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佐藤 信行

佐藤 信行【略歴

比較の視点からする法研究と英語

佐藤 信行/中央大学法科大学院教授
専門分野 公法、英米カナダ法、情報法

はじめに

 筆者は、2018年6月13日~18日、カナダの首都オタワへ出張してきた。これは、筆者がこの4月1日付けで、地域研究学会である「日本カナダ学会」[1]の会長となったことから、「カナダ研究国際評議会」(International Council for Canadian Studies)[2]の年次総会に参加することになったものであり、著者が努める中央大学の私立大学研究ブランディング事業「アジア太平洋地域における法秩序多様性の把握と法の支配確立へ向けたコンバージェンスの研究」の代表者としての用務という訳ではなかったが、改めて、この研究ブランディングの核心部分にある「比較の視点からする法研究」さらに「それを英語で表現すること」について考える、大変良い機会となった。

 そこで今回は、カナダ出張に際して得た経験をご紹介すると共に、上記の研究ブランディング事業で現在進めている作業等を紹介しておきたい。

2つの法系と英語

 上記研究ブランディング事業では、英語を共通作業言語としている。それは、アジア太平洋諸国で共通言語して利用できるのが、事実上英語しかないという現実に基づく。ところが、ここで問題となるのが、そもそも「英語」は、法律学あるいは法実務の分野では、イギリス法と結合して発展してきた言語であるという点である。イギリス法は、後にイギリス植民地に継受され、現在でも多くの国と地域で、それぞれの社会に合わせた変容を伴いつつも、その基本的性質を維持したまま運用されており、国境を越えた法系をなしているといえる。しばしば「英米法」(Anglo-American Law)という表現がなされるが、これはイギリス法の継受による世界的拡大を「アメリカ」によって代表させた表現であり、実際には「英カナダ法」「英香港法」「英オーストラリア法」といった、偏差を伴いつつ、共通した性格をもつ法系が存在しているのである。

 ところで、日本法は、とりわけ第二次世界大戦後においてアメリカ法の影響を強く受けているが、その法システムの基本は、ドイツやフランスから継受したいわゆる「大陸法」である。その結果、英カナダ法と日本法の間には、相当程度大きな法システムの相違が存在している。そこで問題となるのが、「英語」で日本法を説明しようとすると、対応する制度自体が存在しない場面や、類似はしているが本質的あるいは原理的に相違のある制度が存在している場面に、しばしば遭遇するということである。

法と言語の微妙な関係 カナダでの経験から

カナダ最高裁法廷

 たとえば、今回の出張では、国際会議の合間の時間を利用して、久しぶりにカナダ最高裁のガイド付きツアーに参加したが、そこで興味深い経験をした。ツアーは小一時間のもので、参加者は10名ほどのこぢんまりしたものであった。そのガイドは、カナダの大学で法律を学ぶ現役の学生で、カナダの法制度についての質問にもできるだけお答えしますということだったので、多くの質問が飛び交ったが、一番多くの質問をしたのは、アメリカの弁護士と思しき老人であった(ちなみに、2番目が筆者であったと思う)。その中で、面白かったのが”double jeopardy”の運用に関するカナダとアメリカの法制度の違いについての議論であった。

カナダ最高裁前のVERITAS像前で

 日本では「二重の危険」と訳されるこの概念は、「市民は、同一の犯罪については、1度だけ刑事訴追の危険を引き受ける必要がある(=2回引き受ける義務はない)」というものであり、アメリカでは、刑事裁判の第1審で無罪判決(陪審裁判の場合には無罪の評決)がなされると、政府側(検察等)は、控訴することができないという制度運用と結合している。これに対してカナダでは、政府による上訴が認められている。そこで、アメリカ人弁護士は、「政府による上訴ができる」という話を聴いた直後、「カナダにはdouble jeopardyがないのだね」という質問をしたのであったが、ガイドの回答は「あります」というものであった。実際のところカナダ連邦憲法中の人権規定である「カナダ権利自由憲章」11条h号にその規定があるのだが、そこでは、「最終的に無罪となったときは、再び訴追されることはない」となっており、この「最終的に」という文言が、検察上訴を許すものと解釈されている。最終的に、ガイド学生とアメリカ人弁護士は「個別にお話ししましょう」ということになり、筆書もそれを横で聞いていたのであるが、制度の違いは理解されたものの、アメリカ人弁護士は「それは、double jeopardyではない」と譲らなかった。

 この小さな体験は、同じイギリス法由来の法制度をもち、「英語」を共有するアメリカとカナダにおいてすら、法律制度の違いから「翻訳不可能性」(この場合はアメリカ英語とカナダ英語の間の)があるということを、あらためて筆者に感じさせたものであった。

カナダ最高裁のロビー内で

 実は、この問題は、日本にも全く同じことが言える。日本国憲法39条は、「何人も、実行の時に適法であつた行為又は既に無罪とされた行為については、刑事上の責任を問はれない。又、同一の犯罪について、重ねて刑事上の責任を問はれない。」と規定するが、その政府による英訳は、”No person shall be held criminally liable for an act which was lawful at the time it was committed, or of which he has been acquitted, nor shall he be placed in double jeopardy.”[3]となっている。つまり、第2文の「重ねて刑事上の犯罪を問われない」を、あえて直訳するのではなく、「二重の危険にさらされない」と訳しているのである。この部分の訳については、憲法制定過程において連合国軍総司令部が作成し日本側に提示した案に、既に”double jeopardy”が含まれていたことが直接の契機であるといわれているが、日本でも、カナダと同じように検察による上訴が認められているから、おそらく先のアメリカ人弁護士がこの条文を見たならば、やはり「それは、double jeopardyではない」と叫ぶことになるであろう。そして逆に、カナダ法の視点からすると、「カナダ法のdouble jeopardyと日本法のdouble jeopardy」は、原理的に共通した制度であるということになろう。

研究ブランディングの調査において

 現在、筆者が代表者を務める研究ブランディング事業では、日本、韓国、タイ、香港、シンガポール及びオーストラリアの6つの法域について、データプライバシー、国際取引及び紛争解決の3領域の法の多様性について、その背景文化を含めた比較を行うための調査進めているが、その過程で、海外パートナー研究者に対して質問票を送り、回答を得るということがある。この際の言語は、すべて英語に統一しているのであるが、そこでは「英語」という言語の取り扱いをめぐる困難さが伴っている。

 研究2年度目であった2017年度の調査は、どちらかといえば制定法の規定等の基礎情報を収集することに力点があったために、さほど大きな問題はなかったが、現在進めている3年度目の作業では、事例研究を行うこととしており、そこでは、翻訳不可能性の問題が相当に生じている。たとえば、データプライバシーの領域では、日本で生じた実際の事件をモデルとした「シナリオ」を作成し、そのシナリオにあるような事件が他の法域で発生した場合、どのような法的対応及び社会的反応が起こりうるかを尋ねるのであるが、そもそも、日本の社会構造を背景とする問題を、「英語」で、どのようにシナリオに落とし込むか自体が難しい問題となっている。

 具体的には、「系列企業取引に関連して、個人情報の違法な第三者移転が生じた」といったシナリオを用意する場合、まず「系列」というコンセプトをどのように伝えるのかが、まずは表現上の問題となる。新聞等では、しばしば”Keiretsu”とさえ表記されるものを、どのように分かりやすく表現するか、工夫が必要なのである。しかし、問題の本質はそこにあるのではない。「系列」というのは、「事実としての企業結合」の日本における一つの(しかし典型的な)形であるが、それぞれの法域における「事実としての企業結合」は、経済的、社会的及び法的に異なった形を有しているはずであるから、シナリオでは、日本では「系列」における問題が考えられるということを提示しつつ、回答では、それぞれの法域に応じた実態を顕出することを含意させる必要がある。シナリオの中にこうしたことを「英語」で表現し、かつ、パートナー研究者から得られた「英語」による回答が、当該法域以外の研究者にとって、当該法域の背景状況を含めて理解できるようになっているものとすることが求められているのである。

おわりに コモンロー言語としての英語と中間言語としての英語

 実は、現在進行中の研究は、英法系3法域と大陸法系3法域を対象としている。そこで、もう一つ問題となるのが、前3法域のパートナー研究者は、まさしく自国法を語る言葉として英語を用いており、後3法域はそうではない、という点である。実を言えば、日本を含む後3法域の研究者は、多かれ少なかれ「英語で自国法を語ることの困難さ」を自覚しており、「コモンロー言語としての英語ではなく、中間言語としての英語」の表現として、文化的背景を伴う自国法をどのように表現するのかという議論も見られるようになっている。しかし、前3者は、まさに英語が自らの法言語である故に、英語による法表現の相対性、さらには○○英語から△△英語への翻訳不可能性について、あまり自覚的とはいえないところがある。上に述べた、アメリカ人弁護士とカナダ人学生の会話とアメリカ人弁護士の「結論」は、その典型的な事例であろう。

 この研究が、方法論において多様性をもつことを確認したカナダ行であった。

  1. ^ http://jacs.jp/ (2018年6月26日12時最終確認)
  2. ^ http://www.iccs-ciec.ca/ (2018年6月26日12時最終確認)
  3. ^ 日本法令外国語訳データベースシステムによる。
    http://www.japaneselawtranslation.go.jp/law/detail/?id=174 (2018年6月26日12時最終確認)
佐藤 信行(さとう・のぶゆき)/中央大学法科大学院教授
専門分野 公法、英米カナダ法、情報法
福島県出身。1962年生まれ。
1992年中央大学大学院法学研究科博士後期課程中途退学。博士(法学)(中央大学、2000年)。
釧路公立大学専任講師等を経て、2006年から現職。2016年から本共同研究代表者。
編書(いずれも共編著)には、『はじめて出会うカナダ』(2009年、有斐閣)、『要約憲法判例205』(2007年、学陽書房・編集工房球)、『Information情報教育の基礎知識』(2003年、NTT出版)等がある。