縦横無尽に心を研究する
髙瀨 堅吉(たかせ けんきち)/中央大学文学部教授
専門分野 発達生物心理学、臨床発達心理学
よく言えば二刀流
私の専門は発達生物心理学と臨床発達心理学です。発達生物心理学は心の発達の生物学的基盤を調べる学問です。臨床発達心理学は人の発達・成長・加齢に寄り添い、必要とされる援助を提供するための学問です。学生に自分の専門を伝える際にはこれら2つを合わせて「発達心理学が専門です」と言っています。
研究では、発達生物心理学の研究テーマとして、「心の性差が発達過程で生じるメカニズム」、「有病率に性差がある精神神経疾患の原因」を調べています。また、臨床発達心理学の研究テーマとして、「若者、養育者、高齢者の孤立・孤独の調査」、「孤立・孤独を解消する心理支援システムの開発」を行っています。昔から、何か一つのことをとことん極めるということが不得手だった私は、原理を追求する発達生物心理学の基礎研究と、社会への実装を目指す臨床発達心理学の応用研究という、2つの異なるタイプの研究を行っています。よく言えば二刀流ですが、悪く言えば中途半端な立ち位置で研究を行っているとも言えます。そして、最近では理論研究も開始し、二刀流が三刀流になりました。
小さい頃に周囲から「落ち着きがない」と言われ、自分でも「1つのことを極める根性がない」と反省の日々を繰り返し、気がつけば40代半ばを迎えていました。30代は自分の性格に嫌気がさして落ち込むことが多かったのですが、最近では落ち着きのなさや根性のなさに開き直ることができて、心について幅広く研究できている今の自分にとても満足しています。この記事を読んでくれている方が、どのような方たちなのかは想像がつきませんが、せっかく機会を頂いたので、「心」という研究領域を奔放に駆け回りながら行っている私の研究をいくつか紹介できればと思います。
遺伝子改変マウスを活用して、有病率に性差がある精神神経疾患の原因を明らかにする
遺伝子改変マウスは、特定の遺伝子を変異させることで精神神経疾患に類似した症状を示すモデルとして作られています。研究の目的に応じて、どの遺伝子改変マウスを使用するか、どのような行動実験を行うかなどをまず検討します。例えば、うつ病は男性に比べて女性で2倍ほど有病率が高い精神神経疾患です。この病気に関連する遺伝子変異を持つマウスを対象に行動実験や神経生物学的な解析を行うことで、うつ病の病態生理を詳しく探ることができます。うつ病に関連する行動特性をマウスで測定するには、強制水泳テストと呼ばれる抑うつ気分を調べるテストを行い、さらに、他のマウスとの交流に変化がないかを調べる目的でマウスの社会行動の評価を行います。神経生物学的な解析では、脳組織の切片を用いた免疫染色や分子生物学的な手法を使用します。これらの実験結果は、うつ病の病態生理を理解する上で重要な情報源となります。こうした研究手法を用いて、最近、うつ病については免疫関連物質がその原因として想定されることを発見しました[1]。また、男児で有病率が4倍ほど高い自閉症スペクトラム障害の原因も、同様の手法で明らかにしつつあります。精神神経疾患は、患者やその家族に大きな苦痛をもたらし、経済的負担も大きい疾患です。遺伝子改変マウスを使用することで、疾患の原因や発症メカニズムを理解するための貴重な情報を得ることが可能となり、疾患の予防や治療法の開発に向けた基盤を築くことができます。これは、社会的に非常に重要な意義を持ちます。遺伝子改変マウスを使って心の研究を進めるという切り口は新しく聴こえるかもしれませんが、動物を対象とした行動実験は、実は心理学の創成期から使われている古典的な手法です。そのため、同じ業界にいる方からすると、随分とクラシカルな研究をやっているなという印象を持たれるかもしれません。
生成AIを活用して、心理支援システムを構築する
発達生物心理学の基礎研究では古典的な手法を使いますが、社会実装を目指す臨床発達心理学の実証研究では、最新の技術を取り入れることで、より効果的な心理支援システムの開発を目指しています。その最新の技術の一つが生成AIであるChatGPTです。ChatGPTは、OpenAIによって開発された大規模な自然言語処理モデルで、ユーザーとの対話を通じて自然なテキスト生成や応答を行うことができます。さらに、様々なトピックや質問に関する情報を学習し、その知識をもとにユーザーとの会話を進めます。その際、文脈や前後の文を考慮し、自然な文体で回答を生成するのが特徴です。この技術は様々な用途に利用することができます。例えば、一般的な質問への回答や情報提供、文書の要約、文章の改善提案、クリエイティブな文章生成などが挙げられます。また、教育やカスタマーサポート、自動チャットボットなど、インタラクティブな対話、インタフェースを必要とするアプリケーションにも適用することができます。ChatGPTは、大量のトレーニングデータと高性能なニューラルネットワークに基づいており、自然な文の生成や意味の理解において高い精度を持っています。こうしたChatGPTの有用性に着目し、私は母親のwell-being実現のためにChatGPTを活用する実証研究を始めました。この研究では、育児中の母親同士(母親コミュニティ)で子育ての悩みの解決や情報交換を行い、その母親コミュニティのファシリテーターとしてChatGPTを活用します。母親たちの育児相談によいアドバイスを与えてくれる相談役としてChatGPTを置くのです。ただし、ChatGPTだけでは心もとないので、潜在保育士が各コミュニティに参加し、ChatGPTの機能ではカバーしきれない相談内容に対応します。潜在保育士は事情があって現場を退いた方たちですが、自宅からでも参加可能なオンラインの活躍の場があれば、その能力を十分に活かすことができます。私は生成AIという先端技術を使うだけでなく、社会に眠る潜在人材が活躍する場をオンラインで提供することで、母親の育児不安低減、潜在保育士の社会参画意識向上に有効性を示す「エビデンスに基づく育児支援環境」を構築することを目指しています[2]。この実証研究では、サービスの利用前後の育児中の母親の心理状態の変化ならびに、復職した保育士の専門性の向上を、標準化された心理測定尺度を用いて定量的に調べます。今の社会に心理支援を謳うシステムは数多いのですが、そのシステムの有効性の検証はほとんど為されていません。ここに科学の視点を入れ、エビデンスを積み重ねることで、安全・安心な心理支援システムの開発・普及を進めていきたいと思っています。
自分の欠点が与えてくれた、人生のFUN(楽しみ)
このように、私はマウスの行動実験のように古典的な心理学の手法を使うだけでなく、生成AIのような先端技術も導入することで、これまでにない心理学研究を展開できています。過去の研究者たちが積み重ねた蓄積に感謝しながら、新しく生まれてくる技術を抵抗感なく取り入れ、新たな発見とイノベーションを追求して、心理学研究の古典と未来、基礎と応用を行き来しています。「縦横無尽に心を研究する」この旅がどこに行きつくのかはわかりません。ただ一つわかっていることは、変わりゆく社会の中で変わらないものを大切にしながら、新たな出会いに恵まれるこの旅路は、とても楽しいということです。落ち着きがないこと、根性がないことは、私の残りの人生に、とても素晴らしいFUNをもたらしてくれました。
[1] Kikuchi M, Takase K*, Hayakawa M, Hayakawa H, Tominaga SI, Ohmori T. Altered behavior in mice overexpressing soluble ST2. Molecular brain 13(1) 74. *corresponding author https://pubmed.ncbi.nlm.nih.gov/32393354/
[2] https://prtimes.jp/main/html/rd/p/000000006.000108540.html
髙瀨 堅吉(たかせ けんきち)/中央大学文学部教授
専門分野 発達生物心理学、臨床発達心理学神奈川県出身。1978年生まれ。2002年立命館大学文学部卒業。2004年横浜市立大学大学院医学研究科修士課程修了。2010年筑波大学大学院人間総合科学研究科 博士(行動科学)取得。横浜市立大学医学部助手・東邦大学医学部講師・自治医科大学医学部教授を経て2022年より現職。
日本学術会議若手アカデミー幹事、日本心理学会理事等を歴任。共創の場形成支援プログラム(COI-NEXT) 「若者の生きづらさを解消し高いウェルビーイングを実現するメタケアシティ共創拠点」において副プロジェクトリーダーを務め、仮想空間を通じた心理支援システムの構築にも尽力する。文部科学省科学技術・学術政策研究所客員研究官としてシチズンサイエンスの研究も行っている。