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中川 佳宣【略歴】
-企業価値向上型コンプライアンスを実践するために-
中川 佳宣/弁護士、西村あさひ法律事務所 福岡事務所
本稿は、JSPS科研費15K03220の助成を受けたものです。(広報室)
企業におけるコンプライアンスの重要性が叫ばれて久しい。コンプライアンスマニュアルの策定やコンプライアンス担当役員・専任部署の設置、コンプライアンス研修の実施など、内容は企業ごとに千差万別であるが、現在、多くの企業でコンプライアンスが実践されていると思われる。
しかし、現在でも企業の不祥事は跡を絶たない。決してコンプライアンスをないがしろにしていた訳ではない(と思われる)企業においても不祥事が発生するたび、これら不祥事の根底にあるものは何か、どうすれば不祥事を防止することができるのかと考えさせられる。
遠山信一郎教授が研究代表者を務める科学研究費助成事業(JSPS科研費15K03220)の末席に加えていただいたことを機に、当該事業の研究課題である「企業価値向上型コンプライアンス」について考えてきたが、この「企業価値向上型コンプライアンス」を実践するためのコンプライアンス意識の涵養が、企業における不祥事の防止にも繋がるのではないかと思い、今回、筆を執らせていただいた。
コンプライアンスは、従来、法律や命令、規則など、国家によって内容が定められる「ハードロー」を遵守する「法令遵守」と捉えられてきたが、その後、コンプライアンスの対象は、有価証券上場規程(東京証券取引所)など、国家以外によって内容が定められる「ソフトロー」に広がり、現在では、株主や取引先、消費者といったステークホルダーの要請、すなわち企業に対する「社会的要請」にまで広がってきたと言える [1]。
このようにコンプライアンスの対象が企業に対する「社会的要請」にまで広がってきたことからすれば、各企業においては、ステークホルダーの要請を正確に把握した上での行動が求められ、当該行動によって企業の価値も向上していくことになると思われる。各従業員においても、「こうしなさい」と他人から言われたことを遵守するだけではなく、各自がコンプライアンス意識を持った上で、ステークホルダーの要請に対応するための自主的・自発的な行動(株主や取引先、消費者といったステークホルダー目線での行動)が求められることになろう。
では、この企業価値の向上に繋がるコンプライアンス、すなわち「企業価値向上型コンプライアンス」を実践するために、各従業員のコンプライアンス意識を涵養するには、どうすればよいだろうか。
株式会社電通の長時間労働問題に関して、同社の石井直(元)社長が記者会見において「際限なく働くことを是とする風土があった。働き方すべてについて見直したい。」旨を述べ、喫緊の課題として「企業文化の再定義」を挙げたことは記憶に新しい。各従業員が「正しいこと」を行いたくても、企業風土・企業文化の下、行うことができなかったり、意に反することを行わざるを得ないということも有り得る。私が社内調査に関与した事案においても、調査対象者から同様の意見を出されたことがあった。各従業員のコンプライアンス意識を涵養するためにも、まずは健全な企業風土・企業文化の醸成を進めたいところである[2]。
企業の不祥事が発生した場合に策定する再発防止策において、経営トップの意識改革(例えば、売上げ至上主義からの脱却など。)を行った上で、経営トップ自ら主導してコンプライアンスを実践することについて挙げる例が多いように思われる。この場合、経営トップから各従業員に対して社内通知を発すれば足りるというものではなく、当該表明を継続的に行うことはもとより、経営トップも参加するコンプライアンス委員会を設置するなど、経営トップ自ら行動する重要な施策であると各従業員へ伝わるようにすることが大切である。企業風土・企業文化といった企業の根底を見直す場合にも、同様に、経営トップ自ら率先して行動し、重要な施策であると各従業員へ伝わるようにすることが大切である。
健全な企業風土・企業文化の醸成によって各従業員のコンプライアンス意識の涵養へと繋げることは、企業によっては時間を要する可能性がある。そこで、多くの企業で実施されているであろうコンプライアンス研修の見直しによってコンプライアンス意識の涵養へ繋げる方法についても考えてみたい。
コンプライアンス研修と言っても、講義形式や演習形式、eラーニングなど、企業ごとに実施方法は様々であると思われるが、コンプライアンスの重要性といった一般的・抽象的な内容を一方的に聞くだけの研修では、「面白くない研修」や「退屈な研修」として、研修内容が記憶に残りにくい。記憶に残る研修とするためには、各参加者が自らの問題としてコンプライアンスの重要性を感得できるように、業種・業態、取り巻く環境などを加味して、自社に即した実践的なテーマを設定することが重要である。また、講師との対話形式やディスカッション、グループ討議といった方法を採ることも有益である。弁護士その他外部専門家を講師として招聘してコンプライアンス研修を実施することもあると思われるが、その場合でも自社に即した実践的なテーマで研修ができるよう、事前に綿密な打合せを行った上で実施するのがよい。
上記2点と視点は異なるが、コンプライアンス意識の涵養を妨げられないようにするため実施しておきたいのが、企業ごとに構築しているコンプライアンス態勢の見直しである。あらゆる施策を盛り込んだ上で過剰にコンプライアンスを推進しようとすれば、各従業員において「やらされている感」が増し、コンプライアンス意識の涵養が妨げられるどころか、いわゆるコンプライアンス疲れ、更にはコンプライアンス違反の常態化に伴う不祥事の発生へと繋がるおそれもある。他方で、企業の海外展開が加速するに伴い、競争法や腐敗行為防止法等を始めとした各国法令に抵触するリスク等は増大している。そのようなグローバルリスクを想定したコンプライアンス態勢など、新たなコンプライアンス態勢の構築が必要となっている企業は多く、実際にも相談を受けている。コンプライアンス態勢は、企業ごとに適正サイズ・適正内容が異なるため、各施策の要否・内容を見極め、自社に即したものとなるように見直しておきたい[3]。
字数制限から多くは述べられなかったが、各従業員におけるコンプライアンス意識の涵養によって、ステークホルダーの要請、すなわち企業に対する「社会的要請」に対応することになれば、それが企業価値の向上へ繋がり、ひいては企業における不祥事の防止にも繋がっていくと思われる。
もっとも、企業によっては、そこに至るまで、特に健全な企業風土・企業文化の醸成について、長い道のりが待ち構えていることもあるだろう。とはいえ、歩みを止めることなく、コンプライアンス研修やコンプライアンス態勢の見直しなど、できるところから一歩ずつ着実に歩みを進めていくことが大切である。そのように前向きな努力を続ける企業のお役に立てるよう、私も引き続き精進したい。