研究

ウクライナにおける戦争犯罪の処罰について

尾﨑 久仁子(おざき くにこ)/中央大学法学部特任教授
専門分野 国際刑事法・国際人権法

1.コア・クライムとは何か

 2022年2月のロシアのウクライナ侵攻は、第二次世界大戦後の国際法秩序を揺るがす多くの問題を提起した。その最大のものが、安保理常任理事国による侵略戦争という、武力不行使原則を含む国連憲章の中核部分を踏みにじる行為にあることは言うまでもないが、国際社会に大きな衝撃を与えたその他の問題として、侵攻中に、主としてロシア軍によって行われた一般市民に対する各種の残虐行為がある。その多くは、報道や公表された調査結果に照らして、いわゆる戦争犯罪に該当すると考えられ、更には、人道に対する犯罪やジェノサイド(集団殺害)罪の適用も視野に入る

 ジェノサイド罪、人道に対する犯罪及び戦争犯罪は、侵略犯罪と並び、国際社会共通の価値に反する最も重大な犯罪として、コア・クライム(中核犯罪)と呼ばれている(ただし、侵略犯罪については、本稿では取り上げない)。

 ジェノサイド罪とは、国民的、民族的、人種的又は宗教的な集団の全部又は一部に対し、その集団自体を破壊する意図をもって行う、当該集団の構成員の殺害などの特定の行為であり、人道に対する犯罪とは、文民に対する広範又は組織的な攻撃の一部として行われる殺人、絶滅、奴隷化、追放、性犯罪などである。

 戦争犯罪の内容は多岐にわたるが、その中心となるのは、1948年のジュネーブ四条約及び1977年の追加議定書に違反する行為であり、文民や捕虜の殺害、拷問又は非人道的な待遇、不法な追放・移送、文民を故意に攻撃すること、略奪、性的暴力が含まれる。

 コア・クライムは、(各国の国内法上の犯罪に該当するか否かを問わず)国際法上の犯罪であり、その犯人は、国際法上の刑事責任を問われる。コア・クライムに関する国際法は、多数国間条約の作成や国際慣習法の形成により、第二次世界大戦後に急速に発展し、冷戦後には、各種の国際刑事法廷が設立された。また、これらの国際法は、各国の国内刑事法にも反映されている。

2.国際刑事裁判所の役割

 ウクライナにおけるコア・クライムの捜査・訴追に当たって、まず注目されるのが国際刑事裁判所(ICC)の役割である。ICCは、コア・クライムを犯した個人の処罰を目的として、1998年のローマ規程に基づいて設立された。ICCは、2審制をとる裁判部(予審を加えて、併せて18名の裁判官が裁判を行っている。)と、独立した検察局から構成される。2022年8月現在の締約国・地域は123である。管轄権は、締約国の領域内で行われた、又は、締約国国民によって行われた犯罪に及ぶ。また、国連安保理は非締約国における犯罪をICCに付託することができる。

 ウクライナもロシアもローマ規程の締約国ではないが、 ウクライナは、2013年11月22日以降に同国領域内で犯された犯罪についてICCの管轄権を受諾しているため、2022年3月、ICCの検察官はウクライナの事態に関する捜査を開始した。

 ICCは、すべてのコア・クライムについて訴追を行うわけではない。ローマ規程は、当該事件が領域国等によって捜査・訴追されている場合、又は、ICCによる措置を必要とする十分な重大性を有しない場合にはICCは事件を受理しないと規定している。前者は「補完性の原則」と呼ばれ、訴追はまず関係国の国内裁判所において行われるべきであり、関係国がこれを行わない場合にのみ、ICCが訴追を行うという原則である。この原則によれば、ウクライナにおいて行われたコア・クライムについては、ウクライナやロシアなどの関係国が適切な捜査・訴追を行うのであれば、これが優先されることになる。

 言い換えれば、ウクライナの事態においてICCの訴追対象となるのは、ウクライナが何らかの理由で訴追を行うことのできない被疑者であって、かつ、一連の犯罪に対して重大な責任を有する指揮官や指導者(人道に対する犯罪であれば、犯罪のもととなった政策の立案者や推進者を含む)ということになる。しかし、このような被疑者を訴追することは容易ではない。訴追のためには、犯罪が行われた証拠だけではなく、(現場にいないこともある)被疑者と犯罪を結び付ける証拠、組織の機能や指揮命令系統などに関する証拠の収集が必要となる。仮に今回の捜査においてロシア側の高位の責任者を被疑者とする捜査が行われる場合には、このような証拠の多くは捜査協力義務のない非締約国のロシアに存在すると考えられる。また、逮捕状が発布されたとしても、ロシアには被疑者の引渡し義務はない。更に、被疑者がロシア国外に出た場合であっても、被疑者が非締約国の国家元首である場合などには、一般国際法上の免除との関係が生じる。

3.国内裁判所の役割

 コア・クライムの多くは、各国国内法上の犯罪でもあり、ロシア軍の構成員による戦争犯罪については、ウクライナの当局による捜査が開始されている。5月には、ロシア軍兵士に対してウクライナ裁判所による初めての有罪判決が下され、引き続き、数件の戦争犯罪について公判が行われている。報道によれば、当局は2万件以上の戦争犯罪を捜査中である。

 コア・クライムについては、条約上あるいは国際慣習法上普遍管轄権の設定が許容されていると考えられていること、及び、ICCが補完性の原則を採用したことから、欧州を中心に多くの国において、外国において外国人によって行われたコア・クライムの自国裁判所への訴追を可能とする法整備が行われている。ウクライナとこれ等諸国との間の地理的近接性や活発な人的往来を考えると、被害者が第三国の国籍を有していたり、被疑者がこれらの諸国に渡航する可能性があり、事案によっては、これら諸国がウクライナへの引渡しを行わず、自国の裁判所に訴追することが想定される。

4.課題

 現代の国際法は、コア・クライムの処罰について多くの実体法、手続法上の規則や制度を発展させてきた。しかし、これらが適切かつ効果的に適用・運用されるか否かは、また別の問題である。国内裁判所における訴追・処罰が基本となるべきではあるが、コア・クライムの性質上、政治情勢や国民感情による強い圧力が想定され、被疑者・被告人の権利の保障を含む公正な裁判が困難である場合がある。また、これらの犯罪が行われた国の司法制度は脆弱であることが多く、腐敗などの問題が指摘されることもある。そして、ICCの課題と限界については上述のとおりである。 

 ウクライナにおけるコア・クライムの処罰は、これらの課題に対する国際社会の対応の試金石となるだろう。例えば、ウクライナの司法制度については西欧諸国が中心となって支援、監視を行っている。補完性の原則を踏まえたICCとウクライナ、更には第三国裁判所との間の役割分担、ICCが真に責任ある者の訴追を行うことができるかについても注意深く見守る必要がある。国際社会が、コア・クライムの公正かつ実効的な処罰をどのように実現していくのかが問われている。

尾﨑 久仁子(おざき くにこ)/中央大学法学部特任教授
専門分野 国際刑事法・国際人権法

広島県出身。1956年生まれ。教養学士(東京大学)、M.Phil. in International Relations (オクスフォード大学)
1979年外務省入省。東北大学大学院法学研究科教授、国連薬物・犯罪事務所条約局長、国際刑事裁判所裁判官などを経て2021年から現職。

専門は国際人権法、国際刑事法。

主要著書として、『国際人権・刑事法概論(第二版)』(信山社、2021年)