研究

007の悪役のモデルは、戦後イギリスの高層建築と都市再建計画の担い手だった?

−−イアン・フレミング vs エルノ・ゴールドフィンガー

福西 由実子(ふくにし ゆみこ)/中央大学商学部教授
専門分野 イギリス文化史・文学

女王陛下の007

 みなさんはジェームズ・ボンドをご存知ですか?イギリスの作家イアン・フレミング(Ian Fleming, 1908-1964)が執筆したスパイ小説、「007シリーズ」(1953-1966)に登場する主人公です。イギリス秘密情報部員である彼は、冷戦を背景に、東側諸国の絶対的な悪者を倒していきます。ボンドは、第二次世界大戦中に海軍情報部とMI6で特別に工作に携わっていたフレミング自身をモデルとしており、イギリス国内だけでなく国外でも今なお人気者で、小説シリーズはほぼ全て映像化されています。2012年のロンドンオリンピックの開会式では、ダニエル・クレイグ扮するボンドがエリザベス女王と"共演"も果たしました。

007の悪役のモデル?-エルノ・ゴールドフィンガーの長い旅路

 さて、この007シリーズの第7作目に、ゴールドフィンガーという悪役が登場します(原作小説は1959年、映画は1965年に発表)。ゴールドフィンガーはロシアからやってきたユダヤ人で、他のシリーズと同様、金と権力を巡ってボンドと死闘を繰り広げます。実はこのゴールドフィンガーには、実在の同姓のモデルがいるのです。本稿ではこの実在の建築家、エルノ・ゴールドフィンガー(Ernö Goldfinger, 1902-87)を中心に据え、彼の人生と作品、フレミングとの因縁をめぐって論を進めてみたいと思います

ゴールドフィンガーの都市開発と高層建築

 モダニズム建築家の第一世代の一人であったゴールドフィンガーは、戦後のブルータリスト時代に、彼よりはるかに若い建築家たちに大きな影響を与えました(注1)。ブダペストのユダヤ人家庭に生まれ、1919年に家族と一緒にウィーンに移ります。スイスとパリで教育を受けたのち、建築を学ぶためにパリの美術学校エコール・デ・ボザールへ入学しましたが、保守的な校風が合わず、もっぱら学外でオーギュスト・ペレやル・コルビュジエらすでに地位を確立していた建築家に師事しました。1934年、彼は2年前にパリで出会ったイギリス人芸術学生、アーシュラ・ブラックウェルと結婚し、ロンドンに移住します。ここで彼はMARSグループ(Modern Architectural Research Society)に参加し、ウェルズ・コーツら急進的な若い英国の建築家や、ヴァルター・グロピウス、バーソルド・リュベトキンなどのドイツとロシアからの亡命建築家らと交流を深めました。彼らが居住していたハムステッドの一角に自ら設計した自邸を構え、亡くなるまで50年暮らしました(2ウィロー・ロード)。この住居は、むき出しの赤レンガとコンクリートを使用した直線的なテラスハウスで、周囲の19世紀初頭に建てられた建築物と調和するよう設計されましたが、それにもかかわらず、ハムステッドの美観を損ねると近隣住民からはかなり強い反発を受けました。

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左・右:ゴールドフィンガー自邸。直線的な外観とは異なり、屋内は木材をふんだんに使った暖かみのある内装。現在はナショナル・トラストが管理・運営している。

 戦時中、ゴールドフィンガーは爆弾で被害を受けたロンドンを再生する計画に取り組みましたが、戦後の彼の仕事はやや小規模で、注目に値するのは、ロンドンのクラーケンウェルにある『デイリー・ワーカー』本部(1946年)と、バーミンガムのシャーリーにあるカー・アンド・カンパニー社のオフィス(1956年)などです(後者には明らかにコルビュジエのユニテ・ダビタシオンの影響が見られます)。このころゴールドフィンガーはブルータリズムの先駆的建築家のアリソン&ピーター・スミッソン夫妻に認められ、ホワイトチャペル・アートギャラリーでの1956年の展覧会「This is Tomorrow」に出展を許されます。

 1959年、ゴールドフィンガーは、ロンドンのエレファント・アンド・キャッスル再開発の大規模計画に取り組む機会を与えられました。1960年代には、ゴールドフィンガーはイースト・ロンドンのポプラー、次にノッティングヒルの住宅街区開発の委託を受けました。これらはそれぞれ、彼の設計した建築物のうち、もっとも有名な(そして異様に巨大であると悪名も高かった)バルフロンタワーとトレリックタワーで、現在ではイギリス指定建造物2*級(Grade II*、特別に重要な建造物)に指定されています。

 1956年に『ガーディアン』誌に宛てた手紙の中で、ゴールドフィンガーは次のように述べています。「高層建築の目標は、子供や大人が母なる地球を楽しめるよう彼らに地面を解放することであり、レンガやモルタルで隅々まで覆うことではありません」。ゴールドフィンガーは、この夢を実現することで、20世紀の英国の最も有名な現代建築家の1人となったのです(注2)

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左:バルフロンタワーを背に立つゴールドフィンガー。中:バルフロンタワー最上階のベランダでのゴールドフィンガー夫妻。最上階のペントハウスに住まい、毎夜パーティーに明け暮れ階下を見下ろすさまは、のちにJ.G.バラードのディストピア小説『ハイライズ』(1975)で、高層マンションに君臨する建築家ロイヤルとして皮肉的に描かれる。右:現在もノッティングヒルに屹立するトレリックタワー。31階建て、高さ98mのブルータリズムの代表作といわれる。もとは公団住宅であったが、現在は住戸の一部はリノヴェーションを施され、富裕層向けに販売されている。

フレミング vs ゴールドフィンガー

 作家によくあるように、イアン・フレミングもしばしば実生活からインスピレーションを得て、彼の登場人物に名付けました。ジェームズ・ボンドという名が、たまたまフレミングが読んでいた鳥類学の本の著者からとられたのは有名な話です。では、フレミングの悪役、オーリック・ゴールドフィンガーはどうでしょうか。フレミングは、エルノ・ゴールドフィンガーの妻アーシュラのいとこであるジョン・ブラックウェルとゴルフのラウンドで雑談中にゴールドフィンガーという名前を初めて耳にし、その借用を思いついたといわれています(注3)

 エルノ・ゴールドフィンガーは、非常に長身で、いささか冗談の通じない(humourless)性格だったといわれています。ハンガリーのユダヤ家庭に生まれ、イギリス国籍を取得したマルクス主義者でした。これに対し架空の悪役であるオーリック・ゴールドフィンガーは、背の低いユダヤ人のソビエト・エージェントでした。彼もまた、帰化して英国人になり、(彼のモデルの建築家同様、)対人スキルを欠いた外国人として描かれます。

 実在のゴールドフィンガーは熱心なマルクス主義者であり、前述のように共産党誌『デイリーワーカー』の本部を設計しましたが、ソ連の冷酷なエージェントと重ねられるのは心外だったようです。ゴールドフィンガーは小説の内容を聞いて、フレミングが妻のいとこを介して自分の名前を利用したのではないかと疑います。彼の弁護士は、ただちにフレミングの出版社であるジョナサン・ケープへ手紙を送り、名前が007の悪役に選ばれたことでゴールドフィンガーの評判が下がったと抗議しました。当時英国にはゴールドフィンガー姓がほとんどなかったこともあり、『ゴールドフィンガー』の出版の遅れと収益の損失を恐れたジョナサン・ケープは慌ててフレミングに相談しました。ちょうどジャマイカに滞在していたフレミングは、建築家の告発にたいそう立腹しました。米国とドイツの電話帳にはゴールドフィンガー姓がたくさん載っているとし、「ゴールデン・フィンガーからの抗議はナンセンスだ。正誤表を入れて名前をゴールドプリックに変更し、その理由を説明してやれ」と出版社に答えました(結局この変更はなされませんでしたが)(注4)。幸いなことに、小説の初版に「すべてのキャラクターは架空のものです」と付記し、ゴールドフィンガーに初版6部を送ったことで、どうにかその怒りは静まり、一応の解決を見たようです。

 ハムステッドの住人であったフレミングが、緑豊かな地区のウィロー・ロードに建てた恥も外聞もないモダニズム建築のテラスハウスを気に入らず、ゴールドフィンガーに喧嘩を売ったという説もありますが、この証拠は残っておらず、フレミングがモダニズム建築について何かしらの見解を語った記述もありません。しかし、フレミングがゴールドフィンガーの政治信条を嫌っていたのは事実で、両者の人生や性格を考えると、彼らの馬が合ったと想像するのは難しそうです。確かな真実は、彼が選んだ「ジェームズ・ボンド」のように、「ゴールドフィンガー」という名前をキャラクターに使わずにはいられないほど気に入ったということでしょう。

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左:初代ボンドを演じたショーン・コネリー。中:映画『ゴールドフィンガー』でゴールドフィンガーを演じたゲルト・フレーべ。右:強烈なインパクトを放つ金粉をまとったシャーリー・イートンが、アメリカ『ライフ』誌の表紙を飾った(1964年11月6日)。

おわりに

 売れっ子作家イアン・フレミングとバトルを繰り広げ、設計した建築物は美醜に関し賛否両論が巻き起こり、よくも悪くも建築家=神のイメージを残したエルノ・ゴールドフィンガーですが、その並外れたビジョンは今も消えることなくロンドンの風景に刻印されています。コロナ禍も落ち着き、ロンドンを訪れる機会があれば、ぜひ彼の自邸と高層建築をたずねてみてはいかがでしょうか?そして美しいと感じるか、それとも醜悪と感じるか、ぜひご自身の目で確かめてみてください。


【注】
注1ルータリズム(Brutalism)とは、直接的で生な素材の使い方を指向する建築理念と建築様式のこと。ル・コルビュジエが「béton brut(ベトン・ブリュット)」(フランス語で生のコンクリート)と呼んだコンクリートによる荒々しい仕上げを特徴とする。1950-70年代に隆盛した。
注2:Alexander Clement, Brutalism: Post-War British Architecture (The Crowood Press, 2018) 95.
注3:John Cork, 'Introduction', Ian Fleming, Goldfinger (1959; London: Vintage Books, 2017) xviii.
注4:Fergus Fleming, The Man with the Golden Typewriter (London: Bloomsbury, 2015) 207-8.

専門分野 イギリス文化史・文学

大阪府出身。1998年津田塾大学学芸学部英文学科卒業。バーミンガム大学歴史学研究科現代史専攻(20世紀イギリス史分野)MPhil課程修了。東京大学総合文化研究科超域文化科学専攻(表象文化論分野)博士課程単位取得満期退学。ロンドン大学クイーンメアリーカレッジ歴史学研究科客員研究員(2018−2019)。中央大学商学部助教、准教授を経て2020年より現職。

現在の研究課題は、現代イギリス文化史、文学研究(主に1930年代以降のイギリスのジャーナリズム、文学、建築、美術について)。主要著書に、『英文学と映画』(中央大学出版、2019年、共著)、『英国ミドルブラウ文化研究の挑戦』(中央大学出版、2018年、共著)、『愛と戦いのイギリス文化史――1951-2010年』(慶應義塾大学出版会、2011年、共著)などがある。