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トップ>研究>自論公論「行政学は世直しに役立つか」

研究一覧

佐々木 信夫

佐々木 信夫【略歴

自論公論「行政学は世直しに役立つか」

佐々木 信夫/中央大学経済学部教授
専門分野 行政学、地方自治論

――東京都庁の職員から大学教授に転身し約30年間、行政学、地方自治論を講述し研究してきた筆者は、行政学という学問についてより実践力の強い学問になって「世直しに役立つべきだ」という考え方を持っている。これまでの研究の総括として「行政学は世直しに役立つか」という視点から自論公論を述べてみたい。――

1.実践に結びつく調査研究

 私は、大学教授の職に就く前、16年ほど都庁に行政職の職員として勤務していました。なぜ、それがいま大学教授なのか、まず、大学教授に代わる契機となった都庁時代の仕事にふれてみたいと思います。

 当時、都庁の企画部門に企画審議室調査部という部署がありました。そこに所属していたとき、私は大都市問題の研究会を担当する責任者を任されていました。大都市問題の調査班は課長ほか4人でしたが、以下のような調査研究でした。

 東京近郊の千葉、埼玉、神奈川の隣接3県から毎日500万人近い人々が通勤・通学してくるけれども、これは東京にとって得か損かを明らかにしようという話です。ハッキリ言うと、「損」をしているので、その分、国はカネを払えという、戦いのための根拠づくりの仕事でした。

 この500万人がどれぐらい東京の空気を汚し、水道、下水道を使い、ごみを出し、道路や鉄道の混雑を招き、その迷惑はどれぐらいか。この人たちは東京という都市を使うけれどもカネは払わず、ただ乗り、つまりフリーライダーではないか。どうにかカネを出させる方法はないのか、という問題設定でした。

 もとより、カネを払えといっても、個人や企業に払えという話ではありません。公共の観点からこの人たちに掛る経費を計算し、戦後一度も国から地方交付税が払われていない東京都政として、国からカネを引き出す戦いをやろうという話なのです。その戦いの理論武装を固めよ!というのが当時の鈴木俊一都知事からの指示でした。

 大学の調査研究と違い、極めて実践に結びついた調査研究です。

2.東京都は損をしている?

 前例のない仕事なので、地域経済モデルなど2年掛かりで様々な計算式をつくり格闘しました。計算の結果、この500万人に対する持ち出しが当時のおカネで年間1680億円、余分に掛っているという結論でした。この分を国は都に地方交付税で払えという話です。

 これは、一見正しいように思われるでしょう。しかし、これを記者発表したらマスコミは大騒ぎとなり、たくさん質問が出ました。例えばこういう話です。

 ~1つは、東京都は被害者というけれども、むしろ千葉、埼玉、神奈川こそ、東京から人とゴミをもらっている被害者である。都はそちらにカネを払うのが筋であって、国に払えというのは筋違いだ。

 ~もう1つは、むしろこの500万人が毎日東京に来て働くことで東京は税収が増え、買い物や食事など消費量も大きく民間も潤っているはず。だから“東京は栄えている”のではないか、損どころか、税収上も東京都は得をしているではないか。

 ~という反論です。

 確かに客観的にみると、それも事実かと思われます。しかし、カネを寄こせ!と主張するのに、その一方で儲かっています!という話は、とてもできない話なのです。戦いとはそういうものですから(笑)。

 とはいえ、一方だけを主張する都の言い分に世の中は納得しないので、今度は”東京が儲けている分“を計算せよとの命令でした。

 そこで昼間人口純流入者500万人が東京都に寄与している分を税収面から計算するとどうなるか。いろいろ試行錯誤しましたが、計算の結果、2100億円ほど税収に貢献しているという数字が出てまいります。

 さあ、これでどうなるか。持ち出している経費、マイナス分が1680億円。税収としてプラスになっている分が2100億円。差し引き420億円、東京都はプラス、得をしている話になります。現在のカネに換算すると、ざっと1000億円儲けているという話なのです。

 こうなると、国にカネを寄こせ!とは言えなくなります。これでは戦いに都合が悪いので、税収分を計算したこの『調査報告』は公表しないことにし、お蔵入りになりました。いま流にいうと隠ぺいでしょうか(笑)。

 いま小池都政は、地方消費税1000億円を地方に召し上げられる税制改正に狼狽えているようですが、東京は大変混雑し、治安維持にもカネが多く掛るので国の税制改正は不当だ!と、どうして理論的に反論しないのでしょう。いまは計算をする知恵や組織など、ないのでしょうか?もったいない感じがします。

3.行政学は観察の学問でよいか

 私はこうした仕事の後、誘いに乗って大学に転身し、本格的に行政学、地方自治論を講義し研究するようになります。大学教授として考えてきた「行政学は世直しに役立つか」という論点について、幾つかに分けて以下に述べてみたいと思います。

 まず行政学とは何かですが、行政学は民間企業を対象とする経営学に似た面がありますが、国や自治体を対象に「官僚制や行政活動の仕組み、その機能や逆機能について政治学の観点から研究する学問」と定義されます。ただ少し性格があいまいで、ある面は経営学や会計学と接し、ある面は行政法や地方自治法と接している。都市工学に近い面もある。ですから、行政学は先生によって教え方も違います。全国で300人ほどの学者が大学で教えていると思います。

 世の中には“農学栄えて・農業滅びる”、“政治学栄えて・政治滅びる”という言葉があります。しかし、“行政学栄えて・行政滅びる”という話は聞いたことがない。ということは、もしかして、行政学ってあまり世の中の役に立っていないか、役所に相手にされていないのではないか、というのが私の素朴な疑問でした。

 もちろん、東京大学や京都大学、中央大学など伝統校の法学部にはりっぱな行政学者がおり、その高名な先生方に挑戦しようという訳ではありません。

 ただ、私の役所経験からして、16年間、都庁の比較的中枢部門で多少理屈っぽい仕事をしていた私でも、その間に一度も行政学の本を読んだことはない。読まなくとも仕事上何の支障もなかった、という経験から発した疑問なのです。都庁時代に書き上げた博士論文のはしがきにも、「官庁に行政学不在」と書いたのです。

 行政学という科目は、学生にこれまで話してきたように官僚制とか、公務員制度、中央地方関係、政策過程、行政統制、行政責任といった事が中身となりますが、しかし、これが現実の官僚社会に潜む問題や役所の秘密体質の改革につながっているかどうか。

 行政学が単に制度の解説や行政活動を説明する学問でよいのか。もしか、この解説や説明に止まっている辺に、行政学が世の中に相手にされない理由が潜んでいるのではないか、と私は考えました。

4.行政サービスになぜ値段がない?

 この問題を捉える場合、民間活動と比較すると見えてきます。医療サービスでも福祉サービスでも道路や橋、施設など社会資本サービスでも、民間が供給する場合はそのサービスに必ず値段が付いている。

 ところが同じサービスでもこれが国や自治体など行政が提供する公共サービスになると、値段が付いていない。福祉でも教育でも介護でも官民それぞれが供給しているのに役所のモノには値段がない。

 果たして役所のモノがよいのか、民間のモノがよいのか、いずれが高いのか、安いのかも全く分からない。なぜ役所サービスに値段がないのか? しかも値段がないモノを私たちは何の疑問もなく買っている。これって、どこかおかしくないですか?

 国防、警察サービスのように公共が独占するモノならともかく、官民が同じ市場に同じようなサービスを供給していながら、行政サービスには値段がない。それを変える、行政サービスに値段を付ける研究はできないか、それができるなら国民は行政サービスを評価することができるはず。これが世直しに役立つ行政学への第1点です。

5.改革のヒントを提供できないか

 2点目は、行政改革とか行政の効率化というけれども、どのようにして「それを実現するか」、その改革の方法や実現の手段を行政学は提供していないのではないか、という点です。

 行政改革というと難しそうに聞こえますが、何も難しい話ではない。国民の目線、民間の常識からして、役所のおかしい点を直すこと、それが行政改革です。これも民間との比較から、見えてきます。

 “カネの使い方”ですが、民間の行動様式は、“自分のカネを自分のために使う”論理が働く。そこでは私たち個人がそうであるように、節約など非常に厳しい合理的選択の行動があります。皆さんの家で年間の予算が100万円余ったからハワイに行こう!ということはしないでしょう(笑)。大切に貯金するか、必要なモノを買うでしょう。

 ところが、役所の行動様式はどうか。”他人のカネを他人のために使う“。そうした行動様式の中から、じつは”他人事のようなカネの使い方“が生まれてしまう。年度末に旅費が余ったら東京に出張する、カラ出張でごまかし飲み代をつくる、欲しい備品は年度末に帳尻合わせで買う。復興予算を、屁理屈をつけ観光客の誘致費用に使う。一番工事に適さない寒い冬にムダな道路工事のラッシュとなる。

 なぜこうなるか。公務員の質が悪いからなのか。そうではない。これは予算を使い切らないと、次の年度の予算が減らされるという仕組みの中で起きている、役人の自己防衛本能の働く仕業なのです。

 とすると、行政改革というのは、これを民間の常識に合わせるように行政を変えるという話なのです。納税者の9割以上が民間で働いている人達です。この感覚でモノを見る必要があります。例えば一昨年来話題の小池都政で起きていること。6000億円も掛けて高度な装備を持つ市場として完成した豊洲市場を、1人で「立ち止まって考える」として2年間も放置し、既に200億円も空費している。どこがワイズ・スペンディングでしょうか。都民ファーストと言いながら、自己ファーストの政治ショーではないですか。

 他人のカネだからそうなる。民間の常識なら、半年以内に汚染処理をし、最小のコストで新たな市場に移転するはずです。それが「民間の論理」「賢い経営」ではないですか。オリンピック3施設を見直したから400億円節約できたと報じていますが、一方で1000億円も都民に無駄な負担を増やしています。オモテの説明と事実は大きく違う。バランスシートなき都政運営ではないでしょうか。

 こうした他人事のようなカネの使い方、これを撲滅するのが行政改革です。つまりコスト行政学とか、官民比較行政学といった分野が大切ではないか。政治メカニズムより、市場メカニズムを信用し、行政を変えることです。このように、従来の基礎行政学に対し「応用行政学」へ翼を拡げる、それを私は「世直し行政学」と呼んでおります。学生の皆さんが使っている、私の『日本行政学』という教科書は、そうした問題意識から書かれています。

 政治学、財政学、行政学には「政」、マツリゴトという言葉が使われています。これは理論だけでなく改革実践の意味が込められています。政治学は政治の世直し、財政学は財政の世直し、行政学は行政の世直しが使命ではないか。経済学栄えて・経済滅びる、政治学栄えて・政治滅びるでは何のための学問か、その根本が問われます。

6.人口減少国家と行政の「世直し」

 さてもう1つ。「世直し」という意味で、これからの日本は明治以来経験したことのない人口減少社会に突き進んでまいります。

 世の中では、口を開けば「人口が減って大変だ」、「地方が衰退し大変だ」と人口減少を問題にしますが、騒ぎの割に有効な解決方法は見出されていない。昨年10月の総選挙でも話題は子育て支援のための“教育無償化”の話ぐらいでした。これが本当に有効かどうか。

 この問題は、少し冷静に考えてみる必要があります。まず第1に、みなさん!人口は必ず増えなければならない事なのでしょうか。日本で47府県体制が始まった135年前、日本の総人口はたった3500万人でした。人口が一番多い県は新潟県であり、東京府などは9番目でした。

 それがどうです。その後、人口大爆発が始まり、1世紀少しで4倍に膨れ上がり、1億2800万人になった。東京は1300万人にも膨れダントツ1位。この倍々ゲームのように膨れ上がった20世紀という特異な世紀を正当化し、人口はこの先も増えなければならない、という議論をしている。科学の予測では80年後8千万人に減るという。

 もちろんこれ自体、問題かもしれません。しかし、ここまで1億2800万人の暮らしに合う規模で道路、橋、住宅など整備された社会資本を8千万人で使うなら、むしろ豊かになると思いませんか。現在のGDP500兆円をハイテク技術で維持できる前提ですが。

 客観的事実としては、フランスを除き先進諸国の多くは人口減少がトレンドです。経済成熟国の共通の特徴とも言えるのではないか。

 もし、日本でいろいろ努力をしても、なお趨勢として人口減少が避けられないというのなら、むしろ人口減少へのソフトランディング(軟着陸)の道を探るのが現実的ではないでしょうか。人口減少時代に合った「新たな国づくり」を本格的に始めたらどうか。耳触りのよいバラマキ政策や小手先の支援策ではなく、新たな国づくりの設計を国民的議論にしていく、これが政治の重要な役割ではないか。行政学はそこに深く関わる必要がある、と私は考えます。

 核心的なお話に進みましょう。単純化して言うと、イレルものがどんどん小さくなっていくのに、受け皿であるイレモノ、行政システムが昔の人口増時代の“大きいまま”でよいのか、という問題です。

 日本はこの150年間、ひたすらヒトは増え、所得は増え、税収は増え、経済は成長する、右肩上がり社会でした。それは成功した中央集権体制の姿でもありました。しかし、10年前の1億2800万人をピークに人口減少に転じ、この先、坂を下るように右肩下がり、年を追うごとに厳しい下り坂となっていきます。

 だが、かつての成功体験が体内時計になっている。政治は相変わらずアベノミクスと称し、経済は成長する、所得は増える、物価は上がる、物は売れると言い、財政や金融の大盤振る舞いを続けている。安倍首相は、現在の出生率1.43を希望出生率1.80に持ち上げると声高に叫んでいますが、幾ら根拠のない「お経」を唱えても、それは単なる願望、幻想に終わるのではないでしょうか。

 現実をみなくてはならない。予測通り30年後1億人を割り、80年後8000万人になるなら、それを事実として受け止め、まずこれ以上借金は増やさないことです。みなさん!現在の国と地方の借金合計1200兆円をどうするのですか。この20年間、毎年60兆円規模で借金は増え続けています。結果どうなったか。概算でいうと、赤ん坊まで含め国民1人当たり1000万円の公的借金がある。家族4人で4000万円、これをどのようにして返すのか。

 一般市民の感覚でモノをみましょう。現在、サラリーマンが住宅を買う際の借金能力の限界は年収の5倍、3500万円までとされます。ですが、既に各家族は公的借金4000万円で縛られている。

 もう個人では借金ができない状態です。すると、これからの若い人たちは住宅すら持てない、ホームレスになるしかない。もちろん、ここでいうホームレスは橋の下で暮らすという意味ではなく、マイホームを持てないという意味ですが。皆さん!これが豊かな国づくりでしょうか。逃げ切り世代、今がよければそれでよし、問題先送りのシルバーデモクラシーの横行が未来を蝕んでいます。これをどうして政治は問題にしないのか。

 日本はこの20年間、経済成長は実質ゼロです。景気変動と経済成長を混同する説明で惑わされていますが、ともかくGDP500兆円は20年間変わっておりません。ところが「来年は景気がよくなる、成長する」と大量の赤字国債を増発し、この無様な結果になった。誰がどのようにして責任を取るのか不明ではないか。

 日本の現在の姿は、国民生活の3分の1が個人や企業では解決できない「公共分野」とされ、そこに毎年160兆円のカネが投入されています。ただ、91年のバブル経済崩壊後、歳出は概ね160兆円ですが、歳入とりわけ税収はバブル以前の100兆円にも届いていない。その差を毎年、赤字国債・地方債で凌いできた。その累積額が1200兆円という訳です。

 このワニの口のように開いた歳出160兆円、歳入100兆円、その差60兆円の赤字経営を続けることが、私たちの身の丈に合った国家経営なのか。これを改革せずして、どこに希望があるというのでしょうか。

 変えるには選択肢は2つしかない。1つは160兆円の歳出規模に合わせるよう今後も大増税を続ける。もう1つは、歳入の100兆円規模に合わせるように歳出を大幅カットする。どちらが政治的に可能でしょうか。“サービスは大きく負担は小さく”こう主張する方が勝つポピュリズム政治の続く中、じつは大幅な大増税も、大幅なサービスカットもできないではないですか。いずれを主張しても選挙で負けますから。

 では、私たちは座して死を待つしかないのか。そうではない。答えは1つあります。135年間無傷できた47府県体制、これを解体し10程度の広域の州につくり替え、国、地方、民間の役割分担をリセットする、そうすると30~40兆円のムダを排除することができます。

 いまの47の府県がそれぞれ同じことをやるフルセット行政。例えば、47都道府県に97空港もある。東北6県で9つも空港がある。「オラが県にも空港を」と競って整備した結果がこれ。このうち幹線空港を除きほとんどの県営空港は赤字です。みな東京、大阪に飛ぶだけですから。広域の州に変えるなら、例えば東北6県の9空港を1つだけ幹線空港とし、後は相互にコミュータ空港として行き来が自由になる小さな飛行機が順次飛び立つように利用形態を変えられるはずです。

 また、国民から遠い政府が他人事のような政策づくりをし、補助金で地方に仕事をさせる。地元事情も分からない省庁官僚が10階のベランダから地上で上を向いている人の目に目薬を打つような補助金行政。入るはずはないじゃないですか。こうしたピントの合わない施策が次々と出される中央集権体制には2重、3重の壮大なムダがあります。

7.この国を変える、切り札は道州制

 これを解体・再生する、それがこれからの構造改革の主題です。そのために、私はこの国にもう一度「革命」が必要だと思います。明治維新直後に行われた廃藩置県が人口拡大期に備えた「政治革命」であったとすれば、これからの急速な人口縮小期に備えるべき「政治革命」は「廃県置州」ではないでしょうか。

 今年は明治維新からちょうど150年。これまで連綿と続いてきた47都道府県体制に代わる、新たな国、日本を北海道州、東北州、九州州などの10州と東京、大阪の2都市州につくりかえ、それぞれを内政の拠点として広域圏が競い合う形で内外の競争力を高めていく。こうした道州制国家への転換を目指した改革を始めるべき年ではないか。それが真の日本再生の道です。

 135年まえ、馬、船、徒歩の時代につくられた47の区割を、全てが高速化した現代社会に後生大事に維持していくことがいかにムダであり、非効率か。いま各県はあたかも47の国であるかのように、県職員も県議会議員も県知事も、隣の県のことは何も知らない。予算も計画も職員数も主要事業も何も知らない。あたかも隣はよその国であるかのような行動様式にある。これでは徳川時代の300藩制と同じではないですか。否、戦国の世と違い、他県から攻め込まれないだけ余計安閑としている。これではダメです。

 日本の戦後政治は、職住近接の社会をつくろう、東京に出なくとも生活できる地方をつくろうとインフラ整備に力を注いできた。田中角栄の「日本列島改造論」を下敷きに新幹線、高速道、ジェット空港、そして高度情報通信網など「高速インフラ」を整備し、地方分散や職住近接の社会を実現しようとしてきた。

 しかし、どうでしょう。それを整備すればするほどストロー効果が働き、東京一極集中が進むという矛盾が起きてしまった。何がこれを起こす原因でしょう。端的に言うなら日本の意思決定の仕組みが首都東京に一極集中しているからです。政治、行政、経済、情報、教育、文化、国際の全ての高次中枢機能が国土のたった0.3%の東京区部に一極集中したまま。これが日本を歪めている最大の要因です。

 ここにメスを入れるのが、日本に残された“最大の構造改革”です。これからの日本創生のために行われるべき改革は、道路、橋をつくり続けるハードインフラの整備ではなく、意思決定の仕組みを中央集権から地方分権に変え地方主権国家をつくるソフトインフラの大改革です。

 その改革には、大ぶりな第3次臨時行政調査会の設置が不可欠でしょう。今から50年前、東京五輪が始まる高度成長期には行政を大きくする第1次臨調がひらかれ、多くの公団、事業団ができました。

 それが一転、第2次オイルショックでマイナス成長になった38年前、「増税なき財政再建」を旗印に第2臨調が設置された。メザシで有名な土光敏夫さんを会長に国鉄、電々、たばこ専売の民営化、地方行革をやった。

 しかし、それから30年以上、日本は改革らしい改革を行っていません。こんど必要な改革は、人口増から人口減に大きく時代環境が変わったこと、中央集権から地方主権国家への転換をめざす廃県置州、身の丈に合うよう全体の政府機構を圧縮し、地方が内政の拠点になる道州制国家へ移行する為の改革をやることです。そのための第3臨調の設置。それなくして日本の危機は去らない。

 いま、憲法改正論議が高まっていますが、残念ながら、ポイントが少しズレています。憲法9条に自衛隊を書き込む、教育の無償化、緊急事態条項の創設、参議院の合区を廃止するという、既に法律や財政で処理できる話をわざわざ憲法改正と言っている。これが、本当に国民が望んでいる憲法改正なのか。安倍首相がレガシーとして残したい思惑でやっているように見えますが如何でしょう。

 鳥取・島根、高知・徳島の合区を廃止し、47都道府県を憲法上に記し、参議院議員は必ず各県から1人は選ばれる制度に変えようという話を、政権与党は侃侃諤諤やっている。確かに現地の方々には深刻な話かもしれませんが、しかしこれって、運転席に座って時代を後ろ向きに運転するようなものではないですか。広域の州制度に変えれば一票の格差など一遍に解消します。これからの時代、参議院議員が代表すべきは、県ではなく、広域の州ではないですか。

 50年に一度あるかないか、その憲法改正をやるなら、新たな日本を構想する骨太の改革、憲法第8章の地方自治について大幅改正をし地方主権を確立する、その改正こそが本丸ではないですか。地方の政府に立法権、行政権、一部司法権など地域をマネージメントできる統治権を落とし込む。その中核に州が内政の拠点になる道州制国家がある。

 私はこれを「日本型州構想」と呼んでおりますが、これで財政再建も可能となり、人口減少国家にふさわしい体制ができる。この世直し改革をリードする、それこそ行政学の出番ではないですか。

 以上、都市行政学、コスト行政学、改革行政学、道州制行政学。この4点が私の30年間想いを温めてきた学者としての、「行政学が世直しに役立つ学問に変わるフロンティアである」という見方、結論です。

 私は、この4月から自由の身、フリーランスとなります。25歳から45年間働き続け、初めて経験する自由の身。どうなることか。一抹の不安もありますが、ここは前向きに「一般社団法人・日本国づくり研究所」という、小さな研究所を都心に創設し、代表として「行政学が世直しに役立つこと」を実践するセカンドステージに移って行きたいと思います。

 この先、どのような人生が待っているか全く分かりませんが、みなさん!必ず、またどこかでお目に掛りましょう。

 最後に皆さま、そして後に続く若い人たちに次の言葉を贈りたいと思います。

「大学とは、良き師、良き書、よき友との運命的出会いの場である」

 中央大学に長い間、お世話になりました。そして寒い中、拙い私の講義を最後までご清聴下さった多くの皆さま! 本当に有難うございました。これにて終わりとさせていただきます。

 注)本稿は2018年1月23日に行われた中央大学の最終講義「行政学は世直しに役立つか」から一部抜粋し、講義の語り口のまま掲載したものです。

佐々木 信夫(ささき・のぶお)/中央大学経済学部教授
専門分野 行政学、地方自治論

1948年岩手県生まれ。早稲田大学大学院政治学研究科修了、法学博士(慶應義塾大学)。東京都庁16年勤務を経て、89年聖学院大学教授、94年中央大学教授。2000年米カリフォルニア大学(UCLA)客員研究員、01年から中央大学大学院経済学研究科教授・経済学部教授。専門は行政学、地方自治論。第31次地方制度調査会委員、日本学術会議会員(政治学)、大阪市府特別顧問など歴任。 1 8年4月から中央大学名誉教授、㈳日本国づくり研究所理事長。
著書に『老いる東京』(角川新書、17年3月)、『地方議員の逆襲』(講談社現代新書、16年3月)、『人口減少時代の地方創生論』(PHP研究所、15年3月)、『都知事―権力と都政』(中公新書、11年1月)など多数。近々『廃県置州』(新潮新書)を出版予定。NHK地域放送文化賞、日本都市学会賞受賞。テレビ出演、新聞紙上コメント、地方講演なども多い。