研究

日本はデフレ経済ではなかった?

近廣 昌志(ちかひろ まさし)/中央大学経済学部准教授
専門分野 金融論・貨幣供給理論

研究の根底、「常識との闘い」

 企業や個人による資金需要を起点とする銀行融資の実行によって一国の貨幣量が増大する。このような論理に基づく貨幣金融論を内生的貨幣供給理論と呼び、私はこの理論に基づいて金融経済を分析している。中央銀行はいつでも貨幣量自体を恣意的に増大させるコントローラビリティは有していないし、貨幣量増大が物価上昇を実現させるという論理自体、実は正確ではない。現行の貨幣制度では、貨幣は市場の内側から内生的に供給されるものであり、外生的貨幣供給理論に立脚した量的金融緩和政策やMMTは、因果関係が逆転している。注目度が高まる論議は、一見してわかりやすい説明に見えるし、それらは時に常識になっていく。しかし事象の真相は常識では説けないことが多い。

chuo_1006_img1.jpg

(出所)拙稿(2021)「信用論から検討するMMTの是非」『愛媛経済論集』第41巻第1号、愛媛経済学会、より転載

 銀行の預貸率は趨勢的に低下しており、90年のほぼ100%から現在では約60%に低下している。その要因として巷間言われることは少子高齢化や企業の資金需要の減退であるが、これらも誤謬である。私のこれまでの研究によって明らかになったことは、銀行の不良債権が直接償却され、新発国債を市中銀行と中央銀行が消化ないし保有することで、預貸率が低下する。

 研究で特に重要なことは、その手法と認識論である。私の場合、経済主体のバランスシートの動きを把握することで現実を説き、現実から理論体系の精緻化を追う。研究手法の多様性を確保する研究機関こそ貴重であり、中央大学はこれを重視できる限られた大学である。研究職としてこのうえない環境に感謝している。

貨幣量・物価・生産活動

 ここ30年間、日本はデフレ経済であり、それがGDP成長を阻害していると言われてきたが、厳密には日本はデフレーションになったことはない。CPIなどの物価指標が持続的に上昇すればインフレーション、逆に持続的に下落すればデフレーションと覚えさせられてきた方が多いと思われるが、物事はそう単純ではない。

 デフレーションとは、毎年5%も10%も物価が下落し、それが貨幣量の不足に起因する場合を指す。ここ30年間、日本のGDP成長率に対して、マネーストックの増加率ははるかに高い。その主たる要因は国債の貨幣化であるが、日本は貨幣量の不足によって物価が上昇しないのではない。生産性の向上、価格競争、安価な輸入品、労働者の実質所得低下など、実体経済の構造の変化によって物価が上昇しにくい状態が続いたのである。資源価格の高騰や円の対外価値低下(円の購買力が対外的に弱くなる)、更に企業の寡占化が進み価格競争力が高まると物価は上昇に転ずると考えられる。物価変動を貨幣的現象と捉えるか、経済の構造的現象と捉えるか、この違いは大きい。縁の下を支える金融が気合を入れれば、経済を振り回せるかのような論理パスは邪道である。私は「気合」などの精神論や「頑張る」などの無責任さは苦手である。貨幣金融論の研究を進めれば進めるほど、貨幣の側から経済の根底に影響を与えることがいかに難しいか、あるいは貨幣市場に対する産業構造や実体経済の優位性を痛感することになる。

MMTに惑わされてはならない

 昨今、貨幣金融論で話題になることの多いMMTであるが、現代貨幣理論という名とは裏腹に、その実態は江戸時代に逆戻りさせようとする発想である。江戸時代では、金銀銅などの金属を本位とする貨幣制度の傍らで、各藩によって藩札が発行されていた。私の好きな松本清張氏は『西郷札』という作品を書いたが、藩札とは各藩がお札を貨幣として外生的に供給するものである。MMTの一部には、バランスシートを用いて論じる姿勢や、現代の銀行機能に関わる説明には正しい部分も認められ、財政赤字が累積する日本において注目が集まることに無理はない。しかしMMTでは肝心の銀行券の世界と政府紙幣の世界とを混同しているか、故意に問題をすり替えようとしている。供給される貨幣は政府債務の裏返しであるとして、失業率が一定水準に低下するまで政府債務を増大させて、有効需要を創出することが必要という。MMTは各所に内生的貨幣供給理論に準ずる説明を利用して「正しさ」を強調しておきながら、全体の論理体系は外生的貨幣供給理論の枠組みになっている点に注意が必要である。失業率を低下させる目的などは経済政策としては概ね望ましいのであるが、その「愛」や「優しさ」は逆効果になりかねない。

chuo_1006_img2.jpg

(出所)拙稿(2021)「信用論から検討するMMTの是非」『愛媛経済論集』第41巻第1号、愛媛経済学会、より転載

 前項でも述べたが、貨幣量を増大させれば経済が好転するわけではない。身体が大きくなれば循環血液量は自身の身体自らが造りだす。身体を大きくしてあげるからと言われて、無理やり輸血して循環血液量を増大させると何が起こるか。医師免許のない私にでも理解できるし、「いたしません」。

今後の研究の抱負、国外との関り

 貨幣金融論は各論であり、総論である経済学に貢献してこそ意義が見出せる。木をみてから森をみようするタイプの研究と、森をみてから木をみようとする研究は、お互いが交流し協力することで進化するものと感じる。流行りの論調や手法にとらわれることなく、私はここ中央大学の学部と大学院で研究者としての素地を育てていただいた。経済の歴史的研究、計量経済学、マクロ経済学、社会経済学などの領域の研究者、あるいは経済学の領域にこだわらない研究交流や共同研究に積極的に参加させていただきたい。

 当面、日本経済で気がかりなことは、「日本売り」の蓋然性の高まりである。金融政策を含む現在の日本の経済政策が、国内パラメータや選挙の得票にばかり気を配りすぎて、一種の「鎖国」状態になっている部分を危惧している。金利政策の余地がなく、累積財政赤字が対GDP比200%の状態と、フロート制の円、自由な資本移動などの枠組みとの両立が課題になると推察する。市場が円売りを本気で仕掛けてきた場合、その圧力を相殺するために、財務省は円を買って米ドルを売らなければならない。しかし投機筋がレバレッジを効かせてくることは疑いの余地はなく、スワップ協定は存在するものの、限りある外貨準備では支えきれなくなることが見込まれ、90年代後半に東アジア諸国を揺るがした通貨危機が、日本で生じるシナリオも射程に入れておかなければならない。開放経済における貨幣経済にとって重要なことは、国外との関り、産業競争力という狭い範囲の問題というよりはむしろ発想力によって拓く市場の創造、そして国外との金利差である。

近廣 昌志(ちかひろ まさし)/中央大学経済学部准教授
専門分野 金融論・貨幣供給理論

1978年広島県呉市生まれ。2001年中央大学商学部金融学科卒業、2004年中央大学大学院商学研究科博士前期課程修了、2011年中央大学大学院商学研究科博士後期課程修了、博士(金融学)(中央大学)。愛媛大学専任講師・准教授を経て2022年より現職。現在の研究課題は、内生的貨幣供給理論の精緻化である。

主要業績は「管理通貨制と中央銀行」(川波洋一・上川孝夫編著『現代金融論 新版』有斐閣、2016年、所収)、「信用論から検討するMMTの是非」『愛媛経済論集』第41巻第1号、愛媛経済学会、2021年、などである。