研究

パンデミック時代から考える学術情報流通と図書館情報学

小山 憲司/中央大学文学部教授
文学部社会情報学専攻

変化はゆるやかに? 突然に?

 Google Scholar.png私がその変化に気づいたのは、2020年3月のことでした。研究者にとって馴染み深いGoogle Scholarの検索ボックスの下に「COVID-19に関する記事」という見出しと、12のリンクが表示されていたのです。
 Google Scholarとは、インターネットに掲載された情報のうち、研究論文や図書などの学術情報に特化して検索できる学術情報検索サイトです。これを使って日々の研究活動を進めている研究者は少なくないでしょう。
 私も含め、市民がよく目にする検索サイトGoogleには、先の見出しとリンクは紹介されていません。その名称をここに並べてみましょう。CDC、NEJM、JAMA、Lancet、Cell、BMJ、Nature、Science、Elsevier、Oxford、Wiley、medRxivの12個です。これらは医学や健康科学、保健衛生学の研究者や専門家、COVID-19に関心の高い人、そして図書館員と図書館情報学研究者はよくご存知でしょう。
 NatureやScienceという単語は、それらが単独で出ていると判別しにくいかもしれませんが、並んでいると、ニュースや新聞などでも取り上げられる学術雑誌ではないかと気づくでしょう。そう、これらはCOVID-19、すなわち新型コロナウイルスに関する学術情報を入手するのに適切とGoogleが判断したウェブサイトです。
 CDC(Centers for Diseases Control and Prevention、米国疾病予防管理センター)は、ニュースでもたびたび登場するのでご存知の方も多いでしょう。つづくNEJM(The New England Journal of Medicine)、JAMA(The Journal of the American Medical Association)は米国の、Lancet、BMJ(旧British Medical Journal)は英国の著名な医学雑誌です。Lancetは、新型コロナウイルスの治療薬として注目を集めるレムデシビルの効果を報告した論文を掲載したことで見聞した人がいるかもしれません。Cellは、細胞生物学や分子生物学など実験生物学分野の学術雑誌です。
 これらの雑誌は、出版社が運営するウェブサイトから電子ジャーナルとして提供されています。他方、学術雑誌の多くは国際的な学術出版社の下で刊行されています。ElsevierやOxford University Press、Wileyはその主要な出版社です。
 では、残ったmedRxivは何でしょうか。もう少し後で触れたいと思います。

研究論文と学術雑誌

 研究を生業とする私たち研究者にとって、研究成果の記録である学術情報は不可欠なものです。なぜならば、研究活動は過去の研究成果を基礎としているからです。その研究成果の発表方法の1つが研究論文であり、それを公表できる場が学術雑誌です。
 研究者は、厳格なルールの下、過去の研究成果を参照しながら、新しい知見を求めて活動しています。その成果は研究論文としてまとめられ、学術雑誌に投稿されます。研究論文は新規性、独創性、有用性、応用可能性など、さまざまな観点から評価されます。これを査読と言います。査読は、その専門分野の複数の研究者が行います。先に示した観点に加え、適切な方法を用いているか、結論までの道筋が論理的であるか、データに誤りがあったり不正があったりしないかなどもチェックされます。研究論文が学術雑誌に掲載されるということは、その研究論文がある特定の学問の新たな知見として認められたことを意味します。そこに過ちや不正は許されません。
 研究論文が学術雑誌に掲載されることは、研究者自身の業績となります。この業績により、研究者は昇進や昇給、就職、転職につなげることができます。しかし、業績としての研究論文は、すべて等しく扱われるわけではありません。研究論文は純粋にその内容だけで評価されるのではなく、その論文がどの雑誌に掲載されたかによっても評価されるからです。
 インパクトファクター(Impact Factor、IF)という用語を聞いたことがあるでしょうか。これは、たとえばある学術雑誌が2017年、2018年の2年間に掲載した論文が2019年に刊行されたすべての論文でどの程度引用されたかを指標化したもので、特定の学問分野における学術雑誌の評価に使われます。
 引用とは、ある研究を行うのに過去の研究成果である論文を利用することです。数多くの研究で引用されるということは、その研究論文が重要な知見を報告しているということです。そして、数多く引用される論文を数多く掲載する学術雑誌は、その学問分野において重要な雑誌であるとみなされます。一般にIFが高ければ高いほど、その学術雑誌は高く評価されます。
 研究者は、自らの研究成果を多くの読者に読んでもらいたいので、IFの高い、すなわち注目度の高い学術雑誌に投稿しようとします。結果、その学術雑誌に掲載されるのは狭き門となります。もちろん、こうした雑誌に掲載される論文は、それにふさわしい質の高い研究成果でしょう。繰り返しますが、ここで指摘したいのは、研究成果は純粋に内容で評価されているだけでなく、学術雑誌に与えられたステータスによっても評価されているということです。
 研究不正の芽は、こうした点に潜んでいるのかもしれません。研究論文は個々の研究者の研究業績、ひいては研究者自身の評価につながります。それは、研究者人生のステップアップや研究助成金を獲得する際の証明書にもなります。研究不正に至るまでには、さまざまな思惑が絡みます。

学術情報の価値

 学術雑誌を発行する学会や出版社にとって、研究論文は商品です。消費者である研究者がそれを利用するためには、購入(購読)しなければなりません。多くの場合、研究者が所属する大学や研究機関の図書館が学術雑誌を購読契約しますが、その購読料が年々値上がりし、購読を中止せざるを得ない場面も増えています。その結果、研究活動を行う研究者自身が必要な論文を入手できずにいます。一般にこれをシリアルズクライシス(serials crisis)と呼びます。
 この状況を打開するための方策の1つがオープンアクセスです。オープンアクセスは元々、高額化した学術雑誌の代替雑誌を大学図書館および研究者が刊行することで、適正な価格で研究論文を流通させようとするものでした。現在は、インターネットをつうじて、だれもが無料で学術情報にアクセスできるしくみを目指す取り組みを言います。
 これまで有料で流通していた研究論文を無料で利用できるようにするのは、かんたんなことではありません。それを可能にしたきっかけがインターネットであり、情報技術です。研究者が著した研究論文を電子化し、特定のウェブサイトで公開すれば、だれもが無料で利用できます。先に取り上げたmedRxivも、それを実現するウェブサイトの1つです。medRxivは、プレプリントと呼ばれる学術雑誌投稿前の原稿を公開、共有するウェブサイトで、医学分野の論文を主に収録しています。同種のサービスの嚆矢は、高エネルギー物理学分野のプレプリントサーバarXivです。
 一方、商品としての研究論文の価値を維持し、学術雑誌が担ってきた学術情報流通の制度を持続可能なものとするため、学術出版社はオープンアクセス雑誌の刊行とオープンアクセスオプションの提供という方策をとりました。従来、学術雑誌は購読料を支払った利用者だけが読むことができました。学術雑誌出版のコストを利用者が支払っていたのです。そのコストを利用者から得るのではなく、学術論文の著者に負担してもらうことで、利用者に無料で論文を提供するビジネスモデルがオープンアクセス雑誌であり、オープンアクセスオプションです。前者は、掲載される論文すべてが著者によって支払われる論文掲載料(Article Processing Charge、APC)によって無料で提供される雑誌です。後者は有料の学術雑誌に掲載される論文のうち、著者がAPCを支払った論文のみが無料公開されるものです。
 研究者である著者がAPCを支払ってまで論文を掲載するのには、いくつもの理由が考えられます。研究成果を広く公開して研究をさらに促進させたい、研究格差を是正したいといったものから、無料で読めることで多くの人の目に留まり引用してもらいやすくなる、従来の学術雑誌に比べ掲載決定までの期間が短い、研究業績をつくりたいといったものまで多様です。大学や研究機関の方針に従ってということもあれば、国や研究助成団体がこうした方針を打ち出している場合もあります。
 研究論文が無料で広く公開されることは、消費者である研究者にとっても大きな意義があります。新型コロナウイルス感染拡大に伴い、多くの学術出版社がこれに関連する研究論文をオープンアクセスにしたり、電子書籍を無料で公開するなどの措置をとっていることからも、その意義が見いだせるでしょう。
 他方、学術情報の生産者である研究者にとっては、さまざまな課題も孕んでいます。APCの額はさまざまなので一概には言えませんが、1本あたり数十万円かかります。持てる者と持たざる者との間に格差が生じています。同様の手法で商売するハゲタカ雑誌と呼ばれる学術雑誌もあります。APCを支払いさえすれば、学術雑誌然としたウェブサイトに論文を掲載できるというものです。そこに査読はありません。学術情報の価値が揺らいでいます。

学術情報流通を「科学する」ということ

 どんな制度であっても効用もあれば、副作用も生じるでしょう。その副作用を適切に理解しながら、いかにその効果を高めていくかが大切です。
 研究成果を学術論文に著し、学術雑誌に公表することで科学の発展に寄与するという学術情報流通のしくみは、17世紀に発刊された2つの学術雑誌に端を発します。300年以上をかけて整備されてきたこの制度は、インターネットをはじめとする情報環境の発展により大きく変化し、今日に至っています。
 制度や環境の変化は、人々の行動様式をも変化させます。電子ジャーナルの普及により、図書館に足を運ぶ研究者の数は大きく減少しました。デジタル版で論文が入手できないときには読むのをあきらめる研究者や大学院生も一定数存在します。紙の学術雑誌では決して掲載することのできなかった動画や音声、プログラム、データなども、電子ジャーナルであれば論文とともに提供できます。研究成果の表現方法が多様となったのです。そして今やビッグデータの時代です。大量のデータをAI技術を用いて解析したり、複数のデータを組み合わせて新たな知見を発見したりするという手法は自然科学にかぎらず、人文学でも用いられていますこの変化は研究はもちろん、学習・教育の場面でも起きています
 ここまで、学術情報流通のさまざまな側面に触れてきたのは、こうした実態を知ることが学術情報の提供によって研究者や学生を支える大学図書館の機能や役割を考える糧となるからです。私の専門分野である図書館情報学は、図書館のみを対象に研究しているのではありません。図書館を取り巻くさまざまな環境とその変化に注意を払いつつ、研究者や学生の利用行動にも目を向けながら、大学図書館の役割や機能を、また学術情報流通の展開やありようを科学しています。それが巡り巡って、利用者の利益になると考えています。
 その取り組みの一環として、私が所属する研究グループ「学術図書館研究委員会(SCREAL)」では、2007年から3回にわたって、研究者の情報利用行動を調査研究してきました。新型コロナウイルスの影響がつづく中ではありますが、今年度に4回目を実施予定です。こうした研究成果の積み重ねを通じて、学術情報流通に関わる組織や人々、図書館、そして利用者のみなさんの活動に大きく貢献できたらと考えます。また、その成果がGoogle Scholarに掲げられた次のことばのように、新たな学問の発展につながっていくことを期待します。
 「巨人の肩の上に立つ(Stand on the shoulders of giants)」

小山 憲司(こやま けんじ)/中央大学文学部教授
文学部社会情報学専攻

神奈川県出身 1971年生まれ
1994年 中央大学文学部卒業
1997年 中央大学大学院文学研究科修士課程修了
2000年 中央大学大学院文学研究科博士後期課程単位取得満期退学
東京大学附属図書館、三重大学人文学部准教授、日本大学文理学部准教授・教授を経て、2016年より現職
現在の研究課題は、学術情報流通と利用者行動、大学図書館における学習・教育支援などである。
また、主要著書に『ビッグデータ・リトルデータ・ノーデータ : 研究データと知識インフラ』(共訳, 勁草書房,2017年)
『ラーニング・コモンズ : 大学図書館の新しいかたち』(共編訳, 勁草書房, 2012年)
『改訂情報サービス論』(共著,樹村房, 2019年)などがある。