研究

IRLにおける住民の幸せと地域のコミュニケーション

倉田 紀子(くらた のりこ)/中央大学国際経営学部准教授  
専門分野 公共政策、地方自治論

私の研究

 私は、大学教員になる前、15年以上にわたって基礎自治体に勤務していました。

 国の省庁や県庁などでは、政策の担当部署は気軽に訪問できる場所ではなく、建物に入る際に身分証の提示や、事前予約が必要です。メールやウェブで国や都道府県に自分の意見を伝えることはできますが、それはデジタルでの文字情報です。言うなれば、バーチャルな世界です。

 一方、市町村の地方公務員は、住民にもっとも身近な行政機関として、地域の生活者とリアルに接しながら公共政策を行います。市町村の役所には、誰でも担当部署にリアルにアクセスして話ができます。身近な行政は、役所が皆さんの家の近くにあるという位置だけではなく、常に住民の思いをリアルに聴く仕組みがあります。地域の生活を知るリアルな世界があるのです。このリアルな世界の中では、行政と住民とのコミュニケーションが、もっとも重要な役割を果たすと考えています。身近な存在ではあっても、相互に積極的な意思疎通を図る努力が必要です。

 地域の生活者である住民の皆さんは、それぞれ何かのプロフェッショナルであり、専門的な知識や生活する中で地域に関する知恵を持っています。基礎自治体の行政は、そのような知識や知恵を多く聴き、調整し、体系化していく場です。ですから、地域にかかわる時間と体力と興味があれば、住民の皆さんは、行政と積極的に連携して地域をつくっていくことができるのです。

 私は、公共政策や政策法務の視点から、基礎自治体の条例や各種の計画について研究しています。条例の制定には、議会での議決が必要なのはもちろんですが、住民が直接参画して原案が策定されるものもあります。計画の原案策定にも、住民が参画します。条例や計画には、その自治体の行政・議会・住民が何を重視したいのか、何を守りたいのかが表現されています。つまり、その自治体の文化が表現されるのです。[1][2][3]

 基礎自治体の最高位の計画である総合計画には、各自治体とも共通して掲げられる事があります。「誰もが」「安心して」「健康に」暮らせるまちであってほしい。この事は、日本の各地の住民に共通する究極の願いであり、幸せの形なのです。地方創生は、東京から地方への人口分散や地方の稼ぐ力の強化が強調されがちですが、最終的にはこの住民の願いに資するものなのです。このうち、私は「健康」に着目し、研究を行ってきました。[4][5]

「誰もが」

 現在、異次元の子育て支援が国策として掲げられていますが、国民は、近い未来だけではなく、遠い未来も見ています。子育て支援を受けられる世代で人生が終わるわけではありません。人生100年時代[6]と言われる中、自分や子どもの遠い未来に明るい見通しが持てないのでは、産む決断につながりにくいのではないでしょうか。「誰もが」という視点は、子どもも大人も、子育て世代も高齢者も、障がいのある人も外国人もということです。人生の時間軸の過程において、子どもが大人になり、子育て世代になり、高齢者になり、障がいを持つことになるかもしれないという変化があります。長い人生の中で、自分が変化しても安心して暮らせるのか、各自のレジリエンス(回復力・再起力)を公共政策がどのように支援するかが問われていると思います。

「安心して」

 「安心して」暮らせるかどうかについては、やはり人口減少が鍵になっているのではないでしょうか。地方でも都心でも空き家が増え、近隣に人の目がない状況が広がっています。昨今では、一般家庭を狙った凶悪な強盗事件や、高齢化や参加者不足により自治会の成立が困難になる地域もあります。「まち・ひと・しごと創生総合戦略」に示された地域で働く場を増やすことによって住民を増やすことも重要ですが、新しい住民と従来からの住民との間のコミュニケーションの構築は、不可欠です。

「健康に」

 住民の究極的な願いのひとつである健康は、予防医学の一環として、適度な運動が必要であることが知られています。運動ができる場を確保する政策には、各自治体とも力を入れています。昨今は、子どもがスポーツできる場を地域に確保しようとする動きもあります。スポーツ庁では、学校の教員が運動部の部活動に対応するには限界があるとして、地域に子どものスポーツの場を確保する地域移行を進めようとしています。

 学校は、子どもにとって唯一の社会となりがちで、学校で居場所がないと感じた場合には不登校につながることもあります。子どもが地域のスポーツの場に行くことで、教員の労働時間短縮だけではなく、子どもが居場所となるコミュニティを学校の外に見つけることができるという副次的な効果も見込めるかもしれません。そのような意味で、子どものウェルビーイング(肉体的・精神的・社会的な健康)の向上にもつながりそうです。さらに、地域の人とコミュニケーションを持つことで、子どもと大人が相互に知り合うことができ、防犯につながる可能性もあります。

 これまでは、同じ小学校に通う子どもがお互いの家に遊びに行くことで親同士も知り合いになることや、PTA活動を通じて親同士が知り合いになること等、子どもと小学校に関するナラティブ(自分を語ること)の共有が地域におけるコミュニケーションの中心的な起点となっていました。しかし、都心でも地方でも、子どもが減少している中で、従来とは異なる大人同士での起点が必要となっています。

 政策の策定への参画や政策の実施という言葉では、堅苦しいですし、草むしりや清掃という言葉では、真面目さが強く求められる印象です。もっと楽しい場であれば、多くの人が参加できるかもしれません。行動経済学でも言われているとおり、楽しさのような感情は、合理的な判断に勝るものであって、まちを救うという堅苦しい言葉よりも、多くの住民との協働を図る要素であると考えられます。

 例えば、都心であれば、市民農園を起点に考えてはどうでしょうか。きゅうりやトマトの成長を観察しながら、ああでもないこうでもないと、語り合う。近くで共同の調理場があれば、子ども食堂の拡大版のような大人も含めた地域食堂ができたら、野菜の成長や食事を楽しみ、ポジティブな感情と一体感を持って、食に関するナラティブを共有しながら、地域のコミュニケーションが自然に創られていきそうです。また、その場に大学生がかかわることができれば、一定の期間でメンバーが入れ替わるので多様性に満ちており、新しい楽しさを創るために貢献できそうです。

 私たちは、コロナ禍にあって、健康のありがたさや、地元で食料を確保することがいかに重要かを知ったはずです。単にコロナ前に戻るのではなく、多くの犠牲を払ったことから、発想を転換しなくてはならないはずです。デジタルでのコインやいいね!が沢山あっても、パンデミックの下では、リアルな食料は手に入りませんでした。人間が、現実の生活(IRL: In Real Life)における生き物であることを再認識したのではないでしょうか。私たちは、地元で地域の人々と共に生き続けられる環境を創ろうという気持ちを、強く持つべき時代を迎えたのではないでしょうか。


【参考文献】

[1] KURATA, Noriko et al.. Semi-Quantitative Analysis of How the Preambles in Ordinances Are Designed: Observing the Change of People's Motivation Towards "Inheritance" After the Great East Japan Earthquake. International Journal of Learning, Teaching and Educational Research.
[2] KURATA, Noriko et al.. Information Sharing and Administrative Planning: From Japan's Local Government Ordinances. International Conference on Sustainability, Energy & the Environment.
[3] KURATA, Noriko et al.. Is Senior Citizens' Collaboration in Town-planning a Form of Coercion? A Comparative Survey of Fundamental Ordinances on Local Autonomy and Citizen-participation Ordinances in Japan. International Education Conference.
[4] 倉田紀子ほか. 体部位別重量測定システムによる7体部位重量の測定方法. 生体医工学.
[5] KURATA, Noriko et al.. The Effects of Respiration on the Weights of Seven Body-regions Measured with a Body-region Separately Weighing System. Asian Congress of Nutrition.
[6] GRATTON, Lynda & SCOTT, Andrew. The 100-Year Life: Living and Working in an Age of Longevity. Bloomsbury Information.

倉田 紀子(くらた のりこ)/中央大学国際経営学部准教授
専門分野 公共政策、地方自治論

中央大学法学部法律学科卒業。中央大学大学院総合政策研究科修了。博士(学術)。

地方公務員として15年以上勤務。実務経験を活かし、住民と行政とをつなぐコミュニケーション、住民の生活を支える健康管理等、文理融合型の研究を行っている。