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伊藤 壽英

伊藤 壽英【略歴

国際商事紛争解決制度に関する潮流:シンガポールを中心に

伊藤 壽英/中央大学法科大学院教授・日本比較法研究所所長
専門分野 商法、有価証券法、比較法

新たな国際商事紛争解決制度の必要

 いわゆるグローバル化の進展によって、各国の商品・労働力・資本市場が相互に接続され、地域的な経済統合の動きが活発となる。その例は、中国が進める一帯一路政策やアメリカが中心となったTPP、そしてASEAN経済共同体の設立などに見られる。このように経済活動が国境をまたいで行われるのが当然だとすれば、国境を越えた商事上の紛争(以下「国際商事紛争」という)の発生もまた不可避であることは明らかである。

 これに対応すべき各国法は、主として国内紛争を処理するための制度として設計されているため、国際商事紛争の解決手段として効率的ではない。かりに、ある国内法が精緻な規制の網をかけているとすれば、その遵守のための費用がかさむこととなる。まして、まったく法文化の異なる法制度に対処するには、追加的な費用を避けられない。未知の法制度と執行可能性について「専門家」を探さなければならない、ということも追加的費用に含まれよう。

国際商事仲裁の経験

 このような背景から、法文化の違いを超えて、国際商事紛争の合理的な解決を目指してきたのが、国際商事仲裁(以下、「国際仲裁」という)である。国際仲裁は、当事者自治の範囲内で、裁判手続よりも費用と時間を節約でき、伝統的な裁判手続よりも柔軟な対応が可能である。さらに「外国仲裁判断の承認及び執行に関する条約」(以下、「ニューヨーク条約」)によって、仲裁判断が外国で執行可能であることを担保されている。国際仲裁の分野では、とくに実務家によって、より適切な国際商事紛争解決のための工夫がなされてきている。たとえば、IBA(International Bar Association) は、仲裁実務に関するガイドラインを公表しているが、ガイドライン起草のためのタスクフォースは、大陸法・英米法双方の領域の専門家で構成され、法文化の違いを超えたベストプラクティスへの融合の可能性を示している。

 他方で、国際仲裁の問題点も指摘されている。たとえば、仲裁手続が形式主義的かつ煩雑となってきており、かえって紛争解決の遅延と費用の上昇をまねている、仲裁判断に体系的論理一貫性がない、上訴の可能性を否定されている、訴訟参加のような複数当事者による仲裁手続がない、等々である。そこで、たとえば「国際商事調停」の活用が考えられる。裁判や仲裁が、合議体による審判者という形式構造になっているのに対し、調停人は、中立的な「まとめ役」」として機能し、当事者が受容可能な解決策を、当事者の直接的かつ主体的な努力によって形成することが可能となるからである。

シンガポール国際商事裁判所の設立

 上述のように、国際仲裁の役割は評価されているものの、手続的公正に疑問をもたれる場合もある。そこで、裁判所の関与のもとで、より専門的で柔軟な対応が可能で、かつ時間と費用の節約に結びつく制度として、2015年1月、シンガポール高等裁判所の一部局として設立されたのが、シンガポール国際商事裁判所(Singapore International Commercial Court. 以下、「SICC」という)である。

 SICCは、当事者の書面による合意があれば、「国際性と商事性(international and commercial nature)」を有する紛争を管轄することができる。そして裁判する合議体には、国際商事紛争に精通した外国判事( International Judge)が加わり、法文化の違いを超えて、適切な判断がなされることを担保している。SICCのウェブサイトによると、外国判事には8名が指名され、そのうちの3名が大陸法系(オーストリア、フランス、日本)出身である。

 SICC設立以来、終局判決が下されたのは11件あり、そのうちベクテル社関係の油田開発に関する事件が2件、BNPパリバが保証債務の履行を求めた事件が3件、深圳地区におけるビル開発を巡る事件が2件あり、当事者が重複しているので、単純に係属した事件が多い、と判断するのは難しい。また、将来への影響として、予測可能性が高まったのかどうかも、現時点で評価しにくいのであるが、引き続き注目していきたい。

 なお、ここで個人的体験を記すことをお許しいただきたい。筆者は、2017年2月23日、シンガポール最高裁判所を訪問し、SICCのスタッフと意見交換する機会を得た。とくに関心が寄せられたのは、SICCの判決が⽇本で執行可能かどうか、という点であった。現時点では、実際の判決が出ていないので、判断が難しいが、いわゆる懲罰的損害賠償については、日本の最高裁が公序良俗に反する(民訴118条3号)と判示したように 、事案によっては困難が生ずる可能性がある。他方、シンガポールも2015年に批准した管轄の合意に関するハーグ条約(2005年成立。以下「ハーグ管轄条約」という)によれば、締約国は、管轄合意によって指定された外国裁判所の判決を承認・執行しなければならないので(同条約8条)、いわゆる間接管轄の検討を回避して、ただちに執行手続に入ることを可能にするようにみえる。ハーグ管轄条約による解決が、クロスボーダー訴訟にとって頼りになり、また国際仲裁に取って代わる紛争解決手段となりうるかについては、現時点では判断できないが、国際的な事業活動を展開する日本企業には、なんらかの影響はあるだろう。ただ、それが、ハーグ管轄条約の締結・批准への契機となるかどうかは明らかでない。

実体法レベルでの融合を目指す動き

 2016年1月、シンガポール最高裁判所附設のSingapore Academy of Law (SAL) は、Asian Business Law Institute(以下、”ABLI”という)を設立し、同時に、同年1月22日23日の両日にわたって、”Doing Business Across Asia - Legal Convergence in an Asian Century”というシンポジウムを開催した 。その初日には、大きな会場に大勢の人が参集し、その熱気にあてられた。ABLI設立の目的は、アジアにおける商事法(ビジネス法)の融合を進めていくための法政策や実務のあり方を研究し、モデル法・リステイトメントを起草し、アジアの法システムに共通する法原則・規範に関わる広範な研究活動を行うことである 。

 多国籍企業のトップに対するサーベイによれば、国境を越えた事業活動にとって障害となるのは、法規制の適用基準が一様でないこと、裁判システムが非効率であること、判決執行の確実性が担保されないこと、などである。ABLIは、Menon最高裁長官のイニシアティブにより、法律専門家、取引社会、学界、政策担当者などによる知的活動協力のためのフォーラムとなることを目指している。

 もう一つの例は、2016年12月8日9日の両日、シンガポール経営大学は香港城市大学と合同で、"Towards an Asian Legal Order: Conversations on Convergence"というタイトルのシンポジウムを開催したことを挙げよう。

 これまで、ハーグ管轄合意条約、UNCITRAL国際商事仲裁モデル、UNIDROIT国際商事契約原則、ウィーン国際動産売買条約など、国際的な法統一に向けてのプロセスや実体法レベルの規範形成の努力がなされてきた。とくに国際商事法の分野では、アメリカの統一商事法典やEUの共通売買法に見られるように、法統一の可能性についてはそれほどの異論がない、と指摘されている。アジアにおける各国商事法の調和については議論が未熟ではあるが、アジア的価値の多様性や法継受の伝統にそれほど影響されずに、広範な議論が可能であるように思われる。

結語に代えて

 以上のように、シンガポールの動向には、わが国にとっても、きわめて興味深いものがあるということはできる。わが国において、どのような対応を検討していくべきかについては、現時点で定見は持ち合わせていないが、今後の課題も含めて、感想めいたことを述べておく。

 まず、実体法規範のレベルでは、2009年にウィーン国際売買条約を批准し、今年、債権法改正がなされたことから、契約ルールについての国際的な調和を論ずる可能性を指摘できる。2016年末にシンガポール経営大学・香港城市大学合同で開催したシンポジウムのように、複数の国にまたがる、複数の研究機関による研究機会は今後も増えるであろう。しかしながら、そこでわが国の課題を披瀝し、他の国の議論に対応しつつ、アジア地域における実体法規範の構築にどれだけ貢献できるのか、心許ない、というのが実情である。

 次に、国際仲裁への関心である。本年3月1日、日本仲裁人協会は、シンガポール仲裁人協会Chan Leng Sun会長を招いて、「日本における仲裁振興への協力と将来」と題する記念セミナーを開催した 。とくに若い世代の弁護士の関心が強く、熱心な応答が続いたのが印象的であった。また、韓国では、2016年10月12日13日の両日、第5回アジア太平洋地域ADRシンポジウムが開催され、韓国政府による国際仲裁への熱心な取り組みについて紹介されていた。とくに、国際仲裁マーケットにおける韓国の地位拡大を目指して、費用と時間の節約による効率性と大陸法・英米法の調和を強調していたのが印象的である。いずれにせよ、これまで仲裁などのADRは、裁判(訴訟)制度を補完するシステムであると考えられてきたところ、シンガポールの政策は、共存あるいは競合という位置づけである。どちらも「正義のシステム」として機能するためには、より一層の学問的研究が必要となろう。

 最後に、シンガポール最高裁Menon長官のイニシアティブである。これまでのシンガポールの司法制度改革は、ほぼすべてMenon長官のアイデアといってよい。そして、ABLIの設立総会で見られたように、香港・オーストラリア・インドの最高裁が深い協力関係に結ばれていて、国際商事紛争解決への対応について、共通の関心を示し、実際に協働していることである。たしかに、アジアの経済成長とアジアのリーガル・マーケットの拡大はリンクしている。そこでは、リーガル・サービスの競争によって、拡大するパイの配分が行われるという「産業政策」的な司法政策が語られることも多い。シンガポール・香港・オーストラリア・インドの緊密な協力関係の目的には、そのような「成長の配分」という側面を否定できないが、Menon長官の言葉にあるように「商事法分野における法の支配確立」こそが、われわれの任務であると認識しているのではないか。これを、たんに旧コモンローの連合であるとか、TPPや一帯一路との対立といった表層的な理解にとどまるのではなく、アジアでもっとも早く比較法研究を開始し、豊富な経験を蓄積してきた日本として、どのような貢献が可能か、と考えて行くべきだと思う。

伊藤 壽英(いとう ひさえい)/中央大学法科大学院教授・日本比較法研究所所長
専門分野 商法、有価証券法、比較法
秋田県出身。1980年中央大学法学部卒業。
1982年中央大学大学院法学研究研究科博士前期糧課程修了。
1990年中央大学大学院法学研究研究科博士後期課程満期退学。
高崎経済大学専任講師・助教授、中央大学法学部助教授・教授を経て2004年より現職。
現在の研究課題は、市場型間接金融における取引法理のあるべき姿と、そのような企業金融のあり方がコーポレート・ガバナンスに与える影響について、といったものである。