赤ちゃんの色世界に迫る
楊 嘉楽/中央大学研究開発機構 機構助教
専門分野 実験心理学、発達心理学
中央大学研究開発機構20周年特集
中央大学研究開発機構は、今年設立20周年を迎えます。1999年7月に設立して以降、「産官学の連携・研究交流の深化」を使命とする研究拠点として、持続可能社会の形成に向けて実社会が直面する諸課題の解決に取り組んできました。この20年間で、100を超える研究ユニットが展開され、参画する多くの研究者の尽力によって学術的にも、社会的にも影響力のある研究成果が数多く生み出されてきました。
今回の特集では、現在展開されている研究ユニットに参画する研究者に焦点を当て、その研究活動の紹介を通じて、研究開発機構で研究活動によって生み出される成果の一端をご紹介します。
私たちのグループは、赤ちゃんを対象に色知覚の発達についてさまざまな研究を行ってきました。わたしたちは色どり豊かな世界に生きています。青い空、赤いリンゴ、緑の森、周りのものはすべで「色」がついているため、わたしたちは、色によってものを認識したり、区別したり、選んだりします。色は私たちにものの情報を与えるのみならず、絵画の色や、インテリアの色や、化粧の色のように、感性を生じさせます。では私たちはどのように、「色」を知覚し始めるのでしょうか。生まれたばかりの赤ちゃんでも色が見えるのでしょうか。
赤ちゃんはカテゴリカル色知覚をもっているのだろうか
私たち大人は、複数の微妙に違う色を一つのカテゴリとしてまとめて知覚するという「カテゴリカル色知覚」をもっています。たとえば、緑という色のカテゴリの中には、青っぽい緑もあれば、黄色っぽい緑もあります。しかし、色味が微妙に異なっても、いくつかの緑を同じ「緑」というカテゴリとして認識できます。最近の成人とサルを対象とした研究では、脳の後側頭の一部は、この色のカテゴリ処理に貢献していることが分かっています。大人が知覚する色のカテゴリは、使っている言語の色名とほとんど対応しているため、カテゴリカル色知覚は言語と密接な関係があるといわれています。特に、心理学・言語学・文化人類学において有名な仮説の一つである「サピア=ウォーフ仮説」は、知覚や思考が言葉の影響を受けると主張しているため、色のカテゴリは文化や言葉が決定すると考える心理学者は少なくありません。
しかし、私たちの研究グループ(中央大学研究開発機構 楊嘉楽機構助教・日本女子大学 金沢創教授・中央大学 山口真美教授・東北大学電気通信研究所 栗木一郎准教授)は、世界で初めて、色のカテゴリは文化や言葉に依存しないことを明らかにしました。つまり、言葉が分からない乳児でも色情報をカテゴリとして脳の中で処理する証拠を見つけました。
図1.NIRS実験の様子。左側:NIRSのプローブを装着した赤ちゃんが、2色に変化する画像を見ている様子です。NIRSのプローブから、画像を見ているときの脳血流変化を記録しています。右側:乳児の後側頭領域を測定しており、この後側頭領域は、成人において色カテゴリの情報を処理する部位です。
実験では、言語獲得以前の5-7ヶ月児を対象に近赤外分光法(NIRS)※1を用いて、カテゴリカル色知覚に関連した脳内処理があるかどうかを調べました。乳児がカテゴリの中で2色に変化する画像と、カテゴリを超えて2色に変化する画像を観察したときの後側頭領域の脳血流反応をNIRSによって計測しました(図2)。この実験のポイントは、同じ色カテゴリの中で変化する緑1/緑2と、異なる色カテゴリの緑2/青の色差が同じにしてあることです(色差とは2つの色の間の違いで、色差が大きいほど区別しやすく、色差が小さいほど区別しにくくなります)。もし脳が色差だけで反応していれば、カテゴリ内・カテゴリ間に関わらず、同じ脳活動が見られるはずです。後側頭は、成人では色カテゴリの情報を処理する部位です。実験の結果、カテゴリ内の色変化と比べ、カテゴリ間の色変化を観察する際により強い脳活動が確認されました。言葉を獲得した成人においても、類似した脳血流反応が観察されました。これらの結果から、言語獲得より前に、カテゴリカル色知覚に関わる脳内処理は存在し、カテゴリカル色知覚は言語システムとは独立であることが証明されました。この研究成果はサピア=ウォーフ仮説を議論する上で重要なヒントを与えるものであり、2016年に米国科学アカデミー紀要に掲載されました。インパクトが大きい研究成果であるため、一般向け科学雑誌としては世界最古の『サイエンティフィック・アメリカン』をはじめ、国内海外から多くの取材も受けました。
図2.実験の流れ。実験映像は、ベースライン→カテゴリ間変化→ベースライン→カテゴリ内変化という順番に、乳児が飽きて見なくなるまで、繰り返し提示しました。カテゴリ間変化では映像の色が緑・青カテゴリ間で切り替わりました。カテゴリ内変化では映像の色が緑1・緑2カテゴリ内で切り替わりました。ベースラインでは、色ではなく形が変化しました。
本研究が示したように、乳児を扱う発達心理学的な研究は、いつごろから当該の能力が現われるかという発達的知見を提供するのみならず、一般心理学にも大きな知見を貢献します。特に、言語・文化と密接な関わりがあると考えられている研究分野では、乳児を対象にした研究は欠かせません。つまり、言語を獲得していない、文化の影響を受けていない乳児を対象にすることにより、当該能力の言語・文化との関係を明らかにできるからです。
赤ちゃんの視覚野ではどのように色を処理しているか
マカクサルの脳研究で、視覚情報を処理する視覚野では、特定の色味(いわゆる「色相」;例えば赤・緑・黄・青・オレンジ・紫・ピンクなど)のみに反応するニューロンが多く見つかっています。ヒトの成人における脳機能計測による研究でも、視覚野には、それぞれの色相を単独で処理するニューロンが多数あると考えられる研究が複数報告されています。このように1つのニューロンが1つの色相だけに反応する性質を色相選択性と呼びます。
一方、赤ちゃんの行動に基づく研究では、生後約2ヶ月で赤と緑の区別が、約4ヶ月で青と黄の区別ができるようになると言われています。では、中間色(紫、オレンジ、ピンクなど)を含めた視覚野の色相選択性はいつ頃から発達するのでしょうか?現在私たちのグループは、日本学術振興会科学研究費助成事業の助成を受けて、この問題を明らかにするための研究を遂行しています。
図3.SSVEP実験で赤ちゃんに見せる映像。チェッカーボードパターンの色は、1秒毎に色相環に沿って変化する。
実験では、乳児でも簡単に計測できる定常状態視覚誘発電位(SSVEP)※2を用います。「赤→橙→黄→緑→青→藍→紫」という順番で色相を円環にして並べた色相環を12等分し、対応する12色をピックアップしてテストしました。それぞれ色相が違うチェッカーボードパターンを生後5-6ヶ月の赤ちゃんに呈示し(図3)、異なる色相のチェッカーボードパターンを見ている時のSSVEP振幅を比較しました。異なる色相の刺激に誘発されるSSVEPの振幅を比較することで、視覚野における異なる色相に対する感度を調査しています。現在実験は進行中ですが、発達初期の乳児においても成人と同様に中間色を含めた色相選択性が存在する可能性が確認されつつあります。本研究は、言語や文化などの影響を受けない乳児と成人を比較することで、視覚野の色情報処理は、どのくらい生活環境や言語など高次要因に影響されるかを調べることができ、「氏か育ちか」という発達科学の伝統的な論争に貢献できると考えます。
本研究で用いるSSVEPによる測定手法は、他の脳波測定手法より信号対雑音比が高いというメリットがあるため、短時間で数多くの色をテストすることが可能になります。本研究で、視覚野の色相選択性の測定が成功すれば、この手法をほかの色覚の発達研究に応用でき、この研究領域に大きな発展をもたらすことが期待できます。さらに、本研究の提案する手法を用いることで、より少人数で、すべての色カテゴリ境界を詳細に調べることも可能になると考えています。
- ^ 近赤外分光法(NIRS):生体細胞を透過しやすい近赤外光(波長700nm~1300nm)を用いた非侵襲性の脳機能イメージング法。この方法では、外部から頭部に近赤外レーザー光を照射し、大脳皮質で散乱と吸収を繰り返した後、頭皮上に戻ってきた光量を分析する。血液中のヘモグロビンが酸素を持っている状態か否かにより赤外光の吸収特性が変化するため、脳皮質表面部位の酸素化ヘモグロビン、脱酸素化ヘモグロビン、総ヘモグロビンの相対的な変化が計測できる。神経細胞の活動に伴って酸素が消費されるため、酸素化/脱酸化ヘモグロビンの計測により、光の透過経路における脳活動が推定できる。
- ^ 定常状態視覚誘発電位(SSVEP):周期的にフリッカする刺激を観察するときに、フリッカ刺激と同じ周波数を持つ誘発脳波成分の電位。
- 楊 嘉楽(ヨウ・カラク)/中央大学研究開発機構 機構助教
専門分野 実験心理学、発達心理学 - 中国広東省出身。
2004年中国吉林大学応用心理学科卒業。
2009年中央大学大学院心理学専攻博士前期課程修了。
2012年中央大学大学院心理学専攻博士後期課程修了。心理学博士
中央大学リサーチアシスタント、日本学術振興会特別研究員(DC)、日本女子大学研究員、東京大学総合文化研究科特別研究員、日本学術振興会特別研究員(PD)、Goldsmiths, University of London, Visiting Researcherを経て2019年より現職。
現在は乳児における色知覚、質感知覚、身体知覚の発達を研究している。