での刑の言渡しの手続きにおける弁護人、検察官、裁判官の遣り取りから、ひとり一人の言動が一定の構造を備える法実務を維持させるものであることを説明する。法が永続性を備えた規範の体系、あるいは、一定の構造を備えた実務、慣行を形成し維持するものであることは、上述の映画で、米軍がケニア上空のドローンの操縦に携わっていることが違和感なく受け止められることを説明してくれる。

わたし達のもう一つの世界

 カヴァーによれば、法は遵守を求められるルールの体系であるだけでなく、わたし達が生きる世界でもある。カヴァーが説くように、「日曜の午前遅くまで寝ていることと聖餐式を守らないこと、スナックを食べることと(断食を行うヨム・キプルの)贖罪の日を汚すこと」とは違う。寝ていることや食事をとることは、聖餐式や断食に関する宗教の教えが要求するところに照らせば、別の意味を持つ。法がわたしたちの行為に与える意味は、抵抗や不服従だけでなく、服従、歓待、闘争、曲解、嘲笑、面目の失墜、敬意などが挙げられる[5]

 カヴァーの論稿には、奴隷解放をめぐる歴史、とりわけ、奴隷制度廃止運動家のウイリアム・ロイド・ギャリソンと一時袂を分かつことになるフレデリック・ダグラスの活躍が描かれる。ダグラスは、逃亡の末奴隷の身分を脱した当初、合衆国憲法が奴隷制を容認しているという立場の奴隷廃止論者と同じ見解であったのに対し、ジャーナルの発行と様々な廃止論者との議論の重ねる中で、「より完全な結合を形成し」「正義を樹立し」「自由の恵沢を確保する」目的(憲法前文)で制定された憲法が奴隷制の維持・永続を狙いとしていたはずはない、という結論に至る。「アメリカの奴隷制の秩序全体が法に基礎づけを欠くもう一つの世界」というヴィジョンを得るに至ったのである[6]

 AUMFに関しては、決議があった議会で演説し唯一反対票を投じたバーバラ・リー下院議員の立場はもう一つの世界を描くものであった。この反対票は、9.11の衝撃の中にあって重大な決定を下すのが困難なときに、武力行使に関する議会の責任を放棄して、9.11に関係があると大統領が認定する相手に対する武力行使をどこまでも許し、自分たちが慨嘆する悪に自分たち自身がなってはならない、という判断から投じらた[7]。武力行使に関するヴィジョンからのAUMFへの異論といえる。

"We all live in a normative world." 

 ビートルズのイエローサブマリンでは潜水艦の船乗りであった者が経験を語り、 "We all live in a yellow submarine."と歌う。潜水艦は紺碧の海が見つかるまで乗船したという。カヴァーが教えるところでは、法はわたし達の世界であり、その法にどのような自覚的な態度でいるかが問われている[8]。イエローサブマリンに倣えば、 "We all live in a normative world."といえるだろう。法への自覚的な態度次第で、わたし達の世界が変わることが論じられている。


[1] 映画『アイ・イン・ザ・スカイ世界一安全な戦場』ギャヴィン・フッド監督(エンターテインメント・ワン、レインドッグ・フィルムズ、2015年)。

[2] Congressional Research Service, 2001 Authorization for Use of Military Force: Issues Concerning Its Continued Application, p. 10, April 14, 2015. 戦場から離れたところで対テロのドローン攻撃を加えることは、AUMF下の活動と政策として論争が多い三つの問題の一つにあがっている。

[3] Stephanie Savell, Costs of War: The 2001 AUMF: A Comprehensive Look at Where and How It Has Been Used (Watson Institute for International and Public Affairs, 2021) (https://watson.brown.edu/costsof war/papers/2021/2001AUMF ).

[4] Robert Cover, Nomos and Narrative, in Martha Minow, Michael Ryan and Austin Sarat, ed., Narrative, Violence, and the Law: The Essays of Robert Cover, pp. 96-7, University of Michigan Press (1995).

[5] Cover, note 4, pp. 99-100.

[6] Ibid., p. 137. ダグラスのヴィジョンにとって、奴隷が人間であること、そうであるにもかかわらず法律がこれを動産に貶めているという認識があったことは重要であろう。米山正文「フレデリック・ダグラス自伝(1855)におけるManhood -19世紀アフリカ系アメリカ人作家と人種偏見」宇都宮大学国際学部研究論集43号91-106頁(2016)参照。ダグラスはまた、奴隷制の違憲性を自然法から説く法学者(Lysander Spooner)から学んでいる。

[7] Democracy Now, Rep. Barbara Lee, Who Cast Sole Vote After 9/11 Against "Forever Watrs," on Need for Afghan War Inquiry, September 10, 2021, https://www.democracynow.org/2021/9/10/barbara_lee_2001_vote_against_war

[8] 法と文学のアプローチは法律問題を扱う文学・文芸に見出されるもう一つの世界を論じる。学部の授業科目「法と文学」で取り上げる『アラバマ物語』(ロバート・マリガン監督(アラン・J・パクラ製作(1962年)、原作はハーパー・リー(菊池重三郎訳)『アラバマ物語』暮しの手帖社(2016年))は、刑事裁判での人種差別の解消に傾注するもう一つの世界を想像させる。

堤 和通(つつみ かずみち)/中央大学総合政策学部教授
専攻分野 刑事法、法政策学

1960年福岡県生まれ。中央大学法学部卒、法学研究科博士前期課程修了・後期課程単位取得。法学博士(中央大学)。中央大学総合政策学部専任講師・助教授を経て2002年より現職。

専攻分野は刑事法、法政策学。

研究課題は刑罰の意義と限界を見極め、ひとり一人の自敬と自己実現の領域が等しく最大化するのに適した規範を問い、それに適う制度設計に何が必要かを探ること。

編著『米国刑事判例の動向Ⅷ』中央大学出版部(2022年)、単著『刑事司法の展開 応報的正義と法政策』信山社(2022年)など。

日本刑法学会、日本被害者学会(理事)、警察政策学会所属。