研究

アイヌ施策推進法を巡る議論と「先住民族の権利に関する国連宣言」

小坂田 裕子(おさかだ ゆうこ)/中央大学法務研究科教授
専門分野 国際人権法

1. アイヌ施策推進法とは何か

 法律として初めてアイヌ民族を「先住民族」と明記した「アイヌの人々の誇りが尊重される社会を実現するための施策の推進に関する法律」(アイヌ施策推進法。以下、新法という)が2019年5月24日に施行された。新法は、アイヌであることを理由にした差別や権利侵害を禁じ、国及び地方公共団体の責務として、教育や広報を通じてアイヌに関する国民の理解を深めることを明記した。また文化、産業、観光の振興に向けた交付金制度を創設し、市町村が作成する事業計画を含む地域計画が、政府の定める基本方針に基づいて、内閣総理大臣の認定を受けることになった。認定された地域計画に対して、国は交付金を交付することが出来る。地域計画を作成するにあたっては、アイヌの人々を含む事業を実施する者の意見を聴くことが義務付けられている。地域計画に記載されている場合、文化伝承を目的としたサケの捕獲や国有林内の樹木採取について規制を緩和することができ、さらにアイヌ工芸品などに関する商標登録の手数料及び登録料を減免することができる。新法の特徴は、先住民族の権利を保障するのではなく、アイヌが居住する地域を全体として豊かにする地域振興策を採用していることである。

2. アイヌ施策推進法を巡る多様な評価と見えてきた役割及び課題

 当事者であるアイヌの人々の新法に対する評価は分かれている。「先住民族の権利に関する国連宣言」で謳われている自決権や土地及び資源に対する権利等、先住民族の権利が保障されていないとして批判する者もいれば、先住民族として法律で明記されたことなどを積極的に評価する者もいる。ただし、後者の人々の中にも新法を終着点ではなく出発点として捉えている人も少なくなく、新法の採択をもって問題が解決したとは言えない状況だろう。

 また、新法の施行から3年が経過する中で、その役割と課題が見えてきている。第1に、一部の地方自治体は、新法の交付金事業を機に、地元のアイヌ団体などと協力して、積極的に動くようになっており、その意味で、新法は地方自治体を動かす起爆剤のような役割を果たしている。ただし、それは自治体のやる気と力量によるので、地域差も明らかになってきた。第2に、交付金事業により仕事が増えたり、収入が増えたりするアイヌの人々もいる一方で、その恩恵に預かっていないアイヌの人々もおり、新法の影響について格差が生じている。第3に、コロナも影響もあるのかもしれないが、アイヌが居住する地域全体を豊かにするという新法の狙いは、現在のところ、一部地域であったとしても限定的な効果にとどまっていると言わざるを得ない。

3. 国連宣言から見たアイヌ施策推進法を巡る議論

 国連宣言は反対派のみならず新法擁護派からも自らの見解の根拠として援用されているが、その宣言理解には一部誤解が存在するように思う。そのため、以下では、私の専門である国際人権法の立場から、そのいくつかについて解説する。まず、石井国交相(当時)や一部の研究者が、国連宣言前文第23段落が「国及び地域的な特殊性」等を考慮する必要性を述べていることをもって、新法が自決権等、国連宣言で規定される先住民族の権利を保障しないことを正当化していることについてである。国連総会での国連宣言採択直前に、アフリカ・グループが宣言の採択延期を要請し、宣言を事実上、無意味する虞のある要求を含む33項目の修正案を提出したことを受けて、世界各地域の先住民族団体の調整体である「グローバル世界先住民族コーカス」が中心となってアフリカ諸国との交渉を行い、その結果、修正を9項目まで減らした妥協案を確定させたが、このフレーズはその際に導入されたものである[1]。その起草過程からすれば、一見、石井国交相や一部の研究者の主張が正しいようにも思われるが、国連宣言には、次のような規定も存在することを忘れてはならない。すなわち同前文第17段落は「本宣言中のいかなる規定も...自決権を否定するために利用されてはならない」、同本文第45条は「本宣言中のいかなる規定も、先住民族が...将来取得しうる権利を縮小あるいは消滅させると解釈されてはならない」と明記している。特に、第45条は、本文規定であり、前文よりも重い意味を有している。これらの規定からすれば、国連宣言は先住民族の権利を規定しないことを国や地域の特殊性を理由に同宣言に基づいて正当化することを認めておらず、第23段落の趣旨は、世界の先住民族の間で、その必要性や希望に応じて、自決権等が異なるように行使されうることを妨げないことにあると解すべきだ[2]

 次に、私は、先住民族として法律で明記されることは、先住民族政策の基本であること、また縦割行政の弊害を緩和して様々な手続的緩和を可能にしたことを踏まえ、新法を不完全ではあるものの、過渡期の法として、一歩前進という評価をしているが、それにより石井国交相が述べたように「国連宣言で果たすべき責務はおおむね措置された」とは言えないと考える。国連宣言の中核は、自決権や土地及び資源に対する集団の権利であり、特に前者は、日本が批准している国際人権規約にも規定されていて、日本は規約の自決権条項に留保を付していない。自由権規約委員会の実行では、自決権が先住民族の適用されることは確立している。少なからぬアイヌの人々が新法を終着点とみていない以上、これらの権利については近い将来、検討する必要が出てくるだろう。アイヌ民族にこれらの権利を認めることは、「国民理解が得られず、新たな差別につながる恐れがある」と説明されている。しかし、まさにその新法の下で国民の理解を得られるようにすることが国の責務とされていることを忘れてはならない。


[1] 小坂田裕子『先住民族と国際法―剝奪の歴史から権利の承認へ―』信山社(2017年)、62-65頁。
[2] Yuko Osakada, "An examination of arguments over the Ainu Policy Promotion Act of Japan based on the UN Declaration on the Rights of Indigenous Peoples", International Journal of Human Rights, Vol. 25 No. 6 (2021), pp. 1061-1062.

小坂田 裕子(おさかだ ゆうこ)/中央大学法務研究科教授
専門分野 国際人権法

神戸市出身。京都大学法学部卒業。
京都大学大学院人間・環境学研究科修士課程修了・同博士課程修了。ユトレヒト大学(オランダ)LL.M.取得(平和中島財団奨学生)。

主な研究テーマは、国際人権法における先住民族の権利、難民・庇護希望者の権利。