EUにおける相互承認原則の可能性と限界
庄司 克宏(しょうじ かつひろ)/中央大学総合政策学部教授(慶應義塾大学名誉教授・Jean Monnet Chair ad personam)
専門分野 EU法・政策、ヨーロッパ統合論、比較国際機構
トランスナショナル・ガバナンスと相互承認原則―水平的な主権共有と多様性の中の結合
最近の拙著(共編著)『トランスナショナル・ガバナンス―地政学的思考を越えて』[写真右]において、トランスナショナル・ガバナンス(国境を越えた統治)について考えた。国家の活動は、人権問題や金融政策など、たとえ内政に関わるものであっても、他の国家に影響を及ぼすこと(国家間における「相互的外部性」)がある。この点に由来する国家の機能不全が、トランスナショナル・ガバナンスが必要とされ、それを正当化する根拠となっている[1]。
国家はグローバルな政治の「主人公」であるが万能ではないため、その欠陥を補う「付加価値」としての役割がトランスナショナル・ガバナンスの存在理由なのである。「国家を越えたガバナンスという巨大かつ複雑な世界においては、すべての制度的選択肢は高度に不完全なのである」という指摘がある[2]。これは国家にも当てはまる。国家の政策決定が不完全であるゆえに、国家は不完全ながらグローバルな政治で決定を行う支配的なアクターとしての地位を依然として有している一方で、国家がもはや一定の問題におけるガバナンスに最も適した組織体ではない場合もあり得る[3]。そこにトランスナショナル・ガバナンスの必要性が生じる。
「付加価値」としてのトランスナショナル・ガバナンスの一例として、欧州連合(EU)を挙げることができる。EUは国家を構成員とするが、単独では達成できない利益を獲得するためにEUレベルで「主権の共有」を行っている。そのような営為により、EUの域内市場では相互承認原則による水平的な主権共有が行われ、物・人・サービス・資本の国境を越えた自由な移動が達成されている[4]。
世界の国々は各々の主権に基づき、たとえば安全、健康、環境などの理由に基づいて、物品貿易に対して独自の規制を有しているため、他国の物品の輸入に対して自国規制への適合を要求して国境検査を実施している。これが非関税障壁という形で輸入品のコストを上昇させ、自由貿易を阻害している。では、複数の国家が各自の国内規制を共通化(調和)しないまま、相互の間で国境を越える物の自由移動を実現することは可能だろうか。ここに相互承認原則による水平的な主権共有の可能性がある。その答えは、欧州連合(EU)司法裁判所のカシス・ド・ディジョン判決に示されている。
ドイツのレーヴェ社はなぜドイツ政府を訴えたのか?
ドイツのケルンに拠点を置き、スーパーマーケットなどを営むレーヴェ社[5]が、1976年9月14日、連邦蒸留酒専売局に、アルコール度数15~20%の「カシス・ド・ディジョン」などの果実酒をフランスから輸入する許可を申請したところ、輸入許可は不要であるが、ドイツ国内で販売することはできないとの通告を受けた。なぜならば、ドイツの関連法令によれば、カシス・ド・ディジョンのような果実酒の販売がフランスでは自由に販売されているにもかかわらず、ドイツでは最低アルコール度数25%を充たしていることが条件とされていたからである[6]。
その結果、ドイツの定めるアルコール度数より低率であるにもかかわらず、度数の違いにより、カシス・ド・ディジョンはドイツでの販売を妨げられた。そこで、レーヴェ社は連邦蒸留酒専売局の決定を不服としてドイツ国内裁判所に訴えを提起し、ドイツの関連法令がEU機能条約第34条により禁止される「数量制限と同等の効果を有する措置」であると主張した。ドイツ国内裁判所は、この問題について「先決付託手続」によりEU司法裁判所にEU法の解釈(先決判決)を求めた[7]。
ドイツ政府はEU司法裁判所において、同国の関連法令が公衆衛生の保護のために存在することを主張した。しかし、ドイツは公衆衛生を理由とするとされる関連法令を根拠にカシス・ド・ディジョンがドイツ国内で販売されるのを禁じることができるのだろうか。そこには、EU法上の物の自由移動という一般的原則と、加盟国は自国民の公衆衛生を保護するために法令を制定することができるという原則との抵触が生じていた[8]。
カシス・ド・ディジョン判決は何を示したのか?
EU司法裁判所は、1979年2月20日の先決判決(カシス・ド・ディジョン判決)において次のような判断を示した。
「アルコールの生産及び市場取引に関する共通の規制がない場合・・・、自国領域におけるアルコール及びアルコール飲料の生産及び市場取引に関するすべての事項を規制するのは加盟国である。
問題となっている産品の市場取引に関する国内法の相違から生じる[EU]内での移動に対する障壁は、それらの規定が特に税務監察の実効性、公衆衛生の保護、商取引の公正及び消費者保護に関する不可避的要請を満たすために必要と認められるうる限りにおいて、受け容れられなければならない。[9]」
ドイツ政府は公衆衛生の保護について、最低アルコール度数の設定は、度数の低いアルコール飲料の方が度数の高い飲料よりもアルコール過剰摂取の容認を招きやすいからであると正当化した。これに対し、EU司法裁判所はドイツ国内でアルコール度数の低い飲料を幅広く入手できるし、国内で自由に販売されている度数の高い飲料も大部分が水で割って消費されるのが一般的であるという理由で、ドイツ政府の正当化を受け容れなかった[10]。
こうした理由からEU司法裁判所は、加盟国の法令がアルコール飲料の販売のための最低アルコール度数を設定する一方的措置が物の自由移動に反する貿易障壁となっているように思われると判断し[11]、次のような判断を示した。
「それゆえ、加盟国の一つにおいて適法に生産及び市場取引されている限り、アルコール飲料が他のいずれの加盟国にも輸入されるべきでないとするもっともな理由は存在しない。[12]」
このようにして、「一加盟国において適法に生産され、取引されているかぎり、当該産品が他の加盟国においても輸入を認められるべきである」という相互承認原則が確立された。
元EU司法裁判所判事のサー・デイヴィッド・エドワード(Sir David Edward)氏によれば、EU司法裁判所が述べたことは本質的に次の2点であった。第1に、加盟国は公衆衛生を保護するための措置をとる権限を有するが、公衆衛生の保護にとって必要な限度を超えることはできない、ということであった。第2に、他国の産品を排除することが必要かどうかを考慮する際、加盟国は他国も公衆衛生保護のための法を有しているという事実を考慮に入れなければならない、ということであった。それゆえ基本的に、各国は他国が類似の目的のための類似の措置をとっているという事実に依拠しなければならない。それが、相互承認ないし相互信頼の原則の基礎にある[13]。
それゆえ、カシス・ド・ディジョン判決は本質的に、他国の産品を締め出すために自国の法令を適用することができるかどうかを考慮する際、第1にその他国もまた、同一の目的に適い、同一の結果を達成する類似のルールを有しているかどうかを考慮しなければならない。第2に自国のルールがそのような状況において適用される必要があるかどうか考慮しなければならない[14]。
相互承認原則とは何を含意するのか?
以上のようなカシス・ド・ディジョン判決を言い換えると、拙著『新EU法 政策篇』[写真右]によれば、次のように説明することができる。
(1) 当該分野においてEUレベルでの各国法の調和が存在しない場合、ホーム・ステート・コントロール(home state control)すなわち原産国規制を原則とする。
(2) 一方で、各加盟国の事情に応じて「不可避的要請」に基づく正当化により(かつ比例性原則を充たすことにより)、例外的にホスト・ステート・コントロール(host state control)すなわち輸入国規制の余地を認める。
(3) 相互承認原則の下では、「不可避的要請」の検討に際してホーム・ステートとホスト・ステートの両規制の同等性(equivalence)すなわち重複の有無が検討される。
(4) ホスト・ステートは自国が要求する規制とホーム・ステートですでに実施された規制の間に機能的な同等性(方法・手段が異なるが同じ目的を達成すること)を探し出して受け容れる義務がある。
(5) 同等性に欠けるときには、その限りでホスト・ステート・コントロール(不可避的要請による例外)を及ぼすことができる[15]。
相互承認原則の可能性と限界―域内市場とユーロ圏の間
この相互承認原則により、EUレベルで各国法令を詳細な形で共通化(調和)することは必ずしも必要ではなくなった。カシス・ド・ディジョン判決の結果、国内規制が原則として他の加盟国からの輸入品に適用できないのであれば、各国法の調和は不要となる。このようにして相互承認原則は、各国規制の多様性を維持しつつ、域内市場における物の自由移動を確保する手段となった。それは、開業の自由における専門職資格の同等性原則や金融サービスの単一パスポート制度でも応用され、さらに刑事司法協力や共通難民庇護制度でも使用されている。
イギリス出身の最初のEU司法裁判所判事(1973~88年)であったマッケンジー・スチュアート卿(Lord Mackenzie-Stuart)は、カシス・ド・ディジョン判決が自己の任期中において最も重要な判決であったと述べている(彼はこの判決を下した法廷の一員であった)。また、サッチャー(Margaret Thatcher)英政権によりコミッション委員として指名され、域内市場担当委員(1984~88年)を務めたコックフィールド卿(Lord Cockfield)は、カシス・ド・ディジョン判決の相互承認原則を1992年域内市場完成計画に組み込んだことが自己の最大の業績であるとみなしていたと言われている。このように、イギリスの出身者がEU域内市場法の発展の立役者であった[16]。拙著『ブレグジット・パラドクス』[写真右]で指摘しているように、水平的な主権共有の立役者であったイギリスが主権回復を要求してEUから離脱したこと(Brexit)は歴史の皮肉と言える。
他方で、この多様性の中の調和をもたらした相互承認原則は、「1つの市場に1つの通貨」のスローガンの下に導入された単一通貨ユーロに基づく経済通貨同盟には適用不能であった。最適通貨圏の理論によれば、単一通貨を採用するユーロ圏が機能するには、経済的ショックを吸収することのできる統合された資本市場、財政移転や労働力移動などが不可欠とされる[17]。そのため、経済通貨同盟の下では、域内市場での各国の多様性を許容する相互承認原則は持続可能ではなく、EUレベルでの各国法の完全な調和を強化することが求められる。EUが単一通貨ユーロを支えることのできる経済通貨同盟に移行するのであれば、資本移動や金融サービスなどに関する一律の共通ルールが域内市場でも必要とされ、相互承認原則の有効性は期待できないことになる[18]。
1990年にドイツのブンデス・バンクは、次のような声明を発している。
「結局のところ、通貨同盟はそれゆえ、一個の不可逆的で連帯的な共同体なのであり、過去の経験に照らすならば、永続的であるためには包括的な政治同盟という形で一層遠大な結合を必要とする。[19]」
[1] 庄司克宏・ミゲール=P=マドゥーロ編『トランスナショナル・ガバナンス―地政学的思考を越えて』岩波書店、2021年、ⅳ頁。
[2] Miguel Poiares Maduro and Neil Komesar, "Constitutionalism without Borders and Governance beyond the States: A Comparative Institutional Approach" in Paul Schiff Berman (ed.), The Oxford Handbook of Global Legal Pluralism, Oxford University Press, 2020, pp. 439-472 at 440.
[3] Ibid.
[4] 庄司克宏「トランスナショナル・ガバナンスと相互承認原則」、庄司・マドゥーロ編前掲書、注1、24-51頁。
[5] REWE GROUP (ZENTRAL-AG UND ZENTRALFINANZ EG), the Sustainability Code, available at <http://datenbank2.deutscher-nachhaltigkeitskodex.de/Profile/CompanyProfile/7188/en/2014/dnk>, accessed 29/12/2021.
[6] Case 120/78 Rewe-Zentral AG v Bundesmonopolverwaltung für Branntwein, ECLI:EU:C:1979:42, [1979] ECR 649, paras. 2-5, available at <https://eur-lex.europa.eu/legal-content/EN/TXT/PDF/?uri=CELEX:61978CJ0120&from=EN>, accessed 27/12/2021.
[7] Ibid.
[8] Session V: Years on the Courts: Part 2 - 1989-2004, Recollections About Membership on the Courts, JUDGE DAVID EDWARD ORAL HISTORY (Interview With Judge David Edward), Session: Number 5, 22 November 2005, Edinburgh, [2006_05_17_Session 5.doc], p. 8, available at <https://www.law.du.edu/documents/judge-david-edward-oral-history/transcript-2006-05-17-session-5.pdf>, accessed 28/12/2021.
[9] Case 120/78 Rewe-Zentral AG v Bundesmonopolverwaltung für Branntwein, cited supra note 2, para. 8.
[10] Ibid., paras. 9-11.
[11] Ibid., para. 14.
[12] Ibid.
[13] Session V: Years on the Courts: Part 2 - 1989-2004, Recollections About Membership on the Courts, JUDGE DAVID EDWARD ORAL HISTORY (Interview With Judge David Edward), Session: Number 5, 22 November 2005, Edinburgh, [2006_05_17_Session 5.doc], op. cit. supra note 9, p. 8.
[14] Ibid., p. 8, 9.
[15] 庄司克宏著『新EU法 政策篇』岩波書店、2014年、53,54頁、庄司克宏「EU域内市場政策―相互承認と規制権限の配分」、田中俊郎・庄司克宏編『EU統合の軌跡とベクトル』慶應義塾大学出版会、111-137頁。
[16] Jukka Snell, "Cassis at 40", European law review, Nº 4, 2019, pp. 445-446, available at <https://dialnet.unirioja.es/servlet/articulo?codigo=7024157>, accessed 28/12/2021.
[17] 田中素香「最適通貨圏の理論とユーロ危機 : OCA理論は生き残れるのか」『熊本学園大学経済論集』第22巻3-4号、2016年3月、87-105頁。
[18] Jukka Snell, op.cit. supra note 12.
[19] "Statement by the Deutsche Bundesbank on the establishment of an Economic and Monetay Union in Europe", Monthly Report, Deutsche Bundesbank, October 1990, pp. 40-44 at 40, available at <https://www.bundesbank.de/resource/blob/705412/d3cff5d75ca05d7d3e37ca586b7ee19f/mL/1990-10-monthly-report-data.pdf>, accessed 28/12/2021.
庄司 克宏(しょうじ かつひろ)/中央大学総合政策学部教授(慶應義塾大学名誉教授・Jean Monnet Chair ad personam)
専門分野 EU法・政策、ヨーロッパ統合論、比較国際機構和歌山県出身。1957年生まれ。
1980年慶應義塾大学法学部法律学科卒業、1983年同政治学科卒業。
1985年慶應義塾大学大学院法学研究科修士課程修了。
1990年慶應義塾大学大学院法学研究科博士課程満期退学(所定単位取得)。
慶應義塾大学大学院法務研究科教授を経て2021年より現職。現在の研究課題は、ユーロ危機、欧州難民危機、Brexit、欧州ポピュリズムなどの現象を踏まえて、相互承認原則に基づく水平的な主権共有によるトランスナショナル・ガバナンスの可能性と限界について考察することである。
また、主要著書に、『欧州連合―統治の論理とゆくえ』(岩波新書、2007年)、『新EU法 基礎篇』(岩波書店、2013年)、『新EU法 政策篇』(岩波書店、2014年)、『はじめてのEU法』(有斐閣、2015年)、『欧州の危機―Brexitショック』(2016年、東洋経済新報社)、『欧州ポピュリズム―EU分断は避けられるか』(ちくま新書、2018年)、『ブレグジット・パラドクス』(岩波書店、2019年)などがある。また、アニュ・ブラッドフォード著、庄司克宏監訳『ブリュッセル効果―欧州連合はどのように世界を支配しているか』が白水社より2022年3月に刊行予定である。