研究

日本学術振興会特別研究員(RPD)としての研究活動

河原 弥生/中央大学文学部・日本学術振興会特別研究員RPD
専門分野 中央アジア・イスラーム史

はじめに

 私は第二子の出産後、2017年度の日本学術振興会特別研究員RPDに採用され、中央大学で研究を続けさせていただいています。実はRPDに採用されるのは二度目で、第一子の出産後の2010年度にも採用され、その時も中央大学に受け入れていただきました。今回と併せて合計4年間お世話になり、その間研究に専念できたことを大変ありがたく思っています。今後、RPDへの応募を考える方に多少なりとも参考になればと思い、一つの例として私の経験を書かせていただきました。

研究テーマ

 私は修士論文以来、中央アジア・イスラーム史をテーマに研究しています。具体的には、フェルガナ盆地を拠点に繁栄したコーカンド・ハーン国期(18世紀初頭〜1876年)のタリーカ(スーフィー教団)の指導者たちの活動と、彼らと政権、民衆との関わりに着目しています。タリーカは世界各地でイスラームの拡大に重要な役割を担いましたが、中央アジアでも遊牧民への布教に貢献するなど、為政者にも人々にも大きな影響力を持っていました。一方で、ソ連時代を通じて中央アジアのイスラームは長らく沈滞を強いられてきました。そのようななか、フェルガナ盆地は中国と国境を接する中央アジアの最東端に位置し、現代ではウズベキスタン、タジキスタン、クルグズスタンの国境が入り組む多民族の居住地域であり、中央アジア随一の人口密集地ですが、中央アジアの他の地域に比べてとりわけイスラームの伝統が色濃い地域としても知られています。私は、地域のこのような特徴を形成した歴史的背景をタリーカの活動を軸に検討することにより、中央アジアのイスラームの特質を明らかにしたいと考えてきました。

 研究での基本的な作業は、ペルシア語やチャガタイ語で書かれた年代記などの写本史料を分析することです。しかし、ソ連時代の無神論主義イデオロギーによる政策を経て、現地では歴史と現代の間に想像以上の断絶があり、私の研究対象はそれほど古い時代でないにもかかわらず、研究機関に収蔵されている史料は大変乏しいと言わざるをえません。ソ連時代、宗教指導者の多くが大粛清の犠牲になりましたし、宗教施設も破壊され、公的な宗教教育が絶えましたので、その過程で多くの歴史史料が失われていったのです。

フィールドワーク

フェルガナ盆地の聖者廟

 ソ連崩壊により、独立諸国では歴史の見直しがおこなわれ、各地で歴史的建造物の再建や信仰への回帰が進み、広義のイスラーム復興とも言うべき現象が起こりました。かつて取り壊された教団指導者たちの聖者廟も再建されるようになりました。このようななか私はウズベキスタン留学中から、年代記等の記述を手掛かりにフェルガナ盆地の聖者廟を訪れ、伝承と民間所蔵史料の調査を行ってきました。廟の管理人は大抵は埋葬者の子孫であり、ひっそりと祖先の伝承を受け継いでいました。さらには、消失したと考えられていた史資料も大切に保管されてきたことがわかりました。墓地や民家の壁に埋められており、改築の際に再発見されたという話もよく聞きました。それらは聖者伝、系譜書、不動産文書など一族の歴史に関する希少な内部史料です。史料の由来や一族の来歴が明らかである上、互いに関連をもった多種の史料が同時に利用できるという点で、研究においてとても有用な史料群です。帰国後も毎年現地を訪問し、多くの貴重な史料を複写させていただきました。順調な調査の背景には独立後のナショナリズムの高揚などの機運もありましたが、幾度もの文字改革によってアラビア文字を読める人がおらず、彼ら自身が自分たちの歴史や史料の価値を知りたいと望んだという事情もあったと思います。

発見史料の一つ

 ある一族の親戚を文字通り「芋づる式」に訪ね歩いた結果、コーカンド・ハーン国末期の民衆反乱の主導者に関連する史料が集まり、年代記に描かれていないような反乱における都市や農村の民衆の動向を明らかにできたり、既知の史料では足取りが途絶えていた人物がフェルガナ盆地で活動していたことを発見できたりしました。

RPDへの応募

聖者廟でのインタビュー

 上記のような方法で研究を続け、博士論文も自ら発見した民間所蔵文書を存分に利用して執筆した私にとって、出産は大きな転機でした。当時フェルガナ盆地の村々での現地調査は、地元研究者の協力もあって軌道に乗っていました。調査先から噂が伝わり、次々に姻戚や遠方の親戚が紹介され(国境を越えることも!)、行くたびに新しい史料を発見できました。その一方で、インタビューの対象者はどんどん高齢になります。その頃、スターリン時代の粛清や、取り壊し前の宗教施設の記憶を持っている世代の方々にインタビューできる最後のチャンスだと感じていました。RPDの応募資格はもう少し先までありましたが、すぐに研究に復帰したいと考え、早めに応募したのにはそのような焦りもありました。

フィールドワーク、再び

墓地を訪ね歩いて

 RPDに採用された時、子供は2歳でした。日常生活においては認可保育園に預けることができ、昼間は研究に専念することができたのでとても助かりました。現地調査もすぐに再開しました。現地の友人たちにも、こんなに早く戻ってきたのかと驚かれました。一方で私が驚いたのは、身軽だった頃より格段に調査がスムーズになり、成果も上がるようになったことです。中央アジアの人々は大変なもてなし好きで、いつでも、もちろん単身でも歓待してくれます。しかし、現地の人から見ると、私は突然やってきて聖者廟や先祖の歴史をあれこれ聞く外国人ですので、かつては警戒されているなと感じることも少なからずありました。ソ連時代の彼らの経験を考えると無理もないことです。子連れで行くようになってからは、すぐに打ち解けて話が弾むようになり、調査に際しても、より生き生きとした伝承を聞き取れるようになったと感じます。子供がぐずったりしたら調査に支障をきたすのではないかと心配していましたが、杞憂に終わりました。その後、任期付の別の職に就いた時期もありましたが、その間もう一人出産することができたのも、RPD採用(一度目)の経験があったからだと思っています。

待ち時間

 もう一つの心配事は、子供の反応でした。私は好きな研究を再開できて満足ですが、子供に負担にならないか悩みました。しかし、子供の適応能力はとても高いようです。今では慣れたもので、調査先の民家にお邪魔すると、中庭を一巡りし、羊、牛が飼われているのを見て廻り、餌やりをしたり、鶏が産んだ卵を拾わせてもらったり、庭に実る葡萄をもいでもらったりして時間を潰してくるようになりました。もう少し調査期間を長くすると言葉も覚えるかもしれません。最近の調査の際、子供が「ウズベク語を覚えたよ。トゥシュ(Tush!)というのは下りろという意味でしょ」と報告してきました。その家の子供に誘われて家畜小屋の屋根に登って遊んでいたところ、その子のお母さんが下から真っ青になってそう叫んでいたのだそうです。おいとまする前、そのお母さんと子育て談義が尽きることがありませんでした。

トルクメニスタンにて制服の少女たちと

 出産と育児によって研究活動を一時的に休むことにはなりましたが、RPDは私にとって研究復帰への躊躇を払拭したばかりか、思いがけず調査地との結びつきを強めてくれた本当にありがたい制度でした。また、日本学術振興会特別研究員の規則も年々諸制限が緩和され、より研究しやすい制度に改正されつつあります。私の採用中にも副業の制限が緩和されたため、現在週に1日のみの勤務ですが、東京大学附属図書館アジア研究図書館上廣倫理財団寄付研究部門で特任研究員を兼任させていただいています。新たに開館する研究図書館に中央ユーラシアに関する蔵書を構築するという仕事で、新しい発見や気づきが多々ありとてもやりがいを感じています。

 中央大学で研究に専念できる環境を整えていただいたことに改めて感謝するとともに、今後も調査の成果を結実させられるよう一層研究に邁進する所存です。

河原 弥生(かわはら・やよい)/中央大学文学部・日本学術振興会特別研究員RPD
専門分野 中央アジア・イスラーム史

1999年、東京大学大学院人文社会系研究科修士課程修了、2001~2003年、ウズベキスタン共和国科学アカデミー東洋学研究所留学、2005~2008年、日本学術振興会特別研究員PD、2008年、東京大学大学院人文社会系研究科博士課程修了。博士(文学)、2010~2011年、日本学術振興会特別研究員RPD、2011~2016年、人間文化研究機構地域研究推進センター研究員、2017年~ 日本学術振興会 特別研究員RPD。論文に“Valī Khān Tūra: A Makhdūmzāda Leader in Marghīnān during the Collapse of the Khanate of Khoqand,” Devin DeWeese and Jo-Ann Gross (eds.), Sufism in Central Asia: New Perspectives on Sufi Traditions, 15th-21st Centuries, Leiden-Boston: Brill, 2018, pp. 162-190、“The Development of the Naqshbandiyya-Mujaddidiyya in the Ferghana Valley during the 19th and Early 20th Centuries,” Journal of the History of Sufism, No. 6, 2015 , pp. 139-186がある。