研究

自国民/外国人という発想を超えて―

SDGsゴール10「人や国の不平等をなくそう」達成に向けて

李 里花/中央大学総合政策学部准教授
専門分野 移民研究、歴史社会学、環太平洋地域研究

 2015年の国連サミットで採択された持続可能な開発目標(SDGs:Sustainable Development Goals)は、先進国を含む世界すべての国に関わる課題・目標として、国内外で急速に関心が高まっています。2030年に設定されているSDGsの達成に向け、本特集では「知の創出拠点」としての大学に焦点を当て、本学の研究者による研究活動を通じて、私たち大学が果たすべき役割とは何か、を考えます。

 第4回は、李里花准教授(総合政策学部)が、日本における「自国民」/「外国人」という二元論から生じる人と国をめぐる不平等な構造について、その変遷を概観するとともに、「人や国の不平等をなくす(SDGsゴール10)」というSDGs達成のために大学が果たす役割について考察します。

はじめに

 SDGsは「Sustainable Development Goals」の略称であり、正式名称は「我々の世界を変革する:持続可能な開発のための2030年アジェンダ」です※1。2015年9月の国連サミットで採択されたこの国際目標には17のゴールと169のターゲットがあり、「地球上の誰一人として取り残さない(leave no one behind)こと」を誓っています。発展途上国のみならず、先進国が国内や世界で取り組む普遍的な課題が示されているため、ここではゴール10の「人や国の不平等をなくそう」を達成するために、日本では何ができるのか、国内の状況に焦点を当てながら、大学や研究の役割を考えたいと思います。

国に帰属することが当然視された20世紀

 20世紀は、世界の隅々まで国民国家体制が浸透した時代です。世界のあらゆる場所で国境線が引かれ、人びとは「国民」と「そうでない人」に分けられました。「そうでない人」は「外国人」と呼ばれ、国境の外側からやってきた「他者」として認識されました。また国民意識が優先され、人びとの帰属意識が国を中心に形成されました。東アジアでは、民族意識が混然一体となって国民意識が形づくられたため、「日本人」や「韓国人」という分類は、「その国の国籍やパスポートをもつこと」だけでなく、「同じ民族的ルーツをもつこと」を意味するようになり、この帰属意識の下、帝国の時代には多くの人びとが命を落とすことになり、今日になってもなお「嫌韓」や「反日」といった国民感情を形づくっています。

人と国めぐる不平等構造―「国がない人」の事例から考える

 このような時代において国に帰属しないことはできたのでしょうか。ここでは国内の状況に目を向けるために、在日コリアンの例を紹介したいと思います。

 帝国の時代に日本に「移住」した朝鮮人やその子孫(以下、「在日コリアン」という)は、大日本帝国「臣民」として日本にやってきましたが、1947年の外国人登録制度の下で「外国人」に分類されました。この時、出身地と国籍を記載する欄に「朝鮮」という名称が使われたため、在日コリアンは「朝鮮」という「籍」をもつ人びとになりましたが、ここでいう「朝鮮」は国名ではありません。ルーツが朝鮮半島にあることを示すものであり、朝鮮民主主義人民共和国や大韓民国という国家に帰属することを意味するものではありませんでした※2。つまり在日コリアンは、この時点においては、どの国にも帰属しない人(「事実上の無国籍」や「国籍未確認」ともいわれる)になったのです※3。しかし朝鮮籍になった人びとの暮らしは、東西冷戦構造や東アジアの国際情勢、日本国内の国家体制とともに変化を余儀なくされます。特に1965年の日韓基本条約によって日本と韓国の国交が回復すると、在日コリアンに「韓国籍」を取得する道が開かれますが、当時は韓国籍を取得した人にだけ永住権や社会福祉の受給資格が付与され、在日コリアンの間に格差を生み出すような構造ができました※4。その後日本が国際人権規約(1979年)や国連難民条約(1982年)に加盟していく中でこの制度に対する国際的な批判が高まり、日本は「特例永住」(1981年)とその後の「特別永住」(1991年)という在留資格制度を導入していく中で改善を図っていきますが、この一連の流れから浮き彫りになるのは、人は国に紐づけされ(その結果、国がないという状態になることを含め)、それによって人が序列化されるという、人と国をめぐる不平等構造が(国がない人も含めて)あることです。

グローバル時代に生きる

 しかしグローバル時代の到来とともに、ヒトやモノ、カネ、文化が頻繁に国境を越える時代となりました。日本には「外国人」と言われる人が多く存在するようになり、その数は2019年6月末に282万人に上っています。7年連続の増加です。さらに日本政府は、2019年4月に出入国管理及び難民認定法を改正し(改正入管法)、5年間で最大約34万5千人の外国人労働者の受け入れを表明しています。かつて経験したことがないほどの人が外国から来て、日本の地域社会に暮らすため、移動しない人びとの生活も大きく変わろうとしています。また国際結婚や国籍取得によって外国のルーツをもつ自国民も増え、「日本人」と「外国人」の境界が曖昧化・流動化しているのが今の日本の現状です。

 このような中で、日本が行ってきたこれまでの多文化共生の政策はどのようなものであったのでしょうか。多文化社会論を研究する南川文里氏は、2017年に日本がOECDの中で、ドイツ、アメリカ、イギリスに次いで、4番目に多くの新規の移住者 (migrant)を受け入れた国に躍り出たことを紹介しながら、多文化社会の達成度を指標化している研究機関から日本は先進国の中で最も低い評価を受けていることを指摘しています※5。日本では、1990年代から国際化政策(内なる国際化を含む)が進められ、今日はそれが多文化共生政策として地方自治体でも推進されていますが、期待したような成果を挙げることができなかった面があります。しかし改正入管法とともに日本政府は「外国人材の受入れ・共生のための総合的対応策」のために211億円の予算を投じようとしています※6。このような取り組みを行いながら、日本の多文化共生はなぜ実現していかないのでしょうか。

自国民/外国人という二元論を超えるために

 理由の一つに、今の日本の多文化共生が、人や文化を単純に「自国」と「外国」に分けていることにあります。現実的には、自国民と外国人を分け隔てる境界は曖昧であり、そこで区別や偏見、差別が複雑な形で蔓延っています。例えば先に挙げた在日コリアンの例でいえば、現在は世代交代を経て、日本語を母語として育った三世代目や四世代目が多く、いわゆる「外国人」に見える人は少ないといえます。しかし今もなお「外国人」として他者化された存在であり、ヘイトスピーチのターゲットになっています。たとえ日本国籍を取得しても(=「帰化」といわれる手続きをしても)、「元朝鮮人」であることが判明すると「帰化者」に対する独特の「まなざし」が向けられます。1970年に焼身自殺した山村政明は、「帰化者」としての苦悩を抱えながら死にましたが、彼の苦悩が時代とともに消えたわけではなく、むしろ今日も残っている面があります※7。それは例えば、区別されたり差別されたりすることを避けるために日本人に見えるように振舞い、自分の中のブラジル文化を否定することもあったという在日ブラジル人の語りにもみることができ、人びとのリアリティは、「自国」や「他国」といった単純化された図式とはかけ離れたところにあるといえます※8

大学と研究の役割

 そのため研究にまず求められるのは、複雑化した人と国をめぐる境界について、それを丁寧に紐解くことではないかと考えます。歴史的に/現実的に何が起き、どんなリアリティがあったのか/るのか、そしてその背景にいかなる民族関係や社会構造、国際関係があるのかを解き明かすことです。そしてこの研究成果を教育の場でも活かし、人と国をめぐる国内の仕組みが、その不平等構造も含めて、世界といかに連続/非連続しているのか、複雑化した社会を地球規模の目線で理解していくような教育が求められます。またこのような学びの場では、フィールドワークのような現地調査や聞き取りは貴重な学びを提供してくれます。学生自らが気づくことで、主体的な学びが可能となるためです。但し、フィールドワークが「他者」を学ぶ場ではなく、これからのグローバルな多文化共生時代の実現を、フィールドの人と「ともに」学生も担っていることに気づくような方法を導入することが求められます。

 そして次に求められるのは、自国民/外国人という二元論的枠組みを超えるような思想や社会を創造していくことです。例えば移民研究の分野では、「滞在期間主義」という新しい考え方が提唱されています※9。これは出生地主義や血統主義という考えによって人を自国民と外国人に分け、この区分をもとに人を包摂/排除してきたこれまでのあり方に疑問を呈し、その国や地域に長く居住する人を共同体のメンバーにしていくことを提唱するものです。さらに人類学の分野では、日本の地域社会に存在する伝統社会や前近代的な発想が、実は今の日本の多文化共生社会を実現する上で大事な視点を提供してくれることを指摘する研究等も発表されています※10。インクルーシブ社会を創造していくような発想が、日本の大学の研究と教育の場で生まれてくることが、SDGsゴール10「人や国の不平等をなくそう」を国内で達成するために不可欠になるのではないでしょうか。

  1. ^ https://www.unic.or.jp/activities/economic_social_development/sustainable_development/2030agenda/
  2. ^ 歴史的経緯については、次を参照した。高希麗, 2019.「憲法からみた国籍概念―日・独・韓を対象とした一考察」神戸大学学位論文; 鄭栄桓, 2017.「在日朝鮮人の「国籍」と朝鮮戦争(1947年-1952年)―「朝鮮籍」はいかにして生まれたか」『PRIME』36-62。
  3. ^ 現在の朝鮮籍をめぐる状況は、法律的な観点から「無国籍」に該当しないという指摘もある。Kohki Abe, 2010. "Overview of Statelessness: International and Japanese Context" (paper commissioned by UNHCR)
    https://www.unhcr.org/protection/statelessness/4ce643ac9/overview-statelessness-international-japanese-context-abe-kohki-professor.html
  4. ^ 外村大, 2009.『在日朝鮮人社会の歴史学的研究―形成・構造・変容』, 緑蔭書房; 原尻英樹, 1998.『「在日」としてのコリアン』, 講談社現代新書
  5. ^ Fuminori Minamikawa, "The Unmaking of Multiculturalism Policies in a County of Non-immigration: How Japan Failed to Learn from North American Experiences," Haney Lecture on Ethnicity, Munk School of Global Affairs and Public Policy, University of Toronto, November 22, 2019.
  6. ^ 法務省出入国在留管理庁『新たな外国人材の受入れ及び共生社会実現に向けた取組(在留資格「特定技能」の創設等)』(http://www.moj.go.jp/content/001293198.pdf), 33-34頁
  7. ^ 山村政明, 1971.『いのち燃えつきるとも―山村政明遺稿集』, 大和書房.
  8. ^ 「映画に出演した地域住民の視点から」大会シンポジウム「スポーツ×移民×映像―移民研究にどんなプレイができるか」(日本移民学会第28回年次大会, 2018年6月28日).
  9. ^ フランソワ・エラン, 林昌宏訳. 2019. 『移民とともに:計画・討論・行動するための人口統計学』,白水社.
  10. ^ 原尻英樹, 2019. 『多文化共生の思想とその実践―日本の伝統文化から考える』, 新幹社.

李 里花(りー・りか)/中央大学総合政策学部准教授
専門分野 移民研究、歴史社会学、環太平洋地域研究

1997年中央大学総合政策学部卒業。2000年一橋大学社会学研究科修士課程修了。2011年一橋大学社会学研究科博士課程修了(社会学博士)。米国ハワイ大学コリアン研究センター客員研究員、韓国高麗大学アジア問題研究所客員研究員、多摩美術大学専任講師・准教授を経て、2019年より現職。現在は、日本とハワイのコリア系移民の文化とアイデンティティについてトランスナショナリズムの視点から研究を進めている。また編者として『朝鮮籍』(明石書店、2020年出版予定)に取り組んでいる。主要な研究業績として、『〈国がない〉ディアスポラの歴史:戦前のハワイにおけるコリア系移民のナショナリズムとアイデンティティ』(かんよう出版、2015年)、金成恩他編『한국 근대 여성의 미주 지역 이주 및 유학(近代アメリカ地域における韓国女性の移住と留学に関する研究)』(韓国学中央研究院出版部、2019年)」(共著)、「Stateless Identity of Korean Diaspora: The Second Generations in prewar Hawai‘i and postwar Japan」『総合政策研究』2020年(近刊)などがある。

研究業績
大学HP:
http://researchers.chuo-u.ac.jp/Profiles/43/0004219/profile.html
Research map:
https://researchmap.jp/rikalee/?lang=japanese (日本語)
https://researchmap.jp/rikalee/?lang=english(英語)