研究

避難誘導システムの開発

有川 太郎/中央大学理工学部教授
専門分野 海岸工学、津波防災

戦後の自然災害に対する取り組み

 津波、高潮、豪雨と、地殻変動や気象擾乱などの地球全体の運動に伴う自然の変動に呼応した外力が発生し、有史以来、沿岸の低平地や山間の平地に水災害をもたらしてきた。さらに、巨大地震にともなう巨大津波、気候変動による局地的豪雨、巨大台風による高潮など、沿岸の低平地における水災害のリスクは、近年高くなっていると言わざるを得ない状況である。

 ハード対策については、1949年の水防法、1956年の海岸法に基づく堤防による浸水対策から始まっている。河川堤防、防潮堤や護岸を設置し、浸水を許さず背後地域を守るということを目標としていた。

2011年東日本大震災を受けた防護方針の変換

 しかし、2011年に生じた東日本大震災以降、これまでの「沿岸における津波・高潮からの防護」という考え方から、「ある程度の高さ以上に対しては越流を許容する」という考え方へシフトした。また、2017年には、近年の激甚化する洪水被害を受けて、水防法においても、「施設整備により洪水の発生を防止するもの」から「施設では防ぎきれない大洪水は必ず発生するもの」へと意識を根本的に転換し、法律の一部が改正された。

 この考え方のシフトは、背後地域のまちづくりにとっては、大きな転換とも言える。なぜなら、これまでは、堤防を越えて浸水するという状況を、原則考慮せずにまちづくりを行ってきたが、これからは、浸水を考慮したまちづくりを行う必要があるからである。さらに、浸水するということは、避難を行う必要があり、まちづくりだけでなく、人々の避難に対する意識も変化することが必須となる。

避難誘導システムの必要性

 一方で、現段階の技術では、ある一定レベルの力に対して破壊しないように堤防を作ることはできても、それを超えた津波や豪雨が生じたときに、いつどこで堤防を越えてくるか、超えたときに堤防が倒れるか倒れないか、などを正確に予測することは困難である。そのため、避難するかしないかを的確に判断することが難しく、安全側を見た避難計画、避難体制をとる必要があるが、逆に、それは、人々にいわゆるオオカミ少年効果をもたらすこととなり、的確な避難につながっていない。現に、2016年に生じた福島沖地震津波や、2018年に生じた西日本豪雨災害においても、避難が的確に行われず、豪雨災害では多数の方が犠牲となった。

 このように、浸水を前提としたハード対策とソフト対策を一体としたまちづくりは、始まったばかりであり、その方法、手法は発展途上にあり、行政や住民と話し合いを重ねながら、その手法を確立していくことが重要である。また、避難意識の変革をもたらすためには、これまでのように、まちづくりに対して、国や地方自治体に任せるだけでなく、住民自らが責任を持ち、堤防の高さや、避難計画をしっかりと考えていくという文化に変わっていく必要がある。そのためには、全員が同じ土俵の上で検討ができ、かつ、だれもが簡単に理解できるツールが必要となる。

沿岸防災プラットフォームの開発

 そこで、本プロジェクトにおいては、そのような合意形成ツールの構築を目指し、災害に適応するためのまちづくりに資するプラットフォームを開発することを目的とした。具体的には、洪水や津波による浸水、構造物の脆弱性、避難行動、人口予測、および災害に関わる法律などをデータベース化し、それらを自由にかつ便利に利用できるようなプラットフォームを構築していく。また、災害に適応した都市作りは、日本だけでなく海外においても大きな課題の一つであり、様々な国と連携し、世界中に適用可能なプラットフォーム"沿岸防災プラットフォーム"の構築を目指すものである。

図1:階層型多相連成シミュレータ(Multiphysics Multiscale Integrated Simulator(MMI))

 沿岸防災プラットフォームの核となるものは、シミュレータと水槽実験によるデータベースの構築である。シミュレーションツールとしては、気象モデルから浸水、構造物の破壊、避難を連携して計算することのできる"階層型多相連成シミュレータ"を開発している。我々は(Multiphysics Multiscale Integrated Simulator(MMI)と呼んでいる。さらには、人に対する危険度や、構造物の脆弱性などに対する様々な実験を行えるような沿岸防災再現水槽を構築し、数値計算だけでは再現することが困難なものや、数値計算の妥当性を確保する役割を担う。そして、そのMMIに土地の脆弱性などの様々なGIS情報を入れ、計算した結果および実験結果をデータベース化し、プラットフォームを構築する。そして、本プロジェクトでは、そのプラットフォームに基づき、避難に関する意思決定支援ツールやまちづくり支援ツールの開発を最終的な目標とし、そのうえで、災害に適応するための学術体系(災害適応学)の構築を目指している。

図2:避難に関する意思決定支援ツール

図3:沿岸防災再現水槽

現地の適用に向けて―将来のすまい方―

 自然災害発生時における避難行動は、災害ごとに調べられているものの、津波のような災害では、人生で1度遭遇するかどうかという人たちも多い。洪水なども、近年は多く発生しているものの、個人の経験という意味では、人生のなかで遭遇する確率は低い。そのようなことを考えると、実際に災害に遭遇する場合は、個人にとっては、人生で初めての経験になる可能性が高いと推測される。そのため、具体的な避難の場所や経路を表示する仕組みを開発しておくことが重要と考えている。研究室ではARを用いて住民に提示することを考えており、それに対し実際に現地で適用してみた。まだまだ課題は多いものの、実際に使用した住民においては、有用なツールになりうるという意見もあった。

図4:ARを用いた避難誘導システム

 21世紀はデジタル革命の世紀とも言われている。その社会では、ビッグデータと機械学習の浸透による人工知能の台頭、スマートシティなどデジタルドリブン社会の進展など、デジタルデータとの共生が需要となる。また、観測網の充実、予測手法の高精度化が、ますます進むと期待される。一方で、人間活動により消費されるエネルギーが膨大になることで、気候変動など、地球の基盤そのものに影響を与えるようになっている。堤防などのハード対策だけでなく避難誘導のシステムなどのソフト対策をうまく活用しながら、安全・安心や経済効率だけでなく、自然とも共生し、豊かな生活を送ることができるような社会の構築を、そしてそのような考え方を大事にする文化を醸成していきたい。

図5:研究室の仲間

有川 太郎(ありかわ・たろう)/中央大学理工学部教授
専門分野 海岸工学、津波防災

東京大学工学部土木工学科1995年卒。
東京大学大学院工学系研究科社会基盤工学専攻博士課程2000年修了。博士(工学)。
2000年に運輸省港湾技術研究所入省、
その後、独立行政法人港湾空港技術研究所に組織名変更。
2015年4月より現職。

2004年のスマトラ沖地震津波以後、国内外の津波の被災調査を精力的に行うとともに、現場、実験、数値計算を組み合わせ、現象の解明に努める。
特に、防護施設の破壊メカニズムの解明や、粘り強さ、効果に関する研究を主として行っている。「どうする!?巨大津波」(日本評論社)