※宮下紘准教授の論稿「忘れられる権利」は、平成30年度高等学校国語教科書の作品に掲載されています(高等学校現代文B[改訂版]・精選現代文B[改訂版](三省堂))。
1.インターネットは忘れない
人は忘れる。しかし、インターネットは忘れない。
ひとたびインターネット上に掲載された自らの情報は、すぐに拡散し、そして半永続的に残り続ける。友人と一緒に写った写真をインスタグラムに投稿、今日の出来事をツイッターでつぶやく、明日会う予定の人をグーグルで検索。私たちの行動は日々デジタル空間に記憶され、インターネット上に残され、そして検索の対象となりつつある。
インターネットは多くの利便性をもたらしたが、同時に、プライバシーをめぐる様々な法的課題も提起している。何年も前の過去の軽微な犯罪報道が検索されたり、学生時代の写真が将来の就職活動で不利に扱われたり、また私生活に関する情報が公開され差別、偏見、いじめなどの問題も生じている。インターネットを利用する私たちの生活はデジタルな「記憶」にとどめられ、人間が本来有する「忘却」は難しくなりつつある。
2.忘れられる権利
インターネット上に残され、拡散され続ける個人情報について「忘れられる権利(right to be forgotten)」が世界中で議論になっている。忘れられる権利とは、一定の要件の下、検索サイト等において自らの個人に関する情報の削除を求める権利である。
EUでは、約16年前に社会保障費を滞納したことによるスペイン人の男性の不動産が競売にかけられた記事がインターネットに残され続けていたため、男性の情報の削除請求が認められるべきか否かが争われた。2014年5月13日、EU司法裁判所は、判決文の中で「忘れられる権利」に言及しつつ、不適切で、関連性がなく、もはや無関係で、過度な情報である場合には、検索サイトで表示される個人情報を削除する権利があることを承認した。私人であるこの男性のプライバシーに属する情報は、インターネットの世界から「忘却」されることが認められた。
3.ヨーロッパ
かつてヨーロッパでは、ナチスが個人情報をパンチカードに登録して、ユダヤ人を見つけ出し、大量殺戮した暗い歴史がある。この反省に立ち、ヨーロッパでは、人間の「尊厳」の理念の下、プライバシーを厳格に保護するための法制度が整備されてきた。
EU(欧州連合)では、2018年5月25日に発効される「一般データ保護規則」において、「忘れられる権利」を明文化した。この規則では、個人情報が不必要である場合や本人が同意を撤回するなどした場合には、本人が個人情報の削除を請求することができることが法的権利として承認されている。
前記のEU司法裁判所の判決後、EUでは、検索エンジンのサービス提供者が、240万件を超えるインターネットサイトのページについて削除の要請を受け付け、その内、約43%が削除されてきた(グーグル「透明性レポート」より、2018年3月現在)。たとえば、女性の住所が記載されているウェブサイトが残っていたため削除された例もあれば、ある医師による医療ミスの報道のウェブサイトが削除されなかった例もある。EUでは、削除の基準が公表され、特に未成年者や犯罪被害者の情報、また偏見をもたらす情報などが削除しやすいことが示されてきた。
ヨーロッパでは、個人がもっぱらコンピュータから検索の対象となることは、あるいは検索結果のみから自我像が勝手に造られることは、人間の「尊厳」の価値と容易に整合するものとは考えられてこなかった。
4.アメリカ
ヨーロッパにおける忘れられる権利の動向に厳しい批判をしてきたのは、アメリカである。アメリカの個人の「自由」を基調とした法体系の下では、たとえ個人のプライバシーに属する情報であっても、表現の自由において審理されるべきこととなる。つまり、アメリカの強力な表現の自由の伝統の下では、真実に関する情報や報道価値がある情報については、たとえプライバシーに属する情報であっても、一般論として公開の対象となる。
アメリカにおける表現の自由は検索事業者にも及ぶ。検索事業者は、プライバシーに関する情報を新たに作り出しているわけではなく、既存のウェブサイトを拡散する機能を有している。書店において、プライバシー侵害となる週刊誌を発売したとしても、その責任は書店ではなく、出版社にあると考える。同じことはインターネットの世界にも当てはまる。検索事業者が自らプライバシー侵害をしているわけではなく、情報の拡散の責任は原則として免除されるという法律も存在する。
表現は、喜びと怒り、そして悲しみと楽しみをもたらす。あらゆる表現から、怒りと悲しみだけを取り除き、その情報を削除することは表現が備えている自己実現の価値や民主主義の発展を阻害するおそれがある。アメリカにおいて、忘れられる権利は、表現の自由との対立を招くこととなり、この権利を承認することは困難である。
5.日本
日本においてもインターネット上に残され続けた個人情報の削除をめぐる裁判例が存在する。たとえば、2015年12月22日、さいたま地方裁判所において、過去の犯罪事実について社会から「忘れられる権利」があることを認め、インターネット上における犯罪に関する情報の削除を容認した。これに対し、東京高等裁判所は、この決定を覆し、忘れられる権利の要件や効果が明確でないと判断した。
2017年1月31日、最高裁判所は、プライバシーに属する事実を公表されない法的利益が、検索結果として提供する理由を優越することが明らかな場合には、検索結果から情報の削除が認められると決定を下した。本件では、約5年前の児童買春をした男性の逮捕報道の電子掲示板の書き込みの情報が検索サイトから削除できるか否かが争われていたが、最高裁は、この事実を公表されない法的利益が優越することが明らかであるとは言えないとして、この検索結果の削除を認めなかった。
表現の自由とプライバシー権との比較較量は、これまでも様々な裁判例を通して議論されてきたが、インターネットの時代において改めて両者の関係が問われている。最高裁の決定は、インターネットの現代的状況における検索事業者の表現の自由の性格を重く見ていると捉えることも可能であろう。
他方で、日本の裁判例では、芸能人のデビュー前の卒業アルバムの写真が週刊誌に公表された事案(東京高判平成18年4月26日)、アダルトビデオに出演していた女優が引退して5年が経過してから週刊誌に記事が掲載された事案(東京地判平成18年7月24日)、さらに演歌歌手が過去の男女関係などを週刊誌に記事が掲載された事案(東京地判平19.12.10)などにおいて、ある種の「忘却」の利益が認められてきている。
法務省が公表した2017年人権侵犯事件の状況によれば、新規救済手続が開始された件数は、プライバシー関係の事案について年々増加しており、2705件(うちインターネットによるものは1998件)にのぼる。毎日7件以上の事案で、プライバシー侵害からの救済を求めている人がいることになる。日本におけるインターネット上のプライバシー保護をめぐる効果的な対策が求められている。検索事業者による自主的な削除基準の公表も見られるが、今後、統一的な基準の作成と運用のための議論を重ねていく必要がある。
6.記憶と忘却の関係を問う
人間の「忘却」とデジタルな「記憶」が緊張関係に立つ現代のインターネット社会において、私たちはインターネットとどう向き合うべきであろうか。世界では共通の問題に直面し、忘れられる権利をめぐる議論は普遍的課題になりつつある。他方で、プライバシーについてはそれぞれの国や地域の文化や社会規範が大きく影響することがある。
インターネットにおける「記憶」と「忘却」のせめぎあいの中からプライバシー権と表現の自由がどうあるべきかについて、アメリカとヨーロッパの議論を手掛かりにして、日本なりに考えていく必要がある。
- 宮下 紘(みやした・ひろし)/中央大学総合政策学部准教授
専門分野 憲法、比較憲法、情報法
- 一橋大学大学院法学研究科博士課程修了・博士(法学)、内閣府事務官(個人情報保護推進室政策企画専門職)、ハーバード大学ロースクール客員研究員等を経て現職。
主な著書に、『ビッグデータの支配とプライバシー危機』(集英社新書・2017)、『事例で学ぶプライバシー』(朝陽会・2016)、『プライバシー権の復権:自由と尊厳の衝突』(中央大学出版部・2015)(第31回テレコム社会科学賞受賞)、『個人情報保護の施策』(朝陽会・2010)。
※中央大学知の回廊 第111回「忘れられる権利」(監修:宮下紘)もご覧ください。