研究

パンデミック下のミュージアム

横山 佐紀(よこやま さき)/中央大学文学部准教授
専門分野 ミュージアム研究

はじめに

 COVID-19のパンデミックにより、世界中の多くのミュージアムが閉鎖されました。東京では2月下旬から、開幕したばかりの展覧会が事実上2週間ほどの会期で終わったり、初日を目前に控えた展覧会が延期となったり、展覧会そのものがとりやめとなったりしました。これはつまり、「臨時閉館」の札を掲げるミュージアムの中は、作品を借りられない、借りている作品を返せない、貸している作品が戻らないという状態であったということです。6月に入り、日本のミュージアムは時間制チケットといった新しい制度を導入しながら再開しつつありますが、アメリカでは今でも多くのミュージアムが閉館したままです。このような事態は、21世紀のミュージアムが初めて直面した災厄だといってよいでしょう。

スペイン風邪とミュージアム

 近代ミュージアムは、200年を超えるその歴史において、さまざまな災厄を生き延びてきました。たとえば、第二次世界大戦中、ルーヴル美術館のスタッフが、ナチスによる収奪をおそれて作品を各地に疎開させて守ったことや、ロンドン・ナショナル・ギャラリーが、空襲を受けながらもその扉を閉ざすことなく、市民の支えでありつづけたことなどはよく知られています。自然災害を経験したミュージアムも少なくありません。1995年の阪神淡路大震災の際、被災地の美術館に学芸員たちが駆けつけて作品レスキューを行った経験は、のちに文化財レスキューのネットワークづくりに活かされました。2011年の東日本大震災の際はもちろんのこと、台風や水害などによる被災文化財レスキューにもこのネットワークは迅速に対応してきました。

 ところが、パンデミックというものを経験したことのあるミュージアムは、ほとんど存在しません。ミュージアムが経験したパンデミックとしては、かろうじて100年以上も前のスペイン風邪が挙げられますが、当時はウィルスの存在も性質も知られておらず、「適切な対応」を判断すること自体が困難であったことが想像されます。たとえば、スペイン風邪が猛威を振るうアメリカにおいて、ミュージアムがとった対応は以下のようなものでした。後年カリフォルニア・オークランド博物館の一部となるあるアート・ギャラリーは、80床をそなえる緊急病院に転用され、ロードアイランド州の博物館では休校期間中の子どもを対象に、動物のくらしから自然の風景までさまざまなテーマを取り上げた「おはなし会」を行っています。サンフランシスコでは学校、文化施設、行政機関が閉鎖されましたが、ニューヨークではロックダウンは行われず、学校も劇場も映画館もオープンし、メトロポリタン美術館も閉鎖することなく通常通りに開館していました(1)(ただし、ニューヨークは迅速に対策を講じ、疾病の情報を市民に周知していたため、致死率は他の都市に比べて低くとどまりました)。このように、スペイン風邪へのミュージアムの対応には、都市によって大きな違いがありました。

ヴァーチャル・ミュージアムの可能性と格差

 これに対し、今回のCOVID-19では、世界中のミュージアムが一斉に閉館の措置を取りました。今年5月に公開されたユネスコの報告書によると、調査対象となった全世界のミュージアム95,000館ほどのうち、実に90パーセントが閉鎖しました。とはいえ、この閉鎖期間中も多くのミュージアムは何らかの対応を試みており、そうした取り組みは800件以上にものぼっています。その中心は、動画による展覧会紹介や、オンラインでのシンポジウムやプログラムといった「ヴァーチャル・ミュージアム」に関連するものです。SNSを活用して、ぬりえ、クイズ、ゲームといったプログラムを公開した館も少なくありません(2) 。日本でも、学芸員が収蔵品を熱く語るブログ、展示室を学芸員が案内しながら所蔵品を解説していく動画や、家庭でも工作ができるワークシートの公開など、ヴァーチャルの方向に多くのミュージアムが踏み出しました。

 このヴァーチャルな試みは、私たちに新たな可能性を示しています。そのひとつが、これまでミュージアムに「ディスタンス」を感じていた人たち(健康に不安のある人、仕事が忙しくてなかなか出かけられない人など)が、ミュージアムにアクセスしやすくなったことです。ニューヨークのグッゲンハイム美術館は、オンラインによる鑑賞プログラムを積極的に行っている美術館のひとつですが、プログラム担当者によると、これまでは平日の午後4時からプログラムに参加することなどできなかった人たちがアクセスしてくれるようになり、新たな来館者層が開拓されたといいます(3)。ヴァーチャル・ミュージアムは、さまざまな事情でミュージアムから疎外されてきた人たちを包摂する新しい方法となりつつあるのです。同時にこれは、入館料を払ってくれるリアルな来館者を確保できない状況における、ミュージアムの切実な生き残り戦略でもあります(グッゲンハイム美術館のオンライン・プログラムは、多くが有料です)。ユネスコは、COVID-19の感染爆発を受けて閉館したミュージアムのうち、10パーセントは経済的な理由から再開できない状況にあるとみています。人の移動が制限されることでミュージアムの収入は激減し、経済の悪化による寄付金の減少や、スポンサー離れが予測されるからです。

 他方で、ヴァーチャル・ミュージアムは、そこから排除される人々の存在も明らかにしています。全世界の人口の約半分はインターネットにアクセスできません。この点についてはジェンダーギャップも指摘されており、インターネットへのアクセスのある女性は男性よりも3億2千7百万人少なく、デジタル・メディアのリテラシーがある女性は、男性の4分の1に留まります。また地域別の状況に目を向けると、ミュージアムのコンテンツがデジタル化されているのは西欧諸国やアメリカが圧倒的に多く、アフリカ諸国や太平洋、西インド諸島、インド洋などの小島嶼開発途上国では、オンライン・コンテンツを提供できるミュージアムは全体のわずか5パーセントです(4)。ミュージアムのコンテンツがデジタル化され、どこにいても世界中のミュージアムへのアクセスが可能になる一方、ジェンダー間、地域間、ミュージアム間の格差が広がっている事実は、「ヴァーチャル」が決して万能ではないことを物語っています。

社会的インフラとしてのミュージアム

 COVID-19の終息が見えない状況にあって、ミュージアムはヴァーチャルなツールと共に生き延びる方法を探っていかざるをえないでしょう。ヴァーチャルなツールは、「本物があること、本物を見ること」を原理としてきたミュージアムにとって、これまでは補助的な存在でしたが、ミュージアムが目下直面しているのは、そのような原理がもはや通用しない局面です。だからこそ、これまでの本物志向は何のためであったのか、そしてまたミュージアムの社会的役割とはそもそもいかなるものであるのかを、もう一度確認しておく必要があります。

 ミュージアムという空間でしかできないことは、いうまでもなく実物を自分の目でじっくりと見ることであり、同じものを見る他者と言葉を交わすことです。現在、日本の美術館の多くで行われているギャラリー・トークは「対話型鑑賞」と呼ばれ、トーカー(ファシリテーター)は参加者に自分の目でじっくりと作品を見ることを促し、気になったところがないか、なぜそこが気になるのか、ほかのひとはどう思うかといった具合に、参加者どうしの対話を促していきます。同じものを見ていても、気がつくところ、気がつく理由は人それぞれであり、互いにことばを交わすことで自分とは異なる考えを知ることができます。その対話は、深い同意に達するかもしれないし、どうにもできない違和感をもって終わるかもしれません。重要なのは、同じものを見てもさまざまな捉え方や感じ方があると知ることです。

 他者の言葉に耳を傾け、自分の考えを検証し、もう一度考えるという社会的な態度は、多様な人々と共生していくためにも必要です。ユネスコの報告書の冒頭にも、ミュージアムは対話の空間であり、文化的多様性を通じて社会のつながりを強固にする使命を果たすと述べられています。ミュージアムで交わされる対話はごくささやかで、議会での討論のように饒舌ではありません。しかし、ささやかなものの積み重ねが閉じられることは、ゆくゆくは文化の多様性を奪い、社会をもろいものにしてしまいます。対話の回路としてのミュージアムは社会的インフラストラクチャーのひとつであって、決して「ぜいたく品」ではないのです。

 パンデミック後のミュージアムは、リアルとヴァーチャルを併用しながらいかにして対話の場を確保することができるのか、人々は多様性を表現し社会のつなぎ目となるミュージアムにいかにして参加し続けることができるのかという現下の課題は、社会的インフラとしてのミュージアムの位置づけを私たちに改めて問うているように思います。


(1) Marjorie Schwarzer, "Lessons from History: Museums and Pnademics", March 10, 2020. https://www.aam-us.org/2020/03/10/lessons-from-history-museums-and-pandemics/
(2) UNESCO Report, Museums around the World, in the Face of COVID-19, UNESCO, May 2020. https://unesdoc.unesco.org/ark:/48223/pf0000373530
(3) Caitlin Dover, "Inspiration at Home: A Guggenheim Educator on How Art Builds Community", May 8, 2020.
https://www.guggenheim.org/blogs/checklist/inspiration-at-home-a-guggenheim-educator-on-how-art-builds-community
(4) UNESCO, pp.18-19.

横山 佐紀(よこやま さき)/中央大学文学部准教授
専門分野 ミュージアム研究、ミュージアム・エデュケーション研究

1993年京都大学文学部卒業。2007年、名古屋大学大学院教育発達科学研究科博士課程後期課程修了。教育学博士(名古屋大学)。国立西洋美術館主任研究員を経て、2017年より現職。現在の研究課題は、ミュージアムにおける災厄の表象の分析。

著書に『ナショナル・ポートレート・ギャラリー』(三元社、2013年)、『学芸員になるには』(ぺりかん社、2019年)、共著に『描かれる他者、攪乱される自己―アート・表象・アイデンティティ』(ありな書房、2018年)、『ミュージアムの憂鬱―揺れる展示とコレクション』(水声社、2020年)など。