研究

私立大学研究ブランディング事業「アジア太平洋地域における法秩序多様性の把握と法の支配確立へ向けたコンバージェンスの研究」の中間成果報告

~国境を越えるインターネット上の取引への規制を具体例として~

佐藤 信行/中央大学法科大学院教授
専門分野 公法、英米カナダ法、情報法

はじめに

 ChuoOnlineでは、これまでも複数回にわたって報告してきているが、筆者は、2016年に文部科学省「私立大学研究ブランディング事業」に採択された「アジア太平洋地域における法秩序多様性の把握と法の支配確立へ向けたコンバージェンスの研究」の代表を務めている。

 この事業は当初5年間の期間(2016年度~2020年度)を予定していたものであり、2021年3月末まで継続することが計画されていたが、諸般の事情から、文部科学省の事業としては、2020年3月末で終了することとなった。ただし、中央大学の研究プロジェクトとしては、当初予定通り2021年3月末までを期間とすることが決定されている。

 そこで、ここでは、これまでの研究成果について中間的にまとめておくこととしたい。

何を目指してているのか

 まず、この研究が目指しているものを再度確認しておきたい。現在、まさに全世界的課題となっている新型コロナウィルス感染症(COVID-19)問題に明らかなように、今日のグローバル化が進んだ社会は、国境を越えた人・物・資金・情報等のネットワークによって構成されている。とりわけ、この現象は、経済活動の分野で顕著である。ところが、現在の社会を構成している法システムは、近代世界が構築された際に普遍化した、主権国家単位の法(=国家法)を基本としており、結果として、国境を越える様々な活動について、「いずれかの」国家法による解決が指向されることになる。問題は、その「いずれかの」という点である。現実に即していえば、経済力の大きい国や法域の法が「選択」されることになることが多いが、実は、それは「選択」というよりも、「押しつけ」であることも多いというのが、本研究の基底にある問題意識である。

 すなわち、このような「押しつけ」は、一面において、グローバル化が進む社会における法の平準化をもたらすが、他方では「押しつけられた」側の社会に大きな変動や、場合によっては破壊をもたらし、世界を不安定化させる可能性すら内包している。そこで、この研究は、まずは、日本を含むアジア太平洋地域における法の多様性(ダイバーシティ)を可視化し、その多様性を否定するのではなく、認めた上で調和的な解決策を確立(コンバージェンス)する方法を模索するものである。

 具体的には、データプライバシー、国際取引(契約)及び紛争処理という3つの領域について、多様性可視化のデータベースを構築し、さらに、研究者・実務家の相互理解を深めるワークショップを継続的に行うという方法論により、研究が進められている。

具体例としての国境を越えるインターネット上の取引規制

 上のような問題意識に基づいて、具体的な事例研究として取り扱ったものの一つが、インターネット上の海賊商品販売サイトについて、google検索からこれを除外することで解決しようとする挑戦をどのように考えるかという課題である。そこで、以下では、この課題に対する研究を、中間的な成果の一つとして紹介しておきたい。

 今日、インターネット上のウェブサイトを用いたビジネスは極めて拡大しているが、その特徴の一つは、商品やサービスを、容易に国境を越えて消費者やエンドユーザーまで届けることができるという点である。ところが、この特徴が、従来とは異なる問題を引き起こしているのである。

 カナダ最高裁判所は、2018年6月28日に、Google Inc. v. Equustek Solutions Inc. 事件について判決を下した。この判決は、同国下級裁判所がGoogle社に対して発していた、あるコンピュータ関連製品海賊版に関する検索結果を削除するよう命じる暫定命令について、最高裁判所として追認したものであるが、その暫定命令が明示的に全世界(worldwide)を対象としていたことが極めて特徴的であった。

 上でも述べたように、そもそも伝統的な法システムは、国家・法域とそれに対応する法の存在を前提としており、国境を越える法的紛争に対しても、各国家・法域対処を原則としている。たとえば、A国企業の製品が欠陥を有しており、同国内でも輸出先であるB国でも被害を生じさせている場合、A国の被害者とB国の被害者は、各国法に基づき、各国裁判所での救済を求めることになる。

 これに対し、インターネットは、国境を越えるネットワークであるから、そこでの権利・法益侵害は、まさしく「全世界」で生じるのであって、相当に異なる構造を有している。たとえば、インターネット上で知的財産権を侵害されたA国の企業の被害は、「自動的に」A国以外の国家・法域でも生じるが、被害者が、その国家・法域全てにおいて訴訟を提起することは現実的ではない。また、権利侵害者のウェブサイトを一つずつ潰しても、すぐに別のサイトが作られてしまうが、こうしたサイトは、一般に検索エンジン経由でアクセスされることから、権利救済のためには、加害者ではなく、第三者である検索サービス事業者に対する差止命令を用いることが有効・必要であるということも、重要な相違である。

 そこで考えられる解決の一つが、いずれかの国の裁判所が「全世界」を対象として、検索結果のコントロールを行うという救済を提供することであるが、そこには別の問題が生じる。直ちに想起されるものとして主権侵害があるが、さらに重要なのは、文化的相違や価値観の相違に基づく法のギャップの問題である。ある国・法域において違法であること(たとえば、宗教的価値観を背景としてある種の性表現が法的にも規制されている)が、他の国・法域では合法(性表現も猥褻に至らない限り表現の自由により保護される)であり、あるいは逆に推奨される(性表現が芸術として助成対象になる)といったことは、決して特殊な事象ではない。このようなことからすると、1国の裁判所が、Google社の全世界における活動を規制することは不適切であるという考え方には、一定の合理性があることになる。

 従来この問題は、2014年5月13日にヨーロッパ司法裁判所(ECJ)が下した、いわゆる「忘れられる権利判決」 を中心に議論されてきた。同事件でECJは、検索エンジン事業者たるGoogle社について、個人が忘れられることを望む過去の情報に関し、当時のEUデータ保護指令12条(b)及び14条第1項(a)に基づいて、一定の削除義務を負うとの裁定を行ったのである。Google社は、同裁定がEU法を根拠としていることから、原則としてEU域内を対象とする情報削除対応を行ってきているが、2017年にフランスの個人情報保護機関CNIL は、こうした削除命令の効力を全世界に拡大する先決裁定を求めてECJに出訴している。2019年9月24日にECJは、現行EU法の下ではこれは否定されるとの判断を示しているが、逆にいえば、EU法自体の改正により、このような拡張がなされる可能性は否定されていない。

 これに対して、上記カナダ最高裁判所判決は、知的財産権という別の文脈において、被害企業であるEquustek社に対して現実的な救済を与えるために、全世界のグーグル検索結果から、ある企業のサイトを除外することを命じている。すなわち、海賊版の多くがカナダ国外向けに販売されており、カナダ国内の検索結果だけを規制しても、同社の被害は止まらないと判断されたのである。

 Google社は、この判決に対して即座に反応した。すなわち、Google社はカナダの判決にアメリカ合衆国内で従う義務はないことを主張して、アメリカ合衆国カリフォルニア州北部連邦地方裁判所において、Equustek社を相手として訴訟を提起したのである。同裁判所は、2018年11月2日に、カナダの判決がアメリカ合衆国連邦議会制定法である通信品位法を侵害するとの理由を示して、Google社の主張を認めた。そこで、同社は次に、この判決を根拠として、次にカナダのブリティッシュ・コロンビア州上位裁判所において、カナダ司法部による暫定命令自体の取消しを求める訴訟を提起したが、同裁判所は、この主張を退けた。

明らかになった問題

 以上、googleの検索結果を巡る近時のカナダとアメリカの判決を検討したが、そこで問われているのは、国境を越えるインターネット上の表現について、伝統的な主権国家の裁判所がどのように介入できるかという問題であり、同時に、インターネット上で活動する人や企業をどのように規制するかという問題である。

 そもそもインターネットには、その全体を貫く世界法も管理組織も存在しないから、インターネット上の表現を争うためには、結局、各国・法域の裁判所に頼らざるをえない。問題は、その判決の法域的射程である。伝統的な国際法の論理に従えば、各法域の裁判所が下した判決は、当法域においてのみ強制可能であって、他法域でこれを強制するためには、当該国において外国判決の執行判決を得ることが必要である。日本法では、このことは、民事訴訟法118条において規定されている。

 ところで、この伝統的な仕組みと考え方をインターネット上の表現規制に適用する場合、いくつかの困難な問題が生じる。

 たとえば、検索用インデックス(サーバ)の所在についてみると、それはGoogle社以外にとっては全く不明であると同時に、いつでも国外移転可能であり、さらにいえば、国境を越えた分散処理が行われている可能性もあるから、その物理的所在に着目して「国境を越える」という議論をすることは不毛である。「インターネットは国境を越える」というのは、ただ単に、ネットワーク回線が繋がっているということを意味するのではなく、このような形で、「対象」(この場合はデータ)の所在場所というものを基準として、国内・国外を議論すること自体が困難であることを意味する。この意味で、最初にBC州上位裁判所判決が「全世界」でのインデックス削除を命じたことは、そもそも伝統的な意味における、外国判決の執行強制とは性質を異にしている。この全世界の意味は、世界中どの場所からgoogle検索を行っても、加害企業がリストされない検索結果を返すということであって、それがカナダ国外にあるインデックス(サーバ)への操作を意味するかどうかは、Google社の技術的設定にのみ依存している。このときGoogle社が判決に従おうとすると、外国にあるサーバ上のインデックス操作が必要となるとしても、それを当該外国の主権や裁判権を侵害するものと理解すべきではない。この意味でGoogle社が、合衆国連邦地裁で行った主張や、そこでの勝訴判決を下にBC州上位裁判所で行った主張のうち、国際礼譲や主権侵害に係る部分は、私見によれば、適切なものではない。

 しかしそれとは別に、カナダという1国の裁判所が行った判断で、カナダ外で行われる検索結果の表示内容がコントロールされることの妥当性は、独立した問題となる。たとえば、性表現やプライバシー保護の許容性は、文化的あるいは宗教的差異が大きく、しばしば国境を越えた問題を引き起こす。忘れられる権利のように、ある法域では制定法上の根拠があるが、他法域ではないという場合も同様な問題を引き起こす。

 この点、Equustek事件におけるカナダ各裁判所の判断は、その射程を狭くする点において「よくできた」ものであったと評価することができよう。すなわち、同事件では、ほぼ世界的に共通の理解が得られやすく、また内容面において表現の自由と衝突する可能性が小さい知的財産権侵害という問題に限定し、かつ、Google検索の結果が権利侵害者の活動を結果として助長するという点に着目して、全世界的なインデックス削除を命じているのである。私見では、このような形での、限定的な全世界化は、衡平の観点から見ても妥当であると考える。

 これに対して、性的表現やプライバシー情報そのものについて、特定の価値を前提とする削除を命じることには、問題が大きい。法域ごとの価値観の差違を無視した特定の国・法域の裁判所(その中には、残念ながら、法の支配や民主主義が未発達な法域の裁判所が含まれる)の判決が、全世界的な情報閉塞を引き起こすことは、極めて危険な事態である。こうした問題については、なお引き続き、その法域内に限定した判決によって問題を処理せざるを得ない。

 すると、この問題の当面の解としては、被侵害利益に着目し、これを類型化して、全世界でのインデックス削除を命じることが許されるべきものを抽出し、国際条約への組み込みを行うことや、「国境を越えた」判例法の形成に寄与することが考えられよう。この際、国家間の交渉を必須の要件とする前者には一定の時間を要するほか、国家として譲れない価値を含むが由に交渉自体が不可能という問題もあるから、実務的には、後者のアプローチが極めて重要となろう。もとより主権国家を越えた判例法の形成には、大きな困難があることはいうまでもないが、まさしく「インターネットには、国境がない。その本質はグローバルであ」(カナダ最高裁判決の中の一文)るのであって、国境を越える法律問題は、今後増えることはあっても減ることはないのである。

 この分野では、各国のマスメディア、NGOあるいは学識者等が、intervenerとして訴訟に参加し、意見書を提出することが多いが、こうした努力は極めて重要である。世界の法律家には、立法のみならず、判例法形成を含む法運用によって、問題へ立ち向かうことが求められているのである。

この研究プロジェクトの役割

 上で述べたように、国境を超える問題のうちには、主権国家間の条約で解決できるものもあるが、これが困難あるいは不可能なものもある。そこで、重要となるのは、法律家同士の対話による相互理解と法システムの相違をコンバージェンスする努力である。その意味で、このプロジェクトが形成したアジア太平洋地域における人的ネットワークは、まさに、今後の取り組みの基盤となることが期待されよう。

※この記事で事例として紹介した研究成果については、佐藤信行「裁判所によるインターネット情報の世界的規制の可能性」藤野美都子・佐藤信行編著『憲法理論の再構築』(敬文堂、2019年)135頁~154頁に所収されている。判決文の出典等、詳細はそちらに譲った。

佐藤 信行(さとう・のぶゆき)/中央大学法科大学院教授
専門分野 公法、英米カナダ法、情報法

福島県出身。1962年生まれ。
1992年中央大学大学院法学研究科博士後期課程中途退学。博士(法学)(中央大学、2000年)。
釧路公立大学専任講師等を経て、2006年から現職。2016年から本共同研究代表者。
編書(いずれも共編著)には、『はじめて出会うカナダ』(2009年、有斐閣)、『要約憲法判例205』(2007年、学陽書房・編集工房球)、『Information情報教育の基礎知識』(2003年、NTT出版)等がある。