研究

子を思う親の心、日中両国は同じだろうか

唐 成(とう せい)/中央大学経済学部教授
専門分野 中国経済

高齢化と高貯蓄率の謎

 2021年末に上梓した『家計・企業の金融行動から見た中国経済―「高貯蓄率」と「過剰債務」のメカニズムの解明―』(有斐閣)では、「経済構造転換期」に入っている中国経済が今後、持続的成長を維持していくために、どのような課題に重点的に取り組むべきなのかという問いに対して、高貯蓄率(過剰貯蓄)と過剰債務という2つの視点から取り上げている。筆者は常に「日本経済は中国経済の鏡」であると考えており、日本が今経験していることは、今後の中国も本格的に経験するであろう。副題の「高貯蓄率」と「過剰債務」は、まさに高度成長期の日本経済の特徴である。以下に述べるように、急速に高齢化する両国において、高齢者世帯の貯蓄行動にも共通点が見られている。

 中国は高齢化が急速に進んでおり、2021 年に65 歳以上の人口は2 億人を突破し、この10 年で6 割増えている。にもかかわらず、家計貯蓄率は高止まりしているという「高齢化と高貯蓄率の謎」は興味深い研究課題である。

1 世帯主の年齢階層別家計貯蓄率の日中比較

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(出所) 総務省「家計調査2019」、CHFS 201520172019 より作成。詳細は唐成(2021)。

 その謎を解き明かす1つのキーワードは高齢者の貯蓄行動であると考えられる。ライフサイクル仮説では、人々は若い時に就業し、稼いだ所得の一部を貯蓄して老後に備え、老後は蓄えてきた資産を取り崩すことで生活費を補うとされている[i]。この仮説では、家計貯蓄率と年齢の関係は逆U字型である。しかし、日中両国の年齢階層別の家計貯蓄率には(図1)、60歳代になると再び上昇傾向が見られる。なぜ高齢者の貯蓄率が高い水準にあるのか。拙著では遺産動機という視点から実証分析によって明らかにしている。

遺産動機と家計貯蓄行動

 欧米諸国や高齢化が進む日本では、遺産動機と家計貯蓄行動に関する研究成果は多くある。最近の日本銀行金融広報中央委員会の集計データでは、「遺産として子孫に残す」を選ぶ高齢者世帯の割合が2000年代半ば以降大きく上昇しており、そのことが高齢者の遺産動機が貯蓄率を高めている論拠とされている[ii]

 中国においても遺産動機が高齢者世帯の貯蓄行動に影響を及ぼしているのであろうか。第1章第4節では、中国家計金融調査(CHFS)の201520172019 年データ(各年約4 万世帯)から高齢者世帯のみを抽出して、その分析をした。ただ中国の家計調査では、遺産動機に関する直接的な質問項目がないため、実証分析では先行研究を参考にし、遺産動機の代理変数として、生命保険の加入状況、②男の子が子供の数に占める割合、③持家数が2 軒以上を採用し、それぞれが高齢者世帯の貯蓄率に与える影響を推定した。

 その結果、いずれの遺産動機も高齢者世帯の貯蓄率に正の影響を及ぼしていることがわかった。つまり、中国も日本と同じく、遺産動機が高齢者世帯の貯蓄率を押し上げている1つの要因である。しかし、経済格差の大きい中国では、この現象の背後にどのような特徴があるのであろうか。

高齢者世帯における遺産動機の異質性

 そこで、(1)都市と農村別、(2)資産格差、(3)子の生活環境の差という3つの視点から、高齢者の遺産動機が家計貯蓄率に与える影響を検討してみた。まず、(1)都市と農村別について。両者のそれぞれの推定結果によると、農村部は都市部よりも遺産動機が高齢者世帯の貯蓄率に与える影響が強いことが示唆された。その理由は都市部に比べて農村部では、従来からの伝統的な慣習として、子が親の面倒を見るという扶養形態が依然として根強いことにある。それは世代間の絆を深め、高齢者が子のために遺産を残そうとする動機を強めると考えられる。また、農村世帯の所得水準が低いため、高齢者世帯では将来の生活不安から、より貯蓄に励むと見られる。

 次に、(2)資産格差について。高齢者世帯の資産規模を高・中・低の3つに区分して実証した結果では、遺産動機は高資産層に比べて、中・低資産層の方が貯蓄率の上昇に強い正の影響を与えていることが示唆された。これは高齢者の遺産動機が強いのであれば、資産規模が低いほど、より貯蓄に励む必要があるからと考えられる。

 最後に、(3)子の生活環境について。遺産動機のモデルには利己主義を前提としたライフ・サイクル・モデル、利他主義モデル、王朝モデルの3種類がある[iii]。この中で、利他主義モデルでは、親が子に対して世代間の利他主義(愛情)を抱いており、自分の消費に加え、子の消費からも効用を得ると仮定している。したがって、親はどんな場合でも、子に遺産を残すとされる。

 そこで、子の生活環境を子の職業(公務員等の体制内職業と民営企業等の体制外職業)と子の教育水準(大学卒以上と高卒以下)という視点で考察した。その結果、子の生活環境が悪いほど、遺産動機として高齢者世帯の貯蓄率を上昇させていることが示唆された。これは親が子の将来の生活水準に悲観的な見方を持つほど、貯蓄をして遺産を残そうとする傾向が見られるということであり、利他主義モデルは説得力がある。さらに日本のデータを用いた筆者らの共同研究で、日本の高齢者世帯でも利他的遺産動機が家計貯蓄率を高めるという結果が得られている[iv]

まとめ

 このように、中国の高齢者世帯における遺産行動の背後には、学歴・格差社会において、子への強い愛情という親心が結果的に家計貯蓄率を高めたといえる。これは、日本において、低成長から自分よりも子の暮らし向きが悪化することを懸念し、遺産動機が高齢者世帯の貯蓄率を高めるという実証研究と一致している。つまり、子を思う親の心、それは日中両国とも同じということであろう。

 従って、適切な相続税の導入は、高齢者世帯の遺産動機を緩和させることができ、富の再分配を促し、格差社会の是正に対しても重要である。また、経済成長を持続させることにより、子の就業と所得等の生活環境を改善し、親が子へ抱く不安を取り除くことが重要である。さらに、金融市場化や家計金融リテラシーの普及を通じて、家計の資産形成と資産蓄積を政策的に推し進めることも不可欠である。


[i] Modigliani, F. and Brumberg, R. (1954)," Utility Analysis and the Consumption Function: An Interpretation of Cross-Section Data". In: Kurihara, K., Ed., Post Keynesian Economics, New Brunswick: Rutgers University Press, 388-436.
[ii] 濱秋純哉・堀雅博(2019)「高齢者の遺産動機と貯蓄行動──日本の個票データを用いた実証分析」『経済分析』第200 号,11─36 頁。
[iii] Horioka, Charles Yuji (2002), "Are the Japanese Selfish, Altruistic or Dynastic?" Japanese Economic Review, vol. 53, no. 1 (March), pp. 26-54.
[iv] Tang, Zhang and Yang.(2021."Bequest Motives and the Chinese Household Saving Puzzle."Journal of Chinese Economic and Business Studies.doi: https://doi.org/10.1080/14765284.2021.1996190.

唐 成(とう せい)/中央大学経済学部教授
専門分野 中国経済

中国浙江省紹興市生まれ。1997年筑波大学第一学群社会学類経済学専攻卒業。2002年筑波大学大学院博士課程社会科学研究科経済学専攻終了。経済学博士(筑波大学)。
慶應義塾大学総合政策学部訪問講師〔招聘〕、桃山学院大学経済学部助教授、准教授、教授を経て2014年より現職。

現在の研究課題は、家計経済のミクロ実証分析、②中国金融に関する歴史・制度・実証分析などである。

単著に『家計・企業の金融行動から見た中国経済--「高貯蓄率」と「過剰債務」のメカニズムの解明』(有斐閣、2021年)、執筆分担に『毛沢東時代の経済改革開放の源流をさぐる』(名古屋大学出版会、2021年)、Theory and History in Regional Perspective: Essays in Honor of Yasuhiro Sakai(Springerforthcoming)などがある。