経営者は事業活動を通じて利益を調整しているのか?
山口 朋泰(やまぐち ともやす)/中央大学商学部教授
専門分野 財務会計論、実証会計理論
利益の重要性
企業の経営者は株主、債権者、政府など外部の利害関係者に向けて、自社の経営成績や財政状態といった会計情報を財務諸表などで定期的に報告している。会計数値の中でも「利益」は企業の業績を集約的に反映する尺度であり、経営者にとって重要な意味を持っている。すなわち、利益は投資家による企業価値評価や経営者に対する業績評価などに利用され、利益数値の多寡が企業や経営者に経済的な影響を与えるのである。一般に、利益が高いと株価上昇や経営者報酬増額等の企業や経営者にとって有利な結果になり、利益が低いと株価下落、経営者報酬減額,経営者解任などの不利な結果になりがちである。ただし、利益が高すぎる場合も、他企業の新規参入、政府の規制強化、労働者の賃上げ要求、納税額の増加といった不利な結果を招く恐れがある。このように利益数値の多寡によって経済的帰結が変化するため、経営者は利益を調整するインセンティブを有することになる。
利益を調整する手段
経営者が会計基準の規定の範囲内で利益を調整する行動は利益マネジメント (earnings management) として知られている。あくまで会計基準の規定の範囲内で行われる裁量行動であるため、利益マネジメントは不正会計ではないが、それは会計数値を歪め、利害関係者の意思決定を誤導する恐れがあるため注意が必要である。
ところで、経営者はどのような手段で利益を調整するのだろうか。通常、利益マネジメントの手段は実体的裁量行動 (real discretionary behavior) と会計的裁量行動 (accounting discretionary behavior) に分類される。実体的裁量行動は事業活動の操作を通じて利益を調整する行動であり、会計的裁量行動は会計上の操作を通じて利益を調整する行動である (具体例については【表1】を参照されたい)。
【表1】利益マネジメントの各手段の定義と具体例
手 段 |
定 義 |
具体例 |
---|---|---|
実体的裁量行動 |
事業活動の操作を通じて、 |
・一時的な値引販売を通じた販売数量増大 |
会計的裁量行動 |
会計上の操作を通じて、 |
・棚卸資産の評価方法の変更 |
利益マネジメントに関する研究は世界各国で活発に行われているが、その多くが会計的裁量行動に焦点を当てたものであり、実体的裁量行動の解明はあまり進んでいない。その理由は、会計的裁量行動が不正会計と結びつきやすく、注目度が高いからだと考えられる。しかし、経営者の利益マネジメント行動を総合的に理解するためには、会計的裁量行動だけでなく、実体的裁量行動も解明しなければならない。また、利益を調整する目的で事業活動を操作する実体的裁量行動は、経営上の最適な意思決定ではなく、企業価値に深刻な影響をもたらし、ひいては国民経済にも悪影響を及ぼす危険性がある。さらに、世界各国で、近年の会計制度の厳格化によって会計的裁量行動が減少し、代替手段として実体的裁量行動が増加してきたという指摘もあり、その解明が急務となっていた。
実体的裁量行動の実証分析
筆者はこれまで、日本企業を対象に実体的裁量行動の解明を試みてきた。具体的には、(1) 実体的裁量行動の実施状況 (実体的裁量行動は実施されているか) 、(2) 実体的裁量行動の経済的帰結 (実体的裁量行動は企業にどのような経済的影響を及ぼすか) 、(3) 実体的裁量行動の要因 (どのような要因が実体的裁量行動に影響を与えるか) といった観点から分析を行ってきた。研究手法はアーカイバル・データを用いた実証分析であり、大量の財務データや株価データなどを用いて定量的な分析を行う研究スタイルである。分析を行った結果は、以下のとおりであった。
第1に、実施状況について、日本企業の経営者は損失回避や減益回避などのために、実体的裁量行動を実施していることが分かった。こうした行動は諸外国においても観察されており、国の内外を問わず企業の経営者は損失回避や減益回避のために実体的裁量行動を実施しているようである。
第2に、経済的帰結について、日本企業の経営者による実体的裁量行動は企業の将来業績や株価にマイナスの影響をもたらすことが判明した。実体的裁量行動による経済的悪影響は欧米の先行研究でも確認されており、利益の調整を目的とした事業活動の操作は、将来業績や株式市場の評価に悪影響を及ぼす可能性が高いと考えられる。
第3に、要因について、日本企業の経営者は、契約、証券市場、コーポレート・ガバナンスといった要因に影響を受けていることが分かった。例えば、規模が大きい企業ほど、政府の規制強化や納税額の増加を回避するため、実体的裁量行動で利益を増やさないという結果が観察された。また、増資や社債発行の条件が有利になるように、証券発行の前年度に実体的裁量行動で利益を増加させているという結果も得ている。さらに、最後の経営者報酬を高めるために、経営者が退任前年度に実体的裁量行動で利益を増やしたことを示唆する結果も観察された。つまり、実体的裁量行動は様々な要因に影響を受けていると言える。
まとめと今後の課題
筆者は実体的裁量行動が実施されていること、将来業績や株価に悪影響を及ぼすこと、証券発行やコーポレート・ガバナンスなど様々な要因に影響を受けること、を明らかにしてきた。これまで明らかにしてきた実体的裁量行動に関する発見事項が、経営者や投資家の意思決定に役立ち、また制度設計の一助になればこの上ない喜びである。
しかし、実体的裁量行動はまだまだ未解明な部分が多く、今後も研究を蓄積していく必要がある。例えば、近年では国際的なデータも比較的容易に利用できるようになり、一国ではなく複数の国を分析対象とした国際比較研究が注目を集めている。国際比較研究によって、各国間で異なる制度や文化などが経営者の実体的裁量行動に与える影響を解明することができる。こうした国際比較研究は今後の大きな研究課題であり、それによって実体的裁量行動に対する理解がさらに深まるだろう。
さらに言えば、会計的裁量行動についてもまだ完全に解明されているというわけではない。財務報告に際して、経営者はどのような方法や動機で利益を調整するのか、興味は尽きない。
※本コラムは、拙著『日本企業の利益マネジメント-実体的裁量行動の実証分析』(中央経済社、2021年)の概要を紹介したものである。
山口 朋泰(やまぐち ともやす)/中央大学商学部教授
専門分野 財務会計論、実証会計理論千葉県出身。1977年生まれ。1999年福島大学経済学部卒業。2008年東北大学大学院経済学研究科博士課程前期修了。2011年東北大学大学院経済学研究科博士課程後期修了、博士(経営学)。東北学院大学経営学部専任講師、准教授、教授を経て、2022年より現職。
現在の研究テーマは、企業経営者の利益マネジメント行動の解明。
主な著書は、『日本企業の利益マネジメント-実体的裁量行動の実証分析』(中央経済社、2021年、単著)であり、第65回日経・経済図書文化賞、日本会計研究学会第81回太田・黒澤賞、日本管理会計学会2022年度文献賞を受賞している。
主な論文に、“Earnings management to achieve industry-average profitability in Japan.” Asia-Pacific Journal of Accounting and Economics (2022年、単著)、“A cross-country study on the relationship between financial development and earnings management.” Journal of International Financial Management and Accounting (2018年、共著)、“Discontinuities in earnings and earnings change distributions after J-SOX implementation: Empirical evidence from Japan.” Journal of Accounting and Public Policy (2017年、共著)、“Accrual-based and real earnings management: An international comparison for investor protection.” Journal of Contemporary Accounting and Economics (2015年、共著) などがある。