研究

持続可能性を実現する経営とは -日・タイの共把共行-

木村 有里(きむら ゆり)/中央大学国際経営学部教授
専門分野 アジア経営、異文化経営

新たな30年にむけて

 これまで、マネジメントのパラダイムはおよそ30年ごとに革新されてきました。1900年から1930年までは企業内部の合理性を追求した時代、1930年から1960年は組織で働く人びとの動機づけやリーダーシップなどの研究が進んだ人間関係論の時代、1960年から1990年は企業間競争を勝ち抜くための戦略的経営の時代、1990年から2020年はITの進展を背景にしたグローバル化の時代であったといえるでしょう。それでは、2020年から2050年へ、新たな30年はマネジメントにとってどのような時代になるのでしょうか。数々の小説や映画が予言してきたように、人工知能・ロボテックスと人間との共存がテーマになるのか、あるいは、気候変動による自然災害や食糧難など人類存亡の危機への対応を迫られることになるのか、いずれにしても2050年から先の未来へバトンを繋ぐためには「持続可能性」がキーワードの一つになることは間違いないでしょう。

SDGs経営?

 2015年国連サミットにおいて、2030年までに到達すべき持続可能な開発目標SDGs(Sustainable Development Goals)が掲げられると、SDGsはビジネスの世界でも一気にトレンドとなり、今やSDGs経営花盛り、17の開発目標を示したカラフルな丸型のバッジをビジネスパーソンが身に付けているのを眼にすることも多くなりました。SDGs経営とは、本来、「SDGsの達成にむけた経営」ないしは「SDGsの理念を取り入れた経営」を意味します。ですが、経済産業省は2019年に「SDGs経営ガイド」[1]を公開するにあたり、「企業においてSDGsをいかにして企業経営に取り込み、ESG投資を呼び込んでいくかは、持続的な企業価値の向上の観点から重要な課題です」と紹介しています。また、企業がSDGsに取り組むことの経営的「メリット」についての分析も銀行・シンクタンクから数多く公開されています。持続可能な世界を作るための目標であったSDGsは、持続的な企業価値向上のためのツールへと置き換わっているようです。

 企業の存在意義に対して、経済学者フリードマンの'The Business of business is business'[2]がしばしば引用されるように、利潤最大化こそが経営者の真摯な務めであるとの考えは根強く支持されており、時にシフトダウンしてでも持続可能性を追求しようという姿勢とは相容れないものなのかもしれません。

タイ的経営からの示唆

 タイには前国王プミポン国王(ラーマ9世)が提唱された「足るを知る経済」(sufficiency economy)の考えが浸透しています。仏教の中庸の教えに従い、「欲心を抑え、必要なことだけを必要なだけ正直に行う」ことによって、しなやかで持続可能な社会を作るという考え方です。1997年アジア金融危機以後のタイ国家経済社会開発計画には、この哲学が取り入れられ現在も継続していますし、タイの経営者の85%が「足るを知る経済」論に基づく経営手法を支持しているとの調査結果もあります[3]。しかし、「足るを知る」ことは企業の発展を阻害することにはならないのでしょうか。調査[4]をしてみると、タイ人経営者の考える企業の「発展」の意味が、利益拡大、企業成長にとどまらず、多様なものであることがわかりました。アンケートによれば、「足るを知る経済」に基づくビジネスとは、短期的利益を求めないこと、関連しない分野への投資をひかえること、信頼されること、雇用確保を重視すること、従業員の幸せを作り出すこと、従業員の平安(安定)を生み出すこと、などです。さらに、インタビューから「発展」とは、i 経営者と社員が仕事を通じて良き人間へと成長すること、ii得たもの(富)を分け与えることができること、ⅲ国の発展に貢献できること、と考えられていることがわかりました。このように、タイでは足るを知り、持続可能な形で多様な発展を目指す企業経営が実践されているのです。

学び合う日本とタイ

 これまで、日本企業と在タイ企業の間での知の移転に関しては、テクノロジートランスファー、リバースエンジニアリングなど製品・技術ベースで研究がすすめられてきましたが、これからは、マネジメントベースでの知の移転が一層重要になると考えています。例えば、ダイバーシティ・マネジメントについて日本はタイから多くを学ぶことができるでしょう。ある在タイ大手日系メーカーでは、班長以上のマネジャーの6割以上が女性です。日本本社が女性活躍推進本部を設置し、女性の登用を進めていると聞いて「では、私たちは男性活躍推進本部を作りましょうか」と笑いあったそうです。また、タイにはHIV陽性者を職場に受け入れてきた経験があります。障がい者はもとより、難病を抱えた方、癌サバイバーの雇用と活用に戸惑う日本の現状とは対照的です。外国人労働者の受け入れについても同様に、タイには隣国からの労働者受け入れに長い経験があります。

 それでは、日本からタイへは何が伝えられるでしょうか。それは、「モノづくりはヒトづくり」として受け継がれてきた人材教育と、それを通じた「人間の価値」の平等であると考えています。

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在タイ日系企業内の安全学校、防護服やヘルメットの種類、装着方法など基礎から学ぶことができる。

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安全学校よりも上位の訓練施設、Safety DOJOU Room 「道場」では作業を繰り返し練習して安全性の向上をはかる。

 現在のタイの不安定な政治情勢は、国民間の格差拡大が要因の一つですが、それは、経済的格差のみならず「人間の価値」の格差でもあるのです。タイでは、前世の因果により今生に貧しく、教育のない者の意思や命は、おおよそ軽んじられてきました。しかし、日系企業各社では、低位の単純作業担当者から、高位のエンジニアに至るまですべての階層の社員が等しく学び、習熟を目指しています。労働災害(タイでは非常に多く発生するのですが)に対しても、ホワイトカラー、ブルーカラーの区別なく撲滅にむけての取り組みがなされています。どのような末端の作業者であっても、ひとりひとりの作業員の安全は等しく確保され、ヘルメット、ゴーグル、ゴム手袋、安全靴などの防護具が支給されます。そして、それらの使用方法も含めた安全教育により、農村出身で十分な知識のない者でも自分自身を守る術を学習することができるようになっています。このような取り組みは、エリート層出身のホワイトカラーたちの「人間の価値」に対する意識を変えてゆきます。身分に対する伝統的価値観を変えることには長い時間がかかりますが、日系企業の「ヒトづくり」は、スピルオーバーによって浸透し、格差是正への確かな一歩となるでしょう[5]

 日本とタイ、延いては東南アジア地域が、ともに持続可能な社会を実現するためには、今後より一層、学び合う共把共行のマネジメントが必要になると考えています。


[1] https://www.meti.go.jp/press/2019/05/20190531003/20190531003.html
[2] Freedman, M. (1970)," Social Responsibility of Business is to Increase its Profits", The New York Times Magazine, September 13.
[3] Sooksan Kantabutra(2008) "Development of the Sufficiency Economy Philosophy in the Thai Business Sector: Evidence, Future Research & Policy Implications"
[4] 「発展の行方-タイ的経営にみる知足と発展」、地域文化研究第14巻(2013)、文科省科研費基盤研究(B)一般(平成20年度~平成23年度) 「アジアにおけるダイバーシティ・マネジメント:イスラーム、儒教、仏教を基盤として」研究分担者研究実績
[5]「タイ2014年クーデターに関する一考察-タイ社会における人間の価値の問題-」、地域文化研究第16巻(2015)、文科省科研費基盤研究(B)一般(平成24年度~平成26年度) 「ポスト・コーポレーションとイスラーム的企業:企業の多元的展開の方向性に関する研究」研究分担者研究実績

木村 有里(きむら ゆり)/中央大学国際経営学部教授
専門分野 アジア経営、異文化経営

神奈川県横浜市出身(9歳までタイ東北部コンケンに育つ)
1996年東京外国語大学外国語学部東南アジア学科卒業
1999年横浜市立大学大学院経営学研究科修士課程修了
2002年横浜市立大学大学院経営学研究科博士(後期)課程単位取得退学
杏林大学総合政策学部専任講師、准教授、教授を経て2019年より現職

現在の研究課題は、在ASEAN日系企業のダイバーシティ・マネジメントおよび人権の扱いについて、また、学会の活動を通じて経営学教育、経営学教科書の検討もすすめています。<著書>『知足社会の経営-日・タイ協働への視座』2018年、文眞堂。木村有里、田中信弘編著『新版ストーリーで学ぶマネジメント-組織社会編』2019年、文眞堂