革新と抵抗:イノベーションにおける逸脱という視点
高田 直樹(たかだ なおき)/中央大学商学部助教
専門分野 イノベーション・マネジメント・技術経営論
1. イノベーションと抵抗
「社会・経済的な価値をもたらす新しいものごと」としてのイノベーションは、2つの顔を併せ持っている。1つは人々に「歓迎」されるものとしての顔である。イノベーションは経済成長や企業成長の原動力である、イノベーションは生活を便利で安全なものにしてくれる、イノベーションは暮らしにワクワクを与えてくれる、といった類の言説に聞き覚えのある方も多いだろう。
もう1つは、人々の「抵抗」を受けるものとしての顔である。イノベーションは古きものを新しきものによって置き換えるため、置き換えられる側は悪影響を被ることになってしまう。例えば、産業革命期におけるラッダイト運動は、種々のイノベーションの脅威に直面した労働者の抵抗運動と見なすこともできるだろう。さらに、イノベーションを生み出そうとしている企業組織の内部でも、組織内部の資源配分やパワーの構造が揺らぐといった様々な理由からイノベーションへの抵抗が生じる。
筆者の研究テーマの1つは、こうした抵抗を乗り越えてイノベーションを実現するためのマネジメントや従業員行動にある。より具体的には、組織内外の反対勢力に抗って革新的な取り組みが行われるとき、そこにどのような個人や組織の実践が存在するのか、あるいは有効なのかという問題意識に立っている。本稿では、そうした実践の中でも、組織の規則や規範を無視して行われるもの、すなわち逸脱行動に注目する考え方を紹介するとともに、これまでの研究と若干の展望を示すこととしたい。
2. 創造的逸脱
革新的なアイデアや発明は「掟破り」を伴うと指摘されることがある。この指摘の背後には、企業組織の中でイノベーションを目指す従業員は重大な困難に直面するという想定がある。通常の企業組織では、公式の権限による承認を受けなければ、計画や活動に資源は配分されない。ところが、革新的なアイデアや発明(あるいはそれを得るための活動)は、まさしく革新性のために不確実性が高く、事前に経済的な価値をもたらす確約を得ることが難しい。結果として、試みの潜在的な価値を立証できなければ資源を配分してもらうことができないにもかかわらず、その価値を立証するための資源をそもそも従業員は保有しておらず、イノベーションの芽が摘まれてしまうことになる。
従業員の視点からこの問題を捉え直すと、難局に置かれた従業員には説得や離職といった複数の選択肢がある。先述した「掟破り」あるいは逸脱行動もその1つであり、近年は創造的逸脱(creative deviance)という概念で議論されている。創造的逸脱とは、「管理者の指示に背き、新しいアイデアを正当ではない形で追究すること」(Mainemelis, 2010)を意味しており、日本でいう闇研究やアングラ研究がこれに相当する。そして、この創造的逸脱という考え方は、硬直的な大企業でイノベーションを実現するための方策を解明しうる視角として、また「古くて新しいテーマ」として、世界でも注目を集めるようになってきた。
3. 逸脱者が生み出すもの
ここまでの説明からは、企業組織(とりわけ大規模な組織)の中でイノベーションを実現するには「掟破り」が重要に感じられるかもしれない。しかし、逸脱者が革新的な成果を生み出す保証はないし、それどころか、好き勝手に振る舞うことの結果として、逸脱者は企業の経営資源を無駄遣いしているだけに終わってしまっている可能性もある。そして、現実がどちらに近いのかに関する実証的な証拠の蓄積は乏しいのが現状である。
この点について、著者が過去に行った分析 (高田, 2020) について紹介したい。この分析は、「企業内発明者の逸脱度」と「発明の新規性」との関係を明らかにすることを目的としたものである。より具体的には、日本電信電話公社および日本電信電話株式会社の発明者を対象として、特許文献に記載されている発明者引用データをもとに発明者の逸脱度を測定し、それと特許(発明)の技術的新規性との関係を分析した。分析の結果は、革新的な成果を生み出すのは中程度に逸脱的な発明者であり、逸脱度が極端に高かったり低かったりする発明者は、むしろ漸進的な(新規性の低い)発明を生み出している傾向にあることを示唆するものであった。ただし、特許化されている発明のみが分析対象となっている点、逸脱度の測定尺度は構成概念妥当性上の問題を抱えている点など、分析上の課題を多く抱えている点には注意が必要である。
このような興味深い傾向が現れる理由として、企業組織における研究開発活動が個人ではなく集団を単位として実施されることが挙げられるかもしれない。研究開発活動には経営資源だけではなく、他のメンバーとの分業と調整が必要なのだとすると、公式の権限を伴っていないが故に他者の協力を得にくい逸脱者は、効果的な活動を展開することができない。その結果、逸脱者の成果は既存発明の焼き直しに留まってしまい、革新的な成果に至る前に力尽きてしまう。具体的な理由はまだ明らかになっていないものの、イノベーションには「掟破り」が必要であるという格言は、少数の英雄譚に引きずられて醸成された認識に過ぎず、現実を十分に捉えていない可能性がある。
4. さらなる追究に向けての論点
逸脱者が実は革新的な成果を生み出していないというのは、あくまで全体的な傾向の話であり、中にはブレークスルーに至った逸脱者も存在する。逸話的に語られてきた逸脱者像に固執するのは危うい一方で、掟破りを全く意味のないものとして切り捨てるのも同様である。むしろ重要なのは、「良い」掟破りと「悪い」掟破りが何によって分かれるのかを探索することだろう。
この点を深堀する上で有用な論点の1つに、発案者バイアス (ideator's bias; Fuchs et al., 2019) の議論がある。これは、従業員が自己効力感に引きずられて自らのアイデアを過大評価してしまう傾向を指した概念である。発案者バイアスと関連づけると、自信過剰の状態にある逸脱者は(実は質の高くない)アイデアに入れ込んでしまい、経営資源を浪費する結果に終わってしまうことがありうる。さらに背後には、逸脱者であるという自己認識が自信過剰を助長する可能性もあるかもしれない。
ここで示したのは未検証の仮説の一部に過ぎず、その他の数多くの仮説と併せて、実証的な検討を積み上げていくことが必要であることは論をまたない。それよりも本稿で示したかったのは、企業組織におけるイノベーション・プロセス、とりわけボトムアップ的にイノベーションが生じる余地のない組織におけるプロセスを解明する1つの視角として、従業員の逸脱行動に注目する意義と面白さである。異なる意図や欲求を持った人間の相互作用によって、思わぬ成果が得られたり、意図せざる結果が生じてしまったりすることこそ、社会や人間を対象とする社会科学の面白さだろう。そんな面白さのほんの一端でも本稿から感じて頂けたのであれば幸いである。
【参考文献】
・ Fuchs, C., Sting, F. J., Schlickel, M., & Alexy, O. (2019). The ideator's bias: How identity-induced self-efficacy drives overestimation in employee-driven process innovation. Academy of Management Journal, 62(5), 1498-1522.
・ Mainemelis, C. (2010). Stealing fire: Creative deviance in the evolution of new ideas. Academy of Management Review, 35(4), 558-578.
・ 高田直樹. (2020). 「発明者の逸脱行動と発明の新規性:指標構築を通じた探索的分析」『日本経営学会誌』45, 54-66.
高田 直樹(たかだ なおき)/中央大学商学部助教
専門分野 イノベーション・マネジメント・技術経営論北海道札幌市出身。1991年生まれ。一橋大学商学部経営学科、一橋大学商学研究科の修士課程・博士課程を経て、2019年に博士号(商学)を取得。横浜国立大学先端科学高等研究院の非常勤教員および特任教員(助教)を経て、2021年より現職。
専門はイノベーション・マネジメント、技術経営論。