研究

市場の質理論から生成AIを考えてみる

古川 雄一(ふるかわ ゆういち)/中央大学経済学部教授
専門分野 理論経済学

 ChatGPTに代表される生成AI (artificial intelligence、人工知能) が、世間をにぎわしています。[i] 私の専門分野である経済学においても同様です。例えば、現代を代表する経済学者の一人であるMassachusetts Institute of Technologyのアセモグル教授は、次のような懸念を表明しています:[ii] AIは人間から仕事を奪い、主体性 (agency)を奪いつつある。[iii] 他方、2010年のノーベル経済学賞受賞者であるLondon School of Economicsのピサデリス教授は、AI進化は「週4労働」に移行する手助けになりうると主張し、生成AIが最終的に労働生産性を高めることについて、自身は楽観的であると述べています。[iv]これらの意見は必ずしも矛盾しませんが、経済学者の間でも、明確なコンセンサスが形成されているとはいいがたい状況です。

生成AIの台頭によって、市場経済の機能が低下している

 最近になって、生成AIによる問題が、現実問題として、犯罪被害という形で広がりつつあります。最近になって、AIで生成された極めて質の低い旅行ガイドブックがAmazon内に多く出品されるという新手の出版詐欺の発生を、ニューヨークタイムズ紙などが報じています。[v]また東京新聞の記事によれば、AIによって写真や動画、音声を生成し本物のように加工する「ディープフェイク」と呼ばれる技術を使った、なりすまし詐欺が中国で多発しているという話もあります。さらに米国において、生成AIが著作権で保護されたテキストを無断で使用しているとして、知的財産権侵害を訴えるアーティストによる集団訴訟が次々と起こり始めています。[vi]

 このような混乱はしばらくつづくと思われますが、歴史的にみると、ChatGPTにまつわる現代経済の混乱は、それほど特異な状況とは言えないかもしれません。

技術革新は、社会経済をひとたび混乱させる ―市場の質理論―

 私の大学時代の指導教授であり、長年の共同研究者でもある矢野誠氏 (京都大学経済研究所特任教授) が提唱する市場の質理論によれば、[vii]人類が少なくとも3回は経験してきた過去の産業革命の際も、その発生時には、一時的に市場の質が低下し、低成長・経済停滞をもたらしています。

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 現在、わたしたちが「第四次」産業革命に直面しているという考え方は、一部の研究者のみならず、我が国の政策担当者の間で広く共有されています。AIは、第四次産業革命の核となる技術であり、数年前に想定していた通り、[viii]あるいは想定を超えるスピードで発展し続けています。市場の質理論に従えば、ChatGPTに代表されるAI技術のような大きなイノベーションによって、市場の質が低下し、社会が一時的に混乱するのは、 経済法則に沿った自然な現象とみることができます。

停滞は克服することができる

 では、市場低質化による経済停滞を避けるため、AI技術の開発・利用に待ったをかけるべきでしょうか。経済学的に考えれば、「生成AIを仕事で活用することに賛成ですか、反対ですか」のような過度に単純化された二者択一的問題設定を避け、AI技術が高度に進化する近未来を見据えて、どのようにAIを社会実装 (実社会で活用) すれば社会にとって望ましいのか、また、将来起こりうるAI導入に起因する失業や低賃金に対応するセーフティネットの枠組みなどについて議論を深めておくべきです。

 歴史を振り返ってみましょう。上の産業革命サイクルの図にあるように、過去、産業革命によって停滞した世界経済は、法制度の整備 (第一次産業革命の際は労働法、第二次産業革命の際は競争法、証券法...) などによって高質な市場をとりもどし、一時的な混乱から脱して、さらなる技術進歩、経済発展を続けてきました。この歴史観察の裏側にあるメカニズムは、矢野教授と私がProceedings of the National Academy of Sciences (米国科学アカデミー紀要)に発表した研究 (Yano and Furukawa 2023) によって、理論的にも明らかにされています。[ix]これらに基づいて考えれば、もし生成AIが現代社会を混乱させたとしても、適切な法制度・政策をデザインすることによって、それは克服できるはずです。

技術進歩の方向性理

 そのためのカギとして、上に登場したアセモグル教授の「技術進歩の方向性」に関する研究を紹介します。研究の詳細はここでは省きますが、 核となる考え方は: 技術はある一定の方向をもって進歩している、というものです。では、技術が進んでいく方向には、具体的にどのようなものがあるのか。もとの研究では、労働者の有する (専門的な) スキル・技能にフォーカスしているのですが、ここまでの文脈にそって私なりに説明するなら、それまで人間が行っていた仕事 (労働) に取って代わるように技術が進歩していくタイプ (労働代替的) と、それとは対照的に、労働の質向上の助けとなって労働生産性を高めるように進歩していくタイプ (労働補完的) のような2つの異なる方向性を考えることができます。[x]

 生成AIに絡めて、それぞれの例を挙げるとすれば (わかりやすさを重視し、誤解を恐れず極端な例を考えます)、前者は、これまで1時間かけて作成していた報告書を、クオリティはそのままに、ChatGPTを利用して10分で作成できるようになる。後者は、1時間という時間はそのままに、ChatGPTを利用して、報告書の質を高める、ということができます。前者の労働代替的な技術進歩の場合、AIが既存の労働にとってかわっただけなので、[xi]AIの進化が失業を生んだり、人間から主体性 (agency) を奪ったりする可能性があります。

 この考え方と市場の質理論に基づけば、冒頭で紹介したアセモグル教授とピサデリス教授の見解から、 次のようなメッセージをくみ取ってもよいでしょう: AI技術の進歩を労働補完的に方向づけるような共通認識の醸成と、それをサポートする望ましいルール設計によって、 人間の主体性 (agency) と労働生産性向上の両立を目指すことが重要である。

結語にかえて ~文化慣習の経済学~

 ルール設計や法制度のデザインと言っても、言うは易く行うは難し、です。市場の質理論の基本命題の1つに「適切な市場インフラのコーディネーションが、高質な市場の必要条件である」というものがあります(Yano 2009)。ここでいう市場インフラとは、法制度を核に、文化、慣習、価値観といった、人々の市場での活動をとりまくさまざまな要因を含む複合的な概念なのですが、この基本命題は、単に法律を作って終わり、ということではなく、どうしたら法律がうまく機能するかについて、事前に想定することの大切さを示唆しています。 市場インフラはさまざまな要素を含みますが、その中でも私は特に、文化・国民性に注目しています。

 最近 Macroeconomic Dynamics 誌に発表したTat-kei Lai氏 (IESEG School of Management Paris准教授)と佐藤健治氏 (大阪公立大学准教授)との共同研究において (Furukawa, Lai, and Sato 2023)、人々の「新しいモノ好き」な文化・国民性が、技術進歩のスピードや方向性に重要な役割を果たしていることを、理論・データ分析両面から、明らかにしました。このことは、文化・慣習の異なる外国で成功した制度・政策設計をそのまま我が国に導入しても機能しない可能性を指し示していると考えています。AI技術はどのような方向性をもって発展したらよいのか、どのように社会実装するのが人々にとって望ましいのか、そういった議論においても、 国家あるいは地域特有の文化・慣習とのコーディネーションに留意することが重要だと思います。


[i] 私の属する大学業界においても同様です。各大学によって暫定的なAI使用ルールの構築・公表が進んでおり、例えば、東京大学は2023年5月26日付で、生成AIツールの利用に関する暫定的なルールを公開しています。暫定、という語が象徴しているように、個人レベルにおいては、原則禁止すべきという立場から、(一定の制約つきで) AI利用をむしろ推奨すべきという立場まで、考え方の幅は広く、議論はまだ続いています。
[ii] 広野彩子氏 (日経ビジネス副編集長)によるインタビュー記事『「人間の主体性奪うAI開発を抑制せよ」MITアセモグル教授の警鐘』。 日経ビジネス「グローバル・インテリジェンス」(2023年5月12日)。
[iii] この種の意見は、自然科学の側からも提出されています。例えば、世界的に知られる物理学者のスティーブン・ホーキング氏 (1942-2018) は、死去の前年にあたる2017年に行われたWIRED誌とのインタビューにおいて、AIが完全に人類に取って代わる可能性に言及していました: "Stephen Hawking: `I fear AI may replace humans altogether,'" João Medeiros, WIRED (2017年11月28日)。
[iv] "ChatGPT could finally turn workers' 4-day week dream into reality, says Nobel Prize-winning economist," Fortune オンライン版 (2023年4月5日)。
[v] "A New Frontier for Travel Scammers: A.I.-Generated Guidebooks," Seth Kugel and Stephen Hiltner, New York Times オンライン版 (2023年8月5日)。
[vi] "Michael Chabon, Other Literary Giants Sue OpenAI Over Alleged Copyright Infringement," Cyrus Farivar, Forbes オンライン版 (2023年9月11日)。
[vii] Yano (2009)。市場の質理論の一般向け解説としては、矢野教授の著書 (矢野 2005) や、私が経済産業研究所のファカルティ・フェローを務めていた際に書いた拙稿などがあります。
[viii] 2016年の内閣府による『日本経済2016-2017』は、起こりつつある産業変化についてとして、AI発展について、詳細に検討していました。
[ix] Yano and Furukawa (2023)。同じ著者による一般向けの解説文もあります: 『産業革命サイクル生む「市場の質」 好循環生み出す政策を』。日経ビジネス「グローバル・インテリジェンス」(2023年5月19日)。
[x] この方向づけられた技術進歩(directed technical change) 理論については例えば、Acemoglu (1998, 2023) を参照してくださいなお、この分野は私の専門でもあります。例えば、University of Macau のAngus Chu 教授と University of St. GallenのGuido Gozzi 教授 との共同プロジェクトにおいて、米中関係における技術進歩の方向性に関する研究を発表しています (Chu, Cozzi, and Furukawa 2015)。
[xi] もちろん、この例における労働代替的なケースでも、「時短」が生み出した 50分間を活かして、例えば、英語の学習をしたり、社会人大学院に通ったり、新商品・企画のアイディアを生み出したり......将来の生産性向上につながる投資を行えるのであれば、それは失業や主体性の喪失につながらないはずです。この場合は、広い意味において、AI技術が労働補完的に社会実装されているといえるかもしれません。なお、Acemoglu and Restorepo 2018)は、狭い意味での労働代替的なAI進歩であっても、長期的な失業を生み出さない可能性について理論的に検討しています。この文脈において、前述の矢野教授と私の論文では (Yano and Furukawa 2020)、人間のインプットなしに自己増殖的に拡大するAIという新たな視点を導入しています。


【参考文献】

・Acemoglu, D. (1998) "Why do new technologies complement skills? Directed technical change and wage inequality," Quarterly Journal of Economics 113, 1055-1089.
・Acemoglu, D. (2023) "Distorted innovation: Does the market get the direction of technology right?" American Economic Review Papers and Proceedings 113, 1-28.
・Acemoglu, D., and P. Restrepo (2018) "The race between man and machine: Implications of technology for growth, factor shares and employment," American Economic Review 108, 1488-1542.
・Chu, A., G. Cozzi, and Y. Furukawa (2015) "Effects of Economic Development in China on Skill-Biased Technical Change in the US," Review of Economic Dynamics 18, 227-242.
・Furukawa, Y., Tat-kei Lai, and Kenji Sato (2023) "Love of Novelty: A Source of Innovation-Based Growth... or Underdevelopment Traps?" Macroeconomic Dynamics, forthcoming.
・Yano, M., (2009) "The Foundation of Market Quality Economics," Japanese Economic Review 60, 1-32.
・Yano, M., and Y. Furukawa (2020) "Economic Black Holes and Labor Singularities in the Presence of Self-replicating Artificial Intelligence," RIETI Discussion Paper Series 20-E-009, February 2020.
・Yano, M., and Y. Furukawa (2023) "Two-Dimensional Constrained Chaos and Industrial Revolution Cycles," Proceedings of the National Academy of Sciences 120 (5), e2117497120.
・矢野誠 (2005) 『「質の時代」のシステム改革―良い市場とは何か?』, 岩波書店.

古川 雄一(ふるかわ ゆういち)/中央大学経済学部教授
専門分野 理論経済学

1977年生まれ。2000年慶應義塾大学経済学部卒業、2005年に横浜国立大学国際社会科学研究科にて博士号 (経済学)を取得。中京大学経済学部教授、愛知大学経済学部教授などを経て2022年から現職。

2022年6月まで (独)経済産業研究所ファカルティー・フェロー。2019年、日本国際経済学会より特定領域研究奨励賞(小田賞)を受賞。2019年より国際的学術雑誌Economic Modelling誌やInternational Journal of Economic Theory誌の編集に携わる。

専門はマクロ経済学。最近は特に、文化がイノベーションに与える影響や、超長期的な経済変動に関心がある。

主要著書は『市場の質と現代経済』(編著, 勁草書房, 2016年)。