研究

COVID-19と行動変容の心理学

中村 菜々子(なかむら ななこ)/中央大学文学部教授
専門分野 臨床心理学、行動医学、健康心理学

はじめに

 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)の広がりとともに「行動変容」という用語が有名になりました。筆者は普段、心理師として行動変容のカウンセリングを行っています(1)。また、心理学研究者として、健康行動に影響を与える要因について研究しています(2)。行動変容という学術用語が一般の用語としてニュースに度々登場する様子を不思議な気持ちで眺めています。

健康行動と行動変容

 行動変容は元々、心身の健康を扱う領域(行動医学、臨床心理学、健康心理学など)の学術用語です。健康状態の改善や予防を目的として、健康に影響を与える行動を獲得・実行・維持することを指す用語です。
 行動変容――人がある行動を「やってみよう」と決心し実行・維持するまで――に影響する要因について、多くの研究が行なわれてきました。その結果、行動変容では3つの要因が重要であることが明らかになっています。

 ①個人要因(各個人が持つ、知識、信念、技術、感情などの影響)
 ②個人間要因(個人の周囲にいる人などの影響)
 ③環境要因(周囲の環境、各種の情報、政治、社会経済的状況などの影響)

 COVID-19に関連した代表的な行動は感染予防行動であり、厚生労働省は、いわゆる「三密(密集、密接、密閉)」を避ける行動、マスクの着用、手洗いや咳エチケットといった行動を求めています(3)。どうすればこうした行動を実行してもらえるでしょうか?かつては、正しい情報や行動がもたらすリスクを伝えることで人の態度が変化し、行動を実行するようになると考えられてきました。しかし多くの先行研究で、知識提供や態度変容のみ(個人要因への働きかけのみ)では十分な行動変容が起こらないこと、起こったとしても長続きしないことが明らかになっています。
 そこで我々専門家は、行動変容を促す際は必ず、個人要因だけではなく、個人間要因と環境要因の工夫ができないか考えます。感染予防行動で言えば、密接回避(フィジカル・ディスタンス)行動では、「他者との距離を1-2m空けることが大切」という知識の提供だけでなく、レジ前に1mおきに線を引き「この線に沿って並んで下さい」と掲示するいう環境要因の工夫によって、密接回避行動がしやすくなります。手洗い行動についても同様で、子どもが学校で「石けんで20秒の手洗いが必要」と習っても(知識:個人要因)、自宅の洗面所に石けんがなく(環境要因)、家族から「帰ってきたら手を洗おうね」と促されなければ(個人間要因)、石けんを用いて手を洗うことはないでしょう。

「病気が怖いから行動変容しよう」は有効か

 当初はこのウイルスの特徴がわかっておらず、多くの人が恐怖を感じていました。感染することの恐怖(リスク)を感じることは、人が予防行動を実行するきっかけとなる要因の1つです。行動変容では、「感染すると怖いから、感染しないための行動をしよう」という、怖さを強調したメッセージは恐怖訴求(fear appeal)と呼ばれます。健康行動における恐怖訴求には多くの研究がありますが、先行研究からは、恐怖訴求単独で行動変容に与える効果には限界があることや、他の要因と組み合わせることの必要性が示唆されています(4)
 筆者は現在、他大学の研究者と協働して、COVID-19予防行動に与える要因の心理学研究を実施しています。研究ではリスク認知だけではなく、行動を実施することの自信、行動を実施することが感染リスク低減に役立つと考えている程度、社会的規範などの要因を取り上げています。各要因の組み合わせを統計解析で検討し、行動を実施する自信を高められるような周囲の働きかけや環境整備に役立つ知見を得るべく、分析を行なっています。

心理学の研究結果を読む際に

 学問成果がインターネットに発信されることも多い現在、以下2点を考慮する必要があると筆者は感じています。
 第1に、1つの研究だけでは、複雑な人間行動の全てを説明できないという点です。心理学では、ある行動に影響を与えると思われる複数の要因を想定して実験や調査を行ない、各要因が行動に与える影響を統計解析によって検討します。仮に、想定した要因で、ある行動の60%が説明できたとしましょう。心理学のモデルとしてはかなり説明率が高いと解釈しますが、その行動について40%説明できていないともいえるわけです。1つの研究知見だけが単純化されて拡散される危険性に注意したいところです。
 第2に、COVID-19関連の行動変容にはセンシティブな要因も含むという点です。行動を行なわない人の特徴が明らかになった際、それらの人々に偏見や排斥の目が向けられる可能性はないでしょうか。COVID-19に関係する偏見や排斥(例:陽性者に対する態度など)に目を向けていくことは、ウィズコロナの社会を考えて行く際にも必要な観点です。国内外の心理学会で発信されている情報もご参照ください(5)(6)

おわりに

 本稿では、行動変容について心理学の観点から述べましたが、ポスト・コロナの社会においては、人間というものの在り方そのものについて複眼的に検討していく必要性を感じています。筆者が所属している文学部は、多彩な学問領域が多様な着眼点を持ち、多様なアプローチによって人間存在そのものに迫る学部です。この恵まれた学問環境に身を置きながら、考え続けていきたいと思っています。
 最後に、「新しい生活様式」が私たちの心身に与えている影響は甚大です。中でも、生活の変化に伴う慢性のストレス、外出を控えがちな生活によって身体活動が減少している点に配慮していく必要があると感じています。心のケア(7)、子どものストレス(8)、運動・スポーツ(9)について、信頼できる専門家が情報発信していますので、ご活用下さい。


【文献】

(1)中村菜々子・多木純子 2015 内科診療所での糖尿病腎症患者に対する行動医学チーム医療に臨床心理士を加える試み 行動医学研究 21(1), 31-38.
  https://doi.org/10.11331/jjbm.21.31
(2)樋口匡貴・中村菜々子 2018 ビデオ視聴法によるコンドーム購入インターネットトレーニングの効果 日本エイズ学会誌 20, 146-154.
  https://jaids.jp/pdf/2018/20182002/20182002046054.pdf
(3)厚生労働省 新型コロナウイルス感染予防のために
  https://www.mhlw.go.jp/stf/covid-19/kenkou-iryousoudan.html#h2_1
(4)Sheeran P, et al. Does heightening risk appraisals change people's intentions and behavior? A meta-analysis of experimental studies. Psychological Bulletin 2014; 140: 511-543.
(5)日本心理学会 新型コロナウイルス感染症(COVID-19)関連ページ
  https://psych.or.jp/special/covid19
(6)アメリカ心理学会. APA COVID-19 Information and Resources
  https://www.apa.org/topics/covid-19
(7)筑波大学医学医療系災害・地域精神医学講座 COVID-19に関するこころのケア
  https://plaza.umin.ac.jp/~dp2012/covid19.html
(8)国立成育医療センター 新型コロナウイルスと子どものストレスについて
  http://www.ncchd.go.jp/news/2020/20200410.html
(9)スポーツ庁 新型コロナウイルス感染対策:スポーツ・運動の留意点と、運動事例について
  https://www.mext.go.jp/sports/b_menu/sports/mcatetop05/jsa_00010.html

中村 菜々子(なかむら ななこ)/中央大学文学部教授
専門分野 臨床心理学、行動医学、健康心理学

福岡県生まれ埼玉県育ち 臨床心理士・公認心理師 博士(人間科学,医学)
1997年東京女子大学文理学部卒業
1999年早稲田大学大学院人間科学研究科修士課程修了
2002年早稲田大学大学院人間科学研究科博士課程単位取得後満期退学
2019年中央大学文学部准教授を経て2020年より現職
現在の研究課題は、ストレス・マネジメント、メンタルヘルスケアにおける援助要請、慢性疾患患者の心理的ケア、行動変容である