研究

新元号・『万葉集』・古典文学教育

吉野 朋美/中央大学文学部教授
専門分野 日本古典文学(中世文学・和歌文学)

はじめに

 改元後、もうすぐひと月が経とうとしている。史上初の新元号事前発表から改元まで、天皇の代替わりという慶事と相まって、日本中はお祭り・お祝いムードと新しい時代への期待感に満ちあふれた。それは、改元という行為が本来担っている予祝の効果――その名のつく時代が災害もなく安寧泰平で繁栄することを願うという――をあらためて感じさせるできごとであった。

 その新元号「令和」が『万葉集』を出典とするということで、連休中に久々に会った友人から、立て続けにこの元号についての意見や感想を求められた。私が古典和歌を研究しているからだろう。私は元号の専門家ではないので、漢籍が典拠でなかったことに驚いたこと、「令和」はラ行音の響きが玲瓏(れいろう)でよいと思ったことくらいの感想しか述べられなかったが、出典に関しては、やはり古典和歌の研究者のひとりとしてもう少し説明したい思いもあり、また今回のことを通して、あらためて古典文学の現在置かれている状況についても思うところがあった。以下、そのことについて、最近の私の研究課題とからめて述べてみたい。

旅人と「梅花の宴」

 まず、新元号の出典に関してである。すでに多くの報道で知られているように、出典は『万葉集』巻第五に収められる梅花の宴三十二首の序文である。長官として筑紫の大宰府に赴任していた大宰帥大伴旅人(だざいのそちおおとものたびと)が開いたその宴は、序文から天平二年(730)正月十三日、太陽暦(グレゴリオ暦)に換算すると二月八日におこなわれたことがわかる[i]。ものごとをおこなうに佳(よ)い月である正月、穏やかな風が吹いて(「令和」の典拠箇所)梅が白く咲き、草が香って庭には蝶が舞い、帰雁が空を渡るうららかな春、盃を回しつつこの満ち足りて愉快な心持ちを落梅に寄せて歌に詠もうではないか、というのがこの序文の趣旨である。

白梅(撮影:吉野朋美)

 すでに指摘されるように、この序文は王羲之(おうぎし)の「蘭亭集序(らんていしゅうじょ)」をふまえている(他にも『文選(もんぜん)』所収の張衡(ちょうこう)「帰田賦(きでんのふ)」の影響も早くから指摘される)[ii]。世俗を脱し風雅を楽しむ詩会の序なのだが、その後半は、世の中や時代が移り変わっても死を前提に生きる宿命を持つ人が抱く感情は同じであり、その心のうちを書いたものは後世の人にも時代を超えて共感されるだろうという内容である[iii]。梅花の宴の序文には新元号の典拠箇所以外にも「蘭亭集序」をふまえた表現が見えるから、「蘭亭集序」全体をふまえていると見れば、宴を楽しむ心のうちによぎる無常の思い、限りある生を生きる人間という存在への思い、そして文学の普遍性への確信を奥に秘めた文章がこの梅花の宴の序文ともいえよう。

 これを著したのは宴の主催者、旅人と考えられる。旅人は63歳という老齢で大宰帥に着任したが、それは藤原氏の勢力が伸張する中での、名門氏族大伴氏の族長に対する左遷に近い人事であった。赴任直後には最愛の妻を亡くす凶事に見舞われ、この宴の半年前には長屋王(ながやのおう)の変が遠い都で起きている。旅人が大宰府生活で抱えていた憂愁の思いを背景に見ると、「蘭亭集序」をふまえる必然性も了解されるだろう。

 ところで、この序文に続く三十二首がすべて万葉仮名(まんようがな)で書かれている点は注目される。たとえば主催者である旅人の歌

「わが園に梅の花散る久方(ひさかた)の天(あめ)より雪の流れ来るかも」
※〈訳〉私の庭に梅の花びらが散る。天の彼方から雪が流れてくるのだろうか(白梅の花びらが雪のよう)。

 は、

「和何則能尓(わがそのに) 宇米能波奈知流(うめのはなちる) 比佐可多能(ひさかたの) 阿米欲里由吉能(あめよりゆきの) 那何列久流加母(ながれくるかも)」

と表記される。
やまとことばの歌が一音一音、漢字を自在に用いて正確に書き表されているのである[iv]。また、表現としては落梅の雪への見立てや「流雪」の表現などを六朝詩などの漢詩文に負いながら、落花の様子を瑞兆である雪が天から次々に舞うさまになぞらえ、幻想的な風景を描出している。

 当時目新(めあたら)しかった渡来の梅の花を愛でる宴でありながら、漢詩ではなく和歌を詠むという趣向も含め、この梅花の宴では、大陸からもたらされた文化を見事に自分たちのものとして取り込み融合させていたことを、さまざまなレベルで示している。そう考えると、この箇所を出典とする「令和」は、グローバル社会と言われる現代にふさわしい元号ともいえよう。

古典文学への関心と古典文学教育

まんがで読む万葉集・古今和歌集・新古今和歌集(学研プラス)

 さて、新元号発表以後、『万葉集』は一時期本屋の店先から姿を消すほどのブームになったという(数年前に私が監修した学研プラスの『まんがで読む万葉集・古今和歌集・新古今和歌集』までもが、一時期Amazonの学習マンガ部門第一位になったとのこと!)。これをきっかけに、多くの皆さんに日本の古典文学への関心を持っていただければ幸いなのだが、こうした慶事でもなければまずほとんど興味を持たれないのが現状だろう。興味を持たれないコンテンツはニーズもないし、それに関しての情報も更新されない。

 情報が更新されないというのは、たとえば、新元号に関する首相談話で『万葉集』が「天皇や皇族、貴族だけでなく防人や農民まで幅広い階層の人々が詠んだ歌が収められ、我が国の豊かな国民文化と長い伝統を象徴する」書物と紹介されていたことである[v]。これは「上は天皇から下は庶民までの歌」を収めた歌集だと中学・高等学校の教科書で説明され続けてきたことと関係があるのだが、このように集の特質をとらえる見方は、実は学界ではすでに20年近く前に否定されている[vi]。それが一般に浸透していないところに、古典文学というコンテンツへの関心の低さ、わたしたち研究者がうまく研究成果を発信できていない現状があらわれている。また、そこには、古典文学研究では対象や手法の細分化が進みそれぞれで深化する一方、その手法や成果が高等教育の現場に還元されず、研究と教育が著しく乖離している状況、古典を学んで面白かったと思ってもらえない実態がある。

 そこで、この実態を少しでも打開したいと考え、ここ数年、時代や対象を異とする古典文学と教育学の研究仲間とともに研究会を組織して、研究で培った専門知を反映させ古典のエッセンスを楽しく深く学べる題材を設定し、アクティブラーニング型の日本古典文学ワークショップを企画・開催してきた[vii]。このワークショップでは、高校生・大学生・大学院生・高校教員・大学教員という幅広い属性の参加者が一堂に会し、従来の学習者と教授者が対等な立場で学び、同じ課題に取り組むことで、自分とは異なる視座を獲得しながら、これまでにない気づきや多様で深い学びをもたらすことをめざすものである。課題に協同して取り組む中で、現代社会にも通じる思考法やスキルを養うことも目的としている。

 この取り組みを中心に据えた研究は、今年度から科学研究費助成事業の基盤研究に採択された[viii]。ワークショップは人数の限られた小さな試みではあるが、ここで得られた成果を発信し少しでも社会に還元できるよう、また、古典文学への関心や興味が少しでも高まるよう、取り組んでいきたい。

  1. ^ 落梅の時期には早すぎるため、落花、あるいは宴そのものが虚構であるという説もある(新編日本古典文学全集『万葉集』①頭注・小学館)など。
  2. ^ 江戸時代前期にはすでに契沖が『万葉代匠記』で指摘する。また江戸時代後期の橘千蔭『万葉集略解』には、この序は「始めの書ざまよりしてすべて亭叙をまなびて書り」と述べる。
  3. ^ 「蘭亭集序」の内容については、品田悦一「東大教授が解説!「令和」から浮かび上がる大伴旅人のメッセージ」(現代ビジネス4/21(日) 14:00配信)を参照した。
  4. ^ これは巻第五の特色のひとつで、『万葉集』全体から見れば異色の書き方である。ただし、旅人の息子で『万葉集』編纂に関与したとされる家持が関わっている巻は、同様の音仮名の書式となっている。
  5. ^ 2019年4月1日新元号発表時の首相談話より
  6. ^ 品田悦一『万葉集の発明 国民国家と文化装置としての古典』(2000年・新曜社)。なお、近年の教科書には、ようやくそのフレーズがなくなりつつある。
  7. ^ 2015年から毎年開催してきたWSのテーマは以下の通り。第1回「和歌を演じる―伊勢物語」、第2回「絵と文の相互作用―江戸の「見立て」を楽しむ」、第3回「和歌解釈の多様性―歌占巫子養成講座」、第4回「歌の表記と修辞―今日からあなたも万葉歌人」。
  8. ^ 基盤研究(C)「高大連携による古典文学の探究型授業の教材作成と教育モデル構築の実践的研究newWindow
吉野 朋美(よしの・ともみ)/中央大学文学部教授
専門分野 日本古典文学(中世文学・和歌文学)
おもに平安時代から鎌倉時代の和歌文学を研究している。近年、他大学の研究者とともに日本文学アクティブラーニング研究会を組織し、高校教員の方々とも連携して、古典文学教育のあり方の探求もおこなっている。
著書に『後鳥羽院とその時代』(笠間書院)、『西行全歌集』(共著・岩波文庫)、『コレクション日本歌人選 後鳥羽院』(笠間書院)、『大学生のための文学トレーニング 古典編』(共著・三省堂)など。