モバイル決済による支出感覚の希薄化にいかに対処するか?金額表示フォントの心理的効果
朴 宰佑(ぱく ぜう)/中央大学商学部教授
専門分野 消費者行動論、感覚マーケティング
筆者は五感への感覚的訴求と消費者の製品評価や購買意欲との関連性を探る感覚マーケティング研究に取り組んできた。最近はこうした感覚マーケティングの社会的課題への応用可能性についても関心があり関連研究を進めている。本稿では、Psychology&Marketingに筆者が掲載したモバイル決済による支出感覚の希薄化に対処するための消費者心理研究を紹介したい[1]。
研究の背景と目的
スマートフォンの普及と通信技術の発展により日々の買い物においてモバイル決済を利用する場面が増えている。また、COVID-19パンデミックは感染拡大防止の観点から非接触型決済であるモバイル決済の社会的普及を後押しする要因となっている。モバイル決済とはモバイル端末を利用して製品やサービスに対する支払いを開始、承認、確認することである[2]。たとえば、Apple PayやPay Payなどがそれである。1兆4500億ドルと推計(2020年)されるモバイル決済の世界市場は2026年には5兆4000億ドルまで拡大されると見込まれている[3]。モバイル決済の普及は消費者と企業側の双方にとって金銭取引の効率化を大きく高め、消費活動や経済の活性化にも貢献しうることが利点として指摘されている[4]。その一方で、実際の貨幣を使用しないことによる支出感覚の希薄化によってモバイル決済は消費者に過剰な支出を助長する可能性も指摘されている[5]。また、モバイル決済は過剰な支出のみならず、非健康的な食品の消費を高めるという報告もある[6]。本研究はこうしたモバイル決済における支出感覚の希薄化問題に注目し、決済金額の表示フォントの形状が支出感覚にいかなる影響を与えるかを消費者実験によって検証した。
支払方法、金額表示フォントの形状と支出感覚
支払方法が現金かそれ以外かによって消費者が感じる支出の心理的痛みは異なる。先行研究によると、心理的痛みを最も強く感じるのが現金、クレジットカードやデビットカードは中程度、痛みが最も弱いのがモバイル決済である[7]。モバイル決済の心理的痛みが希薄な理由は、この決済方法では現金やカードを財布から取り出したり、署名したりする必要がなく、モバイルアプリを起動するだけで決済が完了するからである。
人は本能的に丸みを帯びた形状を好む一方、角張った形状を嫌う。心理学研究によると人が角張った形状を好まない理由は、そうした形状が人に脅威感(a sense of threat)というネガティブな反応をもたらすからである[8]。本研究ではこうした角張った形状がもたらす脅威感に注目し、丸いフォントよりも角張ったフォントで表示した決済金額が支出に対する心理的痛みを強め、その結果として消費者の支出感覚が高まるという研究仮説を立て、消費者実験によって一連の仮説を検証した。より具体的な研究モデルは図1の通りである。
図1 研究モデル
消費者実験の概要と結果
消費者実験では食料品のオンライン購入に関する架空のモバイル決済の決済確認画面等を作成し、被験者にその画面上の金額を見てもらい関連する質問に回答してもらった。
実験1では被験者に食料品をオンラインで購入する状況を想像してもらい、その後、丸いフォントもしくは角張ったフォントで表示された決済金額(3,300円)の画面を提示し(図2)、支出感覚の大きさについて答えてもらった。その結果、表記金額は同じであるにもかかわらず、角張ったフォントで表示した場合、支出感覚がより強まることを確認した(図3)。
実験2では、異なる決済金額(5,300円)を用いて金額表示フォントの形状が支出感覚に与える影響のメカニズムを検証した。その結果、角張ったフォントは荒々しさの連想と支出の痛みを介して支出感覚を強めることを確認した。また、角張ったフォントによって強まった支出感覚は確定ボタンを押すことへのためらいを強めることも確認した。
図2 実験1の提示刺激
図3 決済金額表示フォントの形状と支出感覚(左が丸いフォント、右が角張ったフォント)
実験3では、金額の大きさがフォントの形状の支出感覚への影響をいかに調整するかを検証した。その結果、支払金額が比較的小さい場合(5,300円)には、フォントの形状が支出感覚に有意な影響を与える一方、支出金額が比較的大きい場合(15,300円)には有意な影響が見られないことが確認された。
実験4と5は、西洋人は東洋人よりも角張った形状をより好むという心理学研究に注目し[9]、アメリカ人を対象に決済金額フォント(47.00ドル、53.00ドル)の支出感覚への影響を検証した。その結果、日本人を対象とする実験結果と同様に角張ったフォントは支出感覚を強めるものの、その効果は日本人のそれに比べ約5.6倍弱いことが確認された。
実験6では、実際の購買状況に近い実験刺激を使用して、一連の食品購買を被験者に疑似体験してもらい(図4)、再度、決済金額のフォントの形状が支出感覚に与える影響を検証した。その結果、実験1から5で確認されたフォントの形状の効果が再び確認された。
図4 実験6の提示刺激(角張ったフォント条件)
まとめ
本研究では6つの消費者実験によって、決済金額を角張ったフォントで表示する場合、丸いフォントの場合よりも支出感覚が強まること、また、そうした支出感覚の強化は、角張ったフォントの形状から感じる荒々しさが支出の痛みの連想を高めることに起因することを明らかにした。さらに研究ではフォントの形状が支出感覚に与える影響は、支出金額の大きさや消費者の文化的背景(東洋と西洋)によって調整されることも確認した。
モバイル決済を始めとする電子決済の普及に関する議論では、金銭取引の効率化や経済活性化への貢献、非接触型であるがゆえの感染症拡大防止など、電子決済システムの社会的普及がもたらすポジティブな側面がより注目されてきたように思う。しかし、今後、電子決済の社会的普及が一層進めば、支出感覚の希薄化による過剰支出がひとつの主要な消費者問題として浮上する可能性がある。電子決済における支出感覚の鈍化とそれによる過剰支出の可能性は先行研究で指摘されてきたものの、こうした問題への具体的な対処方法の研究は殆ど皆無であった。金額表示フォントの形状が消費者の支出感覚に有意な影響を与えることを発見することで、感覚マーケティングが電子決済の過剰支出問題に対処するための有効な研究アプローチになりうることを示せたことに、本研究の主な貢献があると考えている。
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[8] Bar, M., & Neta, M. (2006). Humans prefer curved visual objects. Psychological Science, 17(8), 645-648.
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朴 宰佑(ぱく ぜう)/中央大学商学部教授
専門分野 消費者行動論、感覚マーケティング韓国ソウル生まれ。一橋大学大学院商学研究科博士課程修了〔博士(商学)〕。オックスフォード大学実験心理学科客員研究員(14年)。神戸国際大学(専任講師)、千葉商科大学(専任講師・准教授・教授)、武蔵大学(教授)を経て2021年より現職。
専門は消費者行動論および消費者の購買意欲を高めるための感覚マーケティング研究。最近は感覚マーケティングの社会的課題解決への応用研究にも取り組んでいる。『Journal of Consumer Psychology』、『Psychology & Marketing』、『Journal of Advertising』、『Journal of Retailing』、『Journal of Product & Brand Management』、『Food Quality & Preference』などマーケティングや食心理学分野のトップジャーナルに研究成果を掲載している。
研究業績の詳細についてはresearchmapを参照してほしい。
https://researchmap.jp/parkjw朴宰佑教授が筆頭著者の論文がマーケティング分野のQ1ジャーナル『Psychology & Marketing』に掲載されました。
https://www.chuo-u.ac.jp/academics/faculties/commerce/news/2022/03/59517/