温暖化による氷河縮小のカギ、シアノバクテリアの謎に挑む
Chuo-Online若手研究者インタビュー
鬼沢 あゆみ(きざわ あゆみ)/中央大学理工学部生命科学科助教
インタビュアー: 福井 智一 (研究推進支援本部URA)
-中央大学には各界で名を馳せている有名研究者が多数在籍していますが、まさに今研究盛りの若手もたくさんいます。そんな若手研究者を世に紹介するシリーズ、第一回は理工学部生命科学科助教で氷河の生態系を研究している鬼沢あゆみさんです。
-研究テーマについて、簡単にご説明お願いします。
高緯度地方や高山などの、雪と氷に覆われた環境のことを雪氷圏といいます。地球温暖化が、氷河を含めた雪氷圏に甚大な影響を及ぼしていることは皆さんもご存じだと思います。一見、雪氷圏は雪と氷、裸の岩肌しかない死の世界に見えるのですが、実は独自の生態系を育んでいます。地球温暖化は、そんな雪氷圏の生き物たちにも直接的な影響を及ぼします。その中でもシアノバクテリアと呼ばれる光合成生物は、氷河生態系を支える一次生産者として重要な役割を担っています。しかし近年、氷河表面上での大繁殖により、氷河表面が汚れ、氷河の表面融解が加速していることが分かってきました。
実はインドア派だった!? 研究者になるまでの道のり
-研究そのものについてはのちほどゆっくり語っていただくとして、まずは鬼沢さんご自身についてうかがいたいと思います。今は氷河を求めて世界中を飛び回る冒険的な研究者ですが、やはり子どもの頃から冒険好きだったのですか?
知的好奇心は旺盛な方だったと思いますが、外に遊びに行くよりは家で本を読むのを好むような子供でした。
-実はインドア派だったんですね。意外です。研究の道に進んだきっかけは何だったんですか?
小学生の頃、科学雑誌ニュートンが教室にあり、科学者ってかっこいいなぁというイメージがありました。大学で生物学科を選んだ直接のきっかけは、高校時代の生物の先生の話が面白かったからです。その先生は教育学部ではなく、理学部生物学科出身の先生でした。大学時代の実習や研究の話などをよくしてくれて、教科書の話よりずっと興味深く、生物学科って楽しそうだなと思いました。
-高校生物の先生が最初の師匠だったんですね。シアノバクテリアの研究を始めたきっかけは何ですか?
生物の進化に興味があったので、大学では植物の祖先として考えられている光合成原核生物シアノバクテリアの研究をしている先生のもとで卒業研究をすることにしました。シアノバクテリアがどのように環境変化に応じて細胞内代謝を変化させているか、その機構の解明が当時の大きなテーマでした。
-中央大学で研究することになった経緯を教えてください。
私が研究対象にしていたシアノバクテリアは、何十年も前に野外から採取されて、実験室でずっと培養されているものでした。しかし、研究を進めるにつれて、自然界で今まさに生きているシアノバクテリアが、どう生きているか知りたいと考え始めました。文献調査をして、とくに興味をそそられたのが、極域や氷河などに生息する寒冷環境適応型のものでした。寒冷環境から単離したシアノバクテリアを研究している人が世界的に見てもほとんどいなかったのですが、たまたま、中央大学にいらっしゃった小杉真貴子博士が、北極域の氷河から単離されたシアノバクテリア培養株の生理学的解析をしていて、そのご縁がつながり、中央大学に来ることになりました。
氷河を舞台にした研究生活とは?
-普段、大学ではどんなことをされているんですか?
シアノバクテリアの培養実験や、氷河から採取した環境試料の分析を行っています。氷河調査は個人ではなく共同で行うものなので、調査計画を他研究者と話し合うための資料をつくることもあります。毎年夏には可能な限り海外の氷河を調査したいと思っていましたが、去年はCOVID-19の世界的な大流行のため、残念ながら行くことができませんでした。
培養の様子
-海外での氷河の調査、聞くだけでもワクワクしますね!
ウルムチNo.1氷河
はじめて実際に行った氷河は、中国の天山山脈にあるウルムチNo.1氷河です(写真)。 アジアの氷河の中では最も古くから観測されている歴史ある氷河で、それも感慨深いものでしたが、単純に標高4000メートルの世界に降り立ったことにも感動しました。ついこの前までは、実験室にこもって、培養株の研究をしていたのに、すごいところに来てしまったと思いました。
調査中は、氷河まで徒歩でアクセスできる場所にテントを張って、調査器具や機材を背負って氷河の末端から調査する区域まで往復する日々が続きます(写真)。調査中に事故が起きないように、氷河上を歩くときは緊張している時間が長いです。精神的にも肉体的にも疲弊します。
調査中の様子
-実際に氷河を目の当たりにしてどう思いました?
私が今まで行ったことがある氷河はまだ数少ないですが、どの氷河も、壮大で美しくて、芸術作品みたいだなと遠目には思います。でも実際、氷河の上に立ってみると、本当に過酷な環境だと身に染みて感じますし、帰国後に、氷河から採取した試料にいる生物を顕微鏡で観察していたりすると、こんな小さな生物があんな過酷な環境で生きているのか、と分かっていても驚嘆してしまいます。
氷河のシアノバクテリアの秘密に迫る
-さて、いよいよ研究についてうかがいたいと思いますが、そもそも氷河に生き物・生態系が存在しているということにびっくりしました。
地球上にはさまざまな生態系が存在しますが、「氷の河」の文字の通り、氷河は流動的な環境であり、普通の生物が繁殖するには不適切な環境であるといえます。そのため氷河からは、寒さや貧栄養環境に強いタイプの生物が多く見つかっています。種数が限られる小さな生態系ですが、そこにはシアノバクテリアのように光合成によって有機物を産生する一次生産者がいて、有機物を分解する従属栄養性細菌、昆虫などの捕食者がいて、ほかの生態系と同じように食物連鎖が存在しています。
-氷河に昆虫まで暮らしているとは驚きです。温暖化によって氷河が影響を受けているとのことですが、具体的にどのようなメカニズムが働いているのですか?
氷河には降雪により成長するフェーズと、温暖な季節に氷河がやせ細るフェーズがあり、この2つのフェーズの均衡がとれていれば、氷河の質量が変化することはありません。地球温暖化による年平均気温の上昇は、氷河が融解する期間の長期化などを招き、この氷の質量を保つメカニズムを狂わせ、世界各地の氷河の縮小を引き起こしています。
-シアノバクテリアが光合成をして増殖するためには肥料分が必要だと思うのですが、氷河にそんなものが含まれているんですか?
氷には肥料分はありませんが、風や降雨・降雪などにより、氷河周辺の土壌などから肥料分となる栄養塩が供給されています。シアノバクテリアが光合成するためにも栄養分は必要です。光合成を行うことで産生された有機物は、ほかの従属栄養性生物の貴重な栄養分となります。
-シアノバクテリアが増えると、氷河が白くなくなってしまいそうですね。
そうなんです。光合成により産生される有機物が分解作用により腐植化すると、氷河表面が黒ずみ、氷表面における日射の反射率(アルベド)が下がることが知られています。アルベドが下がると、黒い日傘が日射熱を吸収するのと同じように、氷河表面も温められやすくなってしまいます。現在、地球温暖化による気候変動モデルに基づき、予測されている以上の速度で、氷河表面が急速に融解している問題が深刻化しています。
-厳しい氷河の環境に適応したシアノバクテリアが温暖化の影響を加速しているというのは皮肉な感じですね。しかし問題解決のためには、まず氷河のシアノバクテリアの生態についてよく知る必要がありそうですね。
はい、シアノバクテリアが氷河上で光合成して繁殖することが、氷河融解加速の要因のひとつであることは分かってきています。しかし、シアノバクテリアがどのように氷河上で繁殖しているのか、その繁殖過程や、繁殖を支える環境適応戦略についてはほとんど分かっていません。これらを明らかにするため、氷河から採取したシアノバクテリアを含む環境試料と、シアノバクテリアの単離培養株の両方の分析をしています。氷河上だとシアノバクテリアは、クリオコナイト粒と呼ばれる直径1-2 mmの粒の表面や内部で、鉱物粒子を巻き込む形でみられます(写真)。クリオコナイト粒にどの種のシアノバクテリアがいるか調べたり、現地で光合成活性を測ったりして、氷河上での繁殖実態について調べています。さらに、シアノバクテリア単離株を実験室でさまざまな条件で培養することで、シアノバクテリアがもつ繁殖能力や環境ストレス耐性についても調べています。
-これまでの鬼沢さんの研究で何が明らかになりましたか?
これまでの研究で、シアノバクテリアが産生する物質や生理活性を調べることで、シアノバクテリアが氷河上で、繁殖率を下げるような環境ストレスに対して、複数のメカニズムを働かせて耐性を高めていることが分かってきました。たとえば、細胞外に多糖を分泌して、細胞内が凍結することを回避していたり、低温では光が強すぎることで光合成装置に障害が起こりやすいのですが、細胞外に有害な光を吸収する物質を産生したりしていることが分かっています。
-すごい、小さな体で周りの環境を自分の都合の良いように変えているんですね。研究結果がどんなことに役立ちそうですか?
氷河に生息するシアノバクテリアのポテンシャルを細かく調べることで、シアノバクテリアが今後、地球温暖化の影響を受けて、氷河上で繁殖する場所を広げるのか、繁殖速度は加速するのか、繁殖予測をすることが可能になると思っています。シアノバクテリアがどれだけ繁殖していくかが予測できれば、氷河の融解予測の精度向上につながると考えています。氷河の融け水を生活水源にするような中緯度地域の人々が水源確保のためにどう対策を講じるか、氷河の融け水の流入による氷河下流の水産資源にどのような影響を与えるかなど、SDGsの観点からも役に立つ研究に発展できるといいなと思っています。
-次はどんなことを調べたいですか?
世界各地の氷河でシアノバクテリアは生息が確認されていますが、なぜか、ある地域にしかいない地域固有種や、北極域からアジア中緯度地域まで広く生息している種がいて、その理由はまだよく分かっていません。COVID-19の感染拡大の影響で海外での調査がままならない現状ですが、さまざまな地域の氷河から、シアノバクテリアを単離して、繁殖能力や環境適応戦略の機構の比較をしていけたらいいなと思っています。
おわりに
-これから研究を始める学生さんや、異分野の研究者にメッセージをお願いします。
学部4年生でシアノバクテリアの研究をはじめたときは、まさか直径2マイクロメートルほどの小さな微生物の生き様を追うことが、氷河融解という地球環境問題につながるとは考えもしませんでした。これから研究をはじめる学生さんは、いろいろな視点をもって研究をすると面白いことが見えてくるかもしれません。氷河調査は異分野の研究者が協力して行っているので、生物畑の方でなくても、ご興味ある方はご連絡ください。
実は私自身もアイスランドとケニア山で氷河を見たことがあるのですが、まさかあんなところに生態系が存在しているとは思いませんでした。地球規模の環境をも左右する小さな生き物、シアノバクテリアをめぐる研究にこれからも要注目ですね。
研究推進支援本部では、本シリーズで紹介する若手研究者を募集中です。我こそはという研究者は、研究推進支援本部URA chuo-ura-grp@g.chuo-u.ac.jp までご連絡ください。
鬼沢 あゆみ(きざわ あゆみ)/中央大学理工学部生命科学科助教
福島県出身。1984年生まれ。
2008年 埼玉大学理学部分子生物学科卒業
2011年 東北大学大学院生命科学研究科博士前期課程修了
2016年 埼玉大学大学院理工学研究科博士後期課程修了。博士(理学)
2016年 明治大学農学部農芸化学科法人ポスト・ドクター
2018年 首都大学東京理工学研究科特任研究員、千葉大学技術補佐員兼任
2019年 中央大学理工学部 助教
現在に至る。