研究

〈現在進行形〉としての公害を考える

清水 善仁(しみず よしひと)/中央大学文学部准教授
専門分野 日本近現代史、アーカイブズ学

クラウドファンディングで生まれた本

chuo_0126_img1.jpg

『公害スタディーズ』表紙

 『公害スタディーズ――悶え、哀しみ、闘い、語りつぐ』という本があります(安藤聡彦・林美帆・丹野春香編著、ころから)。私も執筆者の一人としてかかわったこの本は、クラウドファンディングによって資金が集められ、趣旨に賛同した250名を超える人々の支援により2021年10月に刊行されました[1]。「公害」という言葉はいまではあまり聞かなくなり、教科書のなかでしか習わないことかもしれません。にもかかわらず、どうしてこの本の刊行に、これほど多くの人から支援の手が差し伸べられたのでしょうか。クラウドファンディングのサイトに寄せられた支援者からのメッセージに次のようなものがあります。

 「公害は過去のことではなく、香害、農薬、化学物質汚染、低周波音......いまだに進行している問題です。この本によって、多くの人が考えるきっかけになりますように。」[2]

 この本の編著者たちも同じサイトのなかで、「公害は、過去完了形の出来事ではなく現在進行形であり、これからの私たちのいのちと暮らしの在り方にも大きくかかわります」と述べており、同じ認識であることがわかります。公害は決して過去の出来事ではない、いまとこれからを生きる私たちすべてにかかわるものということなのです。

公害は終わったこと?

 「公害」という言葉を聞いたとき、「むかしのこと」「もう終わったこと」と思われる方は多いかもしれません。私が担当する「日本近現代史B」という授業で「公害と聞いて何をイメージしますか」と学生にアンケート調査をしたところ、もっとも多かった回答が「足尾銅山鉱毒事件」であったことは、そのことを反映しているともいえましょう。

 たしかに、近現代の日本において公害は大きな社会問題の一つでした。明治維新を経て近代国家となった日本は、富国強兵のために工業化を推進しましたが、その背後では公害が起きていました。先述の足尾銅山のみならず、近代工業化の中心都市であった大阪は公害の被害が顕著でした。当時の大阪は、イギリスの工業都市になぞらえて「東洋のマンチェスター」とも呼ばれ、多数の工場が建設され、煙突が林立していました。その煙突から排出される黒煙のさまは都市発展の象徴とみられた一方で、住民の健康や農作物に深刻な被害をもたらしたのです。明治末期の新聞には、「命と金の重さ比べ」(『大阪朝日新聞』1912年6月1日付)という見出しで、工業化の進展の傍らで公害に苦しむ住民の状況を伝える記事が掲載されています。

chuo_0126_img2.jpg

「命と金の重さ比べ」(『大阪朝日新聞』1912年6月1日付)
※朝日新聞社に無断で転載することを禁じます(承諾番号:23-0061)。

 また、戦後の高度経済成長の時期に起こった「四大公害」はよく知られていますが、それにとどまらない公害が各地で発生しました。そうした「公害の全国化と日常化」[3]のなかで、政府は1967年に公害対策基本法を制定し、1971年には環境庁を設置しました。地方自治体でもこの頃から本格的な公害対策が始まっていきます。公害対策基本法(現在は環境基本法)において、大気汚染、水質汚濁、土壌汚染、騒音、振動、地盤沈下、悪臭が公害として規定されましたが、法の条文にある「人の健康又は生活環境に係る被害が生ずること」に即せば、公害はそれらにとどまるものではありません。薬品公害(薬害)やアスベスト被害、そして2011年の福島原発事故に代表される原発災害もまた、公害として捉えられなければならないのです。

 そのように考えてみると、いまなお公害に苦しむ人々は多数おり、決して公害は終わっていない〈現在進行形〉の出来事といわなければなりません。ならば私たちはいま、公害にどう向き合えばよいのでしょうか。そのときに大切になるのは、過去の公害から学ぶこと、そしてその経験を継承することにほかならないのです。

公害経験の継承のために

 公害経験の継承――そのことは『公害スタディーズ』の趣旨に賛同した人々の声からも見て取ることができます。再び、クラウドファンディングのメッセージを見てみましょう。

 「現在の環境問題の多くは、公害問題を原点としています。そこに立ち戻って、何が解決できて、何が解決できていないのか、新たな課題は何なのかを伝えていく必要があると思います。」

 「過去を振り返らない者は必ず過ちをくり返す。公害からの「教訓」は必ず次世代に継承すべき経験です。」[4]

 では、どのようにして公害の経験を継承していけばよいのでしょうか。その一つが「語り」です。公害被害者やその家族等が「語り部」として、当時の経験を伝える取り組みが広くなされています。しかし、戦争や原爆被害の「語り部」と同様、当事者の減少にともなう「語り」の継続が困難になっていることが、現在大きな問題となっています。そうしたなかでより重要な存在となるのが、資料です。

 公害に関係する資料は多種多様です。被害者、行政、企業、弁護団、支援者、研究者、報道機関等、様々な主体により資料が作成され、その種類も日記や手紙といった個人的なものから、行政文書・裁判資料のような公的文書まで多岐にわたります。これらはいずれも私たちに当時の公害の諸相を伝えてくれます。「語り部」の減少という現状に直面するいま、資料の有する価値はきわめて高いといわねばなりません。そして、そうした資料を収集・保管する施設に公害資料館があります。

 公害資料館は公害発生地域を中心に設立されており、公害資料館の連帯組織である公害資料館ネットワークには26の団体が加盟しています[5]。それらの公害資料館では、公害に関する展示や公害資料の整理・公開等がおこなわれています。こうした取り組みは、公害経験の継承にとって大きな役割を果たすことになります。

chuo_0126_img3.jpg

各地の公害資料館(公害資料館ネットワークのパンフレットより)

アーカイブズ学から考える公害資料館

 私は、この公害資料館についてアーカイブズ学の観点から研究に取り組んでいます。アーカイブズ学という学問はあまり聞きなれないかもしれませんが、最近ではアーカイブズ学を教える大学も多くなってきました。個人や家族、組織等によって作成・収受された継続的価値を有する資料や、そうした資料を収集・保管する施設を指す言葉がアーカイブズであり、したがってアーカイブズ学は、資料自体あるいは公文書館をはじめとする資料収集・保管施設の活動や役割等について研究します。ですから、公害資料館もまたアーカイブズ学の研究対象となるわけです。

 では、「継続的価値を有する資料」とは何でしょうか。オランダのアーカイブズ学研究者として著名なテオ・トマセンは、アーカイブズ学で扱われる資料を「記憶の痕跡、情報の対象、証拠書類、歴史資源、過去の出来事の象徴、文化遺産」として位置づけました[6]。これを公害資料に引き付けて考えてみると、行政文書や被害者の記録には公害の記憶の痕跡が多数留められていますし、公害反対を訴え、あるいは裁判のために作成されたビラやチラシは、公害をめぐる運動の象徴の一つともいえます。公害資料館はそうした資料を収集・保管するとともに、資料目録やデータベースを通じて広く一般に公開しています。このことは公害経験の継承はもとより、歴史学をはじめとする学問研究の素材を社会に提供することでもあり、いずれも重要な意義を有しています。

 とはいえ、公害資料館にも課題は少なくありません。例えば、収集される資料の範囲や整理・公開の方法について、あるいは資料を扱う専門職(学芸員・アーキビスト)の不在等が挙げられます。資料を散逸の危機から守り将来の世代に伝えていくことは公害経験の継承のために不可欠であり、さまざまな観点からこれらの課題を検討することが求められています。その一つの視角として、アーカイブズ学の立場からその解決策や方向性を提示していくこと――目下これが私の研究テーマです[7]


[1] クラウドファンディングのウェブサイトは次の通り。
「<公害と出会い、向き合うための本>を出版したい」https://camp-fire.jp/projects/view/463976#menu(参照2023-1-18)
[2] https://camp-fire.jp/projects/463976/backers#menu(参照2023-1-18)
[3] 宮本憲一『戦後日本公害史論』岩波書店、2014年。
[4] 註2に同じ。
[5] 公害資料館ネットワークのウェブサイトを参照のこと。https://kougai.info/(参照2023-1-18)
[6] Theo Thomassen, "ARCHIVAL SCIENCE", Encyclopedia of Archival Science, edited by Luciana Duranti, Patricia C. Franks, Rowman & Littlefield, 2015.
[7] この点については、拙稿「公害経験の継承と公害資料――アーカイブズとしての公害資料館」(清水万由子・林美帆・除本理史編『公害の経験を未来につなぐ』ナカニシヤ出版、2023年刊行予定)において詳述しています。

清水 善仁(しみず よしひと)/中央大学文学部准教授
専門分野 日本近現代史、アーカイブズ学

神奈川県出身。1979年生まれ。
2001年 横浜市立大学国際文化学部卒業
2003年 中央大学大学院文学研究科日本史学専攻博士前期課程修了
2006年 中央大学大学院文学研究科日本史学専攻博士後期課程単位取得退学
京都大学大学文書館助教、法政大学大原社会問題研究所准教授等を経て、 2020年より現職、博士(史学)(中央大学)

現在の研究テーマは、近現代の社会問題である公害を歴史学、アーカイブズ学双方の観点から考察すること。

主要業績として、「公害資料の収集と解釈における論点」(『環境と公害』第50巻第3号、2021年)、「近現代日本の公害史研究と公害関係資料」(『大倉山論集』第66輯、2020)等がある。