研究

「そのリサイクル、本当にやる意味あるの?」

総合政策の視点からリサイクル教育を問い直す

横山 陸(よこやま りく)/中央大学総合政策学部 准教授

学校給食の牛乳パックは持ち帰るべき?

 今年の2月頃、子どもの通う東京都清瀬市の小学校から、牛乳パックのリサイクルに関するプリントが配られた。それによると、次年度から東京都の給食牛乳の納入業者による空きパック回収がなくなるという。ついては、学校でチャック付きのビニール袋を支給するので、児童に持ち帰らせ、家庭でリサイクルしてもらうとのことだった。児童は給食で牛乳を飲んだあと、パックをビニール袋に入れて持ち帰り、家庭で洗ってリサイクルに出す。そして袋も洗って毎日学校に持ってくる。そういう具体的な手順も書かれていた。

 リサイクルは大切だ。多くの人がそう思うだろう。しかし、このプリントは何かおかしい。「こんなこと毎日、家でやらせるの?そんなに暇じゃないんだけど・・・。」ひとり親である私の率直な感想だ。そして、不安も湧いてくる。子どもが給食で牛乳を飲むのが正午ごろで、学童から帰宅するのは午後六時ごろ。そのあいだに、牛乳パックの液がビニール袋から漏れてきたら、どうしようか。そもそも6時間も牛乳パックが入っていた袋なんて、梅雨や夏場はとくに不衛生で、キッチンで洗いたくない。洗ったとしても、毎日おなじビニール袋で衛生的に大丈夫だろうか。プリントから目を離すと、子どもも疑問を投げかけてくる。「環境に悪いビニール袋を使ったらリサイクルじゃないよね?」

リサイクルを総合政策の視点から考える。

 リサイクルとは、環境政策のひとつである。環境政策について考えるためには、経済学、法学、工学、社会学そして私が専門とする倫理学など、さまざまな学問分野から学際的にアプローチする必要がある。その意味では、私の所属する総合政策学部にふさわしい問題でもある。以下では、子どもの小学校の牛乳パックリサイクルについて総合政策の視点から、つまり複眼的な視点から考えてみよう。

 まず衛生面に対する私の不安、それからビニール袋を使ってリサイクルになるのかという子どもの疑問は、ある種のジレンマを表している。衛生面を優先すれば、ビニール袋を頻繁に交換する必要がある。しかし環境負荷の高いビニール袋の使用枚数を増やすと、そもそもリサイクルとして成立しない。そこでリサイクルを優先すると、今度はビニール袋の使用枚数を減らさなければならない。つまり、衛生上の安全とリサイクルが両立するためには、月平均、家庭平均で何枚のビニール袋を使用すればよいのか、数値を出す必要がある。

 だが、この数値を出すのは簡単ではない。牛乳パックのリサイクルには、さらに家庭でパックを洗浄するための水や、工場でパックにラミネートされたポリエチレンを除去するためなどに使用される機械の燃料(化石燃料)が環境負荷としてかかる。これも計算に入れなければならない。さらに、私が「めんどくさい」と感じたように、家庭でパックを洗わずに捨てる親もあるだろう。私も仕事が忙しいときには、ビニール袋ごと捨ててしまうかもしれない。だから、実際にどれだけの家庭がリサイクルに協力するのか、その数値も求める必要がある。

拡大生産者責任という考え方

 だが、こんなこと本当に計算できるのだろうか。正確な数値を出すのは難しいだろう。「あなたは紙パックを洗わずに捨てますか」と学校に聞かれて、正直に「はい」と答える親は少ないだろう。では、「こんな親がいるからこそ、環境倫理やリサイクル教育が必要だ」と言うべきだろうか。いや、そうではない。

 むしろ個人負担のリサイクルの限界について、そろそろ考えるべき時機ではないだろうか。私たちは毎日ペットボトルや紙パックを洗って、自治体の細かすぎる「ゴミの出し方」を熟読して、ゴミ分別に励んでいる。(自治体にもよるが)日本のゴミ分別の細かさは、世界でも類を見ないものである。しかしその結果は厳しい。ゴミのリサイクル率は20%。いわゆる「先進国」の中でほぼ最下位である。(註1)

 環境先進国ドイツのリサイクル率は67%(生ゴミのリサイクルを除外しても49%)だが、ドイツでは、ペットボトルや紙パックを家庭で洗浄しない。紙パックだけでなくプラスチックや金属の容器・包装はすべて洗わないで、しかも同じゴミ袋に入れて無料で回収してもらえる。個々人で洗浄し分別するよりも一箇所に集めて行った方が、無駄が省けてコストも下がるというのが理由のひとつだろう。だが、もっと重要なことは、ドイツでは洗浄・分別も含めてリサイクルの主体が個人(消費者)ではなく、企業(生産者)であるという点だ。リサイクルにかかる費用は企業が支出する。もちろん、その費用は商品価格に上乗せされるが、このやり方には大きなメリットがある。それは、生産者である企業に、商品の生産(入口)から廃棄(出口)までの責任を負わせることで、生産から廃棄までのコスト全体が明確になるという点である。「出してしまったゴミをどうするか」と出口で考えるのではなく、「そもそもゴミが出ないようにするためには、どのように商品を設計し、生産し、販売すべきか」と入口から考えることができるのだ。こうした考え方は拡大生産者責任と呼ばれるが、EU諸国など環境先進国ではよく見られる政策である。

 入口から考えると、よく批判される日本の過剰包装のような問題もなくなるだろう。無駄な包装を使用してあとでリサイクルするのではなく、そもそも最初から包装の使用を削減(リデュース)したり、環境負荷の高いプラスチック以外の素材に代替(リプレイス)して生産しようと考えるからだ。さらに、容器であれば一回使用して廃棄するのではなく、洗浄して繰り返し再利用(リユーズ)できるものを生産しようと考えることもあるだろう。このように入口から考えると、まず取り組むべきは、リデュース(削減)、リプレイス(代替)、リユーズ(再利用)であり、リサイクルは出口にある最後の方策であることが分かる。日本では「リサイクル教育」と言うように、なぜか「リサイクル」が優位だが、それだけでは無理なのだ。ドイツですら、リサイクル率はやっと6割なのである。

 ところで、日本でも容器包装リサイクル法により、拡大生産者責任の考えが一部ではあるが採用されている。しかし同法が企業に課すリサイクル義務は、ゴミの再商品化の工程のみである。洗浄・分別して排出するのは消費者である個人の責任、分別収集は自治体の責任とされる。また、紙パックや段ボール、アルミ・スチール缶などは、企業の再商品化義務の対象から外されている。

 義務がなければ、学校給食の牛乳パックのように、企業は割に合わないと回収しない。だが、学校の先生にもこれ以上負担はかけられない。だったら「リサイクル教育」として家庭にやらせよう。そういう安易な方向に傾いていったのだろう。しかし家庭や個人に押しつけると、リサイクルにかかるコストは見えなくなり、リサイクルとして成立するかどうかも分からなくなってしまう。

環境への倫理と個人への倫理

 コストに関して言えば、毎日牛乳パックとビニール袋を洗わされる親の負担もタダではない。私のようなひとり親や共働きの家庭にはけっこうな負担であるし、なかにはシフト勤務のように、夕晩、家にいない親もいるだろう。いや、親のいない家庭だってある。テレビの世界はあいかわらず「お父さんは外で仕事、お母さんは内で家事育児」だが、現実の家庭は急速に多様化している。環境倫理という分野があるように、倫理学にとっても環境やエコロジーは大きなテーマである。だが、そのために個人や家庭が犠牲になってはならない。個人の権利や多様性に配慮しつつ、環境や社会とのバランスをとることが倫理学の課題のひとつである。毎日リサイクルを続けることが難しい家庭があるなかで、「リサイクルは環境に善いことだ」と押しつけてしまったら、どうなるだろうか。その家庭の子どもは、学校でどんな気持ちになるだろうか。「倫理」や「道徳」は、ときに弱者への「暴力」となることを忘れてはならない。

リサイクルとはいえ、法令遵守が大切。

 ところで、小学校から配布されたプリントにはこうも書いてある。「空きパックの取り扱いについては、廃棄物処理法によって『事業活動に伴って生じた廃棄物は、自らの責任において適正に処理しなければならない』とされています。」ということは、やはり家庭でリサイクルに取り組まないといけないのだろうか。そう読めてしまうが、じつはそうではない。「処理しなければならない」のは誰か。この文章には主語が抜けている。これは廃棄物処理法第3条1からの抜き書きであるが、実際の条文には「事業者は」という主語がきちんと書かれている。つまり、給食の牛乳パックは家庭ゴミではなく事業ゴミなので、じつは「処理しなければならない」責任があるのは家庭ではなく、事業者である小学校(あるいは設置者の市長)なのだ。(註2) いくらリサイクルが大切だからといっても、法令は遵守しなければならない。それもあって今回の牛乳パックリサイクルの計画には、保護者や市民からも反対の署名が集まった。そして小学校から配布されたプリントを作成した清瀬市の教育委員会は、わざわざプリントで廃棄物処理法の条文を(主語を削って)引用したのに、リサイクル計画がこの条文に違反することを認めて、計画を撤回した。これが今回の騒動の顛末である。(註3)

 リサイクルは大切である。しかしそれをひとつの政策として実現するためには、さまざまな問題を考慮した複眼的な視点が必要となる。これからの「リサイクル教育」には、まさに総合政策的な発想が求められるだろう。


(註1)The OECD Environment Statisticsのデータベースによる("Municipal Waste"2017年データを参照)。
https://www.oecd-ilibrary.org/environment/data/oecd-environment-statistics/municipal-waste_data-00601-en
(註2)事業ゴミには上述の容器包装リサイクル法も適用されないので、個人は排出に関する義務を負わない。
(註3)事件の顛末については以下の記事が詳しい。「給食牛乳パック 持ち帰りリサイクルは違法? 市教委指示、一転断念 東京・清瀬」毎日新聞ウェブ版202032日 https://mainichi.jp/articles/20200302/k00/00m/040/314000c

横山 陸(よこやま りく)/中央大学総合政策学部 准教授

東京都出身。1983年生まれ。2008年早稲田大学第二文学部卒業。
2011年一橋大学大学院言語社会研究科修士課程修了。
2018年一橋大学大学院社会学研究科博士課程修了。博士(社会学)。
ドイツ・フライブル大学助手、日本学術振興会研究員などを経て2019年より現職。

現在の研究課題は、哲学的人間学の観点からの応用倫理(生命倫理・動物倫理・環境倫理)の統合的な説明モデルの構築、社会制度における感情の役割と可能性の哲学的分析などである。

著書に『Der Begriff der Person in systematischer wie historischer Perspektive』(ドイツ語共著、mentis-Verlag 2020年)、『教養としての生命倫理』(共著、丸善出版2016年)など。翻訳に『生命倫理学−自然と利害関心の間』(ビルンバッハ著・共訳、法政大学出版局2018年)など。