研究

選挙では政治家の個性と所属政党、どちらが重要か?

江口 匡太(えぐち きょうた)/中央大学商学部教授
専門分野 労働経済学、応用ミクロ経済学

悪名は無名に勝る

 選挙では候補者は名前を覚えてもらわなければならないから、日本の選挙では選挙カーが候補者の名前を連呼することがある。また、早朝の出勤時に駅近くで候補者を宣伝する幟をたてて、「中央太郎です。おはようございます。いってらっしゃいませ」と声掛けすることも珍しくない。中身のない選挙運動の一つとして批判的にとらえる人が多いようだが、長年続けられているところを見ると、このような選挙運動には効果があるのだろう。実際、選挙の勝敗を左右するほどではなくても、得票を増やす傾向にあることが内外の研究で明らかになっている。悪名は無名に勝るのだ。

 ただ、この効果をきちんと推計するには一工夫しなければならない。例えば、選挙カーで頻繁に名前を連呼した地域の得票が、あまり行かなかった地域に比べて多かったとして、名前の連呼が得票を掘り起こしたと言えるだろうか。

 もし、選挙カーがどこに行くか、サイコロを振ってランダムに決めて、たまたま頻繁に行った地域の得票が多ければ、名前の連呼に効果ありと言えそうだ。しかし、実際は、選挙カーがどこへどれだけ行くかは選対の意思に依る。支持者の少ない地域は名前の宣伝をしても無駄と分かっていれば、そんな地域に選挙カーは行かない。そもそも人のいないところには行かない。効果のあるところ、人の多いところへ行くなら、得票が多いのは自然なことで、名前の宣伝の結果とは言えなくなる。

候補者の個性か政党か

 さて、名前の連呼は今も珍しくないが、選挙中に何回連呼したか、そんなデータはない。そこで私が注目したのは「選挙公報」である。図1は、2000年の衆議院選挙の東京11区の「選挙公報」であり、各候補者が名前を大きく目立たせていることが分かる。選挙カーによる名前の連呼と同じように、候補者の業績や公約を伝えるスペースを減らしてでも、名前を目立たせることを重視している。

chuo_0413_img1.jpg

図1

 図2は、2003年衆議院選挙の下村博文候補(東京11区)の公報である。自身の名前と所属政党の自民党が何度も、そして大きく表現されている。下村氏の公報を見ていると、選挙では候補者の特性と所属政党のどちらが重要なのか、という政治学の古くて新しい問題がそこにあることがわかる。

chuo_0413_img2.jpg

図2

 選挙で投票するとき、候補者個人が重要なのは言うまでもないが、候補者のことはよく知らないものの自民党の候補だからという理由で投票したり、反対に自民党だけは絶対嫌だから野党の中で一番ましな人に投票するという政党に着目した投票行動は珍しくない。有権者が候補者個人を重視して投票したり、反対に政党を重視したりするなら、候補者もそれに対応するはずである。有権者が候補者個人の特性や業績を重視するなら、候補者は自分の名前や業績を主にアピールするだろう。反対に、有権者が所属政党を重視するなら、候補者も所属政党の公約や党首のことを中心に訴えるだろう。

 では、候補者個人と所属政党のどちらが重要なのだろうか?

その答えは選挙制度に宿る

 日本の衆議院議員選挙は、1994年の制度改革の結果、中選挙区から小選挙区を中心とした制度に変更された。小選挙区とは選挙区の一つの議席を争う制度である。これに対して、選挙区に複数の議席が与えられている場合、大選挙区という。市町村議員選挙は、一つの選挙区に議席が30近く与えられている大選挙区制の一例である。これに対して、議席が3~5ぐらいの小規模な大選挙区を便宜的に中選挙区と呼んで区別してきた。日本の衆議院議員選挙は戦後から1993年の選挙まで、約130の中選挙区に分けて行われていた。

 この中選挙区制では、議会で過半数を取るためには、一つの中選挙区に一つの政党から複数の候補者を立てなければならない。実際、長く与党にある自民党は一つの選挙区に複数の候補を立てていた。野党も選挙区によっては複数の候補を立てることもあった。

 一つの選挙区に複数の候補が立候補するとなると、自分の所属政党の魅力は小さくなる。「自民党の鈴木です」と宣伝しても、同じ自民党の佐藤や田中がいるのだ。同じ自民党のライバル候補との競争では、自民党の看板の効果は小さくなる。その結果、各候補者は個人の実績や公約を訴え、後援会を組織し、地元との結びつきを重視していた。

 しかし、小選挙区制が導入されると状況は一変する。議席が一つなのだから、党が公認を与えるのは一人だけとなる。自民党からは一人の候補者しか出ないことになるから、公認を与える権限を持つ党本部の力が強まった。政党VS政党の選挙になり、党首力が重要と言われるようになったのだ。

推計の一工夫:差の差推定

 このように、中選挙区から小選挙区への移行は候補者個人本位の選挙から政党中心の選挙へ、選挙のあり方を変えたと言われている。それ自体は正しいのだろう。しかし、印象論の域を出ないものが多く、私の知る限り、きちんとしたエビデンスを示したものはなかった。

 もし、それがその通りなら、「選挙公報」上の表現の仕方も変わっているはずである。中選挙区時代は候補者名を大きく表現し、小選挙区になると政党名を大きくすると予測される。

 だが、きちんと推計するには一工夫を施さなければならない。「選挙公報」の候補者の表現の仕方は昔と今では変わってきている。現代ではパソコンで簡単にデザインや編集ができるが、昔は難しかった。今では候補者のイラストを用いることも珍しくないが、昭和の時代ではありえなかった。衆議院選挙のビフォーアフターには、選挙制度の違いだけでなく、こうした時代の変化の影響が混ざっている。

 そこで、私が利用したのは参議院選挙である。東京都の参議院選挙区選挙(昔は地方区とも言った)は従来から中選挙区で変わっていないので、参議院のビフォーアフターは時代の変化しか含まれていない。衆議院のビフォーアフターから参議院のビフォーアフターの差分をみれば、衆議院の選挙制度の変化の効果がきちんと推計できると期待できるのだ。この方法は差の差推定とか差分推定と日本語では表現される。社会科学分野で広く普及した推計方法の一つであり、この推計方法の開発と応用に大きな功績のあった研究者は昨年ノーベル経済学賞を授与されている。

 実際、1983年から2014年までの衆参両院選挙の東京都の選挙区を分析した私の研究では、小選挙区が導入された衆議院では、候補者名のサイズが小さくなり、政党名のサイズが大きくなっていることを統計学的に検出した。小選挙区による選挙は、日本の政治を変えたのだ。ただ、自民党候補は野党候補に比べると候補者名を大きくアピールする傾向がうかがえ、後援会を中心とした選挙戦が自民党を中心に根強く残っていることも示唆された。

 一見、日本の選挙は変わったようにも見えるし、変わっていないようにも見える。言葉ではどうとでも評論できる。なんとなく言葉だけで言われていることをきちんと仮説を立てて検証するのが科学であり、社会科学の多くの分野で数理的な理論モデルとデータによる分析が一層進んでいくであろう。

江口 匡太(えぐち きょうた)/中央大学商学部教授
専門分野 労働経済学、応用ミクロ経済学

1968年生まれ、大阪府出身。
1992年東京大学経済学部卒業、2000年東京大学大学院経済学研究科修了、博士(経済学)。
東京大学大学院経済学研究科助手、筑波大学社会工学系准教授、英国エセックス大学客員研究員などを経て、2013年より現職。

著書に、『大人になって読む経済学の教科書』(ミネルヴァ書房、2015年、単著)、『キャリア・リスクの経済学』(生産性出版、2010、単著)、『解雇規制の法と経済』(日本評論社、2008年、共著)。

論文に、“Trainers' Dilemma of Choosing between Training and Promotion,” Labour Economics, vol. 11 (2004), 765-783; “Job Transfer and Influence Activities,” Journal of Economic Behavior and Organization, vol.56 (2005), 187-197; “Employment Protection Legislation and Cooperation,” Labour, vol.32 (2018), 45-73 などがある。