研究

東電福島第一原発業務上過失致死傷事件が問いかけるもの

――控訴審無罪判決を受けて――

谷井 悟司(たにい さとし)/中央大学法学部助教
専門分野 刑事法学

1. 未曾有の大災害の責任が問われた刑事裁判

 2011311日に発生した東日本大震災は、われわれの社会に、数えきれないほどの様々な課題を突きつけた。筆者が専門とする刑事法の分野においても、例外ではない。すなわち、東北地方太平洋沖地震に起因した津波の襲来によって福島第一原子力発電所の原子炉建屋が水素ガス爆発するなどして、作業員13名が負傷し、周辺の介護施設や病院からの避難などを余儀なくされた入所者・入院患者44名が死亡した事故について、東京電力旧経営陣3名が業務上過失致死傷罪に問われたのである(東電福島第一原発業務上過失致死傷事件)。本件については、20192月に第一審[1]が、今年1月に控訴審[2]が、ともに被告人らを無罪とする判断を下している[3]。今後、無罪判決の当否が研究者や実務家の間で検証されることとなるだろう。

 本稿は、控訴審無罪判決を受けて、これから交わされる議論に備えた問題意識の共有を図ろうとするものである。

2. 無罪判決の概要

 公訴事実によれば、上述の死傷事故は、被告人らが福島第一原発について適切な防護措置を講じなかった過失によって引き起こされたという。それでは、裁判所はどう判断したのであろうか。

 第一審は、まず、本件事故を回避するためには福島第一原発の運転そのものを停止するほかなかったと認定した。その上で、このような運転停止措置を法的に義務づけるためには、直接的な事故原因となった大規模な津波の襲来について信頼性・具体性のある根拠に裏づけられた予見可能性が求められるところ、被告人らにこれを認めることはできないとした。そして、控訴審も、結果回避措置および予見可能性に関する第一審の判断をおおむね踏襲している。

 要するに、第一審・控訴審はいずれも、福島第一原発の運転停止義務を課すに足るだけの具体的な予見可能性が被告人らにはなかったとして、無罪の結論を導いたのである。例えば、ドライバーや医師は、「もしかすると交通事故/医療過誤を起こしてしまうかもしれない」といったことが頭によぎりながら、自動車の運転や手術に臨むであろう。それゆえに、彼らは、注意深く運転や手術をすることが求められる。しかしながら、だからといって、このことからただちに、運転や手術を差し控えるべきだとまではいわないであろう。さもなければ、道路交通や医療はおよそ成り立たなくなってしまう。漠然とした不安感だけでは、運転や手術そのものを中止すべき義務は導かれないのである。無罪判決のロジックは、まさにこのような発想と軌を一にするものといえよう。以上のことは、刑事過失論としてそれほど違和感はない。

3. 裁判所の判断に対する若干の疑問

 もっとも、無罪判決には、以下の点で疑問が残る。

 第一に、結果回避措置の認定である。第一審は、事故回避のために必要な措置について、福島第一原発の運転停止措置に限られるとし、控訴審も、さらに詳細な検討を加えた上で、同様の結論を導いている。しかしながら、本件事故を回避するためには発電所の運転そのものを停止するほかなかったのであろうか。この点、指定弁護士は、防潮堤の設置や建屋の水密化、代替電源設備等の高所化も主張しており、例えば、旧経営陣3名に対し取締役としての任務懈怠責任が問われた株主代表訴訟第一審判決[4]においては、結果回避措置として少なくとも建屋の水密化が認められていた。控訴審は、これらの結果回避措置を「後知恵」によるものとして斥けているが、なお検討の余地があるように思われる[5]

 第二に、予見可能性判断における長期評価[6]の取り扱いである。長期評価によれば、三陸沖北部から房総沖の海溝寄りの領域については、1896年の明治三陸地震と同様の津波マグニチュード8.2前後の地震が同領域内のどこでも発生する可能性があり、今後30年以内の発生確率は20%程度である、などとされていた。そして、東京電力からの委託により、2008年、長期評価の見解に基づくパラメータスタディが実施されたところ、福島第一原発における最高津波水位が15mを超えるとの計算結果が得られていた。それゆえ、長期評価が、大規模な津波の襲来に関する予見可能性を判断するにあたり重要な意味を持っていたところ、第一審・控訴審はいずれも、その信頼性を消極に捉えたのである。運転停止義務を課すに足るだけの具体的な予見可能性が否定されたのは、このような長期評価の取り扱いによるところが大きかった。しかしながら、長期評価の信頼性はそこまで疑わしいものだったのであろうか。実際、例えば、上述した株主代表訴訟第一審判決においては、「長期評価の見解は、......相応の科学的信頼性を有する知見として、原子力発電所を設置、運転する会社の取締役において、当該知見に基づく津波対策を講ずることを義務付けられるものということができる」との認定がなされている。「長期評価の見解が直ちにこれに基づく対策を義務付けられるような波源モデルを提示するものとして受け止めなければならないといえるまでの具体性や根拠を伴うものであったというには疑いが残〔る〕」との控訴審の評価には、異論を差し挟むことができるかもしれない[7]

 もちろん、刑事裁判と民事裁判の違いを無視することはできないが[8]、それを踏まえてもなお、以上の点については今後さらに議論を深める必要があるものと考える。

4. 求められる安全性のレベル

 東電福島第一原発業務上過失致死傷事件は、刑事過失責任というレンズを通して、原子力発電所の運転・安全管理責任者にはどこまでのレベルの安全性確保が求められるべきなのか、という問題を浮き彫りにした。

 この点、第一審は、「どのようなことがあっても原子炉内の放射性物質が外部の環境に放出されることは絶対にないといったレベル、あるいはそれとほぼ同じレベルの、極めて高度の安全性をいうものではな〔かった〕」と述べている。そして、第一審に続き控訴審でも指摘されているように、福島第一原発は、原子力安全委員会安全目標専門部会が示した指標をクリアしていたのである。そうだとすれば、被告人らは求められる安全性確保を果たしていた以上、刑事責任を問われるべきでないと考えることには理由があろう。他方、本件事故防止のための規制権限の不行使について国の責任が問われた避難者国賠訴訟最高裁判決[9]に付された三浦守裁判官の反対意見において、「本件事故から8年以上前に、本件長期評価の公表により、その当時の法令上、本件各原子炉施設が本件技術基準に適合していないと認識することができ、東京電力としては、極めてまれな災害も未然に防止するために適切な措置を講ずる法的義務を負っていた」との見方も示されている。長期評価その他の事情から、原子力安全委員会安全目標専門部会の指針をはじめとする当時の準則の妥当性を疑うべきであったとみることができれば、より高いレベルでの安全性確保を義務づける途も拓かれるかもしれない[10]

 各地で再稼働も進む現在、原子力発電所に対して社会は、そして、(刑)法はどのように向き合うべきなのかが、問われ続けている。


[1] 東京地判令和元年919日判時234123425頁。
[2] 東京高判令和5118日裁判所ウェブサイト。
[3] なお、報道によると、控訴審の判断を不服として、検察官役の指定弁護士が上告したとのことである。
[4] 東京地判令和4713LEX/DB25593168
[5] 結果回避措置に関するより踏み込んだ検討の必要性を指摘するものとして、山本紘之・朝日新聞朝刊東京本社版2023119日、2面。
[6] 文部科学省地震調査研究推進本部が2002年に公表した「三陸沖から房総沖にかけての地震活動の長期評価について」のことを指す。
[7] 第一審の判断に関するものであるが、長期評価の信頼性が否定されたことに疑問を呈するものとして、例えば、樋口英明「東電経営陣の無罪判決について」判時24312432号(2020年)60頁など。
[8] この点を指摘するものとして、大塚裕史・毎日新聞朝刊東京本社版20231月19日、3面、水野智幸・産経新聞朝刊東京本社版20231月19日、27面。
[9] 最判令和4617日民集765955頁。
[10] 行為準則と過失判断の関係性について論じるものとして、山本紘之「大災害と過失犯論」山口厚他編『実務と理論の架橋――刑事法学の実践的課題に向けて――』(成文堂、2023年)83頁以下。

谷井 悟司(たにい さとし)/中央大学法学部助教
専門分野 刑事法学

神奈川県出身。1989年生まれ。
中央大学法学部卒業、同大学院法学研究科刑事法専攻博士課程前期課程修了、同後期課程修了。博士(法学)。
東京都立大学法学部助教を経て、2021年より現職。

研究テーマは刑事過失論。

主要論文として、「過失共同正犯の必要性に関する一考察」比較法雑誌543号(2020年)、「すり替え型キャッシュカード窃盗における実行の着手時期」法学新報12967号(中野目善則先生退職記念論文集)(2023年)など。